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どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。  作者: 夏目
一章 『夜の女王とミミズク』
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 がたがたと世界が崩れるような揺れが起こった。クッションがぽんぽんと跳ねるように動き、缶はくるくると時計のように回った。

 室内に湿気を帯びた風気が流れ込んでくる。濡れた土の臭いがした。

 死に神は目を細め、涙をこぼし尽くす。

 淡い光が部屋の中を満たし始める。唐突に氷で出来た階段が現れた。表面が磨かれたようにつるつるとしている。覗き込めば、歪み、くすんだ私の顔が映り込む。

 階段は徐々に溶け始めていた。

 室内は崩壊し始めていた。クッションもぬいぐるみもさらさらと砂になっていく。なんだこれと驚いていると腕を力強く引っ張られる。

 顔を上げると、泥まみれのハルがいた。髪も顔も茶黒色の泥でびじょびじょになっている。

 起きたのか!?

 気絶して、頬を叩いても起きなかったのに。


「逃げるよ」

「逃げるって……」


 ハルはぐいぐいと私の腕を引っ張って、氷の階段に足をつけさせた。今更だが、私、裸足だ。冷た過ぎて足の表皮に刺すような痛みが走る。なぜ、この階段を上らなければならないのかさっぱり分からない。

 ハルに抗議してみたが、無駄だった。階段を駆け上がる羽目になる。皮膚が階段に張り付いて、はがれそうになった。皮を研がれていないナイフで剥がされているようだ。


「ハル!」


 なぜいきなり駆け上がらねばならないのだろう。さきほどまで涙を流していた死に神は驚いて反応も出来ないようだ。

 ふり返ろうとした私を、ミミズクが制した。


「いけない、はなおとめ。ふりかえっては、帰れなくなる」

「帰れなくなる? って、お前もすごい泥塗れね」


 さっきまで綺麗な格好をしていたミミズクがハルと同じように顔が泥で汚れている。白い服がかわいそうにも黒にも似た色に染まっていた。無臭だが、みているだけで、拭たくなる。


「死に神のせい」

「死に神の?」

「はなおとめ、あの部屋は死に神とはなおとめしかいなかった。ミミズクは別の区画に閉じ込められていた」

「そうなの?!」


 じゃあ倒れて、起き上がろうとしなかったハル達はなんだったんだ?

 そもそもなんでそんなことをする必要が?


「死に神が、はなおとめをはなよめに選ぼうとした。それはいけない。だから、とめにきた」

「はなよめ? 花嫁!?」

「そう。あの地のもの食べてはいない? 食べていたら吐き出して。戻れなくなる」


 クッキーを食べていたら、戻れなかったのか!?

 食べなくてよかった。危ない所だった。


「あの死に神、私を地下にとどまらせたかったの?」


 人間が好きだといっていたし、死に神の言を信じるならば神がいなくなるまで一人っきりだ。話し相手が欲しかったのだろうか。


「どうして迎えに来てくれたの?」


 ハルの後ろ姿を見つめながら尋ねる。私を助ける意味はないはずだ。ハルは長い沈黙のあと、私の手を強く引いて言った。


「俺があんたを殺すから」

「……そう」

「そうだよ」

「あー、暗くなっているところ申し訳ないんですが、俺もいますよ?」

「わっ、イル!」


 いつの間にか隣にはイルがいた。サラザーヌ公爵令嬢とカリレーヌ嬢の二人を器用に抱えていた。その斜め前には無言でトーマが不定期な音を立てて懸命に走っていた。


「そう、俺です。いやあ、まだまだ死ねないってことですね」

「イル」

「ハル、俺を殴りたい気持ちはよくよく分かるが、今やるなよ」

「殴りたい気持ちは分かってくれるんだ?」

「そりゃあ、ね」


 ハルは振り返らない。イルも前を向いたまま力強く走る。二人は早すぎる。ついて行くのがやっとだ。


「足が痛んでも走り続けろよ」


 トーマが横からにゅうっと現れて釘を刺した。頑張って走っているのか、息切れをしていた。


「自分の意思で帰ることを示すためにな。地下のこの場所は死に神の領分。この階段が与える苦痛は死に神が与えているものに過ぎない。……黄泉還りは振り向いては決してならぬと決まっているしな」

