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 不気味な音を立て、扉が開いた。

 なかを覗くと、通路になっていた。この間、トーマと一緒に覗いたときは部屋だった気がするが。仕掛け部屋かなにかだろうか。

 足を踏み出すと、ネズミが足元を這っていく。驚いて飛び上がると、きゅうきゅうと泣き声があちらこちらから聞こえてきた。

 後ろの扉がひとりでに締まる。一瞬、暗闇にのまれた。

 だが、すぐに松明に明かりがついた。暖色の炎が周りをひっそりと照らしている。

 人が一人通るのがやっとな狭い通路だ。壁に手をつくとぽろぽろと顔料が落ちる。

 足元に気をつけながら進むと、しばらくしていくつも硝子の窓がついた扉が現れた。

 硝子の窓は私の顔の丁度少し上ぐらいにあった。男性が見るときに、見やすいように設定されているようだ。

 背伸びをして一番近くにあった扉のなかを覗き込む。


「っ!」


 なににいるのは血まみれの男だ。すぐに扉を開けようとしたが鍵がかかっているからか、開かない。

 どう見ても、治療が必要だ。がんがん叩いて、なかの人間に合図をおくるが、ぐったりしたまま出てこようとはしなかった。死んでいるのかもしれない。

 口元をおさえて、最悪の状況を打ち消す。大丈夫、息はしている。している、はずだ。

 隣の扉も覗いてみる。なかに人はいなかった。ただ、人がいたような気配はあった。

 その隣の扉はもっとわかりやすかった。大量の血痕が残っていたからだ。

 誰かがここで死んだのだ。

 胸に石がつまったように、重くなる。

 なんなんだ、ここは。

 どうして学校にこんなところがあるんだ。

 その後、手当たり次第に窓を覗く。どうやらここは監獄のような場所らしい。人が閉じ込められており、中の人間は外に出られないのようになっていた。

 この学校は昔、城だった。この部分はその名残なのだろうか?

 もっと奥へと進む。先には細い螺旋階段があった。ゆっくりと壁に手をついて階段を降りる。

 隔離するような分厚い扉を開くと広間のような場所に出た。広間の中心には、鎖でつながれた人間がいた。

 ううっとうわごとのように唸っていた。

 息をのみ、駆け寄る。ハルだった。

 ぼろぼろのシャツと黒いズボン。首元を飾るリボンもぼろぼろになっている。


「ハル」


 頬に擦過傷が出来ていた。よく見ると、体中、痣や切り傷があった。

 声に反応したのか、瞼が開く。

 状況を把握しようと落ち着きなく動くハルの瞳をじっと見つめる。


「……あんた、なんで、ここにいるの」


 ハルの声に泣きたくなった。痛みを堪えるような痛々しい声色だったからだ。


「俺に、殺されにきたの?」

「そんなこと言っている場合じゃないでしょう。酷い怪我をしている」

「鎖に繋がれているから油断してる? 口があれば、あんたを噛みちぎれる」


 疲弊したなかに狂気のような殺意が灯っている。ハルにこんな顔をさせているのは自分だと思うと苦痛で顔が歪む。

 花園で笑いあった日々の記憶が急に脳裏を掠めた。ハルを見つめて幸せを感じていたあの日が遠い。

 それでも引くわけにはいかなかった。


「殺したいなら殺せばいい。けれど、それより前にここから出なくてはいけないわ。……ハル、ここはレゾルールよ」


 死ぬつもりは毛頭ないが、それでもハルに殺される可能性があることをきちんと胸に刻む。ハルは私の覚悟を受け取ったのか、刺すような殺意を少しだけ和らげた。


「レゾルール……。監獄じゃなかったのか」

「違うわ。ここから逃げなくては。外に出るのはイルが手伝ってくれる。はやくここから出ましょう」

「俺一人だけのこのこ逃げられない」


 ハルは上に閉じ込められていた他の人間達と面識があるのか?

 だから、一人だけでは逃げれないと言っているのか。

 ならば、あの場に閉じ込められているのは貧民だろうか?


「……カンドは?」

「カンドもここに? ……私が見た限りいなかったようだけど」


 もしかして、扉の向こうの部屋に閉じ込められていたなかにカンドがいたのか?

 もしかして、血塗れのあの部屋は……。

 とてもじゃないが、ハルにその悪い予想を伝える気にはなれなかった。


「でも、怪我をした男がいたわ。すごく、血が出ていて」

「っ! 助けないと」

「扉を開ける鍵がないの。だから、扉を破るしかない……。私では破れそうにないし、たぶん、お前でも無理よ。その体だもの」


 満身創痍のハルでは、扉を壊そうとしたら、逆にハルの体が傷つくことになる。


「私とお前ではここにいる人間を助けられない。ここで話しているよりも、二人で脱出してイルを呼んだほうがいいと思う」

「鎖、あんたに壊せるの」


 ハルの腕にはめられた鎖は、私の腕では壊せそうになかった。鍵穴があるが、近くに鍵穴をこじ開けられそうなものもない。

 水盆が血を拭うためにか近くに置いてあるだけだ。水面は血で赤く濁っている。

 ハルの体が傷だらけなのに血が付着していなかったのは洗い落とされていたからのようだ。

 ……? この水盆、モニカが持っていたものではないのか。萎れたギルの花が沈みかけている。

 点と線が一つで結ばれたようだった。リュウがハルのことを知っていたのは、モニカがここにきていたから……?

