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どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。  作者: 夏目
一章 『夜の女王とミミズク』
17/104

17

 



 貧族達は普段夜更かしなんてしないのだろう。みんな健やかな寝息をたてて寝入っている。貴族と違い、労働義務があるから規則正しい生活を送っているのだろう。

 音を立てないように外へ抜け出す。

 朝日が顔を出していた。空を染みるような光で満たしていた。

 吹き付ける風が冷たい。

 大きく伸びをして、小屋へ足を運ぶ。

 小屋の中には、モニカがいた。

 彼女は私の服を着て、装飾具を身に纏っていた。驚く私には気がつくと、みるみるうちに青ざめ始めた。

 薄桃色の霞でもあるように瞳が潤んでいる。絶望だと言わんばかりに私を一心に見つめてくる。


「似合っているわ」


 なるべく穏やかに、笑いかけた。

 モニカは体を硬直させ、涙を溜めて泣こうとし始めた。

 慌てて、彼女の目から落ちる涙を指で拭き取る。ギスランみたいに宝石に変わらないなとぼんやりと思った。


「本当に似合っているわ。怒っていないから、泣かないで」


 何度も謝るような仕草をされる。

 その時、やっと気が付いた。モニカは喋れないのか。


「なんなら、全てあげてもいいわ。ねえ、だから泣かないで」


 泣かないで欲しい。泣き止ませ方なんて知らないのだ。

 モニカは装飾具をとって渡してくる。そして、服を脱ごうとした。首を振って、もう一度、装飾具をつけてあげる。

 髪の毛を手櫛で整えて、一度くるりと回らせた。


「うん、可愛い。モニカは立派なご令嬢ね」


 モニカは華奢だし、顔つきもかわいい方だが、そばかすがある。だが化粧をすれば舞踏会に出ても通用しそうだ。

 丸くなる背筋を伸ばさせる。

 こういう時、ギスランならもっと上手に褒めることが出来るんだろうけれど、私は何を言っても的外れなことして言えない気がする。

 それに、同じ女からの賞賛って嬉しいのって感じよね。

 貴族の世界じゃあ褒めているようで貶しているというのはざらにあることだもの。


「ああ、違うの、責めているわけじゃないのよ」


 ぽたぽたと大粒の涙を流すものだから、困る。

 袖で拭う。少し痛いだろうけれど、我慢して欲しい。


「お前も私と同じ人間なのだもの。綺麗な服で着飾りたいはずよね」


 やはり、何も変わらない。私も、モニカも同じだ。

 女なのだから、恥ずかしいことではない。誰よりも美しくなりたい。美しさへの欲望は誰もが抱くこと。

 モニカの手を触る。驚いた。手の皮が硬い。

 労働者の手だ。土を触り、家事をするものの手。

 舞踏会に参加する高貴な人々には拒絶されるだろう。手袋をしたほうがいい。でも、ハルだったら平気だろうか。

 カンドがモニカはハルの恋人候補だと言っていた。ハルは私を貴族だと誤解している。そんな人間を信用が置けない人間に紹介しないだろう。だとしたらハルにとって、モニカは特別な人間ということではないだろうか。


