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どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。  作者: 夏目
一章 『夜の女王とミミズク』
1/104

  私が愛するのは、私だけだ。


 ⚫︎⚫︎⚫︎




  この世で嫌いなものが三つある。

  一つ目は姦しい女。女は淑やかな方がいい。

  二つ目は騒がしい男。男は戦地へ行き、名誉ある死を迎えるほうがいい。

 三つ目はギスラン・ロイスター。 女狂いであり、狂人。こいつは、速やかに去勢するべきだろう。他の女に子供を産ませないうちに。


  私の名前はカルディア。ライドル王国の第四王女。いわゆる、お姫様だ。



  ライドル王国にはくそめんどくさい、失礼、とても厄介な制度がある。王族、貴族、平族(平民)、貧族(貧民)、そして清族(魔術師)が、平等に学校に通うというものだ。これは、三百年前、民衆が王族の圧政に憤り、革命を成し遂げ、貴族たちをギロチン刑に処し、王族を毒殺した、野蛮な過去を土台として作られたものだ。

  民衆は、怒らせると怖い。

  とくに、道理の通らない、獣のような民衆は。

  言葉だけしか知らぬ、無教養の人々は、いくら理性に訴えかけようと、本能で行動してしまう。それを矯正する方法、それは知の存在だと、馬鹿ども……私の祖先たちは思ったそうだ。だから、貴族をギロチン刑に処し、王族を排除し、鬱憤を晴らした民衆の手から地位を奪い返し、再び貴族の世を作り上げたとき、教育と言う名で道理を教え込むことにしたのだ。誰であろうと、平等に。

 


  ライドル王国は、完全なる階級社会だ。

  王族を頂点に、貴族、清族、平族、貧族の三角形の階級で成り立っている。学校は、社会の尺図だ。平等の名で教育しているはずなのに、階級ごとに明らかな差が存在する。平等という名は軽く扱われ、貧族は、路傍の石扱い。むしろ、奴隷だ。貴族のなかでは、貧族を椅子や机のように扱う奴までいる。教育をうけられるだけ、女神に感謝するべきだと傲慢に言い放つ。

 頭のおかしな連中までいる始末。

  私はそういった悪趣味な性癖はないが、止める気もない。

  ここでは当たり前の光景だからだ。



「あら、カルディア様はどうしてあんなにお顔を曇らせていらっしゃるの?」

「やあね、マリカ様。それはもちろん、ギスラン様が他のご令嬢に愛を注がれているのが気になられるのよ」

「まあまあ、ギスラン様の御心は、カルディア様のものじゃない。他のご令嬢へのお気持ちはお遊びのようなものよ」

「でもでも、この頃のお遊びは、少しおいたがすぎるのではなくて?」

「ああ、あの平族の」

「なんでも、ギスラン様のご寵愛が深いので貴族に格上げされるのも時間の問題だとか」

「あら、嫌だわ。貴族の血に下品な豚の血が混じるだなんて!」

「そうですわねえ。平族を取り立てるなんて、ギスラン様もお人が悪いわあ」

「ほんと、ほんと」


  くすくすと、小鳥の囀りのような笑い声がきこえる。女三人集まれば、姦しいとはよく言ったものだ。令嬢達の『密やかな』噂話を傾聴しながら、目の前の男に口を開ける。

  ご令嬢方の話題の中心。それは、私と眼前の男、ギスラン。ギスランは、私の世話を甲斐甲斐しく行っていた。今は、せっせと宝石のようなクッキーを私の口に運んでいる。そして、何が楽しいのか、スカートにぽろぽろと溢れる食べかすを跪いて舐めている。

