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どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。  作者: 夏目
閑話 誰が彼女を殺したのか。
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それは体だと女は笑う。

 


 リスト様、リスト様。

 助けて下さい。救って下さい。

 きっとだれよりも可哀そうな女なのです。不幸な女なのです。

 こんな可哀そうな女を助けることができるのは、貴方様だけなのです。





「ココ?」


 差し出された手には蝋燭立てのような銅の小さなフライパンがあった。


「ごめんなさい。ぼうっとしていたの」


 なかには入っているのは麻薬である。

 マリファナ、コカイン、ヘロイン。どれも試したことがあるが、ギルの花から取れる麻薬は炙るとその臭いを嗅ぐだけでと天国に行ける。

 ヘロインは過剰摂取で天国に連れていかれるが、ギルは効き目が強い割には、死亡報告が少ない。


「疲れているの? そうよね。この頃、変に気を張ることばかりだもの。人が沢山死んでしまったし……」


 鳥人間と呼ばれる化物が人を殺していったのは何日前だっただろうか。

 最近のことなのに、遠い昔のことのように思える。

 沢山の人間が血をばらまいて死んだ。踏み潰されて死んだ。死はあっけなく、万人に降り注ぐ。


「ほら、これを。これに浸っている間だけ、幸せになれる」

「貴族様はこんな幸せな世界を独占しているのね。いいよね」

「そうだね。でも、こうやって悦楽に浸る栄誉を貰えたのだから、浸らないとね」


 炙られた麻薬を渡される。

 リナリナの家は王都の商家である。

 ココよりも羽振りがいい。もともとは、彼女に取り入るつもりで近づいたのだ。

 今でも、友かと問われたら違うと答えるだろう。

 ココとリナリナの関係は友達と呼ぶには打算が混じりすぎていた。


「ふー」


 大きく息を吸い込んで、臭いを浴びる。静かに息を吐き出し、リナリナは部屋にあるソファーに深く座り込んだ。

 ココも同じように吐き出し、真似をするように深々と座りこむ。

 途方もなく感じる甘い香り。幸せが、体を包み込んだ。

 目を閉じて、ふうふうと興奮を抑え込もうとする。

 けれど、それは無理だった。数分もすれば、熱っぽい肌から汗が滴る。だんだんと気分が昂ってくる。


「う、うふふ、ふふふ、ふふふふふ」


 リナリナは先に夢の世界へと潜り込んでいた。

 だらしなく、恍惚を浮かべ涎を垂らしている。

 そして、ココにも歓喜すべきその時間が訪れた。


「ココ」


 優しい声にココは蕩けそうになった。


「さあ、俺と一緒に」


 リストの体と一緒にココは寝台に倒れこむ。

 ココが寝たこともない、ふわふわとした高級な寝台である。

 天蓋がついており、紗幕が垂れ下がっている。


「姫。俺の、可愛い姫」


 ため息が出そうなほど美しい赤髪に口付けると、感極まったように何度も姫と呼ばれる。

 ココの妄想のなかでは、リストはココに片思いをしていた。胸が破れんほどの切ない声で何度も姫と呼ばれる。


「姫。俺と結婚してくれ。王族となってくれ。俺が守る。誰にも傷つけさせない」

「リスト様……!」


 感涙にココがしどしどと泣き、胸を濡らす。リストは心配そうに涙をぬぐってくれた。


「大丈夫だ。何も心配しなくてもいい。姫は好きなことをやっていいんだ。俺のために服を作って、着せてくれ。着せ替え人形になっても構わない」

「本当ですか? 絶対ですか?」

「約束しよう」


 甘い唇への口づけがされる。啜るようにその唇を味わう。

 リストは纏っていた服を脱いで、ココにしなだれかかってきた。鍛えられた腹筋に触れる。

 服を着ていると華奢に思えるが、男らしい陰影のついた裸体だった。

 ――そう。この美しい体に合わせた服を作りたかったの。

 太い首筋から、肩をなぞる。くすぐったそうに、身じろぎする赤い獣の目元が色付く。

 体中を愛撫する。同じ人間とは思えない肉体の弾力に魅了される。


「もっと、脱がせてくれ」


 ズボンへと導きながら、リストは熱っぽい吐息を溢す。

 求められている。それが興奮を呼び起こした。リストのズボンに手をかけながら、自分もまた脱いでいく。


「嬉しいよ、姫。俺の姫。ああ、下賤がなんだ。平民がなんだ。俺は、俺の好きな姫と、ココと結ばれるのならばなにもいらない。欲しくない。今から、俺は王族の人間ではない」

