21
「さあさあ、見て下さい、見て下さい」
溌剌すぎて、空元気のような声がサロンのなかに響いた。
活字から視線を上げる。
『女王陛下の悪徳』の『歌姫の失脚』を読んでいたのだ。女王が愛人に頼まれて、王都で一番人気な歌姫の喉を潰そうと画策する話だ。『女王陛下の悪徳』は女性の陰険な身勝手さと努力の否定が書かれている。
童話らしい後味の悪い物語が多く、『女王陛下の悪徳』では最後まで悪辣な女王陛下は制裁されない。
「もー、本を読んだって、だめだめ。活字の海に乙女の真理はありません。乙女は可憐な服でこそ磨かれるのですよ。うすぼけた石ころでも研磨すれば宝石になれるんですからね」
『女王陛下の悪徳』を押しのけ、円卓に服が並べられる。
頁にくしゃりと跡がつきそうになるのを、慌てて伸ばす。
蛮行だ。私が本の神だったら、神罰をくれてやる。
「ココ・リジー……!」
乙女を語る蛮人を睨みつける。
赤毛に眼鏡の女は、商人の顔つきをしてにやにや愛想笑いをしている。
「はい、カルディア姫! こんな豪華絢爛なサロンにひとりっきりは寂しいだろうと思いまして。おしかけちゃいました」
「豪華絢爛? ……頼んでないけれど」
「リナリナに頼まれましたもの。いつも一人でぽつーんとらしいですね?」
大きなお世話だ。
リナリナ達に対する感情は複雑だ。
国賊として訴える気にはならないが、納得できないと思う。平族を優先させる思考が果たして平等なのか。そう思うと、賛同もできない。
干渉しないから、いたずらに近寄らないでほしい。
周囲を見渡す。
貴族連中は近日あるサラザーヌ公爵令嬢の夜会のために服を合わせたり、サラザーヌ公爵令嬢のご機嫌とりをしているはずだ。
有力貴族の令息令嬢は、権力を示すために個人名義で夜会を開くことがある。
大四公爵のサラザーヌ家が開催する夜会となれば、フォード王立学校の貴族だけではなく、レゾルール王立学校の貴族達も顔を出す。
顔を繋ぐ、絶好の機会だ。気合を入れて臨む。
ギスランも、この夜会に間に合うように帰ってくるはずだ。
「私に服を売る気なの?」
「だって、カルディア姫の感性は冒涜すぎます……。なんですか、その服! 美の神への挑戦ですか!? 地味だし、型落ちもいいところ。無駄に洗練された蝶の刺繍が、憎たらしい」
「う、うるさいわね! 着ていて落ち着くのだから、いいでしょう?」
「だって、その服、草みたい。このあいだのも、土色でしたし。カルディア姫、色彩感覚あります?」
なんで、こんなに批判されなきゃいけないのだ。
「見ていられないので、あたしの作った服、あげますよ。タダで」
こいつ、私に服を着せて、歩く広告にでもするつもりか。厚かましい。
「ほら、これはどうですか。貴族の間で流行っている生地でつくったんですけど、軽くて光源に当たると虹色に光る……」
真珠かなにか?
そんな服、着たくないんだが。
「ほかにも、デコルテが開いたやつもありますよ。ハートカットネックのマーメイドラインのドレスとか、人魚姫みたいで可愛いですし」
呪文が聞こえた。
意味がわからん。
差し出されたのは、尾びれのように裾が長いドレスだった。
夜会用のドレスみたいにくびれが細い。花の刺繍も精緻だ。
一日中、こんなものを着ていたら、息苦しくてたまらないだろう。
「お前」
「はい?」
一日中、喋っていられるとばかりに駒鳥のように喋り尽くすココを遮る。
そばかすの浮いた肌は汗が浮かんでいた。
眼前のドレスに視線を落とす。
「媚びている?」
リナリナが着ていた、機動的な服は一切ない。全部、貴族が好む、拘束具のような服ばかり。
絢爛さが痛々しい。このあいだ、部屋にあった帽子を見たときも思った。
高貴さへの憧れが、布に水を垂らすように染み込んでいる。
貴族のために作ったというよりも、作ったものが貴族用のものになったと言わんばかりだ。
ココははっと息を呑んだ。
「なんのことですか」
「リナリナが着ていた服は素敵だったわ。女性のために誂えられた一級品」
ココの表情は図星をつかれたように固まっていた。
「でも、これはなに? 誰にむけて作ったかもあやふやな、貴族に媚びた服。こんな中途半端なものより、優れたものが作れる奴はごまんといるわ。やめなさい」
「あたしは……」
「あと、ここにリストはこないわよ。あいつは忙しいもの。私につきまとっても、おこぼれはないわ」
「そんなつもりは」
不出来な服をのかして、頬杖をつく。
私の本にやったような扱いをしたのに、ココはそれを見るだけだった。
