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「じゃあ、やっぱり、お前達空賊はサガルの支援を受けていたのね」
「は? なに、言ってんの?」
ハルが理解できないとばかりに首を傾げた。
「やっぱり気付くよねぇ。俺とサガル様が主従関係だとさ。でも、勘違いしないでよねぇ。そもそも、サガル様が、空賊を作れって命令したんだよ」
「ま、待ってよ。空賊は、恵まれない下層階級の人間達の味方だったはずだ」
ハルはやはり何も知らなかったようだ。
――リュウが空賊のリーダーだと聞いていた時から、予感はしていた。
深く考えないようにしていた。深くサガルの政略に関わる部分であると思ったからだ。
私の知識は所詮聞きかじりだ。本格的な政治学を嗜んでいるわけではない。
首を突っ込むと政治の汚い部分に巻き込まれることになるだろうと忌避した。
「本当にそんな建前信じてたのかよ。馬鹿な奴ほど勧善懲悪ものが大好きだよねぇ。ころっと騙されてくれてこっちは助かるけど」
「……空賊が盗みに入るのは貴族だった。そのなかには、借財を重ねに重ねていた貴族の家名もあったわ。反サガル派閥の貴族の名前もあった」
「当たり前でしょ? サガル様の政敵を穏便かつ誰にも勘付かれない方法で駆除するために空賊が出来たんだからさ」
ハルは言葉も出ないようで口を開いて固まっていた。
「貧民達へのばら撒きは人気取りのため」
「空賊は貧民を中心に人気だった。空賊に襲われた貴族は何かやましい事を抱えているはずだと、誰もが思う。お前達はそれを巧みに利用したのね」
「正解。人気っていうのは面白い。好きも嫌いも世論に呑まれて簡単にひっくりかえるからねぇ。俺達が館に盗みに入って貧民達に大盤振る舞いすれば、貴族の領土で一揆が起きる。寛大な領主様なんて言われて持て囃されていた奴らが、次の日は税の取り立てが厳しすぎると屋敷に突撃される始末!」
空賊の影響力はそれほどまでに甚大なものだったのだろう。現に彼らは軍から魔薬を盗み出す事態まで招いている。暴動が起こったのは、魔薬が足りなかったせいだ。少なくとも血を血を拭う争いを引き起こしてしまった。
……嫌な想像が頭の中で構築される。
カリレーヌ嬢の行為はもとを辿れば軍人だった父親が殺されたことがきっかけだ。
空賊はそのきっかけを生み出した。
バロック家は、自分こそが王族であると吹聴していたとテウが言っていた……。
「空賊が貧民の味方……? 面白い冗談だよねぇ。実情は、政治の駒だ。人為的に作られた肥溜めであり、トリックスターとなり得る有能な組織」
「俺達を騙してたのか……?」
「勝手に希望を抱いて蛾のように張り付いてきたのはそっちでしょ? 俺は一言も、お前達の為に動いてるって言った記憶はない」
白々しく突き放して、リュウが続ける。
「だいたい、あんだけ派手に飛行船を乗り回してたんだよ。資金はどこからでてたと思ってるんだよ。貧民どもが大枚叩いてくれるとでも? 糊口を凌ぐのだって満足に出来ない奴らばかりなのに?」
「金なんてあるわけないだろ……! あったら、地獄の底から抜け出してる」
「ハルみたいに?」
ハルは目を見開いて固まった。
「でも、家族の為に金を集めても意味がなかったんだよねぇ? だって、その前に殺されてたんだから」
――殺されてた?
ハルの家族が? そんな事実、初耳だ。
「やめろ。リュウ、もう喋らないでよ」
「俺に命令できるのは一人だけ。ハル、お前じゃない。ーー母さんを惨たらしく殺されて、どんな気分だったわけ? 弟も、足を歩けなくされたよねぇ? しかも、傷口が化膿してしばらくして死んだんだっけ? そりゃあ、人も殺したくなるわけだよね」
ハルの顔から血の気がひいていた。
次第に拳をぷるぷると震え始める。
「ハル、挑発に乗っちゃだめ」
「うるさい! あんたになにが分かるんだ。母親を惨めに殺されたこともない癖に」
「……あるわよ。目の前で腹を裂かれて殺されたわ。子宮から、赤ん坊を抜き取られていた」
ぴたりとハルの動きが止まった。私を凝視している。
静かに頷いた。母の死に方を口にするのは怖いことだった。けれど、ハルにはきちんと知っていて欲しかった。
「私の母親は妹から夫を寝取った。昔、話したわよね。父はこの国の王様で、愛人と父の間に私が生まれた。それが王妃は気に入らなかったのでしょうね。なんといったって、取った相手が姉なのだから。鬱積した感情は、第二子を母が授かった時に爆発した。母は妹に殺されたの」
ハルは魂が抜かれたかのように呆然と私を見つめていた。
「私の誕生日だった。皆がお祝いしてくれるものとはしゃいでいたの。でも起こったのは血みどろの惨劇だった。――母を惨めに殺されたことならあるわ、ハル」
首の後ろに手を回されて強く抱き寄せられた。小さな声でハルがごめんと囁く。
冷静になれたようだ。今にもリュウに摑みかからんという勢いだったのでひやひやしていた。
心臓がばくばくと音を立てている。母の死を克明に打ち明けたのはハルが初めてかもしれない。