  ギスラン・ロイスター。

 私の婚約者。ロイスター公爵の長子。貴族でも上から数えたほうが早い位の高い大貴族のお坊ちゃんだ。幼い頃から変わらぬ、宝石のような美貌を持った美青年。

  これで女狂いでなければ、顔がいいだけの誠実な面白味にかける貴族だ。貴族は享楽を貪ってこそ。だからこそ、生真面目で、楽しみ一つ知らない堅い男は嘲笑の的だ。私はその嘲笑を一手に引き受けてくれるぐらい、誠実な男であって欲しいと願ったが、残念ながら、ギスランはとんでもない女狂い。つまり、生粋の貴族だった。嫌悪の対象にしかならない。こいつの被虐趣味的な性癖にも私はついていけないのだから、余計に。

  普通の男は姫の前に傅き、食べかすを舐めとらないだろう。気持ちが悪い。

  太腿をヒールで踏んでやると、潤んだ瞳で見つめられた。やはり気持ちが悪い。


「カルディア姫、私は平族を寵愛してなどいませんよ」

「そう」

「私の愛は貴女様だけのものです」

「そう」


  この男は、幼少期から私の後ろを小カモのように追ってきた。それを悪し様に罵るうちに変な性癖を取得したらしい。私に荒く扱われるのが愉快でたまらないという。頭が残念な美青年選手権をやったら、こいつが優勝するに違いない。


「本当です」

「どうでもいいわ」

「信じて下さらない?」

「どうでもいいと言っているの」

「嘘など」

「しつこい。黙りなさい」


  太腿を踏みつける足に力を入れて、ギスランの顎をとる。この男、五月蝿すぎる。令嬢たちより、苛つかせる声だ。


「お前、そう黙っていれば人形みたいなのだから、そうしていなさいな。そう、喋らず、私に尽くすだけでいいわ」


  こくりとギスランは素直に頷いた。顎を持つ手を指でなぞり、匂い立つような色香を放ちながら、私の手に頬擦りする。

  従順な様子に面白くなくなって、太腿から足を退ける。そうすると、寂しそうな顔をされた。なにこいつ、気持ち悪い。

  ただ、声を出すなという私の言葉に従い、なにも言葉を口にはしない。

  ギスランは声を出さないと美術品のように美しいのだから、声帯をとるべきだ。

  自発的に喉の焼ける毒をのまないものかと思う。そうすれば、黙れという命令をいちいちしなくてすむのに。

  ギスランに対するとげとげした感情は困ったことに、幼少期から続いている。この学校に来てからは特にあたりが強くなった。邪魔だな、気持ち悪いなと日常的に思うようになってしまっている。


「奴隷ごっこが好きな夫婦だな」


  わあっと離れたところにいる三人の令嬢達の歓声が聞こえた。

  もふもふした毛皮を首回りに装備した華々しい青年。宰相の子息、リストが軍靴を鳴らしながらゆるりとやってきたのだ。


「好きなのはこいつだけよ」


  失礼なことを言わないでと片眉を上げると、リスト向かい側のソファーに腰掛け、頬杖をつく。尊大な態度が似合う男だ。

  上質の絹で作られた白い長衣。耳飾りは赤く、髪の毛の色と同じ鮮烈な輝きを放っている。目元には赤い花の刺青が。貴族の子息が好んでいるものだ。

  袖から、腕輪が覗いている。口の中がすっぱくなるような檸檬色の宝石がついていた。

  上等な格好をしている。

  リストは、王族の血をひく、私の従兄弟でもある。


「まだ婚約者よ。夫婦ではないわ」

「いずれそうなる。言葉が気に入らないなら言い直そう。人形ごっこが好きな婚約者同士だな」

「こんな被虐趣味な人形いらないわよ」

「ほう、そいつの方が人形か。では、どんな人形がいい?」

「そうね。……やめておくわ。この男の前で言ったら最後。似たような容姿の男は、この学校から消えてしまうもの」


  ギスランは、家の命令で私との政略結婚を望んでいる。ロイスター公爵家のますますの発展の為に、王族の血を入れたいのだ。だから、その障害になりそうなものはことごとく排除される。

