28
ギスランの部屋は、前に入室したときと室内が一変していた。
相変わらず、部屋の中は赤いが、質素といってもよかった設えは、一気に豪華になっていた。
目を見張る私を引っ張り、ギスランは光沢の光る革の椅子に私を座らせると、侍女を呼びつけた。
食事を用意するように指示すると、私に向き直り、着替えを勧めてくる。
隣の寝室に、侍女と一緒に押し込まれ、汚れが目立ちそうな白いワンピースに着替えさせられる。
寝室から出てきた私を眩そうに見て、ギスランは立ち上がり、私の手をひいた。
いつの間にか、侍女は退出していた。
「そういえば、あの貧族の女、顔を見ていないのだけど、どこにいったの?」
「ああ、暇を出しました。あれには。そんなことより、カルディア姫。とても、お似合いです」
「これ、汚れが目立つわよ。肌触りは気に入ったけれど」
「では、次から、この生地で服を作らます」
椅子に座らせると、靴を脱がせにかかってきた。おい、と声を上げても、身動ぎしても、ギスランは手をひかない。
「それで、お話になりたいこととは?」
「……リストがいないじゃない」
「リスト様がいらっしゃらないと、なにも訊けないのですか?」
挑発的な口調につられて、つい、首を振った。
早計な判断だったと、すぐに気がついた。しかし、ギスランはその判断を撤回する前に、早口で訊いてくる。
「私に、なにか容疑でもかかっていますか?」
「リストはそう言っていたわ。私も、疑っている」
「どのような?」
「魔薬についてよ」
ギスランは、愛撫するような手つきを止めて、私を探るように見つめた。
「魔薬」
「ええ、リストはコリン領にお前が軍から盗み出した魔薬を隠しているはずだと」
「コリン領に、ですか」
ギスランはくすりと笑い飛ばした。
「残念ですが、私は軍から盗んでもいなければ、コリン領にも隠していない。そもそも、コリン領でしたら、盗むまでもない。あそこは飛行石が採れる恩恵の地だ。他の魔石も同様に採取出来る。軍から盗まずとも、こと足りる」
「あ……」
それはそうだ。ギスランならば、盗むまでもない。自分が管理を任されている地でいくらでも原料が採れるのだ。わざわざ危ない綱を渡らずとも、自領で暗躍したほうが露呈する心配も少ない。
「リスト様は、お疲れだったのでしょうね。そうとしか思えぬ暴論だ。突撃してきた馬鹿な軍人どもとまとめて、頭がよくなる教育をして差し上げたくなる」
リストの案に一理あると思った人間だけに、明言は避けた。
ギスランが暗躍していると考えた方が納得がいったのに。そうではないらしい。
だが、待てよ、そうなると、魔薬は一体誰が持ち去ったのだ?
ーーサラザーヌ公爵令嬢。
そうだ、失念していた。そもそも、リストは魔薬を確認するためにやってきたと言っていたじゃないか。
主犯格はギスランだと思い込んでいたから、サラザーヌ公爵令嬢が、盗みまで働いたという考えに至らなかった。
「お前が、リストにサラザーヌ公爵令嬢が魔薬を盗んだと教えたの?」
リストは前に、ギスランは騎士団と懇意にしていると言っていた。おかげで、主犯だと思われたぐらいだ。
そんなギスランに、サラザーヌ公爵令嬢が魔薬を持っているという情報を教えるわけがない。
だが、ギスランはサラザーヌ公爵令嬢が魔薬を取り扱っていると知っていた。
ギスランが、リストに彼女が盗んだのだと教えたのだ。
「正確には、きな臭いと教えて差し上げたのですよ」
ギスランは困ったように鼻を鳴らした。
「もともと、サラザーヌ公爵令嬢は貴族へ麻薬の販売をしていました。けれど、このところ、サラザーヌ家には麻薬を仕入れるお金さえなくなっていた。それが二ヶ月ほど前から急にまた売り出し始めたのです」
なんだって?
麻薬を売っていた?
ギスランの言葉についていけない。
「ーー麻薬?」
「ええ。カルディア姫は、ご存知ありませんでしょうが。そもそも、サラザーヌ公爵令嬢の真似をして刺青をする者達は、彼女の顧客という意味です。勿論、顧客にもなれぬ人間が、単純に憧れていれる場合もありますが」
たとえば、子爵令嬢のことだろうか。彼女はサラザーヌ公爵に近づき、認められたくて刺青をいれただろう。
「気になりませんでしたか、サラザーヌ公爵令嬢の取り巻きども。ヒステリックに喚き散らすことが多かった」
「それはーー」
そういえば、思い当たる節がないわけじゃない。
ギスランは、私の右足の親指を濡れたタオルで拭きながら続けた。
「ヒステリックは伝播するとも言いますが、あれは麻薬の副作用です」
そういえば、令嬢達とは違うところで、そのヒステリックさを見たことがある気がする。
「リナリナを覚えていらっしゃる? 平民の女。彼女は、サラザーヌ公爵令嬢が売った麻薬の中毒者だ」
「嘘でしょう?」
「顧客の一人が平民にそのまま流していたのですよ。美しくなれる、なんて流言を流せば、金のある商人の娘達はこぞって買い漁る。それで私腹を肥やすという寸法です」
リナリナが、麻薬中毒者?
