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《 2 》

 次の日の午前十時、ジュディが使っている駅に降り立つと、既に駅前のロータリーには白いセダンが止まっていた。その前で俺の名前を大声で呼びながらジュディが手を振っている。


「タカシー!」


 まるでタクシーを止めている客のようだ。

(朝からハイテンションだよ……)

 とはいえ、制服と違う花柄のワンピースが目に眩しくて、俺は少し目を細めながらジュディに近付いていった。


「タカシ、来てくれてうれしいデス!」


 ハグしようとした体を、両肩押さえてせき止める。


「オカアサンがいるんだろ?」

「そうデスね」


 セダンの中でこちらを見ている中年女性の目にヒヤヒヤしながら、俺はジュディが「ドウゾ」と言って開けてくれた後部座席へと体を半分入れて、「おはようございます」とその女性に挨拶をした。それから遠慮がちに奥へと進むと、ジュディも俺の隣に何故か並んで座ろうと背後から乗り込んでくる。こういう場合、君は前に座るべきだと視線でその気持ちを表したが、もちろん通じなかった。

 車が走り出してすぐ、“オカアサン”が「松本と言います、よろしくね」と前方を見ながら自己紹介をした。バックミラーに映るその硬い表情に焦りつつ、俺も「畑毛貴志です」と言ってもう一度会釈をする。車内は何だか微妙な雰囲気で、これが“両親に挨拶に行く彼氏の気持ちか”と思ってから、“彼氏じゃねぇーし”と自分で自分にツッコミを入れた。

 そんな雰囲気をちっとも感じていないのか、ジュディのハイテンションはまだ続いていた。


「オカアサン、ワタシ、今日はとても楽しみデス!!」

「お友達っていうから女の子だと思ったけど……」


 その曖昧な語尾に俺がギクリとしていると、ジュディが肘を突っついてきた。あくまでも俺に説明させるつもりらしい。


「えっと、成り行き上、そういうことになってしまって」

「成り行き?」


 マズい、言い方が悪かった。それじゃ、まるで俺がジュディを強引に誘ったように聞こえなくもない。


「つまり買い物に付き合って欲しいって」

「あら、そうなの? ジュディはドライブしたいって言ってたんだけど?」


 結局、自分がウソをついたんじゃないかと横目で彼女を睨みながら、「ええ、まあ、そんなところです」と曖昧な返事で誤魔化した。


「ところで畑毛くんはジュディのボーイフレンド?」

「え、それは……」

「ソレ違います、オカアサン。タカシはまだオトモダチ。ワタシ、タカシにボーイフレンドになってクダサイと言いました。でもタカシにYesをもらっていません」

(自販機の件はウソついて、そっちは正直者かよっ! 普通は逆だろ、逆!)

「あ……そうなの」


 松本さんの返事は良いとも悪いとも言えない微妙なもので、俺にはどう判断していいのか全く分からなかった。


「それにしてもパーキングまでドライブしたいなんて変なデートねぇ」


 何だか探られているような気がして俺は苦笑いを浮かべつつ、ジュディの足を蹴飛ばしていた。


 なんだかんだ言いながら車は県外に向かってまっしぐら。たぶんあそこへ行くんだろうなと思っていると、案の定、山肌の陰から観覧車の丸いフォルムが見えてきた。


「OH、Ferris Wheel!! あそこはアミューズメントパークなんデスカ!?」


 窓に顔を貼り付け、ジュディは大騒ぎだ。


「あれはパーキング……レストエリア」

「Oh! Rest AreaにFerris Wheel! やっぱり日本は凄いデス!」

「あそこには水族館があるのよ、ジュディ」

「スイゾクカン……? なんデスカ?」

「ゴメンね、運転中だから辞書検索できない。あとで……」

「アクエリアムのこと」


 俺は発音に気をつけてそう説明すると、ジュディは目を輝かせながら「Aquarium!!」と驚きの声をあげた。


 それから到着するまでの間、ジュディのテンションは上がりっぱなし。俺は隣で英語をまくしたてられ、やっぱり外人は苦手だと痛感した。チラッと運転席の方に目をやると、バックミラー越しに苦笑いを浮かべている松本さんと目が合って、彼女もどうやら困惑しているようだと分かり、ホッとした気分になった。



