8
「命を狙うものがあると、お聞かせいたしましたよね?」
「ええ」
「その日、カルディア姫の部屋が荒らされました。私が湯を浴びようとしたとき、報告があり、カルディア姫を部屋に帰さぬようにと厳命を」
そういえば、部屋に戻ろうとした私を、侍女が止めていた。
あのとき既に、私の部屋は荒れていたということ?
だが、ギスランから報告されたのは、何日もあとでは。
いや、あれらは夢だったから、すぐ後だったのか。
「そして、その、カルディア姫がお眠りになった後、私とリスト様で対策を講じることとなったのですが」
「ギスラン・ロイスターと先ほどのように罵り合いの喧嘩になった」
言いにくそうなギスランの後をリストが続けた。
「何やってるの、お前達」
「……本当にな」
額の赤い花の刺青をなぞり、リストが言った。
そういえば、今日のリストは軍靴だと関係ないことが頭に入ってきた。
「結局、収集はつかず、話し合いは決裂。意固地になった俺と、聞き分けの悪いギスラン・ロイスターとで別々に対処することに」
「馬鹿なの、お前達」
「……本当にな」
頭を抱えてリストが言った。私が頭を抱えたい。どうして、そんな馬鹿なことやっているんだ、こいつら。仲良くなぜ出来ない。私の為にと手に手を取り、友情のひとつやふたつ気力で生み出せないのか。
「リスト様はカルディア姫に知らせると。私の女王様をそんな些事で煩わせる必要はないと進言いたしましたら、反論が山のように」
「最悪の事態に備え、事前に報告することは重要だ」
「私には、そうとは思えませんでしたので」
「でも、私には結局、報告したわよね?」
「それは、数日経っても事態が好転しませんでしたので」
「数日経っても?」
引っかかった言葉を反復すると、明らかにギスランが動揺した。誤魔化すように、にこりと微笑んだが、騙されないぞ。
「お前、私に報告したのは夜だったわよね」
「は、はい」
「あれは私の部屋が荒らされたその日、そのはずよね」
「う、う」
「なぜ、数日? おかしいでしょう」
「それは、その」
「ギスラン」
「はい」
「きちんと話しなさい」
怒気を孕んだ声を出すと、ギスランは叱られた子供のように気落ちしてぽつりぽつりと話し始めた。
「その、カルディア姫に、私の部屋にいていただきたかったのです」
「へえ」
「だ、だって、外は危ないです。それに、リスト様にカルディア姫を守る役を譲りたくなく……」
「それで?」
「カルディア姫の紅茶のなかにお薬を」
「ふうん」
「カルディア姫、怒ってらっしゃる?」
「……それなりに。……お前も飲んでいたわよね?」
確か、ギスランもそう言って言い逃れをしていたはずだ。
「カルディア姫、私と貴女様とでは摂取量が異なります」
「摂取量ですって」
「同じものを飲んでいたからと言って薬が効くとは限らぬものですので」
なんだと?
ギスラン、私を騙したのか?
いや、私が気がつかなかっただけか。普通ならば気付くべき量の問題を除外していた。
反省会を開きたくなってきた。そういえば、今思い返すと、おかしなことばかりだ。寝ていたはずのギスランが朝食の用意が整っていることを知っていたり、あったはずのペンギン紳士がなくなっていたり、フクロウが引き裂かれていたり。あの場で追及するべきだった。
「カルディア姫は知らず、事態を終了できる。その予定でした。しかし、睡眠薬の効果があまり効かなかった。三日目で、朝までぐっすり眠られるはずのカルディア姫が夜に起き上がってこられた」
「だから?」
「薬の効力が効かなくなったと思いました。ですので、なくなく事情を話すはめに。そこからは、ご存知の通りです。数日経っても事態は収束せず、賊がカルディア姫を襲い、害した」
ギスランは恭しく私の足元に傅いた。足に巻かれた包帯を痛ましげに見つめている。
「カルディア、ギスランは伝えたくないようがだ、俺は伝えるべきだと考える。だから、言うが、お前を襲った化物は、この数日で六人、学校の奴らを殺害している」
ギスランから目を離し、リストの強張った顔をとらえる。
あまりのことに言葉が出なかった。
六人? あの巨漢の男にか?