だが、確かに、リナリナが令嬢達のようなヒステリックになったのを見た気がする。
おそらく、ギスランが言っている顧客の一人はサラザーヌ公爵令嬢のお茶会で一番が弱い立場の令嬢だろう。たしか、カリレーヌ・バロック伯爵令嬢。
だから、あの茶会のとき一番にカリレーヌ令嬢に近づいたのか。真偽を確かめるために。
あのとき交わされていたのは、甘やかな言葉ではなく、詰問だったのではないだろうか。
それを、カリレーヌ令嬢は、賛美の言葉だとばかりに顔を赤く染めた。勿論、意図的に。
麻薬を横流しするような、狡猾な令嬢だ。
高度な駆け引きが行われていたのではないのか。
「私はサラザーヌ公爵令嬢が、どうやって麻薬を仕入れたのかが気になりました。私はその頃、もう、サラザーヌ公爵令嬢へ金を貸してはいませんでしたしね。他の貴族達も出し渋っていたはずだ。だが、どうしてか麻薬は売られている。サラザーヌ領では、麻薬の栽培は行われていない。いつもどこかから買い付けているのです。おかしいと思いましてね、麻薬を買っている末端の女の何人かに声をかけたのです」
その一人がリナリナだったのか。
「リナリナは、平民のなかでも特に麻薬を買っていた。彼女を張っていれば、流している本人が分かるだろうと踏んだのです。そうして、線を辿りながら、ある疑念が湧き出てきた。これは、麻薬ではないのではないか、と」
「麻薬ではない?」
「ええ、妖精どもが魔力の著しい向上を訴えてきた。魔薬の類だと、すぐに勘づきました」
盗んで来た魔薬を売っていたのか。
ギスランは、私の足を撫でて、左脚の靴を脱がせにかかった。
「だが、まだ証拠は掴めておりませんでしたので、確証が持てませんでした。だが、疑惑はあると、リスト様にお伝えいたしました」
「なるほど……?」
コリン領を調べまわった軍人達は、魔薬が見つからないと焦っただろう。そこに、ギスランが、言葉を一滴垂らす。劇薬のような威力のある。軍人達はすぐに、リストに報告したはずだ。
だからこそ、リストは夜会のオークションに参加したのか。
だが、待てよ。やはり、どこかしら違和感がある。
「まだということは、ギスランはサラザーヌ公爵令嬢が魔薬を売買していると確証がある?」
「今日ーーいえ、もう昨日ですね。顧客から譲り受けたクスリの成分を調べさせた結果が届きました。リスト様にお見せしましたら、細々とは変化しているが、おそらく、間違いなかろうと」
いつ、そんな擦り合わせをしていたんだ、こいつら。
仲間はずれにされたようで、むっとしてしまう。
機嫌が斜めを向いたのが分かったのか、ギスランは私を見上げ、仕方ないなあと言わんばりに苦笑した。
「カルディア姫、そう拗ねず」
「拗ねてない。そうよ、お前、サラザーヌ公爵令嬢からなにか買っていたでしょう。あれはなによ」
今こそ積年の恨みを込めて尋問まがいな質問をしてやる! と意気込み、見たままを話した。だが、出鼻を挫くようにギスランは緩慢に首を傾げた。
「サラザーヌ公爵令嬢から、買った?」
「ええ。真珠を対価に、青薔薇を貰っていた」
「真珠?」
ギスランめ、しらを切るつもりか?