 パーキングに着くとすぐ、ジュディはスマホを取り出してパシャパシャと写真を撮り始めた。それを呆れながら見守っていると、背後から松本さんに声をかけられた。


「畑毛くんって、英語が得意なのね」

「……え?」

「ほら、さっき水族館の英語も知っていたし、それにパーキングをレストエリアってすぐに言えるから」

「そうでもないです」


 うつむき加減にそう返事をすると、松本さんは「あら、そう」とだけ返事をした。

 たぶん怪訝な顔をされているだろうことは雰囲気で感じ取れる。それぐらいのことなら、俺にだってすぐに分かった。


 SAに着くとジュディは早速、立ち並ぶ自販機に前に立ち、まるで獲物を狙う女豹のごとくどの飲み物を買おうかと一つ一つ吟味し始めた。ちなみに松本さんは遠慮してくれたのか、車の中に残っていた。

 ジュディはコーヒーやスポーツドリンクには興味がないらしく、珍しければ珍しいほど興味を持つようだ。イチゴミルク、梨ジュースなど俺ですら飲んだことのない物を買っては大喜びをしていた。さらに“いらっしゃいませ”とウザく喋る自販機は相当気に入ったらしい。何度も挨拶をさせてはケラケラと笑った。

 そうして買った十五本の缶ジュースとペットボトルを、俺がビニール袋に入れる。むろん持つのも俺。ま、最初から荷物持ちだと覚悟はしていたけど。

 もちろんジュディが希望していた“食い物系自販機”も一つだけ置いてあり、たこ焼きと焼きそばが購入できる。彼女は迷わず焼きそばを買って、一膳しかない箸を使って立ちながら二人で食べた。

 食べながら、ふと思う。

(これって、マジでデートじゃね?)

 ジュディと付き合いたいなんてこれっぽっちも思ってない。金髪を見ると昔からイライラして、ムカついてくる。古傷がシクシク痛み出し、反吐が出るほどだ。だから絶対にジュディと付き合おうなんて金輪際思わなかった。


 自販機コーナーの先にある自動ドアから建物の中に入ると、横にレストランの入口があった。ガラスの向こうに並んでいるサンプルを見て、ジュディはまるで自分もサンプルになりたいと言わんばかりに、そのガラスへとへばりついた。


「とてもアメージング! 全部おいしそう。でもラーメンが一番おいしそうデス」

「こんなのはショッピングモールにもあるけどなぁ。今まで行ってないの?」

「Shopping Mallにはオトウサン達と行きました。でもワタシ、少しえん……えん……」

「遠慮?」

「そう、エンリョしました」

「ふぅん」


 ジュディでもそんな気遣いをするのかと、少し驚きながら彼女の後ろ姿を見る。考えたら彼女は俺と違って、異国で独り頑張ってるんだなと、僅かに同情心のようなものが芽生えたのは確かだ。


「行こうぜ、ジュディ。あとで松本さんと一緒に食べよう」

「ハイ」


 だから外人だけど少しぐらいは優しくしてやろうかなと心の中で思っていた。



 レストランの先には土産コーナーがある。あちこちに平積みされた箱を見た途端、ジュディは狂喜乱舞、いや本当に小躍りしていた。しかも一つ一つを俺に説明させ、時には包装紙を見ながら中身を推測し、俺が正解だと頷くとキャッキャと騒ぐ。まるで子供の遠足のようだ。

 けれどアップルパイの箱を手に取った時、彼女は何故かネジが切れたようにうつむいて動かなくなってしまった。


「気分でも悪くなった?」


 もしくは突然の睡魔にでも襲われたのか?


「ワタシ、タカシに迷惑かけてマス。ワタシ、テキサスでシャイで、みんなと離れていました。でも日本人はシャイだから日本ならダイジョウブと思いました。でもワタシ、日本ではアメリカ人デス。やっぱりうるさいデス」


 ジュディの言葉に、俺は胸をえぐられた気がした。


「日本の女子高生も似たようなもんだよ、それに別に迷惑じゃないし……」

「ホントに?」


 彼女の青い瞳が真っ直ぐ見上げてきた。俺は視線を逸らすことが出来ず、十五秒ほど睫に縁取られたその大きな瞳を見つめ返す。すると俺の背後から年金世代の女性が手を伸ばし、俺を押し退けながら前にあった箱を取った時、俺はようやくハッと気付いてジュディから顔を背けた。迷惑なのは俺の方らしい。