 ハル、踊るの下手そうだけど。

 踊りを教えてやってもいい。せっかくだから、この格好で二人で踊ってみたらどうだろうか。


「ハル、呼んでくる? 二人で踊ってみたら?」


 モニカは呆気にとられたような顔をして、なぜか怯えるように頭を振った。

 なんで、そんなに怯えるのだろう。今ならば貧族達は寝ているのだ。絶好の機会ではないのか。

 何度か勧めてみたのだが、モニカは首を縦には振らなかった。そればかりか、装飾具も、服も私に返そうとした。あげると言っても頑なに受け取らない。

 せめてと、ミミズクから貰った花冠を頭にのせてやる。喜ぶと思ったのに、どうしてだろう。嗚咽を漏らして泣かれてしまった。



 泣き声を聞きつけたのか、ハルが顔を覗かせた。

 モニカを見るなり、渋い顔をしてもっさりとした頭を掻く。


「……」


 私が泣かせたと思っているだろうか。

 ギスランはよく泣かせたが、違うのだ。

 弁明とはどうやってするのだろう。

 あたふたする私にハルが服に着替えるように言った。

 頭を引っ込めたハルになにも言えないまま、泣いているモニカに手伝ってもらい、ドレスに着替えなおした。





 話しかけ難い……。

 モニカが泣いていたせいか、ハルの表情は強張っている。

 私が泣かせたのではないと言っても信じてくれなさそうな雰囲気だ。

 着替えを済ませて、ハルが花園まで案内してくれることになった。貴族の寄宿舎に案内しようかとハルは言ってくれたが、貴族の目があるとあとあと厄介だ。

 それに、貴族達の反応で私が王族だとばれる可能性がある。だから、花園を指定した。

 その行為が、なぜか後ろめたい。王族だと言ってしまえば、ハルとこんな風に歩けない気がする。

 三歩下がって、恭しく従者のように従われたら、きっと立ち直れない。

 貧族達を知る前だったら、絶望なんかしなかっただろう。だけど、今の私は彼らに敬われるような人間でないと知ってしまった。

 むしろ、彼らより劣った人間ではないかとさえ思うようになっている。

 モニカに慰め一つ言えなかった。


「あのさ、あんたのせいじゃないよ」


 花園について、ハルが言った。


「モニカは、あんたのせいで泣いたんじゃない」


 屈んで、近くにあった花の様子を観察している。真似するように、私も屈んだ。


「モニカはいつから声が出せないの?」

「一週間前ぐらいから。精神的なものだって、イルは言ってた」

「そう。……ありがとう。私をあそこに連れて行ってくれて」

「あんた、馴染んでた。カンドも気に入っていたし、イルだって。イル、人嫌いだから、あんまり人に絡まないのに」


 イルが絡んできたのは、私が貧族じゃなかったからだろう。警戒したのだ。貧族達の憩いの場を命令一つで潰されるのを恐れたのだ。


「……昨日のあんたはこの世が終わったみたいな顔してたけど、今日は人が死んだって顔ぐらいだね」

「ましになっているの、それ」

「一応。……えっと、まだ落ち込んでる?」


 ハルが覗き込んで来る。

 努めて、明るく笑った。


「もう、大丈夫」

「そう」

「ハル達と一緒にいれて楽しかった」

「そう」


 隠しきれない喜びが、ハルの「そう」には含まれていた。胸が疼いた。ハルの「そう」が、飛び上がりたいほど嬉しい。


「俺も連れていった甲斐があった」

「なにか褒賞を与えましょうか? 今持っているものは、耳飾りや首飾りぐらいしかないけれど」

「ーーいらない」


 冷たく言葉を落とすと、ハルは立ち上がって寄宿舎の方へ走って行ってしまった。

 驚く暇もなかった。ハルの背中がどんどん見えなくなっていく。

 小さくなっていく背中がついて来るなと言っているようで、動けなかった。




 王族の寄宿舎へ戻り、気分転換をする為に湯を浴びた。だが、ハルがなぜ怒ったのかが分からなくてもやもやするだけだった。

 彼らのことを理解したつもりでいた。でも、まだ全く知らないのだろう。理解は何日も何年も積み上げるものなのだろうか。それとも、何日も何年もかけても、理解などすることは出来ないのか。

