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どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。  作者: 夏目
一章 『夜の女王とミミズク』
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「あの貧民、見覚えがあるようなのですが、カルディア姫は知っていらっしゃいますか? 顔も見るのも忌々しい、決別したはずの男にとてもよく似ているようだ」

「これにはいろいろと事情があるのよ」

「事情」


荒れ狂う嵐のように心が乱れた。ハルのこと、どう説明するべきだろう。真実を話せば、ハルは縛り首だ。王都の中心部にある絞首刑台で死体が一週間晒され、辱めを受けることになる。盗みは重罪だ。とくに、空賊は貴族を襲っている。恩赦は与えられない。

私はどんな仮面を被ればよかったのだったか。ハルに対してどう対応をとると決めていた?

偉ぶった顔? 同情を誘うような、憐れな顔?

高慢な人間を演じたら、ハルが極刑に処されることになるのではないの。

私がなるべき人間となりたくない人間は同じなのではないのか。いったい、なんのためにハルと出会ったのだろう。ハルを殺すため?

浅薄な自分に苛立ちと焦りを覚える。私は、どんなカルディアを演じればいいのだ。思ったまま、そのままを口に出してしまってもいいの?

そうしたら、また後悔するはめになるのではないか。

心が決まらず、言葉を濁してしまう。自分が間違ってしまっていたらと思うと、怖くてなにも言い出すことができない。

ギスランはみるみるうちに不機嫌になった。


「カルディア姫の語る言葉に、どれほど真実があるかどうか」

「私がこの貧民を庇うと言いたいの?」

「庇われるおつもりでしょう。忌々しいことだ。その男、空賊の一味であることは調べがついています。品俗な賊は縛り首が適当でしょうね」


揺さぶりをかけるような言い草に閉口する。ギスランは疑わしそうに私の顔をじろじろと見つめた。額に汗が浮かび、睫毛に落ちてきた。

縛り首に処されるハル。そんなこと、認められない。


「カルディア姫。お嫌なのですか? ……ああ、そうだ。そもそもどうして貴女様と賊が同じ空間で息をしているのか、きいておりませんでした。なぜ?」


完全に黙り込むほかなかった。正直に話してしまえば、ギスランはハルを殺そうとするだろう。

ギスランはにこりと背筋が凍るほど美しく笑ってみせた。

そっと目線を逸らす。なにか時間稼ぎ出来るものがないものだろうかと周囲を見渡す。だが、なにも視界に入らない。鬱蒼と茂っていた木々はなくなっていた。足元には滝のように力強くうねる根が張っているのに、幹や枝、葉がどこにもない。どういうことだ?

根に触れると、指が地面をかすった。波紋上に地面がさざ波を立てる。


「な、なに?!」


踏みしめている地面が透過していく。地面のなかで、木々が揺らぎ、月が輝いている。水面かと思い、顔を上げ、空を見上げる。

この空、月が浮かんでいない! それどころか、星すら、瞬いていなかった。雲はなく、ただただ、暗闇が広がっている。

その暗闇の空の中で、なにかが七色に煌めいた。ずんずんと落っこちてくる。大きな魚だ。鱗が七色に光っていた。足元の月の光を反射させているらしい。私達の前にやってきて止まった。だがすぐにふんというように体をくねらせまた戻っていく。


「なにが起こっているの?」

「カルディア姫、あれを」


ギスランが指さした先にいたのは海月だ。ふわりふわりとほの赤く発光しながら浮遊している。まるでランタンのようだった。

その横を体の右半分が骨でできた鰹の集団が泳いでいく。鯨やサメが脅かすように私達の前を通る。足元には、小魚やタコ、貝が寄ってきた。驚いた際に、唇から気泡がこぼれた。

――ここ、いったいなんなんだ?!


