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児童虐待表現・残酷表現 注意
久しぶりの食事で満腹になった。睡眠も決して良質なものでなかっただけに、うつらうつらしてしまう。
ギスランに訊きたいことはまだある。だが、このままでは寝てしまいそうだ。
船をこぎそうになっていた私を抱え上げ、ギスランは寝室へと向かった。
「こら」
「ここでお休みください」
ギスランの寝室は、さっき入ったときも気がついたが、間取りや家具の位置が全て違う。家具だってほとんど新調されていた。窓の位置さえ違うのだ。
キングサイズの寝台、長方形の本棚。ぬいぐるみが箱のなかに窮屈そうに詰め込まれていた。絨毯は赤く、燃え盛る火のようだ。
寝台へ私を寝かせると、ギスランは近くにぬいぐるみ達を侍らせてきた。
こいつ、心得ている。
ぬいぐるみ達にときめいていると、見たことのあるぬいぐるみに遭遇した。
ペンギン紳士。それに、下手くそに縫われたフクロウ。
ちらりとギスランを見やる。
ギスランは、どうです? と言わんばかりに胸に手をあてた。
ぬいぐるみはずるい。
ペンギン紳士を撫でくり回しながら、去っていこうとするギスランを呼び止める。
「一緒に寝ないの?」
この部屋で寝ていると、ギスランはいつも寝台の外で私の手をとり無理な体勢で寝ていた。
寝台は一人で寝るには大き過ぎる。
無理な体勢で寝るよりもふわふわとしている寝台の上で寝ればいい。
ギスランは戸惑いつつ、首を横に振った。
「淫女のような真似をされないで。惑乱されてしまう」
「誰が、淫女よ」
くそ、微妙に頭が冴えてしまった。ギスランが相変わらず、おかしなことを言うからだ。
「褥で男女がすることは一つでは? カルディア姫が、したいというのならば、やぶさかではありませんが」
「そういうのではなく! ああ、とりあえず、私が寝るまで話し相手になりなさい」
しぶしぶ近付いてきたギスランは、きちんとしなさいとばかりに眉を顰め、私に毛布をかけた。
「『乞食の呪い』ってなに?」
ギスランはあまりいい顔をしなかった。きかれたくないことらしい。ぽんぽんと毛布を叩き、時間稼ぎをしているようだった。
「そのようなこと、どうでもよろしい。それよりも、カルディア姫は私を誘惑されたのだから、責任を取って、きちんと私のことを好きと言うべきでは?」
またその話に縺れ込むは勘弁してもらいたい。
私は声を張り上げた。
「お前が教えてくれないのならば、今すぐリストに訊きにいくわ」
なぜ、そんなことになるのかとばかりに腕に手をかけ、制止を促してくる。
目線で話せと命令する。一瞬の間があき、深い苦悩のため息とともにギスランが語り始めた。
「清族の汚点です。数百年前、慈悲深き王がおられました。自ら下町に赴き、貧民窟を巡るような。王は餓死寸前の貧民の男を助けよと、清族に命令しました。しかし、清族は、なぜ下賤のものを助けねばならぬのかと憤り、餓死から救わず、むしろ干からびて土のように死ぬ呪いをかけた」
「童話?」
「いいえ。文献に載っている、正式なものです。続けても、よろしい?」
小さく頷く。
「王は後日、あのものはどうなっているか、と清族に問われました。清族は、豊かに暮らしておりますと嘘をつきました。貧民はすでに、からからになり死んでいました。だが、ある日の夜、その清族は鶏に襲われ死んでしまった」
「鶏?」
「ええ、これが滑稽な話で、貧民の男は、清族の鶏の世話をするものでした。とても慕われていたようで、鶏が復讐しにきたのだとか」
「それが『乞食の呪い』?」
「まさか。鶏に襲われたので同胞を殺された清族は怒り狂いました。鶏どもは一羽残らず殺処分することに。だが、殺処分しようとしたその日、清族達は恐れ慄いた。彼らの頭から上は、鳥の頭になっていたのです」
「え?」
ーー鳥の頭?
