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どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。  作者: 夏目
一章 『夜の女王とミミズク』
19/104

19


 平族の寄宿舎は、貧族のものよりきちんとしていたがやはりぼろい。

 横長い建物で左右に尖塔が二つ伸びている。真ん中は窪んでいた。どうやらそこが食堂になっているらしい。

 尖塔の下がそれぞれ男性寮、女性寮になっているらしい。

 私はリナリナの案内で、左にある女性寮へと足を踏み入れた。

 内装は懐古的で華やかさに欠けていた。レンガ調の壁も、時代を感じさせる古風なもの。貧族の家と比べると天井も高く、奥行きもある。だが、王族や貴族の寄宿舎と比べるとやはりどうしても見劣りする。

 木目に細かい傷がついた床を進み、リナリナの部屋に案内された。


 入るなり見えたのは帽子だ。

 しかも一つではない。数十個ある。

 麦わら、キャペリン、観覧用の派手な帽子。すべて女物だ。

 部屋の内装と不釣り合いな華々しいものばかり。野草を華美な花瓶に飾っているみたいだ。調和がとれていない。

 帽子で埋もれた部屋の中には誰かがいた。

 赤毛の丸眼鏡をした少女だ。どうやら、同室の人間らしい。

 私が入ってくるなり、ひどく驚いた顔をした。そして、リナリナを見つけるとぱあっと顔を明るくした。


「まあ、ほんとに連れてきたの?」

「ええ、カルディア姫って結構、話が分かる人なのよ、ココ」


 リナリナは私にくたびれた椅子に座るように勧めた。座ると軋んだ音を立てる。


「ココ・リジーです。カルディア姫。お会いできて光栄だわ」


 そういって赤毛の娘は頭を下げた。

 リジー?

 頭の中で何かが引っかかった。


「リジー。聞き覚えのある名ね」

「服屋をしているんです、あたしの家。貴族にも人気があるの」


 思い出した、仕立屋リジー。王都にある服屋のなかでーーもっとも下品な仕立屋だと噂だ。

 なんでも、足を露出する格好を推奨したり、流行りじゃない帽子を売りつける、どうしようもない仕立屋だときいた。

 一部の貴族を除き、品がないと白眼視されている。


「リナリナの服だって、うちの家の商品なの」


 なるほど、だからリナリナは足を露わにした格好をしていたのか。

 リナリナは体格が華奢で映えるから、足を見せるような服でもよく似合っている。

 リナリナの姿を見たら、買い求めようとする令嬢がいてもおかしくない。


「服で足まで隠すなんて、前時代的よ。女性だって男性のように機能的な服を着てもいいはずだわ」

「そう、リナリナの言う通り!」


 何度も頷いて、ココは私を見た。


「カルディア姫の服装って、なんていうか地味ですね。お姫様ってもっと可愛い服着ているものだとばかり思ってました」


 今日のはギスランの仕立てではない。

 リストが侍女に命令して取りに行かせた私の服だ。地味めの色合いの方が、落ち着く。真正面からそう言われるとは思わなかった。確かに、地味だけれども。


「なんならあたしがつくってあげますけど……」

「遠慮しておくわ」

「あっ、そ、そうですよね。カルディア姫って王族だからあたしなんかに頼まなくてもいいか……」


 なんだか気安くないか、こいつ。どうにも不愉快だ。

 眉間に皺を寄せる。

 リナリナの気安さとココの気安さではなにか違う気がする。取り入ろうとしているのが、丸わかりだからだろうか。

 なるべく気軽に話そうとして、逆にそのぎこちなさでこちらが警戒するはめになる。

 リナリナだって私を利用したいのだろうけれど、彼女の場合それが自然体で出来ている。

 利用したいという邪念は伝わりやすい。だが、リナリナはこちらに気付かせない。

 対称的な二人だ。いや、対称的ではなく、優劣がついた二人なのか。


「ココってば、服のことになると猪突猛進になるんだから。カルディア姫、ココはわたしの一番の親友なんです。ココとも仲良くして下さいね」


 ココの目が少しだけ細まる。

 二人の関係は歪だ。リナリナの方が優位のように見えるが、彼女自体はココに依存しているよう。そうでなければ、宣誓をするように親友と口にするはずがない。ココはココで友達がいないのか、リナリナの言葉に安堵している。