「ココのために、そんな。ありがとうございます。リスト様」

「姫を愛するただの男だからな。俺は。かわいらしい、俺の姫」


 リストの手がココの体を触っていく。官能の昂ぶりが頂点に達していく。

 頭がふにゃふちゃと溶けていった。快楽と自分の意識が絡まって、自意識は消滅していく。


「ああ、気持ちがいい。気持ちがいい」

「――おお、そうか。ココ。そうか。わしのこれがそんなにいいか」


 銅鑼声がココの上で歓喜に濡れる。

 太った豚のような体を震わせ、子爵は腰を動かし、官能の声を上げる。


「若々しい肌はよくわしの手が吸い付く。若い娘はこれだから、やめられない」


 麻薬に溺れているうちに、家に帰ってきていたらしい。いつものように子爵がやってきて、ココを抱いている。けれど、ココの意識が抱かれている肉体にはなかった。

 精神は現世になく、自分の頭の中にだけに存在していた。そこでは、ココは何にでもなれる。そして、どんな苦痛も存在しない桃源郷に変化する。

 痛みは快楽に変わるし、不幸は幸福へと様変わりする。

 麻薬によって、増幅される幻想の世界にどっぷりと浸かる。

 豚のように交尾するのは、自分ではない。ベつの世界の可哀そうな誰かだ。

 ココは王族の寝台で優しいリストに抱かれている。

 リストが嬉しそうに笑う。

 その姿こそが、ココにとって現実だった。


「大好き。……大好き」


 リストに抱かれ、揺籃の世界にココは沈んでいった。






「お姉さん、分かってるとは思いますけど、避妊は絶対じゃあないんですよ」


 王都にはたくさんの商家が軒を連ねている。そのなかでも、一風外観が珍しいのがランファの薬屋である。

 屋根も柱も朱色に塗られている。壁の色は白いが、屋根や柱の色と合わせると奇妙な色合いで、ココはムズムズしてしまう。

 ここの亭主は、王都のなかでも一、二を争う目利きだが、めったに姿は現さない。

 噂では、仮面をしているらしい。恩赦を貰った罪人だとか、目に余る醜悪な見た目故、顔を隠しているのだとか様々なことをささやかれているが、真実は謎だ。

 ココはその怪しげな薬屋に来ていた。避妊薬を買うためにだ。

 買った際、番頭をしていた自堕落そうな女に声をかけられた。女主人らしい。豊満な胸にある赤く熟れた乳首が見えている。それを従業員達は誰も指摘しない。


「わかっているわ」

「そう? この頃、妊娠しないから買ったのに! って変にいちゃもんをつけてくる奴らがいて困ってるのよお。苦情だけは勘弁して頂戴ね」

「言わないわ」

「なら、よかったわぁ。そうだ、これもあげるわ」


 そういって女は、近くにあった綺麗な色をしたお菓子を投げて寄越した。


「鼻の下を伸ばした破廉恥爺に貰ったのよぉ。まったく、こうやって着崩しているだけで、自分に色目を使っていると勘違いしてくる厚顔無恥な男って、どんな神経してるのかしらね」