「まるで、海のなかみたい」

「――こんなことが起こるとは」


ギスランはかがみこんで、地面に触った。どくんどくんと脈打つように地面に波紋が広がり、ギスランの手首が地面にめり込んだ。地面の中には、イルがいた。こちらを訝しげにのぞき込んでいる。ギスランはイルの足をつかんで、こちらへ引っ張り込んだ。イルが驚愕の表情で体を傾け、真っ逆さまに落ちてくる。まずは足が、そのあとに胴体が力強く地面から飛び出してきた。イルの全身が姿を現すと、彼の体は月のない空を目指して宙に浮いた。そして、すぐにくるりと体が反転し、地面に着地する。

ギスランは地面から手を引いた。やおら立ち上がると、イルの服を触り始めた。親しみを込めえた手つきで、泥を擦った。髪を整え、身綺麗にさせていく。イルは眼鏡をどけて、目頭を摩った。


「ギスラン様。溺れそうになったのですがね。一言あってくれてもよかったのでは」

「なあに、イル」

「……怒っているのはわかりましたから」


それをきくとギスランはイルから手を放した。

イルがギスランの前で膝を折った。敬うように胸に手を当てて、敬意を示す。


「我が主。お願いだから、機嫌を直していただきたい」


うん? 我が主?


「別に、不機嫌ではないつもりだが」

「俺は、すぐギスラン様を探しましたよ。だが、どこにいたんですか? 姿が突然消えた。ここは魔法空間かなにかですか?」


イルはあたりを見渡して私と同じ疑問を抱いたようだった。気難しげに眉根を顰めた。


「違う。学校の建っている場所は昔、河だった。そして、河だった前は、海であった」

「そりゃあ、きいたことはありますが、それとなんの関係が?」


ギスランは、静かにほほ笑んだ。


「大地は生きているというのは知っている? 繊細で脆い、人間に踏みしめられる虐げられるもの。ひとつの大きな背中を持つ巨人とも、亀とも例えられる。表層こそ穏やかな肌を持っているが内部は複雑な過去の蓄積になっていることは? つまり、私達はその過去の地層に足を踏み入れてしまったということだ」

「……意味わかんないんですが」

「だろうと思った。大地は亀に例えられるといった。それで説明してやる。私達は亀に一飲みされ、内臓のなかにいるのだ。だが、亀の体は透明で、外界は一望できる。内臓のなかは、亀が食べたものでいっぱいだ」

「つまり、俺達は大地の腹のなかにいると?」

「ああ」


イルは頭を抱え、唸った。


「腹のなかには、過去の遺物で満たされている。そして、この地は昔、河であり、海だった」

「地下にこんな不思議世界空間があったなんて知りませんでしたよ!」

「通常ならば、まずお目にかかることはできない。清族の地下二十五階立ての観測所でも、容易に捕捉できない地下層に存在していたのだから。本来ならば、人世と交わることのない大地の遺産だ」

「それが唐突に不思議空間が浮上してきたってことですか?」

「浮上か。おそらく、正しくない。同化だろう」

「同化、ですか?」


話を追うだけで、精一杯だった。この地は、生きている?

ここは、大地の記憶のなか? いや、それが正しいとして、どうしてこんな不思議なことになっているのだ。

ギスランは何も見えない空を見上げた。本物の空は地面の下にある。ここは地中だという。ならば、見上げている最深にはなにがあるのだろうか。


「地には地層が存在するだろう。その層はいわば箱だ。箱のなかには記憶がつまっている。それは大地の記憶であり、連綿と続く歴史を書き記す本でもある。大地が生きて、動いている証左であり思い出だ。誰にも侵略されてはならない聖域。だが、人の血は聖域を穢す。正確には人に混じった神の血が、だ」

「この間、鳥人間の事件で大量の血が流れおちた。それが関係していると?」


ギスランは肩を竦め、その通りだと嘆息する。


「普通の地であれば、大量の血が大地に流れたとしても数日、魔獣や妖精を呼び寄せる拠点となるだけだ。だが、ここは黄泉の扉と近い。それだけでは済まない。穢れを洗い流そうと、大地が記憶のなかから水を呼び寄せる。水は、河を、海を産み出す。水の流れの最果ては黄泉へと繋がる」

「つまり、血が流れたことを起点にして、大地が黄泉と同化しつつあると?」

「そう。だが、そればかりではない。おそらく、このまま水嵩が増し、この地下が地上に溢れかえることになる」


足下を指差し、ギスランが自分の顎を撫でた。


「そもそも、王都は洪水被害を引き起こすほどの豪雨に見舞われている。雨は天帝の涙。神気が宿るという。地はもともと狂っていたのかもしれない。少しずつ少しずつ、そして二度の惨劇に耐えかねた。これまでよくもったと讃えるべきやもしれないな」