 おかしな二人だ。平民の友達とはこんな奇妙な関係のことをいうのだろうか。


「それで、地下新聞を見せてくれるのではなかったの?」


 無闇につついて変に関わるのも面倒臭い。

 目当てのものだけ、見るに限る。

 実際に私が地下新聞をつくっているお仲間になるのは別として、身分制を廃止せんとする人々には興味があるのだ。自分自身に深く関わることであるし、平等な世界に関心がある。

 信念を持ち平等を成したいと思うのならば手伝ったっていい。そう思っている。


「その前に、質問に答えて下さい」


 応えたのはココだった。リナリナはそれに口出ししなかった。

 そういえば私が来たことを本当に、と言っていた。つまり、リナリナが連れてくると言っていたのだろう。ココも地下新聞の仲間なのか?

 続きを促すと、ココは眼鏡を押し上げて言った。


「リスト様はどうして平民がお嫌いなのですか」

「リスト?」


 唐突にリストのことを尋ねられ鼻白む。


「カルディア姫はリストと呼び捨てになさるんですね」

「リストのことをリスト様と呼べと? 私達は血縁関係があるのよ? 馬鹿にしているのかしら」

「ご、ごめんなさいっ」

「カルディア姫、ココは妬ましいんですよ」


 取りなすようにしゃしゃり出てきたリナリナを睨み付ける。


「ココはリスト様のことが大好きだから」

「……もしかして、お前がギスランにリストに会いたいと懇願した理由は」

「はい、ココがリスト様にお会いしたいって言ったから。でもリスト様はわたし達に会うなり、顔を顰めて去っていかれて」


 なるほど、ギスランに恋をしているリナリナがリストに言い寄ったとはこういうからくりがあったのか。

 ココは、リストのことが好き。そして、リナリナはココの恋を成就させようとギスランに、リストに会いたいと言った。

 ギスランはリストへの嫌がらせ半分、そしてリナリナからの信用を得る目的半分で、リストに接触させたのではないだろうか。


「当たり前ではないの。リストは王族よ、平族が突然現れ、馴れ馴れしく話しかけてきたらそういう態度を取るでしょうよ」

「リスト様はそんなことされません!」


 ため息を吐き出して、ココを一見する。

 リストに夢を持っているようだから、現実を突きつけるのは酷いことかもしれないが、あいつだって一端の王族なのだ。気位が高くて、容姿の通り傲岸不遜。平民へ振り撒く愛想を持ち合わせてはいない。


「リナリナ、お前もそう思うの? リストは平民女に声をかけられて、にこにこ笑顔で応対するような奴だと?」

「少なくともギスランはそうです」


 ギスランめ、女に尻尾を振るから、リストにまで風評被害が及んでいるぞ。


「あれは例外よ」

「カルディア姫、だからギスランをあれそれで呼ばないで下さい!」

「……はいはい、ギスランは例外よ。そもそも、リストは女が苦手なの」

「では、あたしが……平族が嫌われているわけではない?」


 それは、と流石に口ごもってしまった。

 リストが平民を嫌っているというのは、確かにあると思う。

 いつだったか、ギスランが、リストには平民を虐げる趣味がと言っていた。

 それは、おそらく誘拐事件が原因だろう。

 小さい頃、リストは誘拐されたことがある。七歳か八歳の頃だ。宰相の視察に同行して、その街で奴隷商人に拐われたらしい。

 リストは奴隷の印を刻まれ、売りに出された。買ったのは成り上りの平民の家だ。半端に裕福で、リストのような美しい子供何人も購った。リストはそこで、顔に傷をつくるような惨い目に遭わされたという。

 リストの目元の刺青はその傷を目立たせないようにするためのものだ。

 数十日後、軍がその平民の家に押し入り、リストは助け出されたが、憔悴しきっていた。

 帰って来てからもろくに食事を取らず、取らせるのに難儀した記憶がある。

 身体中に鞭の傷があったし、それに、リストを助けた軍人の話も聞いた。劣悪な環境で、同じように買われた子供達はほとんどが死んでいたらしい。どんな厳しい環境にいたのか、察するに余りある。