「死の世界ではなかったんじゃありませんでしたっけ、ここ」


 トーマが自論を披露する機会があったのか、ここが死後の世界ではないことをイルは知っていた。


「死後の世界は人間が考えたお気楽に過ぎないが、死に神の領分である黄泉は存在する。ここがそうだ。だからこそ、容易に戻ることは叶わない。そもそも、黄泉に足を踏み入れることは容易くない。帰るのは言うに及ばずだ。だが、神の領域ゆえに人の祈りが効力を発揮する。死に神にとって人の概念は檻のようなもの。容易くすり抜けられるものではない。こっちが真摯に対応しねえと神も小狡い手を使ってくるぞ」

「つまり、私がきちんと振り返らずに帰れれば地上にかえしてもらえるということ?」

「そうなってくれないと困りますよ」


 そうはいっても痛いものは痛い。溶け始めているくせに、足が密着するところだけ溶けずに冷えているのだ。滑ることはないが、足を上げるたびに皮膚が熱くなる。


「はなおとめ、どうして逃げる?」


 死に神の声がした。ミミズクが首を振る。答えてはいけないらしい。口をしっかりと閉じて階段を上る。中腹ぐらいに差し掛かると、急に泣き声が聞こえてきた。死に神が泣いているのだ。

 だが、そうかとおろおろしていると烈火のように怒鳴り始めた。火花が上がるような激しい口調で罵られる。かと思えば、またどっと泣き始めた。いきなり雨が降ったり、晴天になったり、忙しない天気模様を見せられている気分だ。


「はなおとめ。地上に何がある? 悲しみしかないではないか。人は殺し合い、憎しみ合う。罪をなすりつけ合い、死後に復讐を果たそうとする。どうして戻る? ここに戦いはない。病も飢餓もない。移ろいで行く人間も気持ちもない。ただ、俺がいるだけだ。俺だけが、ここにいる。それは良きことではないのか?」


 説き伏せるような優しい声で死に神は言った。


「さきほど肩を抱いてくれたではないか。俺を憐れだと思ってくれたのだろう? 一人は嫌だ。ここは寂しい。もう、一人は嫌なのだ」


 耳を塞いで心を閉じる。死に神を振り払うように足を前に出した。



 苦しい時は続く。愛惜の声を出され、とどまらせようとする死に神に心を寄せてしまいそうになる。寂しいのは嫌だ。私も同じような気持ちになる。殺し殺されるのを見るのも飽き飽きだ。自分が犯していない罪でなじられるのもごめんだ。私はなにもしていない。何もしていことの責任を取らされる。

 口が勝手に動く。ごめんなさい、ごめんなさい……。

 リストもギスランもここにはいない。二人は一緒ではないのだ。本当に逃げおおせているのだろうか?

 いろいろなことを考えているうちにどうして自分は死に神から必死になって逃げているのか分からなくなる。


 頂上の光明は鮮明で氷の隅々を照らした。

 ハルの全身光で包まれた。イル、サラザーヌ公爵令嬢、カリレーヌ嬢、トーマもそれに続いた。

 私も光に身を任せた。だが、その瞬間、足に絡みついたなにかに引っ張られ、溶けている階段の上に尻餅をつく。それは藻のような水色の髪の毛だった。階段が砕け、真っ逆さまに落ちていく。

 死者は蘇りはしない。そう耳元で囁かれた。

 遠くなっていく光は星のようだ。

 時計の針のようにぐるぐると私は回転する。

 精神は長い落下に耐えきれず、懐かしい光景を思い出させた。

 子供部屋にいる幼い私。隣にいるのはサガル兄様。

 誕生日のお祝いを私が告げると、兄様は泣き出して「僕をみて」と言った。サガル兄様の涙は星の輝きみたいだった。

 僕を見て。僕を見て。僕を見て。何度も何度も繰り返すものだから、兄様が壊れてしまったんじゃないかと思って私も泣いた。

 けれど、どうして兄様は僕を見て、なんて言ったのだろう。私はずっと兄様を見ていたのに。

 地面に叩きつけられる。強い衝撃で頭がぐらぐらし、起き上がることも出来ずに意識が飛んだ。

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