 貴族のことは、自分のことのようによく分かるつもりだ。清族はよく知らないが、それは清族故だ。彼らの価値観は一般から大きく外れている。

 だが、平族以下となると予想もつかない。

 イルに言われたことが蘇る。

 同じ目線で見ることができないのか。



 部屋に戻る気はなかった。

 リストの部屋の前にいた守衛達にお願いして、なかに入れて貰う。

 リストは午後前に戻る予定らしい。それまで部屋で待つと伝えてくれと伝言を頼んだ。

 相変わらず、真っ青な部屋。


 本棚に近付く。

 本棚から面白そうな本を見繕う。

 背表紙に目を滑らせる。ほとんどが軍事関係の書籍だった。

 ダンが言っていた面白そうな本というのは、戦術書のことか。

 ぱらぱらとめくってみたものの、専門用語の羅列に頭が痛くなってきた。元に戻して別の本を探す。

 下の段に戦記本を見つけ、取り出す。

 砂漠の王の遠征を纏めたものだ。

 ソファーに腰を沈め、本の頁を開く。

 本の世界に逃げ込めば、なにも考えずに済む。


 ーー貧民達と一緒に騒いだ、楽しかった。


 なぜだろう、いつもわくわくしながら捲る頁が褪せていた。



 気が付いたら、うつらうつらと船を漕いでいた。

 誰かが、髪を梳いてくれている。

 小さい頃、母がやってくれた。

 あの悪夢のような日がくるまで。

 優しい手つきで、いい子と褒めてくれた。

 ーー眠っていいのよ、カルディア。

 もっととねだる。

 お願いだから、夢よ、覚めないで。

 うつつに戻れば、安らぎを失ってしまう。

 母があの女にーー。





「ーーまだ見つからないか」

「申し訳ありません、リスト様」

「謝罪より有意義なことをしろ。このままでは軍の威光は失墜する」

「しかし、いったい誰があのクスリを強奪したというのか。やはり、騎士団の連中が関わっているのでしょうか」


 ぼんやりとした意識が、声をひろいあげる。


「かもしれん。だが、そうなれば厄介だ。空の権利は我らにあることを認めぬ強欲な輩らどもは、よほど天にその下劣な姿を晒したいらしい」

「天帝が悪事のすべてを明らかにする前に、我ら軍が彼らに罪を与えなければなりますまい」

「勿論だ。天にまします神が神罰を下されるまでもなく、騎士団に引導をくれてやる」


 指が髪を撫でる。

 気持ちがいい。


「だが、騎士団だけで事を起こせたとは思えないな。道楽か、それともなにか目的があってか、貴族の影がちらつく」

「リスト様はロイスター卿が怪しいと思われておいでですか」

「……さて、どうだろうな。ロイスター卿はともかく、息子のギスランはきな臭い」


 問いかけられた男は戸惑ったように沈黙した。

 ギスラン。

 そうだ、ギスランの話をリストとしなければ。

 でも、眠い。

 一晩中起きていたからか、意識が浮き沈みしている。


「引き続き、ロイスター家には注意を払え。次、空賊の情報についての報告をーー」


 あ、駄目だ。優しく撫でられると、眠気が襲ってきた。

 横転してしまったように、意識が白んでいく。




「カルディア」


 ばっと目を開き、状況を確認する。

 尖った顎が、間近にあった。

 目元には赤い刺青。傲岸不遜そうな顔立ち。

 赤い髪先が肌を撫ぜる。


「リスト」


 赤い瞳がゆっくりと細まる。安堵をその細まる瞳から感じ取った。


「お前、俺の部屋を避難所だと思っているのか」


 言葉はきついが、言い方は羽ペンで擽るように優しいものだった。

 寝惚けた頭で気がつく。

 リストはいつも、他に誰もいない場所で二人っきりになると甘やかすような声を出す。

 今は二人っきりなのだ。


「ギスランと喧嘩したな? お前が俺の部屋でふて寝している時は昔からそうだ」

「ふて寝なんかしてないわ」

「ではなぜ俺の部屋へ? ああ、言っておくが、お前の大失態については聞かせてもらった。俺がお前を慰めるという展開は期待するな」

「慰めて貰いに来た訳でもない!」

「では俺のお姫様は一体なにをしにここでだらんと猫のように寝ていたんだ?」


 からかうような呼び名に頭の先からつま先まで炙られたような羞恥が襲いかかった。


「ギスランについて話があったのよ!」

「ギスランについて? あいつが今、この学校にいないからか」


 えっと目を見開いてしまった。

 瞳孔の拡張に気付いたリストは訝しんだあと、気が付いたように頷いた。


「知らないのか。あいつはコリン領に行っている」


 コリン領。ギスランの親戚が統治していた領だったはすだ。

 ライドル王国の北東に位置する、隣国アルジュナと隣接する防衛拠点でもある。コリン領は現在、ギスランの父、ロイスター公爵に管理されている。親戚には子供がおらず、縁者であるギスランにコリン領の譲渡を行ったのだ。だが、ギスランはまだ成人を迎えていないので、親であるロイスター公爵が管理している。


「コリン領には飛行石が採れる。明後日、大掛かりな飛行石の運搬があるらしくてな、それを狙って空賊もやってくるらしい。ギスランは空賊討伐隊の指示を出すために昨日の夕方からこの学校を発っている」

 。

 リストは苛立ちを滲ませた声を出した。


「軍も加勢しようと中隊を送る予定だったが、あいつめ、コリン領は軍の介入を望まないと言ってな。空賊討伐は軍の仕事だというのに。無理矢理送ると息巻いていたところにこの豪雨だ、あいつは天帝に憎たらしいほど愛されているらしい」