  ギスランは、家の命令をきく人形だ。私にこうやって跪いているのも、家が希求している第四王女の婚約者という地位を守るため。

  彼には容赦という概念が存在しない。家に必要か必要ではないか、それが重要で、ギスランの意思や思考など二の次なのだ。ギスランは、女狂いで家の操り人形。そして、被虐趣味の変態。私のなかでのギスランの評価はだいたいそんなものだ。


「惚気か?」

「……どうしてそうなるのよ」


  宰相の息子といっても、リストは政治家よりも軍人気質を持っている。我が国には、騎士と軍人が別々に存在する。大雑把に言ってしまえば、騎士は個人を守り、軍人は国を守る。

  軍人は、国のためと恥ずかしげもなく言える熱心な愛国者や正義感が強い馬鹿が多い。リストは正義感が強い馬鹿なほうだ。

  ギスランよりは好ましい人種だ。この手の正義感の強い男は威勢よく怒鳴る人間が多いが、リストは育ちの良さからか、滅多に声を荒らげない。冷静で冷徹な声を出すだけだ。ただ、今のように斜め上な意見を言うこともあるが。


「お前が含みのある言葉を吐くからでは。……そういえば、そっちの傅いている奴に訊きたいことがあるのだが」

「ギスランに? なにかしら」

「俺に平族の女をあてがおうとしたのは、貴様だな?」


  平族の女。さっきの姦しい令嬢達が話していた人のことだろうか。ちらりとギスランに視線を向ける。珍しく、表情が全てこぼれ落ちたような無表情を浮かべている。笑っているのか、悲しんでいるのか、怒っているのかわからない面倒臭い表情だ。

  こつんとヒールで脛をつついてやると、薄い艶艶とした唇が眼前に現れる。一瞬、ギスランの首が伸びたように感じて、恐ろしくなったが、なんのことはない、跪いたこいつが立ち上がっただけだった。


「私以外の方と楽しそうになさらないで下さい」


  鼻と鼻とがぶつかり、ギスランが吐息がかかる。熱っぽいそれに、嫌悪感を覚えながら、ひとくくりにされた銀色の髪を力強く引っ張る。

  誰が近寄っていいと言ったんだ。許可されていないことをするな。言ってやりたいことが次々と浮かんだが、言葉にするのも億劫で、純然たる事実だけを簡潔に述べる。


「お前といて楽しいと思ったことが一度もないわ」

「なら、誰とも楽しそうにしないでください」

「傲慢だわ。命令するなど何様のつもりよ」

「可愛らしい人形の言うことをきいて下さらない?」

「人形は喋ったりしない」


  だいたい、可愛らしいって自分で言うなよ。

  ふつふつと湧き上がる怒りがわき起こる。私は沸点が低い。よくヒステリーを起こしてしまう。理性よりも本能が勝つ。知を知っていようと、獣性を持つものがいるといういい例だ。


