《 1 》
「アナタ、私のボーイフレンドになる。イイデスカ?」
そんな唐突な告白に、俺は目の前に立つ金髪碧眼の彼女を一分以上見つめていた。
場所は三明野高校、二年E組の教室内。四時間目の授業を終え、それぞれに弁当を出そうとしていたところだった。
彼女の名前はジュディ・ブラウンという。八ヶ月前に交換留学生として米国テキサスからこの高校にやってきた。クラスは二つ隣のC組で、来た当初から可愛いと評判だった。もっともパッキンで青い眼に慣れない日本人だから、そうした容姿の人間が全て可愛く見えてしまうだけかもしれない。
そのジュディが、昼休み前にいきなり俺の席までやってきて、告白をした。しかも“イイデスカ”と、聞きようによっては脅しとも取れるセリフ付きだ。
「イイデスカ? ダメデスカ?」
「いいですかも何も、俺と話したことあったっけ?」
「オハナシ、これからタクサンします」
二の句が継げなくなるとはこのことだろう。
クラス中が俺達に注目している。教室内は水を打ったような静けさで、俺達の一挙一動を見守って、隙あれば写メでもとってツイッターかラインで拡散しようという意気込みすら感じられた。
「あのさ……、何で今なの?」
「イマは休み時間デス。授業ではデキマセン」
「そうじゃなくて……」
言いかけたが、彼女に空気を読ませるのは無理だとすぐに判断した。けれどせめて俺である理由だけは聞いてみたい。俺は別にこれと言ってモテる容姿でもなく、背の高さもジュディとほとんど一緒。体育会系で目立っているわけでも、成績が優秀でもないし、本当にごくごく平凡で、強いて言えば“目立たない存在”というのが自慢できるぐらいだろうか。
「じゃあさ、なんで俺?」
「アナタの名前、ハタケタカシね。ワタシの好きなアニメキャラの名前と似てる。だからずっと見てました。ニンジャみたいにすごくCOOL。だからワタシのボーイフレンドになってクダサイ」
途端、クラス中に爆笑が巻き起こった。
まさかのアニメキャラとか……。
後ろの席にいる柳瀬秀吾が背中を突っついてくる。
「カカシ君、良かったな?」
「俺は忍者じゃねぇ……」
しばらくの間、“カカシ”と呼ばれることは間違いなさそうだ。
「とにかく、弁当を食わせてくれよ。続きは後で聞くから」
「ワカリマシタ。ではワタシとタカシ、一緒に下校シマス」
「ハイハイ、しますします」
そう言って俺はジュディを早々に追い払った。
ぶっちゃけ、俺は外人が苦手だ。奴らの空気を読めない感じも、大げさな身振りも、ズケズケと物を言う感じも、それからたどたどしい日本語も苦手だった。
ウチの高校は積極的に留学生を受け入れている。だから一、二学年合わせて五人ほどが毎年わざわざこんな田舎の高校にやってきていた。ジュディの他にも男が二人、他のクラスに編入していた。
ジュディはとにかく目立つ存在だった。金髪碧眼と言うことを抜いても、確かに可愛らしい顔をしているし、誰とでも仲良くしようという意気込みを感じられる。日本語も留学生に比べれば上達している方だろう。それでもたどたどしさは拭い去れないが、明るそう性格なので男女関係なくコミュニケーションはスムーズのようだった。
昼休みが終わる頃には、学校中の奴らが俺を見にやってきた。「お前ら、スマホやり過ぎじゃね?」と言いたくなるほどの拡散ぶりだ。しばらくは「カカシ&ジュディ」の話題でメールやら何やらが飛び交うに違いない。
せめてあの告白が人目を避けた場所でしてくれてたらと、そんな恨み言を抱えた俺は午後の授業に集中できないまま、放課後までなるべく息を殺して過ごしていた。
「で、どうすんの、カカシ君?」
六時間目の鐘が鳴った途端、柳瀬が興味津々で俺にそう声をかけてきた。
「どうするって……」
「外人と付き合うなんて滅多にないチャンスじゃん。いっそ付き合っちゃえば? もしかしたら、今日にでもやらせてくれるかもよ?」
「ヤダよ、めんどくさいし」
「あっちは三月にはいなくなるんだぜ? 面倒なんて無いと思うけどなぁ。俺ならすぐにオーケーしちゃうね。もしお前が付き合うんなら、沙織に報告しちゃおう」
「マジ止めろ」
沙織とは柳瀬の彼女だ。二年A組に在籍していて、去年は柳瀬とともに同じクラスだった。
三人で文化祭委員として結構つるんでいたが、今は二人が付き合い始めて、クラスが離れたせいもあってあまり話さなくなってしまったけれど。
「俺が外人苦手なの、知ってるだろ?」
