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どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。  作者: 夏目
一章 『夜の女王とミミズク』
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33

 

 貴族用の寄宿舎の大広間。

 そこは昼間、貴族令嬢達のお茶会の場となる。

 私とギスランは、お茶会に招待された。


 ハルと決別し、数日が経った。おかしなことに、ハルがいなくとも、私の日常に綻びは生まれなかった。変わったことといえば花園へなくなったぐらいだろうか。

 薄情な自分が憎らしい。それと同じぐらい安心している。私はまだ、平常心を保てるのだ。

 花園には行きたくない。行って、心の均衡が崩れるのが怖い。もし、ハルがいないと子供のように泣き喚いたら、立ち直れない。どうやって、生きてきたのか分からなくなりそうだ。



「よくお似合いになります」


 私の手をひいて、ギスランがにこりと笑みを湛える。

 今日も私とギスランはお揃いの格好をしている。青と黒を基調とした冷淡なドレス。サファイアの大ぶりな宝石がついた首飾りを合わせている。耳飾りは、左右で形が違う。お互いの右耳についている耳飾りを交換しているためだ。

 青はギスランの容姿ととてもよく似合う。前の赤薔薇のような情熱な姿も様になっていたが、冷淡色が多いこちらの方が好きだ。ギスランの銀髪が、青によく映える。


「お前も、似合っている」


 ギスランは軽く目を見開いて、ほわほわと微笑む。私が似合っている、綺麗だ、美しいなどと褒めるとこの男は喜ぶ。

 私が好意を口に出すようになってから、ギスランは前よりもっと私に好意を示してくるようになった。両思いと、この関係を呼ぶのだろうか。甘酸っぱい表情をされると、こちらも照れてしまう。


 今回のお茶会の主催者は、サラザーヌ公爵令嬢ではない。

 カリレーヌ・バロック嬢。魔薬を平民へと流していた狡猾な伯爵令嬢だ。

 ギスランに促され、大広間のなかに入る。

 近くにいた令嬢達は目敏く私に気がつくと、歓待してきた。


「ようこそ、おいでくださいました」


 一番に挨拶してきたのは、カリレーヌ嬢だった。

 令嬢達の中で一番華やかな黄色のドレスを着ていた。

 令嬢達の顔ぶれを見渡し、ぎょっとする。

 サラザーヌ公爵令嬢の取り巻き達だ。三人の令嬢が、カリレーヌ嬢に追従するように後ろに立って私に媚びた笑顔を見せていた。

 取り巻き達でカリレーヌ嬢が一番地位的に低かったはずだ。ギスランをちらりと見遣る。意味ありげに目を細められた。


「光栄だわ。カルディア姫に来ていただけるなんて!」

「ええ、カリレーヌ様のお茶会に、カルディア姫が来て下さるなんて」

「流石はカリレーヌ様ね、お顔が広いわあ」

「もう、やめてちょうだい。照れてしまうわ」


 カリレーヌ嬢は分かりやすく嬉しそうな身振りをする。

 唖然とする私に、カリレーヌ嬢は、頭を下げた。


「わたくしのお茶会にご出席下さり、誠にありがとうございます。今日は少しでも楽しんでいただけると嬉しいわ」


 手を伸ばされた。手を取ろうとした私を遠ざけ、ギスランが割って入り、手の甲に挨拶の口づけをする。


「参加させていただき、光栄です」

「ギスラン様にも、ご参加いただきとても、嬉しいわ」

「私もまた、可憐な花のような方々にお会いでき、嬉しく思います。眩い花に囲まれるというのは、心踊る」

「まあ、そんな台詞。どれくらいの花に言われて来たのかしら」


 軽口を叩き合う二人はいかにも社交慣れしていた。

 口角が引き攣る。よくも、素面で酔ったようなことを言えるものだ。

 貴族の応酬に、慣れなければならないと分かっているものの、おべっかを使ったり、媚びることをいう自分の姿がいまだに想像できないでいる。ぎこちなく、微笑みながら、さあと、座るように促すカリレーヌ嬢に従った。

 私は、椅子に座ったが、ギスランの椅子がない。カリレーヌ嬢が、ごめんなさいと言いながら、壁になっている侍女達のなかから、一人を手招きした。

 ゆっくりと一本、前に出て、目線を上げたその女の姿に、えと驚きの声を上げてしまう。


「ミッシェル。ギスラン様のお席を用意して下さる?」

「……御意」


 侍女のような地味な服装を身にまとって、目線を上げたのはサラザーヌ公爵令嬢だった。

 青い刺青を隠すように髪で顔を隠して椅子を引き摺ってくる。

 重くて持てないらしい。それもそうだ、サラザーヌ公爵令嬢が椅子運びをする機会があったはずがない。誰もに傅かれて生きてきたのだから。持ち運べるだけの筋力など、ついていない。