「痴話喧嘩は他所でやれ。俺の質問に答える気は? ギスラン・ロイスター」

「さあ。私には分からぬ話です。リスト様は、類稀な美貌をお持ちになる方。平族の女が憧憬を覚えるのも無理からぬ話なのでは?」

「何人もの令嬢を籠絡してきたこと、俺が知らぬとでも? カルディアの前で糾弾されたくなければ、真実を口にすべきだな」

「……ああ、そういえば、愚かな平族の女が、あなたにお会いしたいと私に詰め寄ってきたことがありました」

「あくまでも女に責任があると言いたいらしい」


  足を組みながら、リストが不機嫌を隠さずにギスランを詰った。

  ギスランはつんと顔を背けて、リストの言葉に無言で通した。その態度に呆れたのか、リストが深々と溜息を吐く。


「こんな男とよく婚約者をやっていられるな。尊敬する」

「もっと褒めてもいいわよ」


  ふと、さきほどから話題に上がる平族の女が気になった。注目されるぐらいなのだ。容姿が飛び抜けていいか、才覚があるのか、なんにせよ、優秀な女なのだろう。


「ねえ、リスト。私、その平族の女がどんな人物か気になるのだけれども。どんな奴なの?」

「……俺に聞くより見た方がはやい。ギスラン・ロイスターに願えば、叶えてくれるだろうよ」

「それもそうね。ギスラン、その女を連れてきてくれるかしら」

「……カルディア姫は、私が他のご令嬢をエスコートしてもなにも思われない?」

「ええ、お前に興味がないから」

「……それは、どうなんだ? 少しだけ、ギスラン・ロイスターを憐れに思ったぞ」

「そう? ほら、はやく連れてきなさい、愚図」


  そう言って、ギスランを蹴り飛ばすと、嫌々ながら走り去っていく。


「あれでも一応、国内で四本の指に入る有力貴族の息子だろうに」

「あら、リストったら政治家に転職するのかしら? 貴族のご機嫌とり?」

 

  リストは生徒の身分でありながら、軍の訓練も受けている。卒業と同時に軍でそれ相応の地位につくらしい。それゆえに軍贔屓が激しい。頭の固い政治家達を嫌っているはずだ。


「軍とて、貴族院に法案を通してもらうのに、ご機嫌伺いをしなくちゃならないのでな」

「ふぅん。じゃあ、領空をどちらが守るか決まったの?」

「……お前こそ、政治家になるつもりか? 男のように政に聡い」

「それもいいわね。女王になろうかしら」

「女王になるというなら、是非とも我が軍に領空を守らせて欲しいが?」


  戯けた言い方に驚く。普通ならばお前がいうと冗談が冗談ではなくなると言いそうなのに。難航しているということか?


「そんなに揉めているの?」


  科学技術の発展に伴い、人は誰もが空を飛べるようになった。今までは魔獣や妖精を使役する一部の魔術師達しかできなかったのに、飛行船に乗せて、沢山の人を乗せて運ぶことができるようになったのだ。

 問題は空賊という新しい犯罪者達の出現と飛行石と言われる飛行船の原動力となる魔石の数の少なさだ。今では飛行石が取れる採掘場の権利を肉親同士で争い合っているときく。

  軍と騎士はほとんど同じ地位だが、戦争でもない限り芳しい働きを見せられない軍は、騎士より立場が低いのが常だ。そこで、領空の守護を獲得し、少しでも有意義な存在であると主張することは重要なことだ。

  逆に騎士はさらなる立場向上のために領空の守護の権利が欲しい。軍に力を持たせないためにも、領空の守護を担当したいと思っている。

  領空の問題は、軍と騎士と熾烈な戦いだ。

  今の所、領空は国の管轄とするという風潮が強いので、軍が領空を守護する風潮が優勢だ。

  私としては、サイコロでも振って決めればいいのにと思っているが、さすがにリストを前にしていうのは憚られた。


「さてな。軍事機密だ」

「なによ、けちね」


  まだ軍人ではないくせに、秘密にして。本気で女王になって、探ってやりたくなる。


「どこでそんな言葉覚えてくるんだ?」

「乙女の秘密よ」


  軽口を叩きあっていると、ギスランが庇護欲をいい感じにそそりそうな女の手をひいてやってきた。息を整えつつ、女をリストの近くに投げ捨てると、私の足元に犬のように侍る。