「苦手って言うか、お前の場合、毛嫌いしてるように見えるんだけど」
「日本男子なら南蛮人など相手にせんっ!」
「武士かよ、いや、忍者か」
柳瀬は薄笑いを浮かべて、真顔の俺をからかった。
それから俺は鞄を握りしめ、本当にニンジャのごとく忍び足で玄関まで向かっていた。
廊下ですれ違う誰もが俺を見ているんじゃないかという、いつもとは違う雰囲気をヒシヒシと感じながらようやくたどり着いた玄関で外履きに履き替える。あとは正門まで一気に逃げ去れば、今日のことはなかったという顔で来週を迎えられるかもしれない。今日が金曜日で本当に良かったと思いつつ、少し薄汚れてきた上履きを下駄箱に突っ込んだところで、背後から肩を叩かれた。
嫌な予感を覚えながらゆるゆると振り返れば、案の定そこには長い金髪に風をはらませて和やかに立っているジュディがいた。
「約束、忘れマシタカ?」
「忘れてはないけど……」
「一緒に下校します、イイデスカ?」
「ジュディの家ってどこ?」
すると彼女はある駅の名前を口にした。そこに行くにはまずバスに乗り、終点にある駅で電車に乗り換える。電車は環状線で俺も使用していたが、俺の駅と彼女の駅とでは反対方向。つまりバスに乗って駅に着けば、それでサヨナラ。それぐらいなら我慢してやるかと、俺達は肩を並べて玄関口をあとにした。
バスの中は三明野高校の生徒でいっぱいだった。だいたいは俺と同じ帰宅部で、しかも暇を持て余している奴らばかり。当然、俺達が一緒にバスに乗り、それから並んで座っていることに注目しないはずがない。さすがに中坊ではないのであからさまな態度はなかったが、チラチラと見られる視線が痛くて仕方がない。しかもジュディ自身はそんな視線などお構いなく、たどたどしい日本語で一生懸命にコミュニケーションを取ろうと躍起になっていた。
「ワタシ、日本に来られてウレシいデス。タカシはずっと日本人デスか?」
「最近はずっと日本人だな」
少し視線を逸らしながら、俺はジュディの質問にサラッと答えた。
「違いました、ずっと日本にいますかと言う予定でした」
「それ、答える必要ある質問?!」
ちょっと語尾が強くなり、しまったと思ったが後の祭り。ジュディは驚いたような顔で言葉を詰まらせた。
「あ、ゴメン。別に怒ったわけじゃなくて、日本日本連呼されても困るって言うか……」
その時、頭の上から誰かの声が降ってきた。
「ちょっと畑毛、ジュディを泣かせるな!」
見上げれば、そこに立っていたのはジュディと同じC組の柴田。去年は俺と同じでクラスで、クラス委員をしていた女だ。なにが気に入らないのか俺にちょっかいを出してくることが多く、しかも偉そうだった。
柴田以外にも俺の席の横にはC組の女子が四人ほど立っている。完全に俺達は囲まれていた。
「なんでお前ら、取り囲んでるんだよ?」
「だってジュディが告ったって言うし、畑毛って冷たい男じゃん」
「冷たい?」
「去年、アタシが委員会あるから掃除当番を代わってって言ったのに、アンタ、速攻拒否ったの、忘れてる?」
「用事があったんだ、きっと」
「言い方が冷たかった。“無理”ってその一言で切り捨てられた」
「忘れたね、そんなの」
全く身に覚えはない。身に覚えはないが、俺なら言いそうだとは思っていた。コミュニケーションの仕方が分からないのは、俺もジュディと一緒だ。
「愛想良くなんて言わないから、もうちょい言い方考えろって話」
「ミキちゃん、怒ってはダメデス。タカシはとてもShyなだけデス。日本の男、とてもShyね。だからタカシは悪くないデス」
「シャイじゃなくて、ただの冷血男。日本人だってもっと愛想のいいヤツは沢山いるし」
「タカシはいい人、ワタシ分かります」
「あのねぇ、ジュディ。こいつ、アニメキャラじゃないんだから……」
呆れ顔の柴田に、ジュディは本当に困った顔をしていた。そんな表情をされると、俺自身もどうしていいか分からない。その場の空気が乾いてきたような気がして、俺は居たたまれずに立ち上がった。
バスはちょうど停留所に止まろうとしているところだった。俺はジュディの腕をつかむと強引に引っ張り上げる。驚く彼女を尻目に、柴田達を押し退けると、閉まりかけた後部ドアから外へと飛び出していた。
「ビックリしました」