ますます、童話のような展開だ。
事実は小説よりも奇なりということだろうか。
「彼らは斧を放り投げ、逃げ惑いました。すると、家の中に入った途端、顔が元通りとなった。なんだと一安心し、彼らが外に再び出ると、また鳥になってしまった」
「もしかして、太陽があたると鳥の頭になる?」
「ご明察です。おそらく、太陽の下で悠々と暮らせぬ、罪深き身だということなのでしょう。それから、清族は暗闇を好むようになりました。また、連綿と続く顔が鳥になる現象を『乞食の呪い』と呼ぶようになりました」
「今でもあるの?」
だがダンは、太陽の下に出ても大丈夫のはずだ。他の清族だって、外で見ることは少ないが、別に出ないわけではない。
「薬が開発されています。しかし、九歳までは投与が禁止されている。幼児期の投与は魔力に影響しますので」
「なるほど、なんだか、現実の話とは思えないわね」
「そうですね。だから、あまり外に出回らない。だが、あのリュウという男、本当に清族の捨て子ならば痛々しいことだ。迫害は避けられなかったでしょう」
太陽を浴びると、鶏の顔になる。
そんな人間がいたら、確かに化物と迫害を受けただろう。
「ちょっと、待って。もしかして、清族の血をひくならば誰でも『乞食の呪い』にかかるの? 例えば、お前も?」
ギスランは、貴族と清族の子だ。
もしかして、ギスランも鳥の頭になったことがある?
いや、そんな姿を見たことはない。だが、幼少期、ギスランと外で遊んだ記憶もまたない。
「ええ。私は貴族と清族の血をひくものです。もちろん、呪いがある。しかも、母の呪いを受けて、歪に呪いが書き換えられてしまいました。貴族が食べ、貴族の象徴でもある牛の頭に鶏の嘴が突き出ている。その下は普通の人間の体があるというのに」
苦虫を噛み潰したように、悲しそうに唇を噛み締める。がちがちと、歯が擦れ合い、時計を刻むような音がする。
「それってーー」
「ああ、お伝えしたくなかった。できることなら。あれは、童話を模したのだと、誤解されたままでよかったのに」
今更、この話題を避けようとしていたギスランの気持ちがわかった。こんなこと、言いたくなかったに違いない。
私も、訊きたくなどなかった。
『乞食の呪い』を私が尋ねたとき、こうなることを予見していた?
ならば、切ないことだ。結末がバッドエンドだと知って読む本のように。
「私はね、カルディア姫。あの鳥人間を見たとき、幼い頃、鏡に映った自分の顔だと思いました。太陽の下に出て、侍女達に化物と蔑まれた、あの顔だと」
「お前」
「私は、罪児です。父が母を無理矢理、孕ませた。怨念は胎動する私まで降り注いだ。母は産まれた私を愛さなかった。それにならうように、父も、また愛さなかった。大きくなり、歩行するようになると太陽の下に出ました。乳母がこの子は化物だと」
「ーー」
言葉を失う。かろうじて、出た声はやめてという言葉とよく似た音をしていた。
「地下牢に監禁されました。父は本気で私を化物の子だと思ったらしい。母は妖精と姦通したのだと。殺されそうになった。拷問もされました。父は、容赦などしなかった」
「もう、いい」
「父は、母にも、私の末路を見せようとした。見せしめです。だが、母は私を見て怯えた。己を陵辱した男の影があると。父は歓喜しました。己の血をひくのだと母の口から知れたので」
「やめろと言っている!」
ギスランは、私の声を無視した。
「私は、地下牢から出されました。だって、正当な公爵家の後継者ですから。体の傷は見れるほどに回復しました。幸い、障害は残りませんでした。顔の皮を剥がされた時の傷はばれてはならぬと清族を金で呼びつけ完治させてくれた。嬉しいことです」
なにが、嬉しいの。なにが、喜ぼしいと?
