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どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。  作者: 夏目
一章 『夜の女王とミミズク』
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「ーーああ、赤白の薔薇の花のようですわね」



 軽やかな声を発して、淡青色のドレスを纏った令嬢が私達の前に姿を現した。

 妖艶な顔立ち。墨を垂らしたような髪は軽くねじれ、高い位置でむすばれ、青薔薇をさしている。

 サラザーヌ公爵令嬢。このフォート王立学校の貴族令嬢のなかで一番の家柄を持つ、大四公爵家のご令嬢だ。

 貴族の子息のなかで流行っている目元の刺青を、彼女はしている。彼女はリストのように赤ではなく青で、しかも花ではなく、蝶の刺青だ。

 彼女の後ろにはぞろぞろと令嬢達が引きづられるようについてきた。

 サラザーヌ公爵令嬢の信者達だ。サラザーヌ公爵令嬢に倣って、目元に青の刺青をさしている。

 ご令嬢達は、自分が崇拝する人間の真似をやりたがる。サラザーヌ公爵令嬢の真似をするのもそのためだ。


「ご関係が良好なようで、羨ましい限りですわ」


 お辞儀をしたサラザーヌ公爵令嬢は、私に視線を流し、そしてそのままギスランに熱っぽい視線を送った。

 昔から、サラザーヌ公爵令嬢はギスランのことを好いていた。それはもう、可哀想なぐらいだ。ギスランに会うときは、化粧も衣装もばっちりにし、香水をふりかけ、繰り返し声をかける。ほんの一瞬の邂逅のために、何時間も浪費するのだ。

 恋というのは恐ろしいもので、人から時間感覚や合理性というもの奪ってしまうらしい。

 ギスランは女狂いなので、サラザーヌ公爵令嬢だけには微笑みかけないのに。それだけの努力をしてまで、多くの中の一人。満足できるものなのだろうか。恋というのは理解できない。


「サラザーヌ公爵令嬢。ご機嫌よう。今日も一段とお美しいです。言葉では言い表せぬほど。あなたの美しさに胸が早鐘を打つ意味が、お分かりになる?」


 ギスランは立ち上がると、サラザーヌ公爵令嬢にむけて妖艶に微笑んだ。うっとりとサラザーヌ公爵令嬢がギスランを見つめる。後ろにいる取り巻き達も、興奮したように顔を赤らめている。

 ギスランとサラザーヌ公爵令嬢の付き合いも同じ大四公爵家ということで長い。だからか、自然に近付き、サラザーヌ公爵令嬢の取り巻きにも挨拶を交わしている。

 面白くない。

 というのも、私とサラザーヌ公爵令嬢の仲は良好ではないのだ。ギスランの婚約者である私を、サラザーヌ公爵令嬢は目の敵にし、慇懃無礼な態度で接するのだ。ギスランがいるあいだは猫を被って、従順な姿を演じているのだから、なお憎い。

 貴族らしい目聡さで、粗探しをし私を追い詰めることが大好き。

 ざらざらとした憎悪で私の肌を舐めるのだ。この女。

  長年の悪意の思い出を流し込むように紅茶を啜る。

 視線を感じた。サラザーヌ公爵令嬢が悪意のこもった眼差しで見下している。

 嫌な予感がした。


「カルディア様はご無事ですか? 校内を荒らしまわっていたあの化物が、姫のお命を狙ったとお聞きしました」

「なんとか生きているわ」

「貴族令嬢は六人も亡くなってしまいましたの。わたくしのお友達も、その一人でした。いつもあの席にいた子です」


 サラザーヌ公爵令嬢が視線で示したのは、いつまでも泣いている彼女達の席だった。

 分かっていたことを、指摘された。彼女達の一人が、犠牲者の一人だということぐらい、気付かないはずないじゃない。


「悲しいわ。とても。でも、カルディア様が生きていらっしゃるなら、喜ばなくては。ええ、彼女達が亡くなった意味がありませんもの」


 声だけ聞けば、悲痛だ。

 だが、正面から見える顔のにやつき。許しがたいぐらい、はっきりと笑っている。

 友達が亡くなって悲しいという顔ではない。

 人を貶めようとする、不愉快千万な顔だった。


「我らのカルディア様、お笑いください、健やかに。その笑い声が彼女達への悼辞となりましょう」


 なにをとち狂ったことを言っているのか。

 流石の私も、彼女のこの不謹慎すぎる言葉には、こいつこそ悪魔ではないのだろうかと思わざるをえなかった。

 笑い声が悼辞?