 顔を赤くして持ってきたサラザーヌ公爵令嬢をギスランが一瞥した。一瞬、サラザーヌ公爵令嬢の瞳に縋るような光が浮かんだ。

 それを黙殺して、ギスランはカリレーヌ嬢に首を振る。


「せっかくですが。従僕の真似は愉快で気に入りましたので。椅子は必要ありません」

「あら、そうですの? ならば、いいわ。下げてちょうだい」


 サラザーヌ公爵令嬢は下唇を噛み、耐えるように唯々諾々と従った。椅子を持ってきたときと同じようにずるずると引き摺っている。


「もう、愚図な女」

「ねえ、あの女に今度、矢を放つゲームをしましょうよ」

「林檎を頭に乗せて? ふふ、楽しそう!」

「いいわね! 平民達も呼びましょうよ」


 ずきんと頭が痛む。

 彼女達は、先日まで、サラザーヌ公爵令嬢と一緒に、話し、喋り、お茶を飲んでいたはずだ。後ろに侍って、私を笑っていたじゃないか。

 自分が追随しているものの顔がわからないのか。嘲笑している人の名を忘れてしまった?


 人って、不実だと実感する。権力が移り変われば、追随する人間もすげ替える。

  サラザーヌ公爵令嬢がなぜ侍女の真似をしているのか。おそらく、制裁だ。近頃、サラザーヌ公爵令嬢の噂をよくきく。卑猥な表現が多い。記憶のなかにある男の俗っぽい密やかな声を思い出す。


  サラザーヌ公爵令嬢が婚約した子爵は、資産家だが、自分より身分の低いうら若い娘を無理矢理手篭めにするのが生きがいだ。学者の娘、カフェの女中、仕立て屋の平民女、何人もの女の腹に、己の子を孕ませた。

  孕んだ女はすぐに捨てられる。これまでの女達もそうだった。前妻も子供を産んだ途端、見放された。そのことを気に病み死に至ったというではないか。だから、サラザーヌ公爵令嬢も、同じように子を産んだら、見向きもされなくなるのでは。

  いや、産んだら、娼館に売ってしまうときいた。

  金で買える女だ。我らも金で体を抱けるかもしれぬぞ。

  いや、もう抱いた。肌は絹のように滑らかで、弾力に富んでいた。娼婦よりも、愛らしく淫乱だ。

  いくら、積めば肌に触れられるのか。大きな胸を揉みほぐせる?


  この不埒極まりない噂は事実、らしい。


  ーーサラザーヌ公爵令嬢は、体を売っている。

  サラザーヌ公爵令嬢が妻となるのはすでに決まっている。金銭のやり取りがある以上、容易に破棄することは出来ない。おそらく、相手側が気に入らないと破棄しないか、莫大な違約金を払わないかぎり、解消できない契約になっているのだろう。

  金を集めて、違約金を払うつもりなのか、それとも、他の男と姦通している女は娶りたくないだろうと考えたのか。いつもこそこそと噂話に明け暮れる使用人達にまで、その卑猥な行為の内容が知れ渡っていた。サラザーヌ公爵令嬢は、10万リベーで、体で満足させてくれるのだ、と。

  高位の女性ほど娼婦を嫌う傾向が強い。愉悦のために身を任せるのと金銭目的で体を許すのは、意味合いが全く違うからだ。春を鬻ぐ。恋愛と無関係な行為は彼女達に嫌悪感を与える下卑たものだ。サラザーヌ公爵令嬢が侍女のように扱われているのは、娼婦のように体を売るから。噂では、知っていたが、凋落ぶりを目の当たりにすると、目を逸らしたくなる。


 ふわりと羽が落ちるように、ギスランの指が私の手をなぞった。心配そうな顔で覗き込まれる。無意識のうちに拳を握りこんでいたらしい。人差し指の側面に三日月のような爪痕が残っていた。


「何か、お飲みになられた方がいい」


 テーブルの上には、ティーカップや小皿にのったクッキーや小さく切られたサンドウィッチが配置されていた。

 ギスランがティーポットを侍女達から奪い、ティーカップに注いだ。砂糖と蜂蜜を入れマドラーでかき混ぜ、口に含む。

 そして、そのまま口付けてきた。

 ギスランの柔らかい舌とともに口のなかに生温かい紅茶が流れ込んでくる。突然のことに反射的に逃げようとする顎をとられ、固定される。

 ギスランの接吻は深く、歯の裏から喉の奥まで性急に舐めまわされた。分厚い舌は、菓子のように甘い。

 紅茶だか唾液だかわからない液体が口の端から溢れた。

 それを舐めとると、ギスランは恍惚そうに頬を紅潮させる。


「美味しい?」


 優しく問われ、頷く。

 私が好きだと言ってから、ギスランは箍が外れたようにどこでも私に口付けるようになった。私が拒絶することを全く許さない。しようものならば、笑顔で「どうして?」責めだ。