徒歩で駅へと向かっている途中、ジュディは笑いながら素直な感想を述べてきた。その細い指がつかんでいるのはミルクティの缶だ。あまりに無謀な行動で驚かせたお詫びにと、おごることにした。バスで妙な緊張感を強いられ喉が渇ききっていた自分の分も買ったので、残り少なかった小遣いがとうとう底を尽きた。
「あんな雰囲気でオハナシなんてできないだろ?」
「ワタシ、タカシを困らせました。ごめんなさい言わないとダメデス」
「別に困ってないけど……」
「そうデスか、困っていませんか?」
こういう場合、困っていても困っていないと言うのが日本人なのだが。
明るく輝いたジュディの顔を見て、俺はまあいいかと手にしたコーラ缶に口を付けた。
「このMilk with Tea、おいしいデス」
そう言ってジュディは夢中になって飲んでいる。そのたどたどしい日本語と相まって、何となく幼く感じられた。
それを飲み干したあと、ジュディは急に立ち止まる。
街道沿いの道は少し薄暗くなりかけいる。通り過ぎる彼女の後ろにある街路樹を照らす。葉桜は風にゆるゆると揺れていた。
トラックが彼女の薄い色をした髪を舞い上がらせる。濃紺の制服は何となく彼女には似合わない。白の夏服の方がきっと彼女のキャラには合っていただろうに……。
「OH、ワタシ、日本でやりたことあったコト、思い出しました」
「やりたいこと?」
「Vending Machineでいっぱいいっぱい買いたいね」
「いっぱいって何を? 自販機で売ってるモノなんてどれも一緒だろ?」
「そんなことないデス。色々なDrinksあります。それに食べ物が買えると聞きました。ワタシ、Vending Machineでタクサン買いたいデス」
確かに海外では日本のように自販機が道端に置いてあるわけではない。それを目的に海外からやってくる人もいるという。だからといって、若い女の子が一人自販機で飲み物を買いあさるというのもどうかと思っていた。しかも自販機を追い求めて数時間ってことになったら、間違いなく道に迷いそうだ。
「明日はSaturdayデス。学校Holidayデス。タカシ、ワタシとDATEします」
この女、ちょいちょい英語を混ぜてくる。わざとやってるのかと横目で睨んだが、他意のなさそうな笑顔に俺は軽く肩をすくめてみせた。
「そのジェスチャー、日本人はOKの意味デスか?」
「仕方ないから付き合ってやるって意味だよ」
「シカタナイ、どういう意味デスか?」
「いいよってこと」
その瞬間、ジュディが抱きついてきた。制服を通して感じる胸の膨らみに内心ニヤっとしてしまったが、それはそれ。キャラとしてポーカーフェースを崩さず、俺はやんわりと彼女のハグを押し退けた。
「公道で抱きつかない。これ、日本の常識」
「コウドウってなんデスか?」
「publ……つまり知らない人がいるような場所って意味」
「ワタシ、それ知っています」
知ってるならやるなよ。
そう思いながらも、遠慮がちにつかまれている制服の袖を俺は何となく振り払えないでいた。
「でも食い物売ってる自販機なんて、高速のパーキングしか思いつかねぇ」
「PARKING……?」
「レストエリア」
「OH、それならワタシのホストファミリーのオトウサンが車を運転シマス。ワタシ、今日の夜にお願いシマス」
「だったら俺が行く必要、なくね?」
「ワタシがJuiceをタクサン買ったら、オトウサン、SupermarketでJuiceタクサン買ってきます。ワタシがJuice好きだと思います。ワタシはVending Machineで買いたいJuiceを選びたいデス。オネガイシマス!」
俺の明日の予定はこのテキサス娘に決められてしまったようだ。それに不器用に頭を下げたジュディがちょっとだけ可愛く思えたのも確かだった。
それから俺達は駅までの道をとぼとぼ歩いた。ジュディは黄昏の淋しい雰囲気にも負けず明るく話し続ける。殆どがテキサスにいる両親のことで、興味もない彼女の母親の趣味まで知ることとなった。それもパッチワークなんて、生まれてこの方、その単語すら口にしたことはないと言えるほど興味が無い趣味の話だ。
「今度、ママがタカシにPresentするようにお願いします」
「悪いから別にいいよ」
「悪くないデス。ママ、とても喜びます」
やんわりと断ったつもりだったが、もちろんジュディには通じなかった。