「豪雨?」

「三時間ほど前から降っている。ここは清族が結界を張りしのいでいるが、ファミ河が氾濫し、付近の住宅は残らずのまれた」


 王都にも流れるファミ河の氾濫。

 指の先がぴりりと痺れた。

 付近の住宅は貧民や平民のものばかりだ。


「そう……」


 死者が生者となるさかしまな世界。天が荒れ、水が溢れーー。


 ミミズクの声が聞こえた気がした。

 背筋がぞわりと寒くなる。

 私は今、なにか変なことを考えついた。


「それで、ギスランについての話とはなんだ」



 変な妄想を振り払い、ハルや貧民の寄宿舎に行ったことは省いて、昨日あったことを喋った。ついでに、ギスランに直接聞き出すことも伝える。

 すべてを話終えて、リストを見遣る。

 複雑そうで、それでいて面倒くさそうな顔をして、ぶすっとしている。


「ギスランとサラザーヌ公爵令嬢がお前を謀った、ねえ」

「本当だもの!」


 片目をつぶり、茶化すように微笑まれる。


「ではギスランに愛想尽かしたか。俺と婚約し直す?」

「お前、私は本気で悩んでいるのよ!?」

「俺も、別に冗談で言ったわけではないが」


 真面目な顔をだんだんと崩し、リストは美しく笑った。


「ギスランがお前を謀ったとは思えんが、もしギスランがお前を裏切ったならば許せないな」

「思えないって……でも、じゃあ私が見たものはなんだというのよ」

「分からん。だがな、カルディア。俺が疑心を植え付けたようだから弁明しておくが、ギスランが鳥人間をお前に差し向けたということはありえない」

「なぜ?」


 リストは誤魔化すように私の髪を撫でた。

 子供扱いだ。体を起こそうとしたら、肩をぽんと押された。ひっくり返るように、そのまま背中が革張りのソファーに戻る。


「あいつがお前を殺そうとすると思うのか?」

「分からないじゃない」


 心は見えないものだ。

 ハルが怒った理由さえ検討のつかない私が、人の機微をうまくつかめるはずがない。

 人の心は移ろいやすく、曖昧なもの。

 ギスランが私に愛想を尽かしても、無理はない。


「疑うことは簡単だな? 信じることは難しい」


 戒めるように、リストが厳かに言った。


「ギスランを信じろというの?」

「あいつは、お前に疑われれば自害したくなるに違いない」

「それは……」


 ギスランが本当に私に敵意なく、むしろ好意を抱いていればの話だ。

 お茶会のとき、ギスランは誰が見ても怒っていた。

 もし、サラザーヌ公爵令嬢とのことが誤解であったとしても、ギスランが私に微笑みかけたりしないだろう。


「なぜ、リストは自信満々にギスランのことを語れるの」


 口から吐き出された言葉には自分でも嫌になるぐらい険があった。


「俺もあいつと同じだからだ」

「どういう意味?」


 意味が分からん。

 リストとギスランが同じだったら、私の周りには性倒錯者しかいなくなるじゃないか。


「まさか、リストも被虐趣味が?」

「おかしな妄想をするな、馬鹿」


 頬をつねられた。

 じゃあ同じってどういう意味だ。

 困惑する私に、リストはまたもや誤魔化すように髪を撫でた。


「ギスランがお前を殺す、あるいは貶めるつもりならば、もっと効率的な方法がある。あいつには優秀な手駒がいる。鳥人間をつくり、お前を害そうとする必要はない。そして、鳥人間からお前を守る必要もな」

「それを言うならば、鳥人間についてはおかしなことばかりではないの? まるでこの学校を使って実験でもしているような……」

「実験?」


 浅く吐息を吐いて、不明瞭だった考えに言葉を当てはめる。


「私を殺すというよりは鳥人間を使うという方に比重があるような気がするの。だって、リストの言うように鳥人間を使わない方が確実だもの。実際、私のかわりに人が死んでいる」