「ジュディ、それ買うの?」


 視線を外したまま、彼女が抱えているアップルパイの箱を指で示す。


「ハイ、オトウサンのSouvenir(土産)です」


 そう言って、ジュディは大事そうに箱を抱えたままレジの方へと歩いて行った。けれどレジに到達する前に、彼女は足を止めて何かしきりに眺めだした。何事かとそばまで行くと、どうやらキーホルダーが気になっているらしい。


「それ、欲しいの?」

「とてもカワイイ」


 キーホルダーに付いているのは日本が産んだアイドルだ。世界のセレブも大好きなその白い子猫は赤い人形を抱っこしていて、ご当地物としてどこのSAにもよく売っている物だ。


「それ、貸して」

「なぜですか?」

「買うから」


 ジュディの手からキーホルダーを奪うと、俺はすぐ後ろにあるレジにいたお姉さんにそれを差し出した。


「いいデスカ?」

「俺、今日はちょっとセレブ。さすがにダイヤモンド付きってわけにはいかないけど」

「ありがとう、タカシ! 大好きです!!」


 背後からハグされた。前にいるレジのお姉さんの生暖かい目が痛い、痛すぎる。さりげなくジュディの手を肩から振り払い、俺は財布から姉が恵んでくれた野口のオジさん札を取り出し、憤然とした表情でお姉さんへと差し出す。金髪女に骨抜きにされた男認定だけは絶対に避けたかった。



 それから俺達は建物内を見て周り、松本さんを呼んでお昼にしようかとしたその矢先、ジュディがまたまた叫び声をあげた。


「見てクダサイ! capsule-toy!」


 見たくねぇと、知らん顔をして外を見る。さっきの焼きそばが呼び水になったのか、腹の虫が鳴き始めていた。


「タカシ! capsule-toyです! タクサンあります!」

「ったく、ガチャガチャぐらいで喜ぶな」

「ガチャガチャ……?」

「日本ではそう言うの」

「ワタシ、やりたいデス!」

「アメリカにだってあるだろ?」

「日本にはアニメのモノがあると、チャーリーが言っていました。だからワタシ、これをチャーリーのSouvenirにします」


 チャーリーはジュディの話の中で初登場の人物だ。もしかしたらアメリカにいる彼氏だろうか? 確かにこれだけ可愛ければ彼氏の一人や二人いてもおかしくはない。いや、三人や四人いたって別に驚かないし、プロムではパートナー選びに苦労しないだろうし……。


「どうしました、タカシ?」

「何が?」

「怒っています」

「怒ってないよ、それよりするんだろ?」

「ハイ!」


 元気よく返事をしたジュディは、二十ほど並んだガチャガチャの前に立つと、再び女豹となって、心静かに獲物を狙う。散々吟味して、彼女は百円玉を投入しレバーを回した。


 なぜか知らないが俺はすっかりジュディのペースにハマっている気がする。外人なんて大嫌いなのに、気が付けば彼女に同情したり、可愛いところもあると思ったりしている。たぶん、たどたどしい日本語がそう思わせているのだろう。幼児のように見えるのもそのせいで、彼女だって英語で話せば毒を吐き出すに違いない。アメリカに帰ればきっとチャーリーやらフレッドと遊び回る、普通の女子高生だ。

 そんなことを思いつつ、ガチャガチャのカプセルを大事そうに取り出している彼女を見て、俺はどうにも堪らなくなり、どうでもいいことをつい尋ねてしまっていた。


「で、チャーリーって誰?」

「チャーリーはワタシのオット……」

「夫!? 結婚してたのかよ!」

「違います。オトト……」

「魚か?」

「違います違います。オトトト、ではなくオトオト?」

「弟?」

「それデス!」

「何だ、弟か……」


 スッと肩から力が抜け、それと同時に妙なことが頭に浮かんできた。


「あれ、ジュディの名字ってブラウンだよな? チャーリーって……」


 途端にハゲ頭の子供が目に浮かぶ。隣にいるのは白黒のビーグル犬だ。

 気が付けば俺は、ガチャガチャの機械に手を突いて、クスクスと笑い出していた。


「タカシ、笑わないでクダサイ。チャーリーも気にしています」

「名付け親はブラウンって名字を知らなかったの?」

「チャーリーのGodparent(名付け親)はオジイさんデス。オジイさん、あまりComics知らない」

「だからって……」


 久し振りに声を出して笑った気がする。ずっとずっと前、まだ俺が姉をマドカではなく“お姉ちゃん”と呼んでいた頃、母と三人で笑い転げたっけ。あの頃が一番幸せだったような気がする……。