四十分ほど歩き、俺達は駅に着いた。小さな駅だから、人ゴミと言うほど人は集まらない。駅前にいる半分がバスを降りたウチの生徒達だ。もしかしたら柴田達が待ち構えているかと思ったが、現れることはなくホッと胸をなで下ろした。けれど月曜日は絶対に俺達の逃避行の話題で持ち切りだろう。というか、今も電波がこの街を飛び交ってるはず。
ジュディはそんな事情が想像できないのか、本当に嬉しそうにサヨナラの挨拶をした。
「明日、メールします」
「了解」
「ワタシ、楽しみデス。See you tomorrow!」
そう言い残し、弾むように階段を降りていく彼女を見送って、俺はホッと溜息をついた。
何だか変なことになってきている。それに、俺に告った理由も名前だけではないような気がするけど、それを日本語で説明しろというのはたぶん無理。英語で語らせるという手もあるが、そうまでして知りたいとは思わなかった。
(まあ、どうせ数ヶ月の縁だしな)
というより、数ヶ月の縁で終わらせたいというのは正直な気持ちだった。
ホームに降り立つとすぐにやってきた電車に乗って、俺は一番後ろに移動した。俺の降りる駅ではその車両が階段に一番近いということもその理由だが、今日は同じ学校の生徒とも鉢合わせしたくないというのが最大の理由だった。
(こっそり写メって、“デート帰り”とか拡散しやがる奴、絶対にいそうだしな)
個人情報個人情報と騒ぐくせに、個人情報もへったくれも無い現実にゲンナリしながら、俺はポケットからスマホを取り出して、飛び交っている電波を確認した。
“カカシ、今頃ジュディとキスしてたりして”
“ってか、今頃やってんじゃね?”
“童貞卒業一番乗りかよ”
“いや、俺が一番”
というような言葉の羅列が目に飛び込んできた。
「こいつら、マジ、うぜぇ」
だったらラインなんかで繋がるなと言う心の声を無視して、俺は一言、“何もやってません”とだけコメントを入れた。それから数件来ていたメールを確認しようと指を動かそうとしたその矢先、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「OH、やっと見つけたデス」
ゲッと思って顔を上げれば、ニコニコと微笑むジュディが隣の車両から移動してくるところが目に入った。
「えっ、なんでいるの?」
「ワタシ、メールすると言いました。でもワタシ、タカシのMail Address知りません」
「そんなの、誰かに聞けば済むのに」
「ダレかってダレですか?」
「C組なら柴田が知ってるはず」
「でもワタシ、ミキちゃんのAddress知りません」
繋がっているようで案外繋がっていないものだと思いながら、俺達はスマホを突き合わせて情報交換をした。時間にしてたった一分。これだけの為にジュディはわざわざ逆方向の電車に乗り込んできたのかと思うと、さすがの俺も少々申し訳ない気持ちになった。よく見れば彼女の額には薄らと汗が浮かんでいる。たぶん気付いてすぐ走って、この電車に飛び乗ったのだろう。
「俺、もう降りるけど、ジュディも降りるだろ?」
「降りる? なぜ?」
「なぜって、逆方向だし」
「だいじょうぶデス。この電車、グルグル回っています。ワタシ、このままグルグル回っていると駅に着きます」
「小一時間かかるぞ」
「コイチ?」
「つまり時間がかかるってこと」
「だいじょうぶデス。いつか着きます」
そりゃ、いつかは着くだろうさ。けど途中でバスを降りてしまったから、既に五時半を過ぎている。降りる駅に到着する頃にはきっと辺りは真っ暗。あの駅はかなり淋しいし、それに俺のせいで遅くなっているという負い目もある。
横目でジュディの明るい笑顔を眺め、昨日、下校帰りにいなくなったという女子高生の話がふと俺の脳裏に浮かんできた。
こんな日本語がたどたどしくて、脳天気そうな金髪女子高生なんて変態のイイ餌食だ。
「仕方ねぇな……」
「またシカタナイ? それは“いいよ”って意味デス。タカシは何がいいデスか?」
「一緒にグルグル回るって意味」
「OH、ありがとう!」
人目もはばからず、ジュディはまたまたハグをしてきやがった。
「止めろ」
「嬉しい時はみんなハグします。でも日本語すごくムズカシイ。シカタガナイは“いいよ”という意味と“グルグル回る”という意味ありますね」
「ねぇよ」
そんなわけで俺は、ジュディと一緒にグルグル回ることになった。途中、乗り継ぎの駅で人が降り、二人分の座席が空いた。並んで座った途端、ジュディはウトウトとし始め、やがて俺の肩にもたれかかって熟睡してしまった。こんなところを知り合いに見られれば格好の餌食だろうが、何だかもうどうでも良くなっていた。