「なるほど。確かに、その意見は正しいだろう。だとしたら、ギスランへの疑念も晴れたか? あいつがこの学校を実験場にする利点がない」

「そうよね」


 深く考えれば考えるほど、鳥人間に関しては疑問が浮かぶ。

 いったいなぜあんなものが学校を徘徊したのか。

 なぜ、何体も存在したのか。

 見えない箱の中に手を突っ込んで、中身を探り当てているような気分だ。


「そういえばクスリってなに?」

「起きていたのか」


 意識が薄れる前、確かにリストがクスリについてギスランが怪しいという発言をしていた。

 もしかして、なにか関連があるのではないか。

 リストはわずかに眉を顰めた。


「ギスランが関わっているのでしょう?」

「……そうだと思っている」


 動きが鈍くなる唇をなんとか開かせたい。

 ざらざらした自分の唇を湿らせる。



「いいじゃない、聞かせなさいよ。どうせ、聞いてきたのだから」

「機密情報だ」

「私が寝ているのに話し合いしたのが悪いわ」

「仕方ないだろう。この学校を出れば豪雨なんだ。軍施設にも戻れない。安全に話が出来る環境は俺の部屋しかなかったのだから」

「私がいるのに?」


 口の端が歪む。

 リストは私への答えを盗み見るように斜め上へ視線を投げた。


「お前が寝ていると思ったんだ」

「ふうん、そう」


 ばつが悪そうに眉を顰めたリストの耳は、雪のなかを走り回ったように真っ赤だ。

 リストの赤い髪を触る。

 そのまま刺青がはいった目元に指を這わせる。


「でも起きていたわ」


 髪と同じ瞳が瞬いた。水面を覗き込んでいるように、その瞳は光を反射させ潤んでいた。


「……分かった。話してやる」


 見たことがない凄みがある表情を浮かべた。眦に発情に似た色気が滲んでいる。

 リストは時折、婀娜のように笑う。

 そのときの、誰にも見せたことがないだろう下卑た顔が好きだ。

 この男の暗部を覗いているようで、軽蔑と興奮を同時に呼び起こす。

 顎まで指を滑らせる。リストは少し、びくついた。


「……お前は、我が国が現在戦争をしていないことを知っているな?」

「ええ、ライドル王国はこの三年、戦争を行っていない」


 そのかわり植民地であるロスドロゥ国がライドル王国と敵対する砂漠の国と戦争を行っている。いわゆる代理戦争だ。

 ライドル王国は物資援助というかたちで、戦争に参加している。

 リストは、私の考えを読んだようにこくりと頷いた。


「ロスドロゥ国は後進国だ。技術ーー武器にしろ、医術にしろ、なにもかもが前時代的だ。いっそ、野獣のようでもあるな」

「この大陸にライドル王国よりも進んだ国はありはしないじゃない」


 もともとライドル王国は他国よりも一歩抜きん出た存在であったが、ヴィクター・フォン・ロドリゲスの発明により、百年、ライドル王国を越える国は現れないと言われるほど比類なき文明国となった。

 ライドル王国最大の最盛期と言われる今世では、いまだ筏に乗って生活するロスドロゥ国とは大きな隔たりがある。


「クスリというのは、医薬品ということなの?」

「いや、魔薬だ」


 魔薬という単語に、眉を顰めてしまう。

 魔薬とは、麻薬と似たものだが、麻薬と違い、魔力を帯びる。

 魔石を砕いたときに落ちる粉を集めたものだ。体に取り込むと、一時的な体力向上や魔力増幅が出来るが、好戦的になり、大量摂取すると死に至る。また、犯罪の誘発にも繋がるので百年前にライドル王国では使用禁止になっていた。使用者には重い罰則がかかる。