そんな、なにをしていたんだ。警備担当がいたはずだ。あんな巨漢、隠れる場さえないはず。ならば、すぐに始末出来ただろう。
「ああ、勘違いするな。警吏が仕事をしていなかったわけではない。きちんと倒されている。もっとも倒したのはそこの傅いている男だが」
「どういうこと?」
だったら、私の首を掴んだあの巨漢はなんだというのだ。
「カルディア、お前を襲った化物とは姿は同一個体が三匹、学園内を徘徊していた」
「では、あの化物は四匹いたといいたいの?」
「ああ、そうして生徒を殺し回っていた」
「どういった生徒を?」
ギスランが縋るように私の手をとって首を振る。聞かせたくないことらしい。
だが、確かめなければならない。きっと、リストもそう望むから私に言うのだ。
「身なりのいい女ーーお前によく似た髪型をした女だ」
「……ええ」
一度、深呼吸をする。
六人。
それも、身なりのいい。
死んだのは貴族か。
私を狙っていた化物は知能があるようには思えなかった。おそらく、私と私と似た女性の区別がつかなかったのだろう。
「お前の責任だ、カルディア」
息が詰まる。
私のかわりに反論しようとしたギスランを軽く蹴る。
今の私にギスランの声は雑音だ。聞かなければならないことを拒絶して、心を壊さないように振る舞うつもりはない。そこまで、弱くない。
「お前が安穏と過ごしている間、六人もの罪のない女が刈られた」
私が殺したわけではないと吠えたかった。
だが、私は六人もの人間の命を犠牲にして平和に浸っていたのだ。
ギスランに給餌をしてもらい、羊の命を貪りながら、私は立派に人間の命も貪っていた。
誰が殺したかが重要ではない。殺させてしまったことが重要なのだ。例えば私がギスランの部屋から外に出ていれば、六人のうち誰か一人は助けられたかもしれない。私はここにいると喧伝していれば、六人全員を殺さずに済んだかもしれない。
リストはそう言っている。そう、私を責めている。
「貴族が王族のかわりに死ぬことは名誉です。その名誉を捻くれた捉え方で見ないでいただきたい」
「お前にとってはそうなのだろうがな、ギスラン・ロイスター。誰もが忠節を心に飼うものではない」
「邪心を持つ輩は貴族を名乗る資格がないと思いますが。否と答えるものは没落させてしまえばよろしい」
「嘆きさえ上げさせぬと? 人は虐偶ではすぐに不平をこぼす」
「ならば不平を漏らすその首ごと刈り取ればよろしいでしょう?」
「お前なあ」
こいつらを二人だけで会話させると啀み合いにしかならないらしい。
ギスランの頬を撫でて、唇を爪でつつく。
ばっと振り返ったギスランがぽわあと不気味な瞳で私を見つめる。
頬に手をあてているし。なにをやっているんだ、こいつ。
「責任の是非はあとで問いましょう。それよりも、どういうこと? ギスランがなぜ、あの化物を倒したの?」
一応、こんな奴でも貴族の一人だ。守られるべき存在だろう。
ぼーっとしているギスランの頭をぽふぽふと叩くと、潤んだ瞳で嬉しそうに喉を鳴らしている。全身わしゃわしゃと撫でてあげたくなってきた。
「それは、カルディア様。わたしがここにいることとも関連している」
「そう言えば、なぜダンはここに?」
「それを語るには、まず化物の話をせねばならない。カルディア様、『無辜の怪物』という童話集はご存知か」
『無辜の怪物』。二百年前にソロモンという貴族が編纂した童話集だ。内容は清族が禁忌としている四つの大罪。そのうちの一つ、人体の精製についてを主題にしている。
確か、ホムンクルスについての記述が主だったはず。
頷くと、ダンはにこっと愛想のいい教師のように頷き返した。
「『無辜の怪物』には、博士と鳥人間という話がある。死者蘇生を願った博士が死体を継ぎ接ぎしたものに鳥の血液を混ぜ、牛の死骸のなかに入れる。そうして死骸の体温を四十度に保てば数ヶ月後、牛の頭と鳥の嘴を持った鳥人間が出来上がる……」
牛の頭と鳥の嘴。化物の特徴と合致する。
まさか、嘘でしょう?