イルが目を細める。悩ましげにゆっくりと腕組みをすると、ポコリと口から気泡をあげる。


「惨劇って……あの脂肪だらけの牛女、何をやったんです?」


地面に映る、ぶよぶよとした脂肪の塊。怪物の倒れ伏す姿を見ていると気分がおかしくなる。ギスランやイルに動揺を悟られないようにそっと瞳を伏せる。サラザーヌ公爵のことを今は深く考えられない。死んだと信じたくないのかもしれない。ひょっこりと軍人らしいシャチほこばった立ち姿で現れることを期待してしまっている。

サラザーヌ公爵令嬢へ目をやる。今更だが、ハルに抱えられているサラザーヌ公爵令嬢もこちら側にいることに気が付いた。まだ気絶しているようで、目はしっかりと閉じられたままだ。サラザーヌ公爵令嬢の視線でぼんやりとなぞる。最初はギルの花を摘みにいくだけだったはずなのに、どうしてこうなったのだろうか。


「鳥人間と同じことを」

「はっ、この学校の生徒はもう消えてなくなるかもしれませんね」


皮肉げに呟きをこぼして、イルが乞うようにギスランを熱心に見つめた。


「ギスラン様、このくそったれな空間から出るにはどうしたら?」

「先ほど試してみたが、私でも腕を出すのが精々だ。おそらくここがもはや死の国の領分となっているから出入りが制限されているのだろう」

「俺達は死んでいると?」

「さて。それはどうだろう。だが、厄介にもここから力づくでは抜け出せない。できたとして、それは私が清族の血が混じっているからだろう。貴様やカルディア姫では脱出不可能だ」


いつの間にか黄泉の国にやってきてしまっていたのか。実感はまったくない。沼のなかに足を踏み入れただけで黄泉の国行きなんて、童話の世界でもないぞ。井戸に飛び込んだ女の子が死の国で修業をするという童話は読んだことはあったけれど。

だが、ギスランが嘘を言う必要性も感じない。おそらく、本当に地上に戻ることはできないのだろう。戻ったところで、話を聞く限り最悪の状況なのだろうが。

それはそうとずっと気になっていたことを二人を見比べながら尋ねる。


「ねえ、訊きたいのだけど、お前達どういう関係なの?」

「我が主と言いませんでしたかね?」

「主です」


自慢げにギスランが胸を叩いた。頭が痛くなった。


「イルの主は豪商ではなかったの!?」

「豪商?」

「俺は肯定してませんよ。笑いはしたが。あれは面白い勘違いだった」

「話が見えない。私の知らない秘密をカルディア姫と共用しているなど、羨ましいを通り越して殺意がわく」

「わー、お姫様はギスラン様を羽振りのいい商人だと誤解されたようでして」


ぐっと力強く肩をつかまれる。真剣な表情をして、ギスランが口を開いた。


「イルを雇っていいのは私だけですし、カルディア姫を守るものを派遣できるものの私だけです」


イルとよく会うなと思っていたのだ。それは、イルがギスランに命令されて私を守っていたからだったのか。そういえば、仕事をきいたときに護衛をしていると言っていた。ギスランの命で私を護衛していたのか。イルはギスランの言葉に照れているようだった。自然にギスランはイルを自分のものだと言ったのが、恥ずかしいらしい。


「えー、ギスラン様? そんなことより、これからどうしたものですかね。一応、ご命令通り、空賊どもの船は確保していますけれど」

「それはご苦労。よくやった。さて、こちらも二つ尋ねたいことがあるのだけど、よい?」

「……はい。果てしなく嫌な予感しかしませんが、どうぞ」

「そこの貧民はどうしてカルディア姫と同じ空気を吸っているの?」


ギスランの質問に、空気が固まった。イルが、ハルを振り返り、苦笑を浮かべた。


「さあ。俺は、その場にいなかったもので。でも、お姫様と和解した様子はなかったので、手に手をとって駆け落ち、ではないと思いますが」


そんな風に思われていたのか?!