  ご機嫌伺いをしてきた。


「なんの話をしていらっしゃったのですか?」

「教える必要、ある?」

「ねえ、私のお姫様。心臓が潰れそうです」

「病気ね」

「ええ、貴女様と一緒にいると、私は病気に罹ったようだ」

「医師を呼びましょうか。心臓が潰れたら、流石のお前でも生きていられないでしょう?」

「心配して下さっているのですか?」

「いえ、あわよくば療養と称して数ヶ月休ませようかと。お前の顔を見なくて済むかと思うと嬉しいわ」

「酷い方だ。寂しいとは思って下さらない」

「冗談はその顔だけにして」

「ああ、貴女様は私の顔がお好きではないのでしたか」

「好きか嫌いかと言われたら、大っ嫌いね」

「顔面を取り替えます。どのような顔がお好きですか?」

「そうね……リストともこんな話をした気がするわ」

「そうでしたか?」


  こいつ、意図的だな。にこりと溢れんばかりの笑みを浮かべいるぞ。私の好みを知って、なにを実行するつもりなのだろうか。


「貴女様とリスト様の会話が羨ましくって。私にはあのように話して下さらない」

「お前とリストが対等であると思っているの? 少しはない頭を考えなさいな」

「でも、私は貴女様の婚約者です」

「たかが婚約者の分際で、王家の血が流れる私とリストに対等に話ができるものだと?」

「怒らないで下さい、私の女王陛下。貴女様と対等である方などこの世に存在しません。なによりも尊く、清らかな貴女様を、誰が軽んじられましょう」

「お前が軽んじているわ」

「何を馬鹿な。私は慈悲を乞う憐れな恋の奴隷です。貴女様の前では、顔一つ上げられない」

「なら、顔を上げず、俯いていなさいよ!」

「貴女様のお顔を見れないなんて、地獄のようなことです」


  どっちだよ。

  ふつふつと怒りのボルテージが上がっていたとき、女が私に軽く頭を下げた。小柄な女だった。


「あのう」


  私が声をかける前にリストが立ち上がり、この場からいなくなってしまう。

 どうしたのだろう、用事でも思い出したのだろうか。

  離れていた令嬢達がひそひそと、しかしこちらにきこえる音量で会話しはじめた。


「あらあ、あの子、ギスラン様が傅いておられるのに会釈だけで済ませる気?」

「なんて無作法なの。さすが平族ねえ」

「リスト様も眉を顰めて出て行ってしまわれたわあ」

「見て見て、あの子、今更膝をつきはじめたわ」

「貴族であるギスラン様と同じ態度でいいと思っているのかしらあ」

「流石は豚の血をひくもの」

「知があっても、弁えないのだわ」

「豚は豚らしく、貧民と同じ家畜小屋に住めばいいのにねえ」


  クスクスと笑う声が聞こえたのだろう。羞恥に染まった赤い顔で女が両手をついてうな垂れた。

  ギスランめ、誰が呼んでいるのか説明せずに連れてきたのか?


「名前を教えなさい」

「は、はい。わたしは、リナリナと申します」

「そう、私はカルディア」

「カルディアさん」


  カルディア、さん?

  あまりのことに茫然としていると、また遠くで女の声がした。


「カルディア様のことをよくもまあ!」

「これだから、これだから!」

「馴れ馴れしい。無礼にもほどがあるわ!」

「カルディア様をどなた様だと思っていらっしゃるのかしら」


  どうにか口を動かそうとしたが、動揺で上手く口が動かない。

  カルディアさん。こんなに親しげに話しかけられたのは初めてだ。

  王族として、不敬だと首を刎ねることもできる。

  どうしたものだろうか。

  身分のことを考慮すれば、罰を与えるべきなのだろう。

  でも、事情も説明されず連れてこられたのだ、多少のことは目を瞑るべきなのだろうな。


「も、もうしわけっ」

「ねえ、お前、この男のことが好き?」

「へ?」


  女は不躾にも許可されていないのに顔を上げ、三人の声で再び伏した。そのとき、きちんと女の顔を見た。この国が信仰している女神の彫刻の顔に似ている。整った可愛らしい顔をしていた。