ジュディを起こさないように、胸のポケットからスマホを取り出す。さっき読めなかったメールチェックだ。
案の定、数人からジュディとの件にツッコミを入れるメールが入っていた。
(ったく、どんだけ暇なんだよ)
ただ少し残念なのはその中に沙織の名前があったことだ。彼女にだけは出来れば触れては欲しくなかった。
俺は沙織が好きだった。何度も告ろうとして、その度に躊躇して、臆病風が吹き荒れているそんな最中に柳瀬が告って見事に玉砕した。
沙織は目がクリクリッとした童顔で、そのわりに胸が大きくて、足がむちゃくちゃ綺麗で、同学年の女子で五本の指に入るほど可愛い。その五本の指の中でも、一番雰囲気に暖かみがあるのが沙織だった。
惚れた相手だから、多少の欲目はあるかもしれない。けれど、少なくとも今時女子のように“オマエ”とか“こいつ”とかなど言わないし、“ウザい”なんて言葉も口にしなかった。それはきっと俺に気があるからだろうと勝手に信じて、だからこそ柳瀬に告られてあっさり付き合い始めたと知った時は、立ち直れないほどのショックを受けたものだ。
柳瀬のルックスは俺以上であることは間違いない。しかも一年の時からサッカー部でそこそこの活躍をしていて、今年はレギュラーだ。あいつに勝てる理由が何一つないというのに、柳瀬が沙織に告るはずはないし、沙織も付き合うはずがないと俺は思い込んでいた。
今思い起こせば、文化祭委員として三人で動いていた頃から、二人の雰囲気には微妙なものがあった。それを悟れなかった俺は、最初から柳瀬には勝ち目はなかったけれど。
沙織からのメールにもう一度目を通す。
“ジュディちゃん、いい子だから頑張ってねっ!”
(それって、まるで俺がジュディに告ったみたいなんですが?)
ちょっと傷付いたものの、どうでもいいやと思って俺はスマホをポケットに落とした。
肩の上でジュディがすやすやと眠っている。シャンプーのいい香りがして、それに柔らかそうな金髪が首筋に当たっていた。ゾクゾクッとくるものがあり、彼女の肩に手を伸ばしかけ、やっぱり止めておいた。面倒なことになるのはゴメンだと車内を見回す。乗客は見て見ぬ振りをしているが、内心では妙な高校生カップルに興味津々だろう。
(月曜日、面倒くせぇ、休んじゃおうかな)
興味津々でも乗客達のように無視してくれればいいけれど、興味津々に突っ込まれるかと思うと何だか気が重くなる。そういう時、どういうコミュニケーションをすればいいのか、俺にはさっぱり分からなかった。
ジュディが降りる駅で一緒に降りて、彼女の家の近くまで送っていった。中に入るよう誘われたが、さすがに留学生を預かっているような健全な家庭に、いきなり男子学生が、しかもこんな時間に押しかけたらきっと驚かれるだろう。
「オトウサン、オカアサン、とても喜びます」
「絶対喜ばねぇ」
「どうしてですか?」
「そんくらい、アメリカ人でも分かるだろ?!」
「……そうデスか」
ショボンとした彼女を見て、少し強く言いすぎたかなと反省しかけていると、ジュディは再び顔を上げ、明るい笑顔を浮かべてみせた。
「でも、tomorrowオトウサンとRest Area行ったら、タカシがボーイフレンドって紹介できます」
めげねぇな、この女。さすがアメリカ人だぜ。
「つーか、まだボーイフレンドじゃねぇし」
返す言葉が見つからず、ついうっかり言ってしまった自分の言葉に、しまったと内心ヒヤリとする。“まだ”なんて言ったら、まるで脈ありみたいだ。
(まあいいか、そういう微妙なニュアンス、分からないだろうから)
そう思い直していると、「“まだ”ということは、もうすぐボーイフレンドになるという意味デスね?」と反応されてしまった。
「違う!」
意外と鋭いジュディに驚きつつ、俺は彼女にサヨナラと言ってその場を立ち去ったのだった。
家に着いた時には二十時を回っていた。玄関を開けるとすぐ、中から姉の大きな声が聞こえてきた。
『タカシ? 戻ったの?』
「うん、ただいま」
靴がないところを見ると、お袋はまだ帰っていないようだ。そういえば今日は女子会と称する友達との飲み会があると言われたことを思い出した。親父は長期出張中で年に数回しか帰って来ないから、羽を伸ばしまくっているんだろう。
(羽を伸ばすは言い過ぎか……。気晴らし? 気分転換?)