「『無辜の怪物』は童話でしょう」
「そのはずでした。だが、おかしなことに実在してしまった。カルディア様も見たように、鳥人間は創られてしまったのです」
「人間の精製は女神に対する冒涜よ。それは、女神が愛した男神しか許されない行為だもの。涜神は清族でも科学者でも等しく絞首刑のはず」
神威を守るため、そして教会の威信を守るためにそうせざるをえないのだ。下世話な話をすると、そういって神聖化を図ることで教徒を維持している。
女神神話は身分制度の問題とも関わる。それ故、凝り固まった考え方を継続させようと躍起になる。
「ええ、女神を恐れぬ蛮行だ。それに、鳥人間といえども、生命を創造できるのは神だけ。その神とて、己の体を贄としなければ生み出せぬ」
ダンがここでありえないとばかりにため息をこぼした。
意外にも、清族や科学者は熱心な信者が多い。女神の欠片が紛れているとダンは言っていたが、そのせいなのかもしれない。体が心に惹かれるように、熱心に毎朝、教会に通う。
「死体を継ぎ接ぎしたものに魂は宿るのか?」
「リスト、『無辜の怪物』に出てくる化物には魂は宿らないわ」
「どういうことだ。では死体はどうして動く」
「簡単な話よ、お前や私のように動く原動力があるの」
意味が分からないと憤然した様子でリストが言った。
ギスランは私に弄ばれているのが心底楽しくて仕方がないらしく、目を細めて安心しきっている。
「カルディア様はよくご存知だ。リスト様、前提として無から有は生まれませぬ。なぜならば、それは神にも出来ぬことであるから」
「簡潔に述べろ、簡潔に」
紆余曲折を嫌い急かすが、無から有を作れないというのは大切な前提条件だ。大人しく聞け、リストめ。
「ではそのように。リスト様。あの化物の中身は光電機械でした」
血ではない液体。
そういえば確かに、泥のような臭いのするそれは、滑りを良くするためにさされる定価な油の臭いに似ていた。部品同士の摩擦をなくすために全身に油を巡らせていたのだろう。男の呻き声だと思っていたものはおそらく、機械の稼働音だ。口から唾液のように油が撒き散らされたものだから、呻き声だと錯覚してしまった。
「機械? ばかな、どうやって鉄の塊が意志を持って動く」
「その解明は少し時間を頂けたらと思います。あれほどの演算できる機械を始めてみたものですので」
「『無辜の怪物』では鳥人間にオーパーツが埋め込まれていたわね。身体の中は空洞で、オーパーツは足にあり、だから足以外のどこを傷付けようと決して倒れない」
「まるで軍事兵器だな」
リストのこぼした言葉に、はっとする。もしかして、国家が秘密裏に開発していた人造兵器なのか? 流石に飛躍した妄想だろうか。
「軍というのならばリスト様の方がお詳しいのでは。清族はあのような醜悪な化物を作りはしない。そもそも、機械などという劣化されたものを用いることは矜持が許さない」
科学は魔術の劣化品。だからこそ、清族は機械の存在を悪しき代物のように説く。自分達だけのものだった魔術が機械の発展で、そうではなくなった故に意地もあるのだろう。
「俺が知る限り、あのような化物を作り出す予算はない。……とはいえ、俺も軍の全ての事情を知っているわけではないからな」
リストが知らないとなると軍の可能性は低いのだろうか? だがあれだけ体が大きいとつまっている機械も巨大になる。それをつくるとなると莫大な費用がかかる。それに加えてあの化物はあと四匹いた。そうなると機械の制作費は莫大なものになるに決まっている。
「あれは、資産家が作らせたのか? たとえば、ギスラン・ロイスターのような?」
ギスランはむっとリストを睨み付けた。
「そうだとしても、製作者は別でしょう。たとえば、ヴィクター・フォン・ロドリゲス。彼ならば作れるのではないかと」
ヴィクター・フォン・ロドリゲス。光電機械の生みの親である科学者か。確かに彼ならば、あんな奇々怪界な生物をつくれるのかもしれない。
「それで? ダンがここにいるわけは、あの化物の回収なの?」
「それもありますが、一番は化物の掃討です。カルディア様、一番始めに化物を見た貴族がなんだと思ったかお分かりになるか? 魔物だと思ったのだ」
狼などの野生動物とは異なり、魔物の掃討は清族が行うことになっている。なぜならば魔物の殆どが魔力によって普通の攻撃を弾いてしまうからだ。
「なるほど、でも、魔物ならば学校内の清族が動くはずではないの」