「だから、ギスランが好きかと尋ねたのよ」


  私の足元で猫のように微睡んでいたギスランが、驚いたように私を見つめている。


「答えなさい」

「え、えっと、それはーー」

「ーーカルディア姫」


  堪え兼ねたようにギスランが私の膝に縋り付いてきた。

  女はギスランが放った姫という言葉に、ようやく私がどんな身分か知ったようだ。あからさまに震え、顔を床に近付ける。

  愉快だと思えたのは一瞬だった。

  ギスランがけたたましく吠え出したのだ。


「なぜ、そのようなことをきいていらっしゃるのですか?」

「お前にはきいていないわ。黙っていなさい。お前にきいているのよ、リナリナ」


  口を噛み締め、沈黙するギスランを尻目に問いかける。

 私の勘が間違っていなければ、この女、リストではなくギスランに好意を持っている。


「わ、わたしは」

「ええ、お前は?」


  ぶるぶると震えながら、それでも気丈に女が顔を上げる。決意の灯った瞳。ピンク色の唇が、風にそよぐ花弁のように震えている。

  そういえば、と意識を彼女の纏っている服に移す。

  上流階級で流行っている服は、ふりふりの袖がついている豪奢なものだ。贅沢に宝石や刺繍が施してあり、華美という言葉がよく似合う。女性はドレスで足首まで覆い、せかせかと歩けないように靴やコルセットで縛り付けられる。だが、目の前の女が着ているのは、素早く動けるためにだろうか、スカートが短く、肌が見えている。挑発的な格好だ。

  破廉恥と言われても文句を言えないだろう服装なのに、やけに似合っている。スマートな着こなしだ。

  どこの服なのだろうか。少し、羨ましい。


「好き、です」


  やっと女が言葉を落とした。

  服から、女の顔へ視線を動かす。


「そう。でも、これは私の婚約者よ」

「それでも、好きという気持ちはおさえられません」


  別におさえろとは言っていない。

  なのになぜ、この女は私を睨むようにみているのだろう。ギスランは貴族の令嬢、十二人と関係を持っている。これは割と知られた話で、まだ公に出ていないだけでさらに何人もの女を唆している。何十人といるギスランに誑かされた女達にギスランのことを諦めろと説いて回るのは労力の無駄だ。

 

「それに、畏れながら申し上げます。ギスランをこれ呼ばわりしないで下さい!」

「ギスランと呼んでいるの?」


  ギスランは貴族のはず。そして彼女は平族。上位の人間を呼び捨てにする人は珍しい。

  絶対的な階級社会であるライドル王国。同じ空間で過ごしていようとも、階層ごとに細かな規則があり、明確な差があるはず。

  それとも、私が知らないうちに垣根は曖昧なものになったのだろうか。


「ええ、カルディア姫はお嫌でしょうが」

「別に? 興味ないもの」

「……わたしでは相手にならないと思っていらっしゃるのですね」

「それはそうね」


  だって、私はギスランのことが好きじゃない。

  こいつを好きだという女に突き出して、返品不可だと言いたいぐらい。

  望むなら与えてもいい。この男に睦言を言われ、蕩けて、毒されればいい。

  突っ掛かかかれるのも迷惑だ。

  足元にいるギスランを蹴る。

  考え事をするのに、この男の体温が邪魔だった。


「わたしが、一介の商家の娘だから、そんなことを言われるのね!」


  確かに、身分は重要だ。でも、そんな話はしていなかった気がするのだが。私とお前では、そもそもギスランを好きかという前提が違うでしょうよ。

  もしかして、誤解が生まれている?


「お前が商家の娘だから、なに?」

「わたしのことを見下しているのだわ!」

「おかしなことを。だって、もとよりお前は私より下の人間じゃない」

「え?」


  女は、まる初めてそのことに気が付いたとばかりに真っ青になった。その反応にこっちも驚いた。もしかして、この女は根本的なところで階級社会を認識できていないのではないのだろうか。


「わたしが、下?」

「お前だって、貧族をーー貧民を見下してきたでしょうに。見下す相手がいるのだから、お前を見下す者がいてもおかしくないでしょう?」

「わたしを見下す人がいる?」

「お前は平族で、私は王族。お前は商家の平民の娘で、私は現王の第四王女。まさか、対等の立場であるとでも?」

「だって、法のもと、王も貴族も平族も貧族も清族も、平等で」

「あんな理想論、信じていりの? ろくな教育を受けてこなかったのね。法の通り、全てがすすむと思う? まあ、学校はそういう社会のルールも学ぶ場所だもの。今から知っていけばいいわ」