酷いことを考えた罪悪感を消しつつ、リビングに入る。
『夕飯、ピザだけどいい?』
「またピザかよ……」
『いいじゃない、好きなんだから』
「そんなもんばっか喰ってると、ぶくぶく太るぞ」
『死ね』
相変わらず汚いスラングを使いまくる姉である。
リビングに入ると、もう十一月だというのに半袖に短パンという姿で、姉はソファに寝転んでテレビを眺めていた。
液晶の大きな画面をチラリと見る。妙な黒人が変な姿で唄いまくっている番組にゲラゲラ笑う姉にウンザリしながら、俺は冷蔵庫からコーラを出して一口飲んだ。
「好きだね、その番組」
最近は衛星やらCSやらが発達しているから、姉はテレビばかり見ている。何かイヤミの一つでも言ってやろうかと思ったが、本当は淋しい姉の心を察して、俺は黙って冷たくなったピザを皿に乗せ、レンジの中へと突っ込んだ。
「あっ、そうだ。マドカ、悪いんだけど金くれない?」
ああ見えても姉は社会人で、しかも外資系だから、貧乏な高校生に少しぐらい恵んでくれる財力はあるはずだ。
しかし姉はチラリと俺の方を見ただけで黙って何も言わなかった。
「なぁ、いいだろ?」
『何を言ってるのか分かりません』
そういう時だけ通じない振りをする姉は本当にムカつく。俺は聞こえるように大きな舌打ちをし、温まったピザを抱えてダイニングテーブルでそれを頬張った。
金は酔っ払って帰ってきたお袋に頼むしかなさそうだ。今月はもう小遣いをもらっているから、きっと来月の分から差っ引かれるだろう。来月もまた貧乏確定かと一人落ち込んでいると、ポケットのスマホが鳴った。ジュディからだ。
もしもしと小声で返事をするや否や、興奮したジュディが英語混じりの日本語で明日のことをまくしたてた。
“Tomorrow、オトウサンはJobなので、オカアサンとtogether、イイデスカ?”
お前は大柴さんとこのルー君かよと心のツッコミを入れつつ“いいよ”と答えると、ジュディは嬉しそうに叫び声をあげた。
“ワタシはタカシがNoと言うと思っていました!”
「仕方ないだろ、約束したんだから」
“シカタナイ? イイよという意味デスね、それともグルグル回るデスか?”
「グルグル回ってどうする。でも男と一緒なんて言って驚いたんじゃね?」
“オカアサンにはまだ正しい話をしていません”
「何で?」
“ワタシ、日本語下手なので、タカシから話して欲しいデス”
「俺が!? なんて言わせるつもりだよ……。ジュディが説明しろ」
“オネガイシマス!”
「お願いすることか、それ? まあいいか、適当に誤魔化す」
“ゴマカス? それはウソつくことデスね?”
「だからっ! ああ、もう面倒くさい女だな。とにかく、明日十時に行くから」
何か言いかけたジュディを無視し、俺は通話を切った。すると、いつの間にやら目の前に立っていた姉に睨まれていることに気が付いた。
「何?」
『デートならデートって言いなさい』
そう言いながら、姉は千円札を三枚も俺の鼻先でちらつかせた。
「ありがとう!」
気が変わられても困るので、俺はそれをひったくりつつ礼を述べる。
『で、ジュディって?』
もちろんガン無視し、俺はピザの皿を抱えて自分の部屋へと退散した。
『ジュディはアメリカ人?』
階下から姉の叫び声が聞こえた。
「宇宙人!」
絶対に教えてなんかやるかと頑なに拒絶する自分の心を持て余し、俺は少し硬くなったピザに噛みついていた。