「清族は年に一度の魔技の試験を行うために神殿へ身を寄せていたのだ。おかげで、学内の清族は誰もいない。教員も引率でいなかったものだから、貴族どもは慌てだした。ろくに連絡もせずに部屋に引き篭もり、あるいは名を上げようと下級貴族が戦いを挑む始末」
下級貴族で、次男、三男となると、殆どが軍人や騎士になる。そこで名を上げ、爵位を貰いまた貴族として悠々と生活するというのが普通だ。
ただ、戦闘に自信があるもののなかには功を焦る人間が出てくる。今回は討ち取れば、語り継がれる功績だろう。挑もうとする者がいても不思議ではない。だが、魔物だと思っているのに戦いを挑むのか? とんだ馬鹿がいるようだ。
「馬鹿な貴族達は抑えることに成功したが、清族が戻ってくるにはまだ時間がある。そのため、白羽の矢が立ったのがギスラン・ロイスターだ」
魔術が使えるからか。ちらりと功労者だというギスランを見るともっと撫でろと言わんばかりに頭を擦り付けてくる。
お前は忠犬かなにかか。そう思いつつも、寛大な心で撫でくりまわしてやる。ギスラン、なぜ、わんわんと吠えそうなほど恍惚としているんだ、気持ち悪いぞ。
リストとダンが寄越す視線が棘のように刺さる。
空咳をしたあと、リストが続けた。
「とはいえ、なかなかギスラン・ロイスターは言うことを聞かなかったのだが。それに、倒してもすぐに別の場所に新たな化物が現れる」
倒しても倒しても現れる。恐怖だな。ちなみに倒した化物は講堂に運んでいたらしい。死体が腐り、その死体が原因で感染病が起こる危険性があるから隔離していたのだという。まあ、それは魔物だったらの話だ。機械ならば、もともと腐りはしないので、杞憂だったと付け加えられた。
「流石に死人が増えすぎた。学内だけで処理しきれぬと父に嘆願するとダンをここに派遣すると。それが今日だ」
「それ、どこかに漏らしていないでしょうね」
「俺はした覚えがないが。しかし、ダンを派遣するとなると大掛かりなことだ。過程でどこかに漏れた可能性はある。……ダンが来る前に始末しようと動いたと?」
「タイミングが良すぎるでしょう。ギスランが駆けつけなければ死んでいたわよ、私」
ぶわりとギスランを基点にして強風が螺旋状に広がる。
音をたててダンの衣装や本棚が揺れる。宙に浮かぶ髪をおさえながら、リストがギスランを睨みつける。
「ギスラン・ロイスター! 俺の部屋を壊すつもりか」
「壊れてしまえばいいのに」
「なんだと?!」
「こらこら、ギスラン。あまり気を乱すな。魔力が暴走しているぞ」
「説教するか、偉そうに」
いや、男どもがどうなろうと私は構わないけれど、ギスランを基点にしているせいで私のスカートがおもいっきり膨らんで複雑な気分だ。
「カルディア姫、お可哀想。執拗に狙われるだなんて。どんな悪鬼が貴女様の命をつけ狙うのか。いっそのこと、国の一人一人殺して回るか」
過激な言葉が聞こえた気がする。いや、気のせいということにしたい。
「ギスラン、お前、少し落ち着きなさい」
「しかし。カルディア姫は命を狙われた。到底許せぬことです」
「いつものことよ。特に動揺することはないわ」
自分で告げながら、とても真実の言葉ではないと自嘲してしまいそうになった。醜悪な化物を差し向けられるほど私がなにをしたとーー?
今は、感情に流されるわけにはいけない。
しっかりとしなければ。浮かんで来た言葉を心の奥に沈める。邪魔な感情を濾過し、穏やかな心にするべきだ。
「カルディア姫?」
ギスランは長年の付き合いからか、異変に気付き、私を訝しげに見つめた。相手すると面倒なので、取り合えずと手を叩いて注目をひく。
「ま、侍女らしいあの女から情報を引きずり出すしかないでしょうね。あの女は?」
「まだ篭絡には時間がかかるらしい。……ロイスター家の人間がやっているので、情報が全くなしではないだろう」
リスト、顔が引きつっているぞ。私も似たような顔をしていそうだが。
「お任せを。必ずやご期待に添えてみせます」
貴族を簡単に没落に誘えるロイスター家の人間が尋問するなんて、あの侍女、死ぬよりも辛い目にあっているのでは。想像するのもいやになるぐらい恐ろしい事態になってそうだ。
王族二人が蒼ざめるなか、けろりとダンが尋ねた。
「お二方、気分が悪いのですか?」
呑気な魔術師に世の中には知らない方が幸せなことがあることを教えてやりたくなった。