 王族であるリストを買い、身分不相応にも殺そうとした不届きな平民は一族ごと処断した。だが、同じ平民はこの国に幾人も存在する。たとえ、リストを虐げた人間ではなくても、同じ平民というだけで憎くなるのは仕方のないことではないだろうか。

 私も、平民をあまり好きではない。

 それはおそらく、私が平民にリストが虐げられたと聞かされたからだ。名前ではなく、身分を聞かされたから。だから、平民全てを憎く思う。


「リストに直接尋ねれば分かるわ。 相手にされたら嫌われていない、無視されたら嫌われているんじゃないの」

「では、カルディア姫。あたしをリスト様に紹介していただけますか」

「帰る」


 私にリストを紹介しろだと?

 厚かましいにもほどがある。

 私は伝書鳩ではない。そこまで斡旋してやる義理はない。


「待って。貧族と密会していたことを喧伝してもいいんですか」

「お前こそ、国賊として一族郎党殺される準備出来ているの? 斬首のあとに土葬。屈辱的な最期ね」


 リナリナのあとにココを見遣る。

 分かりやすく目線を逸らされた。リナリナには覚悟があってもココにはないのだろう。


「私は淑女としての格を失うだけ、でもお前達は? もっと大切なものをなくすことになるでしょうに」

「……リスト様に取り次いで欲しいというのは冗談です」

「もっとましな冗談を言いなさい。不愉快だわ」

「ご、ごめんなさい」

「リナリナ、お前も、勘違いしないで。私を恐喝しているつもりならばやめなさい。お前と取引きするよりも、お前の口をふさぐ方が簡単だもの」

「それは……わたしを殺すということ?」

「どういうことかはその頭でよく考えることね」


 本当に帰ってしまいたい。革命を起こそうとする彼らへの興味が、俗っぽいリナリナ達のおかげでなくなりかけている。勿論、革命を起こしたい彼らの動機が、突き詰めれば俗っぽい利己主義なものだということは理解している。

 だが、リナリナ達は身分制度の崩壊がこの国は低迷させると分かっているのだろうか。

 私も、平等への憧憬を持っている。もし、私の理想と沿えば、手を貸してもいい。だが、それは願望だ。

 冷静に平等を考えると様々な問題が生じる。労働者の確保、主導者は誰にするのか、どんな統治体制にするのか。

 平等にしたいのだといくら言っていても、実現できなければ意味がない。王政を廃したはいいが、ろくに改善も出来ずに王政へと戻してしまった二百年前と同じ轍を踏みたくない。