頭が重い。体も、だるかった。
「それとも、なに? 平等を讃える運動に参加しろと急かしにきたの」
「違う、あたしは」
「お粗末なものを持ってきたのだから、そう判断されても仕方がないでしょう。お前も、服を作り、売る人間ならば、自分の自慢の品を持ってきなさい」
「違うんです……あたしは……」
がくりと首に顎をうずもらせ、ココは呟いた。
「リスト様って、美の化身だと思いませんか」
「は?」
「リスト様です。カルディア姫の従兄弟でいらっしゃるんですよね」
「ええ」
ココは眼鏡の奥の熱っぽい瞳を輝かせた。
「数ヶ月前、馴染みのご令嬢のお誘いで、ある式典に参加したことがあったんです。その時、リスト様の神々しいお姿を拝見しました。見た時に思ったんです。ああ、この人のために服をつくりたい。この人の隣で、この人に似合う服を着てもらい、それを眺めたい、と」
ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
リストは確かに、美しい男だ。
だが、私の中ではいつも隣にいる男だ。二人っきりになると精一杯甘やかしてくれる。
やったことがないので、たらればの話になるが、私が作ったら不出来な服でも、頼めば着てくれるのではないか。
それを流れ星に願いをかけるように希う様子は、私から見れば奇怪だ。
「滑稽ね」
ぐっとココの眉根に皺が寄った。
「滑稽ですか」
「ええ、とても」
「それは、カルディア姫が王族だからです。そして、リスト様も」
そうなのだろうか。
「だから、新聞を作る仲間になったの?」
「『聖塔』というんですよ、あたし達は。……それも、あるかもしれませんね。リスト様が王族だから、あたしは平等になりたいと思ったのかも」
そこらへんの事情は、リナリナと同じなのだろう。
『聖塔』か。地下新聞を作る人々。
その総称は、どんな意味を持っているのだろう。
「リスト様を見てから、あたしの全てが変わりました。今まで女性の息をしやすくするために作っていた服。それでは意味がないと思い知らされた。作る服、なにもかもをリスト様に捧げたいと思うようになりました」
「だから、あんな服ばかりを? でも、なぜ女の服が多かったの?」
「男性ものも作っていますよ。でも、女性ものの方が得意なので」
リストへの恋慕が、ココの創作力の根本に影響を与えたのか。芸術家だったらありがちな話だ。画風やモチーフが恋人が出来たことにより変わる。音楽家でも、同じことがいえる。恋人や片思いの相手に捧げるものは今までの作品とは異なる場合がある。
大切な人に出会った時、人は生まれ変わるのだろうか。まるで、もう一度、胎盤から這い出るように?
「あたしの服は、昔の方がいいという人もいます。けど、そういう人はきっと恋をしたことがないんだわ。この燃えるような恋慕で、その身を焼かれたことがない」
「恋だというの、お前のそれが?」
「他に何だというんです?」
ココは、私を真っ直ぐと見た。
「あたしは、リスト様に恋をしているんです。あの人の服を仕立てて、微笑みかけられたい。腕に抱かれて、口づけを交わしたい。花の匂いがする寝台に倒れこんで、恍惚とまぐわりたい。男を銜えて、朝も夜もなく」
思考が停止した。
ぶわりと毛が逆立つ。
直接的な言葉だ。リストと男女の関係になりたいのだと。
夢を見るような熱に浮かされた瞳でココは腹を撫でた。まるで、そこに子が宿っていると言わんばかりに。
「あたしは、リスト様と夫婦になりたい」
ココのリストに対する好意は、信仰なのか、恋慕なのか、それとも欲情なのか。それともなにもかもまぜこぜの状態なのだろうか。
随分、変な顔をしていたのだろう。ココは私の顔を見て、苦笑するように笑った。
「分かってますよ、今のあたしじゃあ、リスト様とは不釣り合いだってことぐらい。でも、絶対にあたしはリスト様と結ばれるんです」
ココの顔を見て、ハルに忠告するのは貴族たちだけでは足りなかった気がしてきた。
平族でも、誰でも、恋に狂うとこうなるのだろうか。無理矢理押し倒してでも、関係を迫ろうとする気迫がある。
「だって、リスト様はあたしの運命の人なんですから」
ココの濁った瞳から、目線を逸らす。
どっどっと妙に心臓が鳴っている。
いったい、なにがこんなにも、彼女達を駆り立てるのだろう。
「ーーここで何をしている?」
脅すような低い声が床を滑る。
冷え冷えとした傲慢そうな瞳が私を一瞥し、ココに流れる。
リスト!?