「タカシも笑うのデスね?」

「ん?」

「タカシ、いつも怖い顔してるので、笑わない人かと思っていました」


 ジュディの鋭さに内心辟易し、浮かんだ笑顔を殺しながら、金色の髪をポンポンと叩いた。


「買うなら早く買えよ」

「ハイ!」


 元気よく返事をし、それから再びガチャガチャの前に座り込んだジュディだったが、ふと顔を上げると、


「昨日、チャーリーがタカシに会いたいってメールで言っていました。彼はニンジャが大好きデス」


 弟の仇討ちをされたような気分になって目を細める。

(俺がニンジャならチャーリーはハゲだろ)

 という言葉も何だか負け惜しみのような気がして、弟思いの姉に言わないと決め、俺はただ心の中で呟いていた。

 その後、松本さんと一緒に昼飯を食べ、観覧車に乗り、水族館に入り、ジュディは本当に楽しそうだった。そのハイテンションが彼女をすっかり疲れさせてしまったのだろう。帰り道、車の中では完全に熟睡して、俺の肩で気持ちよさそうな寝息を立てている。本当に幼児のような姿に、幼い印象はたどたどしい日本語のせいばかりではないかなと思っていた。


「ねぇ、畑毛くん」


 ハンドルを握る松本さんが、いくつ目かのトンネルに入ったとき、ふと声をかけてきた。


「はい?」

「ジュディはとっても良いお嬢さんなの。テキサスのご両親もきちんとした方達よ。だから彼女を泣かせるようなことはしないでね」


 どうやら俺は釘をぐっさり刺されたようだ、と言うことはしっかりと感じ取れた。




 休むつもりだった月曜日、呪いの言葉“もうすぐ期末”によって、俺は登校を余儀なくされた。しかも今日提出しなければならない宿題は、幾何の教師に『いいかぁ、来週の月曜までに出さないと通知表が楽しいことになるぞぉ~』と木曜日に言われていたことも思い出してしまった。『病欠します』はきっと言い訳にはならない。なぜなら、それは三週間前に出された宿題なのだから。

 席に辿り着くなり、柳瀬が意味深な眼をして声をかけてきた。


「おはよう、カカシ君」

「まだそのネタひきずってんのかよ、しつけぇ」

「土曜日、ジュディとデートしたんだろ?」

「情報早すぎ。どっから出たんだよ、その話。っていうかデートじゃないし」

「もちろんジュディが“タカシとデートしました”とC組の女に喋って、それが巡り巡って俺のところまでやってきたからさ」


 いくら俺が口を閉ざしても、本人がベラベラ喋りまくってたら全く意味がない。どうして女という生き物は黙っていられないのか。


「で、もうやっちゃった?」

「なんもやってねぇーし。朝っぱらからそれ聞く? お前は中坊か」

「“タカシ、とても冷たいデス、ジュディ、体が火照っちゃう、イヤイヤ”」


 柳瀬は自分の腕を体に絡みつかせ、アホみたいにシナを作ってジュディの口まねをした。

 そんなことをされれば、嫌でも沙織のことが頭に浮かんできて、気分が重くなる。心がまだ少し彼女に残っているせいだ。


「止めろ、お前がするとリアルすぎるんだよ」

「リアルって……」


 言いかけた柳瀬は先を続けるのを止めて、自分の席へと腰を下ろした。

 たぶん柳瀬は俺が沙織を好きだったことを知っている。けれどそれは暗黙の了解で、互いに確認することは避けていた。


「けどさ、真面目な話、俺は別にジュディと付き合ってもいいと思うけどなぁ。美人だし明るいし、それに無愛想なお前と付き合いたいとか言ってくれたんだぜ?」

「俺って、そんなに無愛想?」

「無愛想すぎて、お父さん、心配だよ」

「誰がお父さんじゃ!」


 反論したものの、柳瀬の言わんとしていることは自分でも分かっていた。

 人との距離感がつかめない。話す時にジッと見てしまう癖がある。それを気にすると、途端に言葉に詰まってしまう。投げかけられる言葉の中に、何か他の意味があるのではと考えてしまう。そうして生きているうちに気が付けば愛想良く生きる術を見失っていた。