駆け落ちだなんて、するはずないだろう。ハルとはそんな間柄ではない。それに、駆け落ちなんかしたところで、私の自尊心では逃亡生活は耐えられないだろう。


「そんなこと、当たり前だ」

「疑っていらっしゃった癖に」


眉を上げて、ギスランが無言を返す。


「俺が見る限り、こいつからなにかしたってわけじゃないと思いますが。……もう一人の方はどうだか知りませんが」

「もう一人?」

「空賊の頭が代替わりしたとお伝えしましたよね? 継いだ男の名をカンド。どうしてか片腕をなくして錯乱していたので、止血をして船に括り付けておきました。そこの貧民と一緒にいたはずなので、カルディア姫になにかして仕置きを受けたのだと思ったのですが」

「別に放置でも構わなかったが。どうせ、頭は取り換えるのだから」


カンドが無事という言葉があったが、あまり喜べない。この二人、不穏な企みをしていないか?


「だが、カルディア姫と目線を合わせ、話をしたというのは重罪だ。……鞭打ちで罰しなければ」


呟かれた言葉に首を振る。ギスランは相変わらず、物騒だ。 


「ああ、その前に、お前を罰するのが先だったか」


イルの顔が急激に強張った。ギスランの声に蜜のような甘さが含まれた。


「カルディア姫の手首の痣、どう釈明する?」


ギスランはもったいぶった怪しい笑みを浮かべて、イルを見つめた。イルは跪き、許しを請うようにギスランの靴に接吻した。それをギスランは蹴り飛ばし、イルの剣を奪った。


「……残念だ。カルディア姫。どうやらイルとはここで別れなければならないようです。どうか、顔を背けて。すぐに済みます」


剣を鞘から抜いて、ギスランは促した。

激動の展開に追いつけない。

待て、イルがこの痣をつけたわけではないぞ?!


「ギスラン!」

「カルディア姫。これは仕方がないことです。私の剣奴達には貴女様を守るようにと厳命しています。傷一つなく、守りきるようでなければ、養っている意味がない」

「私が痣をつけたとき、イルはいなかったわ」

「そうだ、役立たずなリスト様の部下も、あとで処罰を与えなければ」


ギスランは意図的に私の言葉を無視した。痣は怪物に掴まれたときについたものだ。その怪物を倒したのは、イル。怒りの矛先にするのは間違っている。


「ギスラン・ロイスター。怒りをぶつける相手が間違っているわ。私を傷つけようとしたのは別のものだし、イルはきちんと私を守ったわ」

「いいえ、カルディア姫。ただ守るだけではいけない。傷一つ貴女様の柔肌に刻まれてならないのですよ」


ギスランは何が何でもイルのせいにしたいらしい。そんなの見過ごせるものか。


「私が不用意に傷を負った。責められるのは、私では?」


腕を引っ張ると、ギスランの視線がこちらに向く。どうしてそんなことを言うのかと呆れたような顔をしたあと、厳しい顔つきをした。


「では、カルディア姫に責め苦を負っていただく」


自分に目を向けさせておいて虫のいい話だが、ギスランならば怒りながらも許してくれるのだと思っていた。刃を突き付けられる。咄嗟に目を閉じた。体が傾いた。目を開けるとイルが私の腕をとって自分の腕の中に抱き込んでいた。


「……ギスラン様」


剣を鞘におさめると、イルが荒々しく私を解放した。


「カルディア姫の手足が使えなくなれば、私の管理下におけると思ったのですが。やはり、姫に危害を与える方が辛い」

「俺を試されたのか?」

「まさか。だが、ここでカルディア姫を見過ごす男ならば、懇願されようと泣き落としにあおうとも斬りふせるつもりだった」


ギスランは私の頬をがっちりと掴むと顔を寄せてきた。顔を逸らそうにもそらせない力強さだった。


「カルディア姫。他の男を庇われると心がずきずきと痛みます。まるで、荒縄で締め付けられるよう。やめて下さる?」

「ならば、イルの処罰をやめる?」

「……カルディア姫のお望みとあらば」


渋々と言わんばかりの口調にギスランのギスランたるところを見た。


「その代わり、先ほどふりとはいえ御身をつけようとしたこと、許してくださる?」

「本当に斬られると思ったわよ」


イルに助けてくれてありがとうと目線で訴える。イルは眼鏡をあげてやばいというように視線を逸らした。


「カルディア姫は淫らだから男を誘惑されるのが上手い。イルはやはり殺すべきでは?」


ギスランの物騒に呟き、私を抱きしめた。ぽふぽふと頭を撫でてやる。ハルと目が合った。静かにハルが瞼を閉じた。なぜだか、その何気ない生理的な動きに、喉が締め付けられるような思いがした。



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