「いつもいる貧民の女が、この間買っていたのよ」
「真珠ですか?」
「そうよ、真珠」
「カルディア姫」
私の左足の親指を回しながら、ギスランは渋面をつくる。
「それはおそらく、真珠ではなく、ギルを煮沸し、凝固させたものかと」
「ギル? 青い花の?」
「ええ、よくご存知ですね?」
ハルが教えてくれたのだ。ゴドレ、マリー、ギル。鮮烈な花達。
ハルの綺麗な手が作り出す芸術品。
ハルは口だけじゃなく、手でも人をうっとりさせるものをつくる。
意地悪そうな見た目と裏腹に、人に温かなものを与える天才だ。だって、ハルのことを思うと、心がほっこりと温まる。
イルが言っていたように飼うことは出来ないけれど、ギスランに売り込むことは出来るのではないだろうか。
ギスランならば、ハルみたいな逸材を見逃さないだろう。援助というかたちで、守ることは出来るのではないのか。
頭をふる。考えるべきは、ギルの花のことだ。
「そのギルの花がなんだというの?」
「ギルは食べると幻聴、幻覚の効果があるのですよ。麻薬の一種だ。直接食べると効き目が強過ぎるので、煮沸して凝固させる。夢のなかを浮遊している気持ちになるそうです」
「お前、なぜ、それをサラザーヌ公爵令嬢へ?」
「ちきんと釈明しなければならないようですね? あれは、私の指示ではありません」
「どういう意味?」
足を拭き終わったギスランは、満足げにぽんぽんと私の膝を叩いた。
「我が家の恥となることですので」
「私には言いたくない?」
ギスランの太腿を足で踏みつける。話すべきだ。潤んだ瞳で、ギスランが続けた。
「ーーあれは、裏切り者、間喋でした」
「あの、貧族の女が?」
頗る恥ずかしそうに、ギスランは俯いた。
自尊心を傷付けたらしい。
だから、貧族の女がいないのか。
私に近かったということは、それなりに調査をして、安全と判断されたはずだ。それが、間諜とは、ロイスター家の威信に関わる。
「なぜ、そんな失態を?」
「貧族の女は殺されておりました。間諜が女と入れ替わっていた」
「変装をしていたというわけ? いつ」
「さあ。だが、サラザーヌ公爵令嬢の口振りからすると、そう近いことだとも言い難い。ずる賢いやつです。いつの間にか消えていた。問題ばかり立て込んでいたので、対処が追いついていません」
サラザーヌ公爵令嬢関連のことだろう。
魔薬に婚約と忙しなかった。それに、コリン領では、空賊が襲いかかり、疫病が流行った。
ギスランの周りでは目まぐるしい変化が起こったのか。
「待って、ギスランの部下に成り替わり受け取る意味は? そんなことをしても、報酬は青薔薇なのよ」
「青薔薇はサラザーヌ公爵令嬢の魔薬です」
「どういうこと?」
「彼女は、魔薬を青薔薇のかたちに加工したのです。麻薬も彼女はそうやって加工する。その方が見目が美しいでしょう。青薔薇がトレードマークともなる」
青薔薇をサラザーヌ公爵令嬢は好きだった。
そういえば、ハルが言っていた、花を食らうやつもいると。奇怪なことをする奴もいるものだと思っていたが、青薔薇の形をしている麻薬のせいなのではなかろうか。依存が高まり、正気でいられず衝動的に口に含んだのではないのか。
だが、ますます分からなくなった。なぜ、麻薬と魔薬を交換するんだ?
「……私はてっきり、お前とサラザーヌ公爵令嬢が徒党を組んでいるものだと思っていたわ」
「それは、悲しいことだ。私は信頼を勝ち得なかったということですね」
「だって、お前に愛想を尽かされたと思ったのだもの」
「なぜ?」
「それは、その……」
言い淀むと、ギスランは苦しそうに微笑んだ。
「私が、逃げたから?」
「そう」
「あれは、恥ずかしかったから」
「知らなかったもの」
「ギスランをもう、疑っておられない?」
答えのかわりに頭を撫でてやる。
ギスランはうっとりと目をとろけさせる。
ノックして、侍女が入ってきた。カートに乗った食事が運ばれてくる。机に並べられたのは、相変わらず大量の食事だった。
冷やした羊肉。ジュレ。鮭のエスカロップ。コーンスープ。春野菜のサラダ。他にも、ししゃもの揚げ物や揚げパンがある。
「お食べになりたい?」
「し、知らない!」
「はい、あーん」
ギスランは一通り毒味を済ませたあと、スープをすくい、おしつけてくる。
食欲はない、と思っていたはずなのに、美味しそうな匂いについつい口を開いてしまう。
スープが流し込まれた瞬間、口が爛れてしまったような感覚がした。
熱い。
体を強張らせた私に、ギスランがたじろぐ。
「どうされた?」
「口が」
食べ物を口にしていなかったせいか、なんでもない温度のものが熱く感じる。
スープを拒み、サラダを指差す。
首を傾げたギスランは、サラダをフォークで刺して口に寄せた。
爛れた口内で咀嚼し、喉のなかに流し込む。
だが、噎せて、吐き出した。
「カルディア姫」
背中をさすりながら、ギスランが心配げに覗き込んでくる。私の手をハンカチで拭き、吐き出したものを片付ける。
せっせと世話を焼くのが気に入らない。
フォークを奪い取った。
サラダを串刺しにして口元に運ぶ。フォークを持つ手が震えた。
ギスランが私の手を握り込む。
「もっと、きちんと噛んで」
「うるさい」
「大丈夫、私が毒味しました」
「お前がする必要、ある?」
ギスランがせずとも、侍女がしたはずだ。わざわざする必要はない。
「貴女様が安心なさるでしょう?」
「しらない」
「私は、貴女様を殺そうとしない」
首を振る。
分からないじゃないか。ギスランの心など覗き込めない。口ではなんとでも言える。
「カルディア姫のことが、好き」
覆い被さる手にぎゅっと力がこもった。
ギスランの紫の瞳は、美しいものを見ていると言わんばかりの眩い光を放っている。
「私が貴女様を幸せにして差し上げる」
なんだ、その偉そうな言い方。
「カルディア姫は、私以外に幸せを与えられてはいけない」
私の幸福に対してどんな権限があるの、お前。
「お前ね」
「カルディア姫のお前という言い方、好き。くすぐったくて、ついはにかんでしまう」
「う……ギスラン!」
名前を呼ぶとますます嬉しそうに目尻を下げた。
「名前を呼ばれるのが一番好きです。もっと、呼ぶべき」
こいつ、純朴な男のように振る舞うのだから、たちが悪い!