 いや、違う。逆だ。きっと、リュウの指示でモニカが運んだのだ。モニカはリュウが生きていることを驚いているようだった。だから、リュウと知らずにこの部屋にやってきて、ハルを見たはずだ。モニカがハルのことを知っていてなにもしなかったと考えたくない。

 水に手をつける。血の臭いに鼻がおかしくなりそうになりながら、底をまさぐる。盆の固い部分に細長い棒状のものがあった。それをそのまま持ち上げる。

 白百合の髪飾りのようだ。先端が細く尖っている。これならば、鍵穴に差し込んで上手く開けることが出来るかもしれない。

 モニカが、逃げるときのために仕込んでいてくれたのかもしれない。ぎゅっと胸の前で握りしめる。どんな意図があったにせよ、これで脱出への光明が見えた。

 ハルの錠前の鍵穴に先端を差し込む。がちゃがちゃと回してみるが、うまく動かせない。

 じんわりと手の平に汗が伝ってきた。こういう細かい作業は苦手なのを忘れていた。


「貸して」


 見ていられなくなったのか、ハルは器用に手首を曲げて私から髪飾りを取り上げた。くねくねと動かして、ものの数秒で開けてしまった。盗賊も驚くような手腕だ。


「……なに、その目」

「ハルって悪い男だったのね……」


 あまりに慣れ過ぎている。素人の技ではない。


「俺が悪い男だってわかって、怖くなったの? 言っておくけれど、俺に恩を着せたなんて思わないでよ」


 手首を枷から外してハルが私を抱き寄せた。思い出のなかよりもずっと長い腕のなかに囚われ、薄暗い瞳で顔をのぞき込まれる。


「あんたを殺すのは俺だ。あんたの華奢な体を弄ぶ権利は俺にしかない。分かってる?」

「……ハル、時間が惜しいわ。行きましょう」

「それもそうだね」


 ハルは私を抱え上げた。わっと声を上げて彼の肩に掴まる。いつか、森のなかをミミズクと一緒に走ったときのようにハルに抱えられている。


「ハル!?」

「動かないでよ。あんたは俺の人質だ。これからなにかあったら、あんたを使って時間を稼ぐ」

「お前、怪我してるのよ?!」

「うるさい、あんたが俺に口出ししないで」


 馬にそのまま乗っているように安定しない体を、ハルに密着することで揺れなくする。

 いい子と褒めるように背中を撫でられる。

 存外に優しい手つきに息がつまった。

 ハルは私が来た道を逆走し始めた。階段を上がり、人一人しか通れない通路を辿る。戸惑うように立ち止まり、背中を縮め、硝子窓を覗く。

 私が背伸びしなければ見えなかった窓に、ハルは背を縮めなければ覗くことが叶わない。今更ながら、ハルとの体格差に気が付いておろつく。体を預けている肩から腕にかけてが、やけに骨ばった男性的な筋肉質なものに思えてたまらなくなる。


「……ひどい」


 ハルは扉の向こう側を見て、苦しそうに一言呟くと、足で扉を蹴り上げた。

 荒々しい行動に、びっくりして首に手を巻き付ける。


「硬い。斧かなにかを持ってきた方がいいか……。さっきの髪飾りじゃ、錠前の穴と合わないし。……手、どけて。邪魔だから」

「っ、いきなり、驚かせないで。びっくりした」

「……俺、一応男なんだけど」


 ハルの呟きは聞こえなかったことにする。ハルの体を男だと意識し始めているときに、そういうのは反則だ。ハルが私のことを嫌っているとわかっていても複雑な気分になる。

 ハルは中の人間に大声で助けると声をかけて出口へと進んだ。

 だが、扉を開けて、瞠目する。私が入った場所ではないところに出たのだ。

 レゾルールの校内にはいると思う。調度品の設えや配置がレゾルールらしいからだ。どの廊下だろうか。見覚えがない。すぐに後ろを振り返り、扉をあけようとするが開くことはなかった。


「清族の魔術かしら? ともかく、ここがどこか調べないと」


 私がハルにそう提案した時だった。廊下の先から靴音がした。徐々にこちらに近付いてきている。ハルは警戒したように口を閉ざして、身を屈めた。


「馬鹿なお姫様を助ける騎士役なんて、ほんと下らない」


 近付いてくる男の声は、リュウのものだった。あいつは緞帳を落とし、廊下へ差し込む光を遮断しながらゆっくりと歩き寄ってくる。


「リュウ?」


 ハルは放心状態でリュウのことを見つめていた。ハルは、リュウが生きていたことを知らなかったのか。


「生きてたのか」

「死んでたほうが都合よかったんだけど、そうもいかなくなってねぇ」

「どうして。だって、あんなにひどい死に方したのに……!」

「首が飛んだんだっけ? それとも、食われた? 圧し潰されたんだったか。まあ、どれでもいいや。あれね、全部、清族の術だよ。鳥人間の襲来は予期してなかったけど、いざというときに逃げれるようにいろいろ仕込んでたんだ。ハル達が死んだって思ったのは俺じゃなくて、他の奴」


 ハルは言葉もないようだった。今までずっと死んでいたと思っていたのだから無理はないのかもしれない。今のハルにとって、リュウは蘇った人間だ。


「ハル達にはあそこで死んでいて欲しかったんだけどなあ。だって、空賊がサガル様の命令のもと動いていたなんて、文屋が知れば次の日には号外が配られるほどのスクープだもんねえ」

「――は?」


 ハルは意味が分からないと言わんばかりに頭を振った。

 廊下を優しく照らす、緞帳がすべて降りた。


「馬鹿なカンドも、めんどくさいハルも、できればあそこで死んでほしかったよ、俺はさ」





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