 ギスランの頭の辞書には羞恥心という言葉がないのだ。頭が沸いているとしか思えないほど口付けを迫ってくる。


「もっとお飲みになられたい?」


 これはもっと飲めという命令だ。ギスランの遠回りな威圧に負けて、また頷く。

 ギスランは嬉々とした。私にせっせと唇で紅茶を飲ませる。

 横目で令嬢達を見遣る。惚けたように私達を見ていた。彼女達はだんだんと顔が赤くさせた。こっちまで燃えそうなほど熱くなる。

 胸をおしてギスランの唇が触れるか触れないかの距離をつくる。ギスランは不服そうに眉間に皺を寄せる。


「なぜ?」

「令嬢達が見ている」

「見せておけばよろしいのでは? 有象無象どもです。いるもいないも、同じこと」

「悪趣味」

「そう、ギスランは悪趣味ですので、慣れていただかねば。今度はリスト様の前でもいたしましょうね?」


 リストが破廉恥だと怒り狂う姿が目に浮かぶようだ。

 ギスランは親密なものに投げかける甘やかな眼をして、私の耳に言葉を吹き込む。舌と同じぐらいどろりとした甘さに、くらくらしそうだった。


「カルディア姫。女どもの前で、貴女様だけを寵愛する。なんて、気持ちがいいことか」


 ギスランの言葉に気を良くする。ギスランは女を転がし、驕りたかぶらせるのが上手い。


「この間は、私以外の女に媚び売ってたくせに」

「カルディア姫には、もっと媚態を見せて差し上げる。だから、拗ねないで」

「拗ねてない」

「なら、嫉妬? もっと嬉しい。私が目一杯、奉仕して差し上げる」


 文句を言うために開いた唇を塞がれる。

 侍女の格好をしたサラザーヌ令嬢が、落ち窪んだ眼窩の奥から私を見ていた。身が震えるような興奮を覚える。憐れに思うことは、優越感を抱いているからできることなのか。彼女の嫉妬が、可哀想で仕方がない。ギスランは、彼女を見ていない。私以外の女を見ようともしない。

 ギスランの背に腕を回すと、ますます上機嫌になり口の中に舌を入れられた。

 吐き出す吐息は、ギスランに侵されたせいでどろりとした甘さで出来ていた。



 お茶会はお開きになった。終始、ギスランに口付けされていた気がする。色ぼけしているように、頭がぼうっとしていた。帰ろうとした時、カリレーヌ令嬢に呼び止められる。そっと差し出されたのは、青い花びら。ギルの花だった。受けろうとしたのに、先にギスランがカリレーヌ令嬢の手から抜き取った。


「ギスラン様……」


 呆れたように、カリレーヌ令嬢がギスランを見つめた。珍しい目線だった。ギスランが、こんな風に残念そうに見られることはあまりない。


「別にお客様になっていただきたいわけではないのですよ?」

「申し訳ありません、カリレーヌ嬢。私は独占欲が強いもので、この花さえ、愛しき方の視界に入るのが煩わしい」

「そう、警戒なさらないで。わたくしはお茶会に来て下さったお礼を言いたかっただけですので」


 カリレーヌ令嬢は、私を見つめて、品よく一礼した。

 ……お客様になって欲しいわけではないってどういう意味だ?


「カルディア姫、ご参加下さりありがとうございました。わたくしのようなものが開いたお茶会に来ていただけて、嬉しかったのですよ?」


 小柄な体がこちらに近寄ってくる。柔らかな花の香りがする。彼女の体臭らしかった。

 気がつけば、カリレーヌ令嬢は私の腕を両手でぎゅっと包むように持っていた。


「これからも、カリレーヌをご贔屓にして下さいませ」


 柔らかいものを押し付けられた。見下ろして、驚く。腕が谷間に食い込んでいる。ぎょっとした。なんで、色仕掛けめいたことをされているんだ、私は。

 私は女で間違いない。いや、確かに、貴族は同性であったとしても、色恋自体が誉れとなるのだけど。

 ちらりと、カリレーヌ令嬢が舌舐めずりをした。艶のある表情で、ね? と念を押される。


「これから、仲良くして下さいますよね?」


 忘れていた。

 そうだ、貴族とはこういう者たちのことでもあった。

 意に沿わぬものを甘言で惑わし、骨抜きにしてしまう。権高に見下すだけではない。奸計に優れ、己の持てる全てを使い、欲望にひた走る者たちだ。

 欲しいのは、サラザーヌ公爵令嬢以上の金か、権力か。私の寵愛により、さらに地位を確固たるものにしたいのか。

 私は何も言えず、口をひき結んだ。

 ぶっきらぼうな私を、カリレーヌ令嬢はくすりと呆れたように笑った。

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