 人の死を、なんだと思っているのだろうか。

 私は、まだこんな人間よりは人間らしいのではないか。

 だが、そんな私とは裏腹に、サラザーヌ公爵令嬢の取り巻きは、彼女の言葉を輪唱した。


「ええ、お笑いください」

「健やかに」

「それが彼女達への手向けの花になる」

「カルディア様、泣かれないで」

「お笑いください、高らかに!」


 私は、悪夢に迷い込んだのだろうか。

 ちらりとギスランの顔を覗き見る。

 ギスランはにこにこと笑っていた。彼女達の狂気に同調しているように思えた。

 私が間違っているのだろうか。この女達が言うように、笑うべき? それは、おかしいのではないか。人が死んでいるのだ。なぜ、笑える?

 笑えと命じる?

 貴族とは悪魔の異名なのか。

 じいと彼女達の狂った言葉の雨を耐える。

 しばらくすると、興奮していた彼女達はだんだんと落ち着いてきた。

 サラザーヌ公爵令嬢はようやく、私達に会いに来た理由を思い出したらしく、私に封筒を渡してきた。

 きっちりと印で封をされたものだ。なかを確かめると、お茶会への招待状だった。


「五日後、お茶会を開きますの。カルディア様も、ぜひお越しください」

「考えておくわ」


 なにが目的だろうか。

 慎重に封筒のなかに招待状を戻す。


「カルディア様にもご満足いただけるような、素敵なお茶会にいたしますわね」


 サラザーヌ公爵令嬢は、艶美に微笑むと、踵を返して、ぞろぞろと女達を引き連れ去っていく。人の出入りが慌ただしいサロンには令嬢達の胸が焼けるような香水の臭いが充満していた。

 立ち上がって窓を開く。この臭い、眉をしかめたくなるな。

 外からは花弁が舞い込んできた。

 その花弁を捕まえようと手を伸ばすと、後ろからギスランに抱きかかえられた。


「カルディア姫、私とお茶会をしていただける?」

「どういう意味?」

「サラザーヌ公爵令嬢だけ、ずるい。私も貴女様とお茶会がしたいのですが」

「なぜ?」


 くるりと回転し、ギスランが正面から私を抱き締めた。

 銀髪に顔が埋まり、息がしづらい。

 ぽんぽんと肩を叩くと、ギスランが私の顔をすくい上げた。


「カルディア姫と、な、仲良くなりたいので」

「は?」

「サラザーヌ公爵令嬢はカルディア姫と仲良くなりたいからお茶会に招待したのでしょう? でも、私の方が、カルディア姫と仲が良いですよね?」


 駄目だ。ギスランとの会話に失敗した。

 おそらく、先ほどの令嬢達の興奮にあてられ、意味がわからないことを口走っているのだろう。

 仲良くってなんだ。私とお前は友達か?

 真剣に婚約者の替えを考えたくなったぞ。


「カルディア姫は私よりも仲のいい人間をつくってはいけません」

「あのね、ギスラン」

「構うのも弄ぶのも仲良くなるのも、私だけにしてくださらないと」


 よし、即刻、婚約者の替えを探そう。


「お前ね」


 ぐりぐりと頭を押さえつけていると、なぜか出て行ったはずのサラザーヌ公爵令嬢が戻ってきた。

 私達を見て、目を見開き、顔がみるみるうちに蒼ざめていく。

 そのうち顔が赤らみ、穴があきそうになるほど私を睨みつけられた。

 翠色をした瞳が嫉妬の炎で炙られている。

 すくみそうになるのを必死で堪える。私はあの瞳に二度も負けるわけにはいかない。恐怖を無理矢理、優越感にかえる。この女はギスランに軽く窘められるだけ。私とは比べものにならないぐらい、矮小な女だ。