「去年、一緒に文化祭委員してなかったら、俺だって今頃、無愛想な畑毛が案外ザックリとした性格だって分からなかったし」


 まるで俺の心を見透かしたように、柳瀬がテンションを下げてそう言った。


「柳瀬のおかげで友達が増えたことは認めるよ」


 愛嬌があって誰にでも気安く声をかけることができる柳瀬は、俺と違って友達が沢山いる。俺が今、クラスメイトと繋がっていられるのは、間違いなくコイツのおかげだった。


「別にそれ言いたいわけじゃないぜ?」

「そうかもしれないけど……」

「お前のこと、そんなに悪く言うヤツいないし、男子限定だけど」

「そんなことは心配してねぇよ」

「俺はジュディと付き合うのはいいと思うけどなぁ。ああいう脳天気なキャラの方がお前に合ってるよ。外人嫌いなのは知ってるけど、お前、英語の成績悪くないじゃん。言葉が通じないわけでもないだろ?」


 返事に困って窓の外へと目を向ける。こういう態度が誤解を生むことはよく分かっているが、柳瀬はもうそれをどうこう言うような間柄でもないから、安心して無言になれた。

 やがて予鈴が鳴ると、みんな席に座り始めた。ギリギリに来たヤツも慌てて席に着く。ウチの担任は、予鈴が鳴ると猛牛のごとく現れて、凄まじいスピードで出欠を取り、それに間に合わなかった者は全て遅刻扱いにするので油断は出来ない。推薦枠の争奪戦は、もう既に始まっていた。



 十日後、地獄の期末考査が始まり、色恋についてどうこう考えている暇はなくなっていた。俺は昔から国語と社会が苦手で、かなりの努力をしたにもかかわらず、その努力と成績は全く比例してくれない。今回も間違いなくギリギリ。一応、理数系を選択しているけど国語も社会も全くゼロではない。

 まあ、理数系は悪くないし、英語はそれなりに点数を取れるので何とか乗り切れる気はする。もっとも英語の文法はかなり苦手だった。

 ジュディはあの日以来、毎日のように一緒に帰りたがった。二日に一度は逃げ切れたが、二日に一度は捕まって残念な日本語を聞く羽目になる。もうグルグル回りたくないので、しかたがなくジュディの家の駅まで送って行くと、彼女は必ず家まで来いという。これは三回に二度は断ったが、残りは断り切れずに玄関先で松本さんに挨拶をしてから帰ることになる。けれど中に入れという誘いだけは断固拒絶した。

 学校では俺達のことをからかうヤツはもう殆どいない。公認と言わんばかりの態度だ。“ジュディの彼氏”というのが俺の立ち位置らしく、

“あの人って、ジュディの彼氏だよね?”

“地味くない?”

 と言うような会話を何回か耳にした。その度に俺は無言で“彼氏じゃねぇ”と目で訴えた。

 最大の敗因はきっと、あの時バスを一緒に降りたこと。あれさえなければ自販機の旅に行くこともなかったし、ジュディに懐かれることもなかったはず。“やっちまったなぁ”と自分にツッコミを入れても、後の祭りとは正にこのことだった。


 そんな中、柳瀬だけはやったかやらないかをしつこく尋ねてくる。「手も握ってねぇ」と答えると、「お前、ホモか?」と妙な疑いまでかけられた。

 その柳瀬は最近ジュディと仲がいい。毎日のように彼女が弁当を片手に俺のところにやってくるせいだ。しかも沙織とも仲良くなっている。原因は知らないけど、いくつかのパターンは容易に想像できる。

 なんか、この外堀から埋められていく感じがむちゃくちゃ嫌だ。それでもジュディを拒否れないのは、“外人なんて嫌いだ”と言えなかったから。さすがにそれは、彼女を傷付けると分かっていたのでできなかった。