「仲良くしないでくれる? ほんと、憎たらしい」
舌打ちしそうなほど顔を歪めて、リュウが私とハルの前に立ちはだかった。
「残念だけど、ハルには元の場所に戻ってもらうよぉ? 罪人は罪人らしく苦しんで死んでよね」
リュウの手が伸びる。ハルは逃げようとしなかった。
なぜならば、目の前にイルが落ちて来たからだ。
軽やかに着地したイルはリュウの手を払いのけると、私達を振り返った。
「相変わらず人の話聞かない姫ですね、貴女は。いい加減学習して下さいよ。俺の寿命が縮む」
「来てくれたのね!」
「イル……」
「話はあとあとじっくりと、だ。今は逃げることに専念しろよ。姫、ここはレゾルールの地下です。光源があるが、人工的に作られたまがい物だ。上を目指して下さい」
「はっ、馬鹿言わないでよね。騙されない方がいい。出口は下だよぉ」
「――嘘つきは仕置きしないとな」
勢いよく殴りかかったイルにリュウは応戦しているので身動きが取れないようだ。ハルは私を抱えて走り出した。やがてイル達の声だけしか聞き取れなくなるほど遠くに来た。階段があるが、上への道は瓦礫に塞がれて通れないようになっていた。だが、下へ降りる階段の方は使えるようだ。
「ハル、別の場所を探しましょう」
「……下も、見るべきだ」
「イルのことを信じていないの?」
ハルは目を伏せ肯定した。カンドを死んだと言ったことがハルの心に疑惑を植え付けてしまっているようだ。
もしかして、ハルはカンドが生きているか、死んでいるのか、分かっていないのではないか。私にカンドのことを聞いたのも、生きていたらここにいるはずだという想定のもとで話していたのではないか。
何も言えなくなってしまう。なぜならば私もカンドが生きている姿をこの目で確認していないからだ。
イルが本当にカンドを殺していないのか、私にも分からない。
イルがハルを捕まえるためにわざと上を目指させている可能性もあるのかもしれない。ハルは下の階段に目を遣り、降り始めた。靴音が大きく響きハルと私の居場所を明確にする。下まで降り切るまで、私達の間には沈黙が落ちていた。
下の階段は、おおよそ上の階と同じ作りになっていた。ハルの提案でまず緞帳を捲り上げ、窓を開く。射し込む光は人工物とは思えない暖かさがあった。
リュウの言う通り、出口は下にあったのかと考え直そうとしたところ、青空の中に奇妙な煌めきを感じた。
ハルが私を押しのけた。発砲音と共に、ハルの腕に銃弾が撃ち込まれた。
そのままずるずると座り込んだハルの腕を掴み、患部を露出させる。血は出ているが、弾丸は床に貫通していた。摘出しなくても大丈夫のようだ。
血を見ていると意識が遠のきかけたが、服を破ってハルの腕に巻きつけることで意識を保つ。
「あの空は偽物だった……! ペンキで塗ってあるだけよ。窓は巧妙に隠していたけれど銃口が覗いていたもの」
「……上か!」
ハルはすぐさま私を抱きかかえると、その場を移動し始めた。射線御構い無しに、最短距離を進んでいる。銃声が響くものの、今度はかすりもしない。
階段に辿り着いたものの、ハルはもう限界だった。私を下ろして、そのまま倒れこむ。
「ハル!」
「人質のくせに、俺を助ける馬鹿なあんたを逃してあげる」
「そんなこと出来るわけないじゃない! お前は私と一緒にここから出るのよ。お前は逃げるの!」
「仲間を置いて逃げれない。それに、もう体が限界だ。いいから、行けって。それとも俺に、今ここで殺されたい?」
「ハル、お願いだから、立って。歩いて」
「泣きそうな顔しないでよ」
額を指で弾かれた。やった本人のハルが、悲しそうな目をしていた。額を手で覆うと、少しだけ笑顔を見せてくれた。
何にも代え難い笑顔だった。
「カルディアは馬鹿だ」
ぐいぐいと腕を掴んで引っ張るが、ハルの腕は蛸のようにぐねぐねと弛緩し、力が抜けていく。
声をかけても返事はない。
「ハル……!」
揺すってみたが起きる気配はない。
熱があるようだ。呼吸も浅く、吐く息が湿っている。
無理をしていたのか。
シャツを掴みハルの体に縋る。
無力な自分が疎ましい。さっき、ハルは私を庇おうとした。
私が撃たれたほうがよかった。
ハルのこんな姿、みたくなかったのに。
一人の足音が聞こえる。
振り返りたくなかった。
ハルの上下する胸に寄りかかり、目を閉じてもたれかかる。
「カルディア」
優しい声が今は残酷なものに聞こえる。
私を後ろから抱きしめた彼は蛇のように巻きついて、ハルから引き剥がす。
私のドレスをハルの指が掴んでいた。
複雑な思いが頭をよぎった。ハルの指をゆっくりと掴む。
ずっとこの指を掴んでいたい。私は逃げるようにハルの袖を掴んだ。
「遊びはおしまいにしよう」
サガルが指を鳴らすと、どこからともなく男達が現れた。
ハルを抱えると、荒々しく連行する。
掴んでいた指も、気がつけば無くなっていた。
荷物のように運ばれる様子を見ていられないのに、がっちりと頤を掴み、サガルはその様子を私に見せようとする。
「二人っきりで話そうか」
ハルを呼ぶ声は喉の奥に詰まって消えてしまった。