 そう思うと胸がすっとした。悪意の塊である言葉の数々も、彼女の羨望と嫉妬の塊だったと思えば、馬鹿馬鹿しくなる。

 そもそも、この女は貴族で、私は王族だ。この女に邪険に扱われる理由がない。

 不当な行為をされているのだから、怯える必要はどこにもない。


「サラザーヌ公爵令嬢」


 ギスランが私を下ろそうとした。それを掴んで止める。ぎゅうと力強く抱き着くと、ギスランが動きを止めた。

 サラザーヌ公爵令嬢の顔が歪にゆがんだ。

 やはり、私に嫉妬しているのだ。


「どうかしたの?」


 声をかけたときに気がつく。彼女がさしていた青薔薇がなくなっている。

 床を見渡して気がつく。薔薇の花は、踏みつけられ、ぼろぼろになっていた。私とギスラン、どちらが踏みつけたのだろうか?


「薔薇の花を落としましたの」


 そういいつつ、彼女は薔薇が無残な姿になっていることに気がついた様子だった。

 ギスランが、私の髪を撫でながら、機嫌をとるように抱き締め返すと、体を離した。

 サラザーヌ公爵令嬢がほっと安堵の表情を浮かべる。どうにも、憎らしい表情だった。

 だが、次の瞬間、その憎たらしい表情が様変わりした。引き攣った、失望に酷似した表情になったのだ。


「次は落とされてはいけませんよ」


 そういって、ギスランは踏み潰されたままの薔薇の花を拾い上げ、サラザーヌ公爵令嬢の髪にさしたのだ。

 ぽろりと青い花弁が舞い落ちる。その光景が、やけに印象的だった。

 ギスランはそのまま、手で頬を撫で、そのまま耳へと指を滑らせる。

 サラザーヌ公爵令嬢になにか言葉を溢した。すると、彼女はすぐに後ろを振り返り、サロンを出て行く。

 なんだったのだろう?

 首を捻っていると、ギスランがつかつかと近づいて、再び私を抱き上げた。


「ねえ、カルディア姫。邪魔されてしまいましたね?」

「ギスラン、先ほど、なにを?」

「いえ、ただ、その花も似合うと」


 その言葉を、サラザーヌ公爵令嬢はどう受け止めたのだろうか。

 悔しい?

 あるいは、それすらも甘美な囁きだったのだろうか。

 彼女の嫉妬は、見当違いのものだ。私とギスランは政略結婚をするつもりなのだ。思い合ってなどいない。けれど、彼女はその地位が欲しいのだろうか。愛もなく、ただ、血を求められるだけの存在が、相貌を歪ませるほど妬ましい?

 空疎な妄想だ。彼女は誤解している。

 きっと彼女が私の地位を手に入れれば、憤るに違いない。こんなものを望んでいたのではないと。

 なのに、なぜ、彼女は私のことをああまでも疎んじるのだろうか。それすら想像できぬ間抜けだからか。それとも、それすら考えられぬほどギスランは魅力的な男性なのだろうか。


「ふぇ……」


 考え込んでいた私の思考に、泣き声が入り込んでくる。

 彼女達はいまだ、泣いたまま、席を離れようとしない。

 身体中を火で炙られているような苦痛が襲った。言葉で詰られることや体を害されるよりも恐ろしい、耐えることのかなわない痛みだった。この痛みに名前があるならば教えて欲しかった。きっと、誰もが抱く、そういう感情ではない。悔しくて、悲しくて、自分を殺したくなるような歯痒さを味わう。彼女達の泣き顔を見るだけで、心が殺される。

 平然と私が過ごしていいのか。なにも感じないといったように、毎日穏やかに。

 昏い絶望に支配されそうになったとき、ギスランが同じように昏い絶望をまとった声を出した。


「浅ましい連中だ」


 冷淡な言葉の響きに瞠目する私の手をひき、ギスランが言葉とは裏腹な穏やかな微笑をつくる。


「カルディア姫、多く笑う者や泣く者に情を向けてはなりません。それらは赤子のように見栄っ張りで、構われたがりなのです。過剰な態度で気をひこうとしている。感情のこもった声とはよく通るものだ」

「それは」


 よく笑うギスランが、そうなのだろうか。

 なぜ、今、諫言を?