「タカシと一緒に帰れないのは淋しいデス」


 特別教室の前で、ジュディが本当に淋しそうな顔でそう言った。

 季節はすっかり冬で、気の早いコンビニではジングルベルを垂れ流している。ジュディも制服の上から紺色のカーディガンを羽織っていた。


「昨日帰っただろ」

「毎日帰りたいデス」


 今日は週に一度ある留学生のための日本語教室だ。この日だけは逃げなくてもジュディとは一緒に帰る必要がなかった。


「俺も塾とかあるから、色々忙しいんだよ」

「ワタシ、タカシとKissしたいデス」


 何の前振りもなく、いきなりジュディが俺は脳内の思考を全て停止させた。驚きのあまり、青い瞳をジッと見る。

 十秒ほど見つめ合って、彼女の瞳に期待の色が浮かんでいるの気が付いて、サッと顔を背けた。


「やっぱりダメデスか? ワタシのボーイフレンドにはなりたくないデスか? ワタシが嫌いデスか?」

「嫌いとかそういうことではなく……」

「NoならNoと言って欲しいデス。ワタシはタカシがCoolだと思っていました。でもミキちゃんはColdだと言いました。でも本当はWimpデスか?」

「はぁ?」


 俺は傷付けないように言葉を選んでいただけなのに、弱虫呼ばわりかよ。だったらはっきり言ってやると口を開きかけたその時、背後から空気が読めない馬鹿がやってきた。


「ケンカ、いけないデスね~」


 振り返れば二年F組にいるオーストラリア人だ。背も高く愛想もいい彼は女子生徒達にも人気があった。


「ジュディ、ケンカはダメです」


 そう言ってから、英語でさらに続ける。表情は穏やかだが、ジュディの顔が見る間に曇っていった。


「二人とも仲良くしてクダサイ」


 再び俺に向けられた笑顔にカチンときた。


「I caught what you said」


 口の中でポソリと呟き、それから英語で捲し立てた。


『ふざけんな、尻軽女のオタクのジャップだの散々言ってくせに、何が“仲良くしてクダサイ”だ。そんなに日本が嫌いならとっとと帰れ。ぶち殺すぞ、クソ野郎!』


 オージー野郎が息を詰まらせたまま固まっている。まるで飼い犬を手に咬まれたような表情だ。


「Bite me!」


 最後にそう吐き捨てると、オージーは黙って教室の中へと入っていった。

 横に立つジュディもオージーと同じ表情を浮かべている。その視線が俺の胸に突き刺さっていた。

 肩をすくめ、俺はその場を立ち去ろうと歩き出した。すると背後からジュディが英語で話しかけてくる。


『英語が出来るって、どうして隠してたの?』


 別に隠していたわけではない。ただ話したくなかっただけだった。


『私をからかってたの? それが日本人の流儀? それともあなたが冷たいだけ?』


 日本語でも英語でも質問ばかりだ。それに腹が立ち、俺はジュディの方へと近付いて、壁の方へと追い詰めた。

 金色の髪の横にドンと手を突いて睨み付ける。それに驚いた彼女は、それでも俺から目は離さなかった。


「“気づかい”って言って欲しいね、出来れば。英語にはそんな単語はないけどな」

「きづかい……」

「俺は英語も外人も嫌いなんだ、特にアメリカ人が。それでもいいなら、いくらでもKissしてやるけど、いいのかよ? お前ってそんなにEasyな女なのか?」


 俺に気圧されまいとして、まだジュディは目を逸らさない。そういう態度もまた、俺をイライラさせる原因だった。


「で、Kissするのかよ?」

『キスは優しい人としたいわ、タカシ』


 笑みもなく言われた言葉に、俺は傷を負っていた。好きではないと自分で突き放したはずなのに、気が付けば俺自身が突き放された気分になる。こんな我が儘な俺が、“気づかい”などアホみたいだ。

 壁から手を放し、溜息を吐く。するとそのタイミングを見計らったように、特別教室のドアが開いた。


「今、汚らしいスラングを叫んでいたのは誰ですか?!」


 帰国子女の女教師がジュディを睨んでいるのを見て、俺は「beats me」と呟きその場を後にした。




 俺はまた同じことを繰り返している。切れて叫んで、お袋を殺しかけた。それなのにまた、俺はジュディを傷付けている。本当に成長がない。

 必死になって溶け込もうとして、溶け込めきれずにおどおどした気持ちを隠し続けるwimpだ。

 騒がしい生徒達がいっぱいのバスに乗り、俺は一人取り残された気分でずっと窓の外を眺めていた。なにも考えられなくなっている。どうしてあんなオージーにキレたのかそれすら分からなかった。

 前の方には柴田が座っていて、俺の方をチラチラ見ている。どうせジュディが一緒でないことを気にしているんだろうと、お節介な女にウンザリした気分になった。

 終点の駅に着くと、真っ直ぐに改札に向かう。もうこれからはグルグル回る必要もないから、無駄な運賃を使わなくて済みそうだ。姉からもらった三千円のうち二千円は全て乗車カードにチャージしたが、もうすぐ底を突いてしまう。電車代だって馬鹿に出来ないんだぞと思いつつ、ポケットからそのカードを取り出していると、背後から肩を叩く者がいるのに気が付いた。