手の震えはおさまっていた。サラダを口になかに頬張る。ギスランが指をぱくぱくとくっつけたり離したりして、もっと噛めと催促してきた。
今度はきちんと嚥下出来た。異物が喉を通り抜け、体内に溶けていく。
ふっきれたように、次々に口のなかに固形物をいれる。
ギスランはほっと一安心できたようだ。
私にせっせと働きアリのように食べ物を運んでいる。
私の世話をしているときが一番幸せそうなのはなぜなんだ?
こいつの性癖は変わっている。
私みたいな女に傅いて喜悦を感じるのは、ギスランだけではないだろうか。
ギスランと一緒にいると、私は王族のカルディアになる。
この世で誰よりも美しい宝石のように、燦然とした存在になれる。誰にも虐げられない、ひときわ硬くて、削れないものに。
食べ終わり、一息つく。
だが、ギスランの瞳がくすぐったくて、目を逸らした。ギスランの部屋を見渡す。
「ギスラン、どうして部屋の内装を変えたの?」
「……殺風景でしたので。そうだ、カルディア姫に見せたいものが」
そそと立ち上がり、ギスランが持ってきたのは透明な器だった。器のなかには手のひらを合わせたような蕾の花が入っていた。
興味津々な見つめると、器に紅茶を注ぎ始めた。
茶色の半透明な液体のなかで蕾がだんだんと花開いていく。満開になった花は紅茶の海で真珠のような光を放っていた。
「これは?」
「『花と天帝』をモチーフにした茶器です。器に入ったのは、名が分からぬ花なのだと。コリン領は魔石が採れます。それを加工し他領に売りつけるために細工技術も発達している」
「コリン領からのお土産なのね」
「カルディア姫はこういうもの、お好きだから」
持ち上げて、裏側から覗き込む。鏡に光をあてたように多角的な反射が綺麗だ。ふと床を見下ろすと、光の波が絨毯をたゆたっている。上にあるシャンデリアの光を反射しているらしい。
「綺麗ですね」
ギスランは私と同じように床に目をやり、ふわりと破顔した。
花が舞うような、愛嬌のある表情だった。
毎日でも見たいなと思った。ギスランは、やっぱり笑った顔が美しい。
「お前、ずっとそうやって笑っているといい」
「カルディア姫?」
「私、お前の笑った姿なら、ずっと見ていたいと思うのよね」
普段は、去れって思うことの方が多いのに。
笑顔を見ていると妙にむずむずとした、ささやかな喜びを見出すことができる。
「……私の顔がお嫌いだと言っていましたのに」
「なぜ、そう、真っ赤になるの」
「知りません」
顔を赤くする姿は、腹の底を重くするような濃艶さがある。こっちまで色気にあてられて、顔が熱くなる。
「もっと、笑うといいと思うの。赤面せずに」
「……」
「湯気が出そうなほど、顔を赤く染めないで欲しいのだけど」
「これ、カルディア姫に差し上げる」
押し付けるようなつっけんどんな言い方でギスランは言った。
「ここに置いていてはいけない? お前と一緒に見たい」
「……カルディア姫って、私を惑わせる天才です」
照れながら、言うな。
「構いませんが。また、私と一緒に見てくださる?」
「そのために言っているのだけど」
ギスランはますます照れて、私と目を合わせようとしない。
「ギスラン」
「なに?」
「お前がギスランと呼ばれるのが好きと言ったから呼んだのよ」
「はい」
「この紅茶、お前が毒味していないから、飲めないのだけど」
ついと目の前に器を差し出す。
ギスランは恭しく受け取ると、艶々とした唇で器に口付けた。