「母は、当時狂人だった。私のことを極度に怖がるときと、自分の可愛い娘だと認識するときが交互にありました。娘だと認識しているときは、決まってドレスを着せられます。純白であるものが多かった。母が着るためにダンがつくったものだと言っていました」
今の私のような、白いドレス?
純真の証。処女の証とも。どんな意図で、その服を着せていたのだろう。いや、どんな気持ちでその服を着ていた?
「父は、私を母と同じように扱った。母が怖がるときは無視されました。娘だと思い込むときは、じきじきに英才教育を施した。出来の悪い子でしたので、私は反省部屋にばかり送られていた。父は、母に追従するしか能のない男なのです。……カルディア姫の婚約者だと、知ったのは、貴女様に会う日の前日だった」
ギスランは場に合わないような微笑ましいような笑顔を見せた。
「覚えていらっしゃる? 衣装棚に閉じ込めていただいたことがある」
「ええ、泣きながらついてくるお前を、忌々しく思って、閉じ込めた」
「そんな風な記憶されている? そうではなかった。私が太陽にあたってしまったせいです。顔が崩れ、化物が顔を出した。カルディア姫は、泣く私が言うままに、誰も来ない場所に隠して下さった。父が、また私を地下牢へ連れていくと思ったものですから、ずっと見えぬ父に謝る奇怪な子だったでしょうに」
「そんなはずないわ! 私は、お前が謝るまで出さなかった。お前が謝ると愉悦を抱いていた!」
「主観は事実さえ捩じ曲げるものです。私は、貴女様に救っていただいたと思いました。お菓子も食べさせていただいた。イチゴのタルト。私の大好物になりました」
違うと、頭を何度も振る。
ギスランは、幸せな思い出として変換しているだけだ。辛い思い出を都合よく改変しているに違いない。
「『乞食の呪い』は、今は発生しません。薬を服用していますので」
「……ええ」
「だが、私のもう一つの呪いは解けないままです。涙が、宝石となる。家庭教師は、私を泣かせて、宝石を奪うのが上手かった。幼い頃は家庭教師が恐ろしかった」
「ギスラン」
「だが、もう、子供ではない。恐ろしいと思わなくなった。家庭教師に虐げられることもないので、ご安心を」
それは、苦痛を感じる心が摩耗したからではないのか。痛いよと悲鳴を上げる声を、殺してしまったからではないの、
「だが、いずれ、この呪いは、『乙女の呪い』と言われるようになるのでしょうか。冷血漢の子には、血が通っておらず、流すのは薄汚れた宝石のみと? ならば、私はどんなに化物なのか」
感傷的になりましたと、ギスランは反省したように皮肉げに笑んだ。
自分のことを話しているくせに、他人の人生を語っているような、凍えそうになるほどの冷たさを帯びた声。
「お前は私を襲っていないわ」
「はい」
「それに私はお前を化物だとは思っていない」
ギスランは私を見ていなかった。ただ、ぼんやりと私の輪郭をなぞっているだけ。
声も聞いてはいない。慰めは意味をなさないのだ。そもそも、悲しいとさえ思っていないのかもしれない。
上辺だけの繕った笑みを浮かべている。無表情よりも、不気味だった。
相変わらず、ギスランはよくわからない、不透明な存在だ。
けれど、それが悔しい。憎たらしい。
私達は、いったい、何年、一緒にいたのだ。
ギスランが、両親から関心を向けられていないことは知っている。母は女性の地位向上に邁進し、父は公爵として社交界に顔を出す。
小さい頃から心臓が凍えそうなほど酷い仕打ちを受けてきたことを知らなかった。
できることならば、今すぐにでもロイスター公爵の屋敷に乗り込み、二人の顔面を勢いよく殴ってやりたい。そんな凶暴な思いに取り憑かれた。
