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どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。  作者: 夏目
一章 『夜の女王とミミズク』
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 嘲弄を含む冷ややかな声が、激情を吐き出していたカンドの声を遮る。抱えられていた公爵の体が板をいれたようにぴんと張った。かと思ったら蛇のように公爵の足がカンドの腰に巻き付いた。足を外そうと踠いたカンドの巨体がバランスを崩し、後ろ向きに倒れる。

 ぐえっというミミズクの悲鳴が聞こえた。両手で服についた汚れをおとしながら、サラザーヌ公爵が立ち上がった。

 カンドはすぐさま体勢を整え、巨体を俊敏に動かし、サラザーヌ公爵から距離をとった。


「サラザーヌ公爵!」

「……こんばんは、カルディア姫。またお会いできて光栄だ。お尋ねしたいのだがね、これはどういう状態だろうか。ミッシェルと別れたところまでは覚えているのだが」

「ここは学園にある森の近くよ。私達このままでは空賊に誘拐されてしまうみたい」

「厄介な連中に絡まれてしまったようだ。卑俗な賊に遅れをとるとは。私も老いたものだな」


 サラザーヌ公爵は陰気な顔に似合わない陽気な様子で肩を竦める。視線は、警戒するようにハルに向けられていた。


「カンド、なに、やってるの」

「うるせぇよ。この糞爺、ぶっ殺してやる」

「殺してやりたいのはこちらなのだがね、空賊ども。よくもあれだけここの生徒達を殺しておいて、のうのうと涼しい顔をしていられるものだな」


 立ち上がったカンドの顔が歪む。痛む箇所を舐めるように何度も舌を出している。

 生徒達を殺してとはどういうことだろうか。カンドは連続殺人犯とでも言いたいのか?

 まさか、階級ごとに一人ずつ行方不明者が出ているという話はそういうことなのか。

 推測に汗がひいていく。

 けれど、カンドの反応は私の思っていたものとは全く違っていた。


「鳥人間は俺らの仕業じゃねぇ。『聖塔』のなかでも過激派の連中だ。俺らの仲間だって被害にあってる!」

「あのデカブツを動かすための技術を得るために過激派は清族を魔薬で買収した。軍から卑劣にも盗み取ったあの魔薬を過激派に売ったろう」

「あいつらが欲しがっただけだ。俺らには関係ねぇ」

「お前達、保身しか考えていないのだな? それもそうだな、空賊は義賊、民衆の味方だものなあ。それが、貧民や平民の虐殺に加担していたとあれば、お前達の人気も地に堕ちる」

「虐げることしか出来ぬ貴族がよくも偉そうに! お前に俺達のあり方を非難できるとでも?!」

「義賊など、笑わせてくれる! 今やお前達は泥に塗れ、袋小路に逃げ込んだ鼠に過ぎぬ。ほら、気をつけろ、処刑人の足音が聞こえるぞ!」


 ーーは?

 鳥人間は、『聖塔』の過激派のせい?

 空賊は奪った魔薬を流し、鳥人間を製作する清族の買収の援助をしていた?

 いや、待て。理解が追いつかない。

 鳥人間の事件では、貧民達が一番の被害者となった。なぜ、貧民達を殺す必要があるのだ。

『聖塔』達にとって、貧民達は仲間ではないのか?

 そもそも『聖塔』は平民贔屓の新聞を発行しているお気楽な場所ではなかったか。


「どういうことなのよ……」


 これまで見聞きしていた何もかもがひっくり返っていく。天地さえも、逆転してしまいそうなほど、頭が混乱する。

 私の信じてきたものは? 見てきたものは?

 私は一体、何に巻き込まれているのだろう。もう、考えるのも嫌だった。勝手にやっていろと投げやりに放り出したくなる。

 だって、迷路のように入り組んでいる。

 正妃が私を殺そうとしたと思っていた方がよかった。明快で、恨みを募らせることが出来た。

 だが、王族達に反旗を翻す『聖塔』の仕業だと?

 あの大掛かりな鳥人間は貧民達や平民達を多く屠った。彼らに何の理があるというのだ。


「国が荒れるのがそんなに楽しいか。狂乱に隠れ、人の物を盗むのがそれほど愉悦か! 禍を自ら起こし、人を殺め、行き着く先は革命か? たが、ほら、よく見てみよ。お前達の通った道を。橋は貧民の山で出来ている。石畳は平民の顔面の皮を剥いで敷いた。街灯は平民の骨。ランプは髑髏で出来ており、お前達の顔を恨めしそうに照らしていることだろう!」


 鳥人間に襲われ、多くの人死を出した貧民達。その貧民を矢で射る貴族。革命よ再びと息巻く平民達。王族の姫は生き残り、のうのうと夜会に参加する。

 私の思い描いていた構図が反転していく。誰が悪いのだ。誰が、悪役なんだ。明確な敵はどこにいるの?


「『聖塔』は同志を集めるために、わざと鳥人間を放ったの?」


 私を襲ったのは侍女姿をした女だった。鳥人間に襲わせればよかったのに、そうはしなかった。私を助かった王女として、憎しみの象徴とするため?