 侵攻している砂漠の蠍王も問題だ。国が荒れていれば、これ幸いと攻めかかってくるだろう。


 危機感がリナリナ達から欠落している。私を脅すような言動を軽々しく行うのも、私にリストに引き合わせろと言うのも、軽率すぎる行動だ。

 リナリナ達が末端の構成員だからだろうか。

 そもそも、地下新聞を作っている人間がなにをしたいのか、そしてしているのか、知らない。彼女達の活動は、平等の実現が可能なものなのだろうか。



「新聞を見せて。私はその為にここにきたのだから」

「興味があるんですか、わたし達の活動に」

「勿論よ、平等になりたいというのはつまり、身分制度の廃止よ。身分の象徴である私が気にならないとでも?」


 リナリナはやっと新聞をみせる気になったのか、物陰へと消えていく。ココが話けてきたが応対はしなかった。

 リナリナが手に持って帰って来たのは紙の束だ。薄い青文字で印刷されていた。数十枚あるようだが、一枚一枚は、やけに薄い。粗い紙で作られているようだ。

 リナリナから受け取り、一度目は流し読みで大雑把に目を通していく。

 二回目、よくよく確かめて内容を確認する。

 三回目、見落としではないと目を皿のように細めて、端から端まで見た。

 新聞から顔を上げる。

 リナリナも緊張しているようで、何度も手をこねくり回した。


「どうですか、素晴らしいでしょう」

「素晴らしいーー素晴らしいね」

「ええ、沢山の人に賛同を得ているんです。この新聞」

「そうでしょうね」


 かわいた笑みがこぼれた。

 リナリナはなにを勘違いしてか、にっこりと太陽みたいな神々しさで笑う。


「カルディア姫も賛同して下さるでしょう?」

「この新聞を?」

「ええ、そうです」


 私から新聞の束を受け取り、リナリナは愛おしそうにそれを撫でた。


「わたし達は平等を愛している。この国は誰もが平等になるべきなんです」

「そう、そうね、その通りだわ」

「カルディア姫! やっぱり分かって下さったんですね」


 私はリナリナが持つ新聞に視線を投げた。

 燃やしてしまいたい衝動に駆られる。

 イルの言葉が蜂の羽音のように音を立てて、頭の中を飛び回る。


 ーー生きている世界が違うから。

 ーー貴族や王族を倒しても、いいや、倒さなくても、貧族のやることは一つしかない。死ぬまで働き続けること!

 ーーだから、地下で暗躍している馬鹿どもとは共闘などしない。


 新聞には平族がどれほど虐げられているかが書かれていた。

 貴族に手をつけられ、子を孕んでしまった。

 鞭を振るわれ、全身鞭の痣だらけ。

 子供が貴族の乗る馬車に轢かれた、糾弾されるべきだ。

 貴族にむしり取られたお金を義賊が取り返してくれた。


 この新聞には、貧族のことが一つも載っていない。話題にすらなっていない。

 まるで、貧族などいないように、平族の不幸話が延々と書かれている。

 そしていつも最後にはこう書かれているのだ。

 全ては身分制度が悪い。私達が虐げられる原因は身分制度だ。

 物価が高いのも、妻が隣に住む男と不倫しているのも、家にいる鼠がうるさいのも、顔は綺麗なのに貴族の男が求婚しにこないのも、全て身分制度のせい。

 だから、平等になるべきなんだ。


 新聞はそんなことばかり、書かれていた。

 これは、平民の読み物だ。

 平民が読んで、楽しむものだ。


 わたし達って、誰のことなんだろう。

 誰もが、平等になるべきだと言う。平等になるべき、誰もとは誰のことだろう。それは、平民達のことだけなのではないのか。

 欺瞞だ、と思った。平等になりたいのは自分達だけ。それを綺麗な言葉でーー誰もがなんて気取った言葉で耳障りをよくしているのではないのか。


 ああ、でも。

 胸が大きな音を立てた。

 それは、私も同じではないのか。

 平等をと、願うのは、自分が平等になりたいだけなのではないのか。他人なんてどうでもよくて、自分だけが泥沼のような現実から抜け出したいだけなのではないのか。

 私が王族でいたくないと思っているだけなのではないのか。


「分かって下さると思いました! よかった。カルディア姫も今日からわたし達の仲間ですね」


 ぼんやりとした私に、リナリナの嬉しそうな声が浴びせられた。


「無理よ」


 仲間になんか、なれるはずもない。

 私は平民ではない。平民の待遇をよくしようとも思わない。やるとしても貧民の方が先なのではないのか。貧民を一人残らず平民にした後で、平民の地位向上を図るべきなのではないのか。