  学校は新学期が始まったばかりだ。この女はおそらく新入生だろう。まだ、考えが幼いのだから。入学して、近付いてきたギスランに心奪われてしまったのだろうか。

  きっとそれまで、両親に愛され、自分より身分が下の相手としか会うことがなかったのだろう。貴族とろくに接したことがなく、軽んじられたことがないのかもしれない。だからこそ、平等を夜空に浮かぶ月のように絶対ととらえている。


「待って! 平等は権利のはず。横暴は許されない!」

「では、お前の家では貧民を雇ってはいなかった?」

「それは、貧民だって働かなくては生きていけないもの」

「では一回も家で働く貧民を見下したことはない? 汚いものに触れる彼らを嫌悪したことはないと女神に誓えるかしら」

「それは……」


  言い淀んだ彼女は明らかに顔を曇らせた。当たり前だ。たとえ、どれほど平等を掲げようとも、人は汚いものを貶さずにはいられない。そして、貧民は汚く、貶されるために生きている。


「平等の理念を説くのはご立派よ。けれど、自分が傷付けられそうだからと盾につかうのはどうなのかしら。その盾に、矛盾という毒針が仕込んであるかもしれないのに」

「わたしは」

「お前は潔白? それともずる賢いだけ? 毒におかされているのに権利だけを主張する強欲な豚はどうなるのかしら」


  しれっと脅しをかけておく。少しは、冷静に現実を見ればいい。

  ……ん? ちょっと待て。学校に入学する年齢は十一歳と決まっている。十一歳になると、どんな身分の人間でも学校にある寄宿舎で生活するようになるのだ。

  もしかして、この女は十一歳そこら?

  くらりと目眩がした。私とギスランは、十七歳だ。発育のいい子なのだろうか。十一歳には見えない。いや、そうじゃなくて。

  そんな女をギスランは甘く、惑わそうとしていたのか? 六歳下だぞ。いや、歳が一回り離れた夫婦というのも確かに存在するが。

  リストが厳しくギスランに詰め寄るはずだ。十一歳の娘に、しかも、自分のことが好きな娘になぜリストへ擦り寄るように言ったのか。頭がおかしいのか。

  小さい頃に読んだ童話に出てきた伯爵の話を思い出した。自分の好みの女性にするため、幼女に近付き教育した伯爵が、企み通り幼女を妻にする話だ。頭の中で伯爵の顔がギスランの顔に変換された。他人の手がついたほうが被虐趣味のギスランとしては興奮するのだろうか。特殊性癖すぎない?

  ヒールの先でギスランを突く。

  ギスランはいつものように微笑んで、私を見上げる。

  こいつ、本当に伯爵みたいなことをしていたら、絶対に婚約を破棄してやる。


「突然呼び出してしまってごめんなさいね。ちょっとした出来心だったの。先触れも出さずに招いてしまったものだから、動揺するのも無理はないわ」


  十一歳ならば、夢見がちな答えも納得がいく。懲らしめすぎた。

  ギスランと呼びかけると、のどかな応えが返ってくる。

  おくってあげなさいと命令すると、ギスランは女の手をとって、部屋を出て行った。


  サロンには私一人がぽつんと座っている。遠くにいる令嬢たちは、決して近付いてこようとはしない。彼女たちは、貴族でも下級の位で、私とサロンで話す身分ではない。だから、いつも高嶺の花のように私たちの姿を眺めては、ピーチクパーチク囀る。窓の外にいる小鳥のようだ。決してこちらには対して歌をうたってはくれない。

  きっとギスランは今日は戻らないだろう。

  身分という残酷な世界を知った女を慰めるために、優しい言葉をかけ、甘やかすのだろうから。

  どうか、ふしだらな教育はしませんようにと、窓の外に目を向けて祈った。

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