「馬鹿じゃないの」
「カルディア姫?」
違う、馬鹿なのは、罵ることしか出来ない自分だ。なにも出来ない自分だ。
どうしたらいいのか、分からない。暴いた事実は、ギスランにとって苦痛のはずだ。けれど、傷付いているはずの本人が、飄々としている。いっそ泣き出してくれた方がよかった。そうしたら、頭を抱きかかえて慰めてやれた。
目頭が熱くて仕方がない。
ギスランが、目元を擦る。大きな雫がぽたりと服に落ちた。
「お前の辛い過去話など、ききたくない」
「申し訳ありません。不愉快でしたか」
「ええ、とても」
くそ、前が霞む。指で目元を強く拭いた。そうだというのに、決壊したように次々に溢れてくる。
私が泣いてどうするんだ。泣きたいのは、ギスランのはずだ。泣くのは、私の仕事じゃない。
ーーそうだ、涙は宝石に変わってしまう。
ギスランは、それを疎んでいるのか。
私と会えなかったぐらいで泣くくせに、どうして大切な場面で泣けないのよ。
「お前、本当に馬鹿。馬鹿すぎる」
「おひどい」
ギスランはふっと柔らかく微笑んだ。
「ギスランの為に泣いていらっしゃる?」
「違う」
「嘘。カルディア姫は、昔の私のように泣き虫なのですね」
「お前は今でも泣き虫よ」
寝台の淵に座る私に、ギスランが跪いた。
いくつも落ちる雫をなぞって、ギスランはそっと告げた。
「今日はここでお休みを。私は、隣で寝ます」
「お前も一緒に寝ればいい」
「また誘惑される。困った方。化物と一緒に眠りたいのですか?」
化物という言葉に、涙腺が過剰に反応した。通り雨のように流れ落ちる。
すんすんと鼻を鳴らしながら、ギスランを睨みつけた。
「その言い方、嫌い」
「貴女様を襲ったものと同じ顔だったものです。嫌悪感があられるはずだ」
「お前の顔、私は好き」
「こないだは嫌いと言われていた」
「うるさい、撤回する。お前の顔、好き。美しいと思う。息をのみそうになるほど」
「でも、それは見せかけです。本当は醜悪な面を隠している。美しいものが、本当に美しいわけがない。むしろ、誰からも見向きもされぬ、汚泥に塗れたものの方が、内心は美しいのではないでしょうか。表面的な美しさよりも尊いのでは?」
いつの日にかみた、夢の映像が頭をよぎった。
四枚の羽を持つ虫。名前を知らない花達。それに水を遣るくたびれたハルの姿。顔には泥がつき、決して清潔ではない。
けれど、私はその夢を神聖だと思った。
ギスランも同じように思うのだろうか。綺麗が汚くて、汚いが綺麗?
ならば、美醜などないに等しいのではないか。
「とにかく、私は隣におります。ご用があれば、すぐに伺います。おやすみなさい、カルディア姫」
早口で言い終えると、ギスランは私の手のひらに口付けて、そそくさと寝室から出て行ってしまった。
くじゅぐじゅ鼻を鳴らしながら、取り敢えず涙をとめる。
鳥人間の姿は、ギスランと関連があるらしい。
その理由は分からない。だが、これで、ギスランが鳥人間をけしかけたのではないかという疑いは晴れたと思う。
リストにこのことを話してみるべきか。だが、そうするとギスランのことまで話さざるをえない。
私が話していいものか。考えてみたが、答えはでなかった。
ごろりと寝台に転がる。私が手足を広げても、なお、有り余る。人一人どころか、三人は寝れるだろう。
ここは、ギスランの寝室なのに、あいつが隣の部屋で寝るとはどういうことなんだ。
だんだんと腹が立ってきた。
ぬいぐるみ達でしきりをつくり、寝台から起き上がる。
絶対に、隣で寝てもらう。
決意を固めて、隣の部屋の扉を開けた。