「憎悪の力で転覆させようとしたの? 死を利用して、味方を増やそうと?」


 ハルの掴む力が私の腕をもぎ取りそうなほど強くなる。

 ハルは知っていたのだろうか。『聖塔』が鳥人間を襲わせたということを。それで、あの時私を責めたのか? 私を憎んだのか?

 私が悪いと、殺してやると言ったのか。


「……黙って」


 ハルは私を引き寄せて、恐ろしい感情の浮かんだ瞳で見下ろした。

 激しい衝動が胸を何度も突き上げてくる。それは憎しみのような怒りだった。そして、怒りのような悲しみだった。

 息を大きく二回吸い込んだ。吸い込んだ空気は熱く、臓腑をどろどろに焼く。


「うるせぇ! 言わせておけば、好き勝手言いやがって。貴族ってのはそんなに偉いのかよ! 講釈を垂れる資格を女神様にいただいたってのか?! お前達が富を独占しなければ、そもそも革命など考えもつかなかっただろうよ!」

「ならば、盗みはどうだ、野良犬ども。貴様ら我らの富を略奪してやったと息巻いているようだが、魔薬はロスドロゥ国に送られることとなっていた。戦士達の薬を奪ったのも我らが富を持つ故にか?」

「戦争をさせているのは俺たちではない。お前ら貴族達だろう! ならば、奴らへの貢物たる薬はお前達貴族の富の証だろう。それを奪って、なぜ誹りをうけなきゃならねぇんだよ!」

「浅はかな。これだから短慮な輩は始末に置けない」


 心の底から嫌悪するような鋭い眼差しでサラザーヌ公爵はカンドを射抜く。

 カンドは思わずたじろいだようだった。年相応の焦りが顔に浮かぶ。


「どういう意味だ?」


 サラザーヌ公爵は暗澹とした微笑を浮かべた。


「お前達の奪った魔薬は、我が友の息の根をとめてしまった。ーー届くはずの属国では魔薬を求めた狂った連中が暴動を起こし、軍の上層部を襲撃してな」

「ーーな」

「我が友たる貴族も死んだが、護衛をしていた平民も貧民も巻き添いを食らってしまった。鎮圧した部隊の連中により、暴徒どもは嬲り殺し。人とは、まこと、人血に塗れねば生きていけぬな」


 あまりのことにカンドは絶句した。ハルも目玉がこぼれ落ちそうなほど目を見開く。

 私はもう、理解するよりも受け入れようという気持ちが大きくなっていたからか、そこまで驚きを感じなかった。

 ただ、いつか思ったように、誰もが罪深いのだと諦めた。


「だから言ったろう。その足元に広がる道はただの道ではなく、その顔を照らすのはただの光ではないと。貴様らが奪わなければ、惨劇は生まれなかった。どちらの惨劇も、な」


 サラザーヌ公爵は茫然とするカンドを、今こそ好機と組み倒す。痛みに呻いたカンドは、腕をふって退かそうとした。公爵はそれを許さず、喉を両手で締め上げた。


「カンド!」


 ハルが私の手を振り払い、カンドに歩み寄ろうとした。体当たりをしてハルを止める。


「サラザーヌ公爵、殺さずに!」

「……ご心配めされるな。殺しはしない」


 ばたばたとハルが体の下でもがいた。すぐに力づくで私を押しのけて立ち上がる。

 カンドの抵抗が弱っていく。ハルは馬のように疾走し、サラザーヌ公爵に掴みかかった。公爵はハルの行為を難なくいなし、カンドの上から退いた。

 カンドが空咳をして、地をのたうちまわる。

 ハルは警戒する犬のようにサラザーヌ公爵を睨み上げた。


「あんた、よくもやったな」

「さきほど、彼に似たような暴行を受けたが。君達はやっていいが、私はいけない? 二重基準はどうかと思うが」

「……それは、悪かったと思うけれど」


 ハルの素直な謝罪にサラザーヌ公爵は呆れたようだった。服を整え、髪を撫で上げる。


「いや、都合が良かったからいい。だが、姫を連れてきたのは予定外だった。どうしたものかね」

「……都合がいい?」

「お前達は盗賊として一流だが、駒としては二流ということだ。まあ、私も演者としては一流とは言い難いのだが」

「サラザーヌ公爵、なんの話を?」


 サラザーヌ公爵の呟きの意味はなんだ。

 得体のしれないなにかが蛇のように隠密に忍び寄っている気分だ。不気味で、不安だ。


「姫はなぜ攫われる羽目に?」


 こちらの話など聞こえていないようにサラザーヌ公爵は尋ねた。暢気にしている場合かとは思ったが、サラザーヌ公爵はなぜかここから移動するつもりはないようだった。ハルはカンドが心配なのか気もそぞろでこちらを襲ってくる気配はない。

