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「待って!」


 サラザーヌ公爵令嬢の背中に向って大声を上げる。

 幸い、サラザーヌ公爵令嬢達は学校から出てはいなかった。ゆっくりと回廊を歩いている。

 先に振り向いたのは、隣にいたサガル兄様だった。熱いのか、襟元を緩めてはだけたラフな格好をしている。その次に、サラザーヌ公爵令嬢の斜め前にいる清族の男が振り返る。ノエルだったか。

 最期に、サラザーヌ公爵令嬢が、ゆったりとした微笑を浮かべて振り返った。


「あら、もう起きて大丈夫なの?」


 荒れた息を整えながら頷く。正直言えば、帰ったら、リストになにを言われるか分からなくて、怖い。

 そもそも、この状態のサラザーヌ公爵令嬢を目の前にして何を言えばいいのだろうか。

 衝動のままにここまでやってきた。けれど、本人を目の前にすると言いたいことも言わなければならないことも上手くまとまらない。

 助けたいと、一方的に言っていいものだろうか。迷惑に思わないだろうか。偽善っぽいと否定されない?

 言い澱み、そのまま口を閉ざしてしまう。

 これではだめなのに。汗が噴き出して止まらない。喉が急に乾いてきた。


「なら、よかったわ。……震えているのね」

「これは、違うわ。その……」


 苦笑され、うっと言葉がつまる。

 視線を彷徨わせていると、急に抱き着かれた。

 倒れこみそうになるのをなんとかこらえる。


「な、なな、なに?」

「貴女のこと、大っ嫌い」


 笑いながら、大声で叫ばれる。

 サガル兄様もノエルもぎょっとしていた。


「陰気な顔やめて。服もダサいし。ウジ虫みたい」

「言い過ぎよ!」

「仲良くなろうなんて考えないでほしいのよ。こっちは、貴女が可哀そうで、不憫だから恩を売るために優しくしているの」


 完璧な牽制だった。私の偽善を看破されたようなものだ。急速に伝えようとしていた気持ちがぐちゃぐちゃに混ざって、どこかへいってしまう。そうか、サラザーヌ公爵令嬢にとって私は彼女を助ける人間じゃない。助けられるべきサラザーヌ公爵令嬢の立場なのだ。


「というか、わたくしは貴女と親友みたいに仲良くなって得られる利点なんてないの。分かった? 貴女はせいぜいわたくしの美点を吹聴する語り部になればいいの」

「そう……」

「じゃあね、サラザーヌ公爵令嬢。ほら、ギスラン、行きましょう?」


 サラザーヌ公爵令嬢はノエルの腕に腕を絡めると、そのまま歩いて行ってしまった。

 後ろ姿に手紙を書くわと呼びかけた。そういうことしかできなかった。でも、きっとこの言葉に意味はないのだ。彼女は、もう救われている。カルディアという別人になって、自らが受けた辱めを忘れてしまったのだ。痛みも、苦しみも彼女にはない。だって、私こそ、救いを求めていただろう、サラザーヌ公爵令嬢になってしまったのだから。

 答えはやはりなかった。


「カルディア、僕はミッシェルを見送ってくるよ」


 すぐ横に来ていたサガル兄様が私と同じようにサラザーヌ公爵令嬢が消えていた方角を見ながら言った。


「サガル兄様」

「また兄様って呼んでる。サガルでいいよ。呼んでみて?」

「サガル」

「よく出来ました」


 ぽんぽんと頭を撫でられる。

 言いようもない幸せな気持ちに包まれた。心の中に花が咲いたような気分だ。

 ぽかぽかして温かい。

 だが、なにか違和感を覚えた。

 違和感を探して、しばらく視線を蠢かせる。

 ……サガル兄様の首元、何度も掻いたように赤い線が浮かんでいる。


「サガル、首どうしたの?」

「っ!」


 体をびくつかせ、サガル兄様はまじまじと私を見た。首に手を置いて動揺を隠すように摩っている。


「何度も掻いたような傷があるわ」

「あ、ああ。少し、かゆくて。気にしないで」

「清族に治してもらったほうがいいと思うのだけど」

「うん。送り終えたら、治してもらうよ。ごめん、カルディア、僕行くね」


 サガル兄様は逃げるようにサラザーヌ公爵令嬢を追いかけて行ってしまう。

 目の前で倒れたことを謝れなかった。

 漠然とした不安と、その反対に謝らなくて済んだことへの安堵してしまうような心地よさに戸惑う。

 私はなにをしにここまで来たのだろうか。




「美人ですねえ」


 急に私の目の前が翳った。軽やかな着地音に振り返ると、眼鏡の位置を整えたイルが両手を広げて立っていた。

 こいつ、さっきまでいなかったはずなのに、どこからやって来たんだ。

 近くには木すらない。飛んできたのか?