「まさか、ロスドロゥ国に魔薬を送ろうとしていたの?」

「ロスドロゥ国では魔薬の使用は禁止されていない」

「だからって! 危険なものでしょう?!」

「使用頻度を控えれば、恐れるものではない。それにロスドロゥ国が是非にと言ってきたんだ」



 言葉が紡げず、押し黙る。

 おそらく、国の醜悪な部分を覗き込んでいる。

 戦争を続けされるために、魔薬を送ろうとしているのだ。

 砂漠の国はまるで蠍のような王を頂きに置き、周りの国を食い潰している。

 この五年でその領土は三倍に跳ね上がり、いまやロスドロゥ国を挟んだ周辺国の仲間入りを果たしている。

 その勢いは凄まじく、ロスドロゥ国はライドル王国の後押しがあるにも関わらず、敗戦に敗戦を重ね、領土は三年のうちに半分削られ、死者は六十万人を越えたという。

 兵は疲弊しているだろうし、血気盛んに攻めて来る蛮族達に恐怖を抱いているだろう。

 それを魔薬の力で麻痺させ、強制的に士気を上げ、戦争に参加させるつもりなのか。


 女は政と戦争の話には口を出してはいけない。

 二つとも男の仕事で、女は馬鹿のように微笑みを浮かべていればいい。

 毎日のように家庭教師が教え込む言葉が、憤る私の頭の上にしとしとと落ちてくる。

 所詮は他国のことだ。それに、ライドル王国が戦争をしないためだ。

 唇を叩く言葉達をのみこんで、強引に自分を納得させる。

 私が憤然とリストを責めたところで、なにも変わらない。むしろ、お前に何が分かると、責められたら反論が出来ない。

 戦うのはいつだって男で女は蚊帳の外だ。分からないと言われればその通りだと返すしかない。



「だが、そのクスリが二ヶ月前、何者かによってごっそり奪われた」

「何者かによって?」

「クスリを管理していた清族と軍関係者は記憶忘却の効き目がある魔薬を服薬させられていてな、当時の記憶がなくなっていた。およそ六千人分の魔薬が忽然と姿を消した」

「それって、凄くやばい状況よね」

「ああ、だが、あまり表沙汰にはしたくない」


 空の覇権争いか。

 騎士団と軍でどちらが主導権を握るか、競っている。今は軍に傾いているとはいえ、今回の不祥事が露呈したら、一気に騎士団へと天秤が傾きかねない。魔薬を空賊が盗んだのではないかと言われたら、なおさら危うくなるだろう。

 騎士団は声高に叫ぶ。

 我らこそ空を守るに相応しいと。

 そうなってしまえば、騎士団が空の権利を得ることとなってしまうかもしれない。


「なぜ、ギスランが怪しいと思うの?」

「……確証があるわけじゃない」


 顎を撫でると、ぴくりと肩が波立つ。

 目の縁が赤く色づき、逃げるように顔を背けられる。

 こらと叱りつけたくなる。なぜ、そうびくびくするのだろう。


「だが、ギスランは騎士団と懇意にしている。まあ、あいつは懇意にしていない人間の方が少ないぐらいだが」

「リストは騎士団がクスリを強奪したと思っているの? ギスランが指示して?」

「可能性はあるな。だが、それにしては騎士団の動きが緩慢だ。二ヶ月も嬲るように沈黙しているのはなぜか、分からない。魔薬が見つかっては困る事情があるのか、それともまた別の思惑があるのか」


 熟考しようとするリストを揺する。


「六千人分の魔薬があるならば、それだけ場所が必要よね? 魔薬は保管が難しいものだし。ならば、ロイスター領の置いてありそうな場所を手当たり次第探してみればいいんじゃないの?」

「それはもうやった。だが、ロイスター領にはなかった。だからこそ、今回の空賊騒ぎに紛れ、コリン領に兵を送りたかったのだが」


 空賊退治の他にも、魔薬の捜索をするつもりだったのか。だから、ささくれだっていたのか。


「雨が通り過ぎるまで待たねばならんとは。コリン領になかった場合、ギスランが騎士団に強奪させた線は諦める他ない。その場合、最悪の可能性ーー空賊が盗んだと考えることになるだろうよ」


 空の領土を争う相手に先制攻撃されたとなれば、軍の威信が揺らぎかねない。

 リストとしては是が非でもコリン領に魔薬があって欲しいことだろう。


「ギスランって、なんだか分からないわ。企んでいるような、いないような、不透明な硝子みたい。見透かせない」

「あいつはもともとそういった奇怪な輩だ」


 リストは少しだけ腰を浮かせて、机に置いた水差しに手を伸ばした。口を潤して、唇をてらてらと艶めかした。

 私は無意識にリストの唇に指をのせた。

 弾力のある唇は当たり前だが濡れていて、妙に熱かった。


「それはそうなのだけれども。ギスランがどこまで関わっていて、どこまで関わっていないのか、何をして、何をしていないのか、判断がつかないわ」

「だから直接聞いてしまおうと? 奸策を弄しないのは美徳かも知れんが、はぐらかされるのがのが目に見えているだろうに」

「だからこそ、リストがいるのでしょう?」

「俺はお前達の仲人ではないんだがな。……しかたないか、どうせお前達二人で話し合っても平行線のままだろうしな」


 否定できないのが、憎いところだ。


「ギスランは空賊討伐が終わり次第帰還するだろうが、この豪雨だ、避難指示や復旧作業で、しばらくコリン領に滞在するかもしれん」


 この豪雨と言われても、耳を澄ましても雨音一つ聞こえない。清族の結界は優秀で学内には全く影響がないのだ。変な感じだった。

 偏執的な、青い部屋を見渡す。そういえば、読んでいた戦記はどこにいったのだろう。机の上にもソファーの上にもなかった。リストが元の位置に戻したのかもしれない。


「じゃあそれまで二人っきりね」


 眉の下にある涼やかな目が一瞬だけ昏さを持った。


「……ギスランめ、はやく帰っこい」


 憎まれ口を叩く唇に指を押し当てる。

 やはり、リストの唇は熱かった。





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