なんというタイミングで現れるんだ。
王都の復興に尽力していたのではなかったのか。ファミ河の氾濫対策を議会で論じているものだと思っていた。
ココも言葉が出ない様子で、リストを凝視していた。
「カルディア、なぜ平民と?」
詰問の響きがあるぞ、リスト。
「お前は、まったく……」
やめろ、その落胆のため息。
「こら、目線を逸らすな。粛々としていれば俺が許すとでも?」
「別に、そういうわけではないけど」
「お前に言いたいことは山ほどあるが。……顔色が悪いようだな?」
顎を指で持ち上げられる。顔を覗き込むな。荒れた肌がばれるじゃないか。
「寝ていないのか」
「部屋を借りている分際で寝ないとはどういうことだと?」
現在、リストの部屋の寝台を使わせて貰っている。なんとなく、自室に戻るのが怖いのだ。その点、リストの部屋は安心できる。リストの信頼する使用人達が世話を焼いてくれるし。
「それ以外に何があると? 俺の寝台を無料で貸し出しているんだ。何が不満だ」
「本が少ない」
「知るか。お前の読める本がないだけだろうに。俺の蔵書は軍事関係のものが多いから」
「あれは本ではなく、資料では? 戦記を増やして。それならば、読めるわ」
「増やすならばお前が増やせ」
いっそ、部屋を童話と戦記と怪奇小説で埋め尽くしてやろうか。
そんな悪巧みを考えているうちに、ココが正気に戻ったようで、私に意味ありげに合図している。
意味をはかりかねていると、リストがココへ振り向いた。
「どうして、まだここにいる」
「あーー」
目線を泳がせるココにリストは主人のように命令した。
「二度とカルディアに近寄るな。お前のような卑しい女が」
ココは恥辱を受けたように顔を真っ赤にさせると、持ってきた服をそのままに立ち去ってしまった。
リストは私へ渋い顔を向けた。
この顔はあまりよくない。説教をする気だ。
私は、リストの腕にもたれかかり、甘える仕草をした。くしゃっとリストの顔が強張る。
う、流石に騙されないか。
サロンには二人っきりだが、いつ他の人間が覗きにくるとも分からない。だからか、リストの纏う雰囲気はいつもの冷え冷えとしたものだった。
「カルディア、懲りていないようだな?」
「な、なにを?」
「ギスランへの王族にあるまじき失態、俺は追求はしなかった。だが、これ以上は目が余るぞ」
釘をとんとんと打ち込まれる。
脂汗が頬を伝っていく。喉が急に乾燥してきた。
「お前が今、この学校でなんと言われているか知っているのか」
「リストが噂に興味があるとは知らなかったわ」
「豚になった王族だ」
金槌で、釘を深々と刺し込まれた。
身動きが取れず、標本になった蝶の自分の姿が脳内に映し出された。
豚ーー平族の暗喩だ。平族になったつもりかとリストの氷を嵌め込んだ瞳が尋ねる。
「醜態を晒すようならば軟禁しても構わないだろうな? その覚悟があるならば、豚と戯れろ」
唇に薄く笑みが浮かぶ。声に血の繋がりを感じさせる温かさはなかった。曖昧にすることは許さない。そう言われているようだった。
「カルディア、お前はなんだ? 豚か、それとも馬か? だが、そういった身分ならばお前がここでゆったりと休息を取ることは出来ない」
手をリストの唇へと招かれる。
熱い唇に、体が跳ねる。
「綺麗な手だ。労働を知らぬ、姫の手だな」
唇と同じだけ熱い吐息が指に触れた。
背筋に甘い疼きが走る。
リストは、宝石を矯めつ眇めつするように私の手を検分している。
「この手を傷つけたくはないだろう。汚泥に身を浸したいか。馬のように鞭打たれたい? 何日で心が壊れるだろうな」
警告を口にしながら、リストは爪に騎士のように口をつけた。じっとり汗をかくような粘ついた視線に絡めとられる。
「カルディア、いい子だから、変なことを考えるな」
リストはどこまで気がついているのだろう。
ハルに会っていることも、知っているのか。
だから、こうやって、身動きがとれなくなるほど釘をさしてくるのか。
蝶のように飾られておけというの。ピンで羽を留められて?
そっちの方がリストにとって都合がいい?
「お前は、いつも通り一人で本を読んでいるといい」
リスト、苦しい。
まるで石を飲み込んだみたいだ。
私はいつも、ここで一人ではいなければいけないのか。それが王族の務め?
第四王女カルディアでいるために必要な仕事?
「冒険は本の中だけで。分かったな、カルディア?」
その後、リストと部屋に戻った。
リストは相変わらず、二人っきりになると私を甘やかしてくる。だが、喜ばしいと興奮することは出来なかった。
ココが置いていった服を送り届けるように侍女に命令したが、しばらくすると持ち帰ってきてしまった。ココは私に譲ったと言って、受け取ろうとしないのだという。
リストはそれを聞くと不機嫌に「燃やす」と過激なことを言い出した。焼却処分する必要はないだろう。華美だが、着れる服だ。
こっそり、ハル達貧族に届けるように命令した。ハル達は、少しは服装について考えるといいと思う。
……ココがやってきたのも、私と似たようなお節介だったのだろう。無下にしたとは思わないが、きつい言い方をしてしまっただろうか。
だけど、服についてはあまりとやかく言われたくない。私は好んであれを着ているのだから。
そういえば、ココはリストは平族だからと差別しない、と平族の寄宿舎で言っていた。だが、リストが見せたのはありありとした侮蔑だったはずだ。
卑しい女ーーそう言われて、ココはどう思ったのだろう。
もし、私がリストに言われたとしたら、どう思うのだろう。
そして、その日の夜。
ギスランのいるコリン領から知らせが届いた。
空賊を無事捕まえたという報告だった。