「なぜ、ここで彼女らが泣いているか、お分かりになる? なぜ貴女様の前で泣いているか。声を上げれば、気をひけると思っているからです」

「なぜ、私を」

「貴女様に力があるので」

「力が」


 私には、王族の血が流れている。それは、力なのか。


「マリカ嬢を失った彼女らは下級貴族なのです。より強い者の庇護に預かりたい。しかし、サラザーヌ公爵令嬢は下級貴族に興味はない。相手にされねば不遇の扱いを受ける。まるで平民のように、見下される」

「泣いているのよ」

「貴族ならば、あのように無様に咽び泣くことはありません。あれはだから、豚なのです。平民という豚だ。いや平民より品性のない、知のない家畜です。貴族ではありません」

「なにを、言っているの。ただ、悲しくて泣いているだけじゃない」

「カルディア姫、貴族とはそういう生き物です。情を打算で塗り潰す。だが、見栄が邪魔をし、見目を気にする」


 ふっと、ギスランは謎の微笑を唇に漂わせた。


「秘密を教えて差し上げる。サラザーヌ公爵家は没落寸前なのですよ」


 反射的に顔を上げた私に、ギスランが笑みを深めた。


「現当主は愛人に宝の山を貢いだのですよ。おかげでサラザーヌ公爵家の財政は貧窮を極めている。美しいドレスを仕立てる余裕もない」


 サラザーヌ公爵令嬢はただ、虚飾の権威で飾りたてているだけ。もし、本当にサラザーヌ公爵令嬢が没落寸前ならば。いけないと思いつつも、邪な思いが心に忍び寄ってきた。

 踏みつけた薔薇の似合う女。

 優越感の海に、心が沈殿していく。

 ギスランの指が、私の喉をなぞる。

 初々しく、ギスランの頬が高揚している。頬を思わず触ると、こしょばいというように体を動かされた。軽く顔を伏せ、どうして触るの? とばかりに私を見つめる。なんで、恥じらってるの、こいつ。


「可愛いカルディア姫、あのように貴女様の気をひきたくて泣くものやサラザーヌ公爵令嬢のように欺瞞で真実を隠すものもいる。惑わされてはなりません」

「ギスランも私を惑わす?」

「そうであって欲しい?」


 疑問を疑問で返された。

 顔を顰め、むっとしているとギスランがはにかみ、腕の中に私を捕らえた。

 温かな温度を感じ、目を閉じる。そうすると、耳にも目蓋をしたように音が遮断された。

 私の気をひきたいーー。

 ねえ、ギスラン。誰もが、本当はお前の気をひきたいのでは?

 沈殿したはずの心が浮き上がってくる。

 力があるのは私ではなく、お前ではないの、ギスラン・ロイスター。

 私にはなんの力がない。それをお前という華で飾っているだけなのでは。

 激しく心が揺さぶられた。ギスラン・ロイスターがいなければ、私は軽んじられる?

 はじめて、ギスランに奇妙な執着は湧いた。思慕ではなく、愛情でもない。薄暗く、惨めな気持ちだった。ギスランは、権利を具現化した存在なのではないだろうか。

 ギスランは、私の髪に何度も口付け、愛おしそうに撫でている。

 人間だと、当たり前のことをぼんやりと思った。頭の芯が熱くて、考えるのが難しい。それでも、もう一人の私が、ギスランに執着することを止めようとする。


「ギスラン、私は……」


 なにかを口走りそうになり慌てて止める。

 きょとんとしたギスランが、私を不思議そうに見つめた。

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