 ライドルでは見ない羽織のようなものを何枚も重ねている姿は、確かに艶めかしい。胸の大きさと相まって、淫らで、誘い込むような神秘的な色気が女にはあった。


「しかたないわ。露出が多くないからって、足首で興奮する変態もいるぐらいし」

「すごいわねえ。そんなもので興奮できるなんて、尊敬しちゃう」


 本当に尊敬したと言わんばかりの顔で、うんうんと女が相槌を打った。

 急に興が乗り、会計を済ましたあとも会話しようと思った。


「ねえ、その服の生地、くれない?」

「あら、これを着て楽しませるの? そういうのもいいわね」

「そうじゃなくて! 服屋の娘なの。その生地、素敵だから」

「うふふ。そうだったの。そうね、この色はいいわよね。旦那様も気に入ってらっしゃるの」


 よく見せてもらうと、花と蝶の刺繍が荒々しくも繊細になされていた。

 溌剌とした若草色の帯。黒く染められた襟は、着崩しているせいで肩口まで開いている。

 飄逸感があり、袖も裾も長い。きっと歩くとさやさやと涼しげに揺れるのだろう。

 ちらりと足が見えた。不気味なほど小さかった。


「その、足」

「うふふ。これ、気になる?」

「い、いえ」


 ココの脳が尋ねることを拒否した。知ってしまえば、知らなかった頃には戻れないと思ったのだ。

 これは貧民街の売春婦達の話を聞いた時とよく似ている。

 彼女達を知らなければ糾弾せずに済んだのに、知ってしまえばなんと淫らな淫売どもだと非難したことがある。あの時の二の舞はごめんだった。


「貴女の相手って絶倫なの?」

「はい!? なななななんです! いきなり」

「よく買いにきているじゃない」


 にこにこと笑う姿に揶揄するような感情はないようだった。


「……そういうわけじゃない、けど」


 本当のことを言うのは躊躇われた。そもそもココには、両親から強要された時点から徐々に現実に起こったことか、分からなくなっていた。ここはうつつか、それとも夢の中か。ぼんやりとした不快感が体にあるが、ふわふわと宙を浮かんでいるような非現実のなかで生きていた。


「そうなの? うちの旦那様は、絶倫よ。朝も夜も関係ないの。その癖、私の他に二人も女がいるのよ」

「な、なにそれ!? 最低な男じゃない」


 なぜそんな男とこの女性が付き合っているのか分からない。

 顔は際立っていないが、体は豊かで、いくらでも男が寄ってきそうだ。

 邪悪な男に頼らずに生きていけるはずだ。


「そう、かしら。ねえ、お姉さん。私の旦那様は優しい方よ」

「なにが言いたいの?」

「女にばかり、避妊のことを考えさせる男にいい奴はいないわ……。さっさと別れたほうがいい。無理ならば、私の旦那様を頼りなさい。どうにかして下さるわ」


 ココは一瞬、動きを止めた。何を言われたか、分からなかったからだ。

 次第になにを言われたか分かってくると、体の内側がマグマのように燃え滾るのを感じた。


「関係ないでしょ」


 足早に店を出る。

 なぜこんなに腹立たしい気持ちになるのか、ココには分からなかった。

 幸せだ。幸せだ。

 暗示のように何度も同じことを唱える。

 そうして、いつの間にか、いつものように麻薬を吸いながら、妄想の世界に旅立っていった。




 脳のなかで生きているのか、地上で生きているのか、分からなくなっていた。

 呼吸は、どちらで行っていたのだろうか。どちらが夢で、どちらが現実だったのだろうか。

 ココは助けを求め続けていた。けれど、最初に嫌だと言ったとき、両親は恐ろしい顔をして怒鳴った。逆らう気は、なくなった。従業員達は貴族のお眼鏡にかなったと寿ぐばかりで助けてはくれない。

 だんだんと周りへの不信感を募らせていった。誰も助けてはくれない。救いなどこない。

 だが、ある日、リストの姿を見た。

 真っ赤な髪をした王族の話は前から聞いていたが、学校は不在がちで見たことはなかった。

 高貴な人間らしくシュッとした品のある立ち姿に、ココはまず惹かれた。

 そして、中庭で、王女に向かってくすくすと楽しそうに笑っている顔に心打たれた。

 ココの隣でその顔を見せて欲しい。服を仕立てさせてほしい。ふとそんな我儘を言いたくなった。

 身分が高い、高貴な人だった。泥のなかにいるココのような女はつりあわない。

 なにもかも分かっていた。けれど、もし、階級などなければ、彼に声をかけていただろう。仲良くなれていただろう。リスト、と呼び捨てにできていただろう。

 隣で一緒に笑っていたのは、ココだったに違いない。

 そう思うと悔しかった。もし、子爵と結婚出来ればココは貴族の仲間入りができる。もしも、そうなればリストに近づけるのではないか。そんな甘い夢を見た。

 救いを求めていたココにとって、それは小さな、それでいて確かな光明だった。

 けれど、やはり、怖いものは怖くて、そのまま子供を儲けて子爵とくっつくことも、階級を打倒しようと革命軍として積極的に動くこともできないまま、揺籃の夢のなかに入り浸っているうちにココは子爵に捨てられた。

 そして、子供が出来て、腹のなかにいた命は奪われた。

 それからずっと、ココは頭の中に住んでいる。

 リストは毎夜、ココを助ける。

 そんな、夢を見る。



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