 ジュディかと思い躊躇いがちに振り返ると、そこに立っていたのはパッキン女ではなく、短い髪にピンを止めまくっている柴田だった。


「見つけた」

「何?」

「ちょっと話があるんだけど?」

「別に俺はないけどね」


 そう言いながら乗車カードを改札にかざそうとした俺の手を、柴田は強引に引っ張った。


「何だよ、止めろ」

「話をしてくれるまで放さない」


 ダジャレのようなセリフに戸惑い、返事に詰まっていると、背後にいた女子生徒が「邪魔なんだけど」と文句を言ってきた。俺は仕方なく数歩前に出て彼女を中へ通してやる。その隙に柴田は俺のカードを取り上げていた。


「ふざけんな」


 必死に取り上げようと手を伸ばすと、柴田は身を翻して逃げ始めた。


「ちょっと、待て、こら!」


 運動部ではないがさすがに女子に負けるはずはない。すぐに追い付き、その手からカードを奪い取ろうとしたその瞬間、柴田がこう言いやがった。


「チカンって叫ぶからね!」


 結局俺は諦めて、お節介な元クラス委員と話す道を選んでいた。




 数分後、俺達は改札の近くにあるハンバーガー屋に向かい合わせに座っていた。俺の財布にあった最後の百円玉は、別に飲みたくもないコーラへと変化してしまっていた。


「で、何、話って?」


 方肘を付き、そっぽを向きながらストローに口を付ける。言われそうなことは分かっていたので、相手の顔を見る必要など全くなかった。

 案の定、柴田は「ジュディのこと」とサクッと言った。


「もう関係ないね。さっき振ったから」

「エッ! 振っちゃったの?!」


 大げさに驚いた柴田の声に俺も驚いて、視線だけを彼女の方へと向けた。


「何か話違うんだけど……」

「話が違う?」

「こっちのこと。それよりも話って言うのは……」


 柴田の目がうつろに揺らいで、それからテーブルの端を睨み付けならが思いがけないことを口にした。


「アタシさ、畑毛のことが好きだったんだよね、今だから言うけど」


 途端、俺の口の中にあった黒い液体が外へと飛び出して、柴田の制服を少し濡らしてしまっていた。


「きったない!」


 スカートのポケットからハンカチを取り出し、濡れた部分を擦りながら文句を言う。


「悪い。でもその前振りなしの話題出しってヒドくね? そう言うの、流行ってんの?」


 ちょっとだけジュディのことを思い出し、俺はそんな柴田に逆ギレ気味に文句を言い返した。


「やっぱ気付いてなかったか」

「気付くかよ。お前、俺を冷血男って言ってなかったっけ? 掃除のことを切り捨てたとか言ってたよな?」

「あれには続きがあって、“無理”って言って一度廊下に出たけど、アンタ、すぐに戻ってきてアタシから箒奪って、“一回だけだぞ”って言ったんだけど、覚えてない?」

「全然、全く。っていうか、これってもしかして告白タイム?」


 俺は改めて柴田を眺めた。

 顔も体も可も無く不可も無くと言う女。性格はジュディとは違ったザックリ系で、クラス委員になったのも、まだ互いを知らない一年生の中で、立候補者がそのまま当選するというシステムだっただけだ。その証拠に彼女は今年、何の役職にも就いていない。

 その柴田に告られて、ウンと言うかどうかはジュディ以上に微妙な気持ちだ。


「アタシは“好きだった”って言ったんだけど。今は別な人が好きだし」

 乱暴な口調に似合わず、柴田は乙女らしく頬を赤らめた。

「じゃあ、この時間は何? 思い出話を語る会? それとも俺が案外モテる系だってわざわざ教えてくれてる?」

「ホントはジュディのことを話そうと思ったんだけど、ああ、もう、アタシってホントにお人好し。何でアンタ達のために、痛い過去を出しちゃったかなぁ」

「俺を好きだったことって“痛い過去”かよ」


 呆れて、紙コップを握りながら立ち上がる。

 こんな無駄な時間のために、俺の可哀想な百円はコーラに変わらなければならなかったのか。俺のような貧乏な学生にとって、コーラは“家の人が買ってくれる”という飲み物なんだ。