 だが、リナリナには声が届かなかったようだった。興奮しすぎて、私の声が届いていない。

 私の手を痛いほど強く握って、赤面した顔でありがとうと何度も言われた。

 どういっても自分の都合のいいようにしか聞こえていないようだった。

 閉口して、彼女をまじまじと見つめる。

 どこかで見たことがあるようなヒステリックな光景だった。

 私だってヒステリックなたちだが、だとしてもこれは異常ではないのか。

 ある程度のところで無理矢理会話を断ち切り、別れの挨拶もそこそこ、逃げ出した。

 いつまでもあの部屋にいたら、私の頭がどうにかなってしまいそうだった。






「あ」

「え?」


 平族の寄宿舎を出て、なんとなく学舎に続く回廊を歩き回っていた。サロンに帰ると、またいたたまれないだろうし、花園へは行く気になれなかったのだ。

 でもまさか、ハルと会うなんて思ってもいなかった。

 ハルも私と顔をあわせると渋い顔をした。

 その表情に一歩、足が後退した。どう、話しかけたらいいのだろう。

 迷っているうちに、ハルが軽く頭を下げて走り去っていこうとする。


「ま、待って!」


 大きな声で呼び止める。

 ハルはびっくりしたように動きを止めて、後ろを振り向く。


「私、なにかハルにひどいことしてしまった? わからない。言ってくれなければ」


 逃げ去った分だけハルが踵を返して戻ってくる。私も、一歩近づいた。


「イルが言っていたの、見ている世界が違うって。私とお前では、感じ方も違う。私、お前のことがもっと知りたい」


 ハルは息をのみこんだようだった。

 ムスッとした顔をして、相変わらずぼさぼさの髪をかき混ぜる。


「やっぱ、あんた変。変だよ」

「変でもいいもの。ねえ、教えて。なにか、いけないことをした?」

「……くれようとした」

「くれる? ああ、耳飾りや首飾りをあげようとしたわね」


 それがどうしたというのだろうか。


「俺、あんたからなにか欲しかったから、連れていったわけじゃないよ」


 瞬きが、止まった。

 ハルの意地が悪そうな瞳をじいっと見つめてしまう。


「あんたが差し出そうとしたとき、心が凍った。俺は乞食に見えた? 欲しがってそうに見えた?」

「……見えなかった」

「俺も、欲しくなかった。だから、あんたに俺がそんな風に見えてたのかって、落ち込んだ」

「そんなつもりじゃなかった、けど、その、そうよね、そう捉えるわよね、普通」


 なんてことをしているんだ、私は。

 何かを施す、それがどれだけ上からだったか。ハルの気持ちを踏み躙るものだったか。しかも、それをよかれと思ってやっているのだ。

 過去に戻って殴り飛ばしてやりたくなる。


「ごめんなさい、ハル」


 素直に謝罪出来たことが我ながら意外だった。


「私は、お前が喜ぶと思った。物で、お前の気持ちを惹こうとした」

「俺は、物を貰っても喜ばない」


 モニカにも同じようなことをしてしまった。

 だから、泣いてしまったのだろうか。


「ではなにをしたら喜んだ? 教えて欲しい。次はそれをやるから」

「じゃあ、俺に歌うたって」

「歌?!」


 いや、それは……。

 つい、目線を逸らす。歌は、駄目だ。踊りならまだましだが。


「俺の歌、あんたは聞いただろ。なら、俺だってあんたの歌聞いてもいいよね。貴族の歌に興味あるし」

「ハル、私は聖歌隊でもないし、歌の練習をしているわけではないのよ。そりゃあ、聖歌は歌っているけれど、義務の範囲で」

「ぐちぐち言ってないで、歌いなよ」

「今?! 練習ぐらいさせなさいよ」

「なんで、歌うのに練習なんか必要なの?」


 歌が下手だからに決まっているでしょうに!

 王族には歌が上手い奴など存在しない。血に歌が下手な因子が流れているのだと思う。耳だけは肥えているから、自分の音痴さに気が付いているのが救いだ。

 リストだって音痴だ。ピアノやヴァイオリンは演奏できても、歌になると猫がくしゃみしたみたいにひどい。

 私も例にもれず残念な歌唱力しか持っていない。


「ハル、やっぱり他のことにしましょう」

「俺は歌って欲しい」

「私、あまり上手くないわ。歌えるのも、貴族の歌ではなくて聖歌だけだし」

「じゃあ聖歌でいいよ」


 なんでそんなに歌わせたがるんだ、ハルは!

 くそ、こんなことになるならば、きちんと練習してきたのに!


「きかせてよ、だめ?」


 喃語をこぼして、小さく頷く。

 きっと、途中で耳を塞ぐに違いない。

 ハルの美しい歌に比べれば、ヒキガエルの声に違いないのだから。


「じゃあ、マルディの『天帝の凱旋』第二十章を歌うわ」


 ハルはぱっと嬉しそうな顔をした。


「天の王よ、我らの上に座する、不倒の王よ。その瞳は蝋のように白く、体は鷹のように強靭な羽に覆われている。万雷の拍手があなたを包む。蛮神を退け、連綿と雲の間をーー」