「サガル様は太陽まで撃ち落としてしまいそうですね。傾国という言葉がぴったりだ」

「なにをしているの?」

「いえ、ギスラン様は接近禁止命令を受けたので代わりに俺がお姫様のお相手することになりまして」


 イルの視線はお前、何勝手に外に出ているんだよと訴えていた。

 ごもっともだ。外に飛び出たくせに、ろくに収穫もなかったのだから、自分でも呆れてしまう。


「相手というか監視でしょ」

「まっ、そうとも言いますけど。というか、カルディア姫って少し落ち込んでます?」

「別に、そういうわけではないけれど」

「おかしな人だな。なんで落ち込むんです? サラザーヌ公爵令嬢があんなことになっていたからですか」


 イルはこの間、サラザーヌ公爵令嬢のことを教えてくれたような口調のまま、私の顔をのぞき込む。


「馬鹿だなあ。お姫様が申し訳なく思う必要あります? あの人、勝手におかしくなって、自分を恐れ多くもライドルの第四王女だって思っているんですよ? 普通なら、不敬罪で首をはねられても文句は言えない」


 イルのあけすけな言い方に閉口した。


「言っておきますけど、かわいそうとか、こっちが気まずいから優しくしてやろうなんて態度、相手をつけあがらせるだけですよ。悪い奴っていうのは、かわいそうな奴のふりをして懐に入ってきます。そうして利用される」

「サラザーヌ公爵令嬢はそういうのではないでしょう」

「へえ、自分の名前とられて、馬鹿にされて、あまつさえかわいそうと思われてるのに庇うんだ」


 イルは私の反論を塞ぐように鞭のように厳しい声色を出した。


「お姫様、サラザーヌ公爵令嬢はせいぜい目の前で父親が殺された、それだけだ。そんな奴この世界にごまんといますよ。そういう奴全てに同情して、好きなようにさせるんですか? ああいう奴は死ぬまで正気になんか戻りゃあしない。ずっとあのままです。かわいそうと思うなら、殺してやった方がまだ救いがある」


 唇を強く噛んで、イルは顔を背けた。

 その顔は酷く苦しそうだった。


「サラザーヌ公爵令嬢はギスラン様のことを認識出来ないんです。ギスラン様が見舞いに行った時に、あの人のこと無視したんですよ。いないもののように扱った。そのくせ隣にいたノエルのことをギスラン様だと思い込みやがった」


 ぐっと胸が抉られたように痛む。

 見ていたイルも同じような気持ちになったのかもしれない。


「妄想の中じゃあお姫様になって、ギスラン様に愛されているとか、もう尊敬しますよね。そんなに自分だけが愛されたいのなら、一生夢のなかに生きてろってんだよ」

「……イル、もういいわ」

「いいって、なに? 貴女が辛そうにしてるのを見とけって? 馬鹿言わないでくださいよ。あとで俺がギスラン様から叱られる」

「サラザーヌ公爵令嬢があれで幸せなら、それでいいの」

「幸せっていうのは他人との比較によってのみ感知できる代物ですよ。分かります? つまり、誰それより自分が上か下かによって測れるんです。あの女は今後、幸せを思う時にサラザーヌ公爵令嬢をーー貴女を思い浮かべる。あの子は父親に殺されそうになった。ああ、あんな子よりギスランに愛されている自分はなんて幸せなんだろう。綺麗な兄はいるしってね」


 言い返せなかった。

 イルの指摘は正しい。

 幸せは誰かと比較しないと認知できないというのもその通りだ。ギスランが前言っていた時は理解できなかったが、今なら分かる。

 イルが苦々しく思っている理由は私情が入っていそうだが、庇われているようで少し嬉しい。


「……あー。ちょっと、頭冷やします。俺、何必死になってるんだ」

「ありがとう、イル」

「はあ。いや、俺は別に何もしてないですけど」

「正面からあいつの方が悪いという風に言われたのは初めて。母を殺された時、言われたことがあるの。あの人はかわいそうだから許してあげなさいって」


 イルは固まって、私をぎょっと見ていた。かわいそうというのは少しだけ狡い。それだけで、行ったことを許してしまう。許されてしまう。手を貸さなければならないと義務感に襲われる。助けたいと思ってしまう。


「怒らなかったんですか」

「怒ったわよ。当たり前でしょう。でも、なにも変わらなかった。あの女は正妃のまま。同じまま」

「そうですか」


 気むずかしげな顔がますます険しくなる。

 私は少しでも悲しい話にしたくなかったので、笑いかけた。


「私に味方してくれる人がいるの、素直に嬉しい。これもきっと昔の私と比較しているから嬉しいと思うのね」


 ならば、もっと多くの人に味方されたらこの日のことは忘れてしまうのだろうか。嬉しいと思った感情ごと陳腐なものに思えて捨ててしまうのだろうか。


「善良な人間なんて利用されて死ぬだけです。貴女はもっと、傲慢でいた方がいい。他人なんて、蹴落とすぐらいじゃないと。ギスラン様みたいに、強くないと」


 泣きそうなのに、それを堪えて我慢して笑った。イルは、きっと私にそっくりなくしゃくしゃ顔をしている。その変な顔と一緒にずっと記憶に留めておきたいと思った。


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