 夜が明けないうちにギスラン達と合流したいのに。

 そう思いながら、簡潔に経緯を説明すると、サラザーヌ公爵は顎を撫で、得心のいったように頷いた。


「なるほど。……リスト様も甘くていらっしゃる。ロイスターの家の者は強欲だ。あのように我欲だけ強い者共を信用なされるなど」


 ギスランが何かを企んでいるとでも言いたいのか。


「そういえば、ロイスターの倅は姫に心の底から惚れているというのは本当?」


 突然の質問に戸惑う。こんな時に、そんな話題をしている場合なのか。


「あの人非人にも心があったとは。姫はご存知か、あの倅が化物であることを」

「……サラザーヌ公爵。はやく校舎に戻りましょう。その話はしたくない」

「いいや、姫。残念だが、まだ校舎には帰れない。やらなくてはいけないことがあってね」

「やらなくてはいけないこと?」


 サラザーヌ公爵が考えていることが分からない。

 カンド達に連れ攫われたのに、ここでやらなくてはならないこと?


「それよりもだ。あれを醜怪な化物だと知りながら婚約を続行されるのか?」

「だとしたら、どうだというの」

「憐れなことだと思ってな。我が娘もあの倅には誑かされている。ミッシェルは今でもあの男と添え遂げたいと思っているようだ。呪われ子だから、姫や娘は呪われているのかもしれませんな」


 はっと嫌悪感とともに吐息を吐き出す。ギスランを揶揄されることも、呪われ子と知ったような口をきかれるのも我慢ならない。ギスランのなにをサラザーヌ公爵が知っているというのだろうか。


「あれは我々とは違う、異形のものだ、姫。……そうだ、婿ならば私の息子はどうでしょうか。気も弱いし病気がちだが、なかなか、容姿はよい。今からでも、お父上に掛け合い、運命の糸を結び直してはいかがか」


 浅ましい願い出に首をふる。サラザーヌ公爵はなにを考えているのだ。いまさら令息を紹介してくるなんて。本気で添わせようという気なのか。


「……ロイスター公は、乗っ取りを考えているのかもしれないのに、国王陛下も姫も危機感がなさ過ぎる。王族になろうと息子を姫と婚約させたことも、奸計の一つに違いない」


 ロイスター公爵を詰る言葉なのに、サラザーヌ公爵の声色は自嘲の色が濃かった。こんなことを言っていても意味がない。そう分かっていながら、口をたえず動かしている。自戒と後悔の念を空気とともに吸っているように私には見えた。


「サラザーヌ公爵?」

「私は国王陛下にとって、最も優れた僕であったはずだ。かの方と戦場を駆け、血肉を浴びた。家財を投げうちお味方申し上げた。浅知恵のまわるロイスター公より、真摯にお仕えした。我が身こそ、王の忠実たる僕だった」


 過去にしがみつき武勇伝を語る老人。そういう風にも思えた。けれど、やはり声色は錆びた銅のようにざらざらと後悔を帯びている。酔っているように脈略のない話は、サラザーヌ公爵の体の異なる場所に順々、光を当てているようだった。

 娘を心配したり、私を心配したり、国を心配する。

 ギスランを警戒し、ロイスター公爵に危機感を覚えている。そうかと思えば、自分は父王とともに戦場を駆けた勇敢な戦士だったのだと胸を張る。

 まるで、走馬灯のようだ。


「それが今や、戦うべき戦場はなく、武辺は過去のもの。狡賢い貴族どもが生き残り、時代に取り残された私のようなものは顧みられることもなく泡のように消えゆく」


 声の自嘲の色が深まる。声はしゃがれ、急速に老いていっているようだった。


「……サラザーヌ公爵」

「時代というのは、酷い。永遠に同じものであることを許容してはくれない。変幻せよと絶えず波を寄越し、乗り遅れたものをゆっくりと沈めていく。私はもがき、苦しんだ。けれど沈没するのは時間の問題だ」


 ふとサラザーヌ公爵が目線を学舎の方へ投げた。やっと帰る気になったかと肩の力を抜く。けれど、サラザーヌ公爵は私へひたりと視線を宛てがう。マリーと親しみを込めて呼んだ。二度目だ。サラザーヌ公爵が私のことをマリーと呼んだのは。

 私はかの奥方と似ているのだろうか?

 サラザーヌ公爵令嬢はそんなこと一度もいったことはないが。


「ミッシェルは駄目だ。素質を考えればミッシェルしかいない。けれどあの子を当主にしてはいけない。私の選択は間違っている。家を存続するにはミッシェルを殺してはならない。分かっている。分かっているのだ。だがあの子は」


 マリー。再び名を呼ばれ、混乱する。サラザーヌ公爵はどこかに頭を打ったのだろうか。なき奥方と私を重ねるなんて、正気であれば出来ないことだ。


「あの子は、殺さなければならない」


 その時だった。裸足の女が駿馬のような速度で迫ってきた。ドレスをたくし上げたその姿はおおよそ淑女とはいえない。しかも、背中に弓矢を担いでいるのだ。

 けれど彼女はなりふり構わず、私達の前までやってきた。


「お父様!?」


 髪の毛を鬣のように流したサラザーヌ公爵令嬢は、血塗れの足をとめてそう大声を上げた。


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