「俺、もう行く……」

「あっ、来た来た! こっちこっち!」


 俺を無視し、柴田は入口の方に向かって手を振り始めた。

 何か嫌な予感がして、そっと俺も顔を向けると、果たしてそこには明るい顔をしたジュディが店内に入ってくるのが見えた。


「げっ、マジかよ」

「ミキちゃん、ありがとうデス!」

「“タカシ、駅で止めて”ってローマ字のメールが来たときは、マジ、驚いたよ、ジュディ。どうやってメルアド交換してたっけ?」

「ワタシ、ミキちゃんがタカシと同じバスに乗るのを、窓から見ました。だからミキちゃんのアドレス知ってる人をイッショウケンメイ探しました」

「ジュディは健気だねぇ……。こんな健気な子を振るなんて、アタシには考えられないよ。じゃあ、行くね。頑張って、ジュディ」


 紙コップを片手に、後ろ手に手を振って出ていく柴田を見送りながら、俺はつくづく思った。

(柴田に告られても、俺、たぶん無理だ。アイツ、おとこらし過ぎる)


「で……何?」


 ジュディにそんな冷たい言葉を投げかけた男らしくない俺は、彼女の明るい表情が眩しすぎてまともに見ることが出来なかった。


「今日、ワタシがグルグル回りたいです」

「意味がわかんない」

「タカシが反対に乗って、ワタシがタカシを送りたいって意味デス」

「日本語教室は……」

「サボりました。授業に出ないことをそう言うと、シュウゴに聞きました」


 柳瀬のやつ、ろくなことを教えないな。


「タカシ、行きましょう!」


 袖口を引っ張られ、俺はノソノソと歩き出した。

 彼女の気持ちが良く分からない。あれだけ酷いことを言ったのに、そんなふうに笑っていられるのはどうしてなんだろう……。



 電車に乗ってからしばらく、俺達は何も言わずに並んで座っていた。

 けれどジュディの降りる駅を過ぎた時、俺はようやく黙っていた理由を素直に話す気になっていた。傷付けても笑顔を浮かべる彼女に答えるにはそれしかないと、そう思った。


「I was……」


 言いかけて、口を噤む。

 それから再び口を開き、日本語で言い直した。


「俺、アメリカで生まれたんだ。十二までカリフォルニアの近くにいた。俺、中学生になってたのに、十月生まれだから日本に来たら小学生に戻ってた。笑っちゃうよな? まあ、そんなことはどうでもいいんだけど。

 あっちで、金髪女に散々虐められた。黒人にも虐められた。CAに近いけど小っちゃい街だったし、アジア系もあんまりいなくて。だけど日本に戻ってきたら大丈夫だって思ってたら、こっちでもやっぱり虐められた。目付きが変だとか、英語が変だとか。俺は普通に発音してるだけなのに。それと空気も読めないって言われた。

 友達が言っていることもさっぱり分からなかった。こっちにもスラングあって、さっきのサボるとかそういうの。俺は親が教えてくれたぐらいの日本語で、そういうの全然知らなかったし。

 だから漢字とか地理とか勉強したよ。スラングはネット検索した。こっちの小学校のことも色々調べた。それと小学校の勉強を全部やり直した。頑張って日本人になろうと思って。

 だけどやっぱどっか違ってるような気がして、気が付いたら英語とかアメリカとか、そういうのを感じること自体、日本人じゃなくなるような気がして怖かったんだ。

 金髪が嫌いなのは、言わなくても分かるよな?

 俺、まだ国籍はどっちも持ってるけど、でもそれって、どっちにもちゃんと所属してないようなそんな気がするんだ」


 こんなふうに素直に自分の気持ちを語ったのは初めてだった。たぶん彼女が俺の言葉を理解できないだろうと思ったからだ。これは単なる独り言だった。


「ワタシ……タカシの言っていること、ちょっとしか分かりません」


 やっぱりという気持ちで、俺は「うん」と返事をした。


「でもワタシ、頑張ります。タカシが英語を嫌いなら、ワタシ、英語使いません。いっぱい日本語を勉強して、タカシの気持ちが分かるようになりたいデス。頑張って日本人のようになれたら、タカシはワタシが好きになりますか?」


 その瞬間、俺は彼女の金髪を抱き寄せて、肩に抱いた。

 今まで必死だったことや、糞みたいなことで悩んでたことが馬鹿馬鹿しく思えてくる。彼女のたどたどしい日本語の方が、俺の英語よりずっと優しく聞こえた。


「タカシ?」

「黙ってて」

「ハイ」


 糸のような金色の髪を触っているだけで良かった。それだけでなぜか心が満たされる気分になっていた。


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