 我ながら、ひどい。

 錆びたオルゴールが鳴っているみたいだ。

 胸の前で手を組む。

 途中でやめてしまおうか。

 ちらりとハルを見遣る。

 ハルは唇を引き結んでいた。

 やっぱり、きいていられないのだ。


「やめないで」


 歌を止めてしまった私にハルはそう言った。


「ひどいけど、止めていいって言ってない」

「でも」

「いいから、止めないでよ」


 ハルに促されて、続きを歌う。

 すべて歌い終わると、ハルは下手だったと率直な感想を述べた。


「知っているわ! だから歌いたくなかったのに!」

「でも、嬉しい」

「なんでよ! 耳が壊れちゃうかと思ったでしょう?」

「あんたが俺の為に歌ってくれたから」


 な、なんだ?

 顔がじりじり熱くなってきた。

 ハルの言葉って、変だ。言い返せなくなる。


「俺も、ごめん。あんたから逃げた。許してくれる?」

「……お前も私に歌ってくれたら、許す」


 ハルはうんと微笑した。

 熱を持つ頬を擦る。どうしたというのだろう。顔が熱くてたまらない。今すぐ水を被ってしまいたい。

 天使が歌ったような美しさに溢れた声が紡がれる。鎮魂歌のように厳かな雰囲気の歌だった。貧族の間で伝わるものなのか、聞きなれない歌だった。



「月曜日の水葬は嘆くものがいない。火曜日の水葬は金の心配がない。水曜日の水葬は丁寧で、恵まれて。木曜日の水葬は鐘の音とともに。金曜日の水葬は親愛に溢れ。土曜日の水葬は夜に行われ。日曜日の水葬は聖職者が祈りを捧げてくれる」


 人を惑わす、人魚の歌声。

 もしかしたら、ハルは体のどこかに鱗を隠し持っているのかもしれない。

 そんな馬鹿げた妄想を膨らませてしまうほど、ハルの歌は凄まじい。

 いくら金を積んでも聴きたいと思う人間がいるのではないだろうか。

 それを、ハルは私の為だけに歌ってくれている。


「歌ったから、許してくれる?」


 余韻に浸っていた私をハルが覗き込んできた。長身のハルが屈んだからだろうか、ハルが幼く見える。

 相変わらず、よれよれのシャツが視界の端に映る。


「もちろん」

「そ? ……よかった」


 シャツの皺を引っ張って伸ばしてやる。ハルは背筋もだが、服もピンと伸ばすべきだ。

 髪についた埃もとってやる。いったい、埃なんてどこでつけたんだろう。


「じゃあ、仲直りしましょう」

「なんで、小指を出すの?」

「仲直りするときは小指を絡ませるの。知らないの?」


 ハルは知らなかったようで、おずおずと小指を差し出してきた。

 硬い皮膚に触れる。ハルの体温がじんわりと私を侵食していく。


「女神カルディアは人々の小指に運命の糸を巻きつけるんですって。喧嘩別れしてしまうとその糸は切れてしまうの。だから、もう一回小指と小指を結んで、糸を結び直す」


 ハルは不思議そうに小指を見た。

 初めて、この話を教えて貰った時の私もこんな反応をしたような気がする。


「なんだか、どきどきするでしょう? 一度切れた縁でも、二人が望むならばやり直すことができるの」

「……うん、どきどきする」


 果実にかぶりついたみたいに甘酸っぱい気持ちが胸に広がる。

 ハルの体温が私の体温と同調して、ひとつになっていく。

 ハルの胸に手を当てたくなった。本当にどきどきしているのか、確かめてみたい。


「あんたの手、凄く熱い。俺、燃やすつもり?」

「ハルの手だって、凄く熱いわ」


 二人して指を蠢かせて、赤面する。

 なぜこんなに恥ずかしいのか、よく分からない。けれど、ハルと仲直りできて嬉しい。

 あっと胸中で声をあげる。

 ハルの瞳は春の色だ。匂い立ち咲き乱れるような薄紅色。

 もしかして、この瞳の色がハルの名前の由縁だろうか。

 汗の臭いのなかに、花の匂いがしている。

 ハルの臭いだ。取り留めのないことをつらつらと考える。そうしないと、のぼせて仕方がなかった。



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