生命力はたくましく。
「……お腹、すいた……」
自分の声でキリコは目覚めた。
薄っすら開けた瞳に、あの最後に見た綺麗な天井が映る。
「生きてる……?」
寝返りをうとうとして、自分がベッドのような場所に寝かされているのに気づいた。そしてしばらくボーっとして、さらにもう一つ気づく。カーテンなどの周りのものが、前よりも小さくなっている気がしたのだ。
現に今はテーブルではなくて床の上にあるベッドで寝ていた。丁度子供用のベッドくらいのサイズだ。
「子供部屋……みたい……そう、か。私が大きくなったんだ」
掛け布団には可愛いウサギのイラストが入っている。
それをクスクス笑いながらつまみ、ゆっくりと体を起こした。そして息を飲み込む。
「ひぃっ……!?」
ベッドに知らない男が突っ伏している。
それはハインであったが、会ったことのないキリコは“知らない男が自分の寝ているベッドにいる”とパニックになっていた。
「と、とりあえず……起こさない、ように……しないと……」
まだ荒い息をなんとか静めようとしながら、そうっとベッドを抜け出す。
しかし、地面に足を下ろしたときのことだった。力が上手く入らず、よろける。あっという間に地面が近づいて、このままではぶつかってしまうと思った瞬間のことだった。
「何をしているのですか、あなたは……」
少し苛立ったような声。
それと同時にグイッと腕を引かれ、ベッドへと座らされた。眠そうな目をこするハインが、キリコを睨みつけている。
ところが、キリコはハインが怒っているよりも衝撃的なことがあり、驚きに目を見開いていた。
「あの声の人……!」
「声?」
「私に、いつも……話しかけてくれていた……人ですよね?」
消えそうなほどの小声でそう言えば、ハインは目を見開き、そしてとろけるような微笑をキリコに向けた。
「ああ、やはり聞こえていたのですか。私の可愛いお姫様」
「お姫様……?」
言われ慣れない言葉に赤面する。しかし男はそんな様子すら可愛いというような笑みを浮かべると、優しくキリコの頬を撫でる。
「やはり花は種の頃から主を見分ける能力が備わっているようだ。新しい発見だな」
「あの、花とか種とか……一体、何を……? ちょっと状況がわからなくて……」
「気づいているのではないですか? 自分が植物と同じ育てられ方をしていたことに」
甘い顔でそう言うハインに、キリコは顔を引きつらせた。
確かに、自分が埋められていたのは知っている。しかし、本当にそういう用途として植えられていたのだと知り、一体ここはどこなのか、自分はどうなっているのかと言う疑問が強まった。
「しかし驚きましたよ。種は蹴破ってはいけないと言ったのに。まあ、あれは冗談で言ったのですが、声が聞こえていたのなら、私との約束を守って頂きたかったのですがね」
「…………」
「……ああ、すみません。責めているわけでは――とにかく、あなたが死ななくて良かった。それに種から花妖精になるのが早かったというのに、あっという間に大きくなるなんて。もしかしたらあなたは凄い能力を秘めているのかもしれませんね」
「…………」
ハインが何を言っているのか、混乱していたキリコにはさっぱり分からなかった。
話し続けるハインを呆然としながら見つめ、そして口を開く。
「……あの」
「どうしました?」
「ここはどこで、私は何で、あなたは誰で、今どうなっているのでしょうか……あ、私は桜木キリコと申します」
「……なるほど。もしかしてあなたには前世の記憶があるのでしょうか」
顔をしかめながら言われた唐突な話題に、キリコも顔をしかめる。しかしハインは気にしたふうでもなく話を続けた。
「私はハイン。一応貴族です。今は蒸気機関車に関する仕事をしています。そしてここはザナール王国の城下街ですよ」
「貴族……? ここは……じゃあ外国なの……? どうして私が……」
「困りましたね……前世の記憶が残っているのだとしたら、事は大きいのですが。でもその前に、今は状況整理が先のようだ」
ハインは立ち上がると、ベッドサイドに置かれたチェストから本を取り出した。
それをパラパラとめくり、あるページをキリコに見せる。
「これがこの世界の地図です。ここは、恐らくあなたの住んでいた世界とは違うはずですが……どうですか?」
「そう、ですね……見たことないです……」
確かに、その地図はキリコが見たこともないものであった。何かの間違いではと思うも、窓の外に広がる外国の景色がその考えを否定する。
「この国では死者の魂が花の種になります。それを上手に育てると、あなたのような花妖精ができるのです」
「花妖精……?」
「霊とか精霊の一部です。精霊には力が及びませんが、使役霊や愛玩として人々に可愛がられています」
ハインが再び本をめくる。
そのページには、たくさんの種類の魂が花の種となるイラスト、そしてその種が発芽し、花妖精になる過程が描いてあった。
「……嘘みたい」
「そう思われるでしょうね……前世の記憶が残っている花は見たことがない。なぜなら、その記憶が残ると花妖精が辛い思いをするからです。もしかしたあらあなたは……世界で初めて記憶を持った花妖精なのかもしれない」
その言葉に、キリコは顔をしかめた。
「あなたみたいに混乱してしまうから……記憶が消えるのだと考えられています。現に、元が人間の魂であっても話すことすらできない花妖精が大勢いる」
ポトリと落ちていくキリコの涙を、ハインは親指で丁寧に拭った。
「あなたは……なぜ記憶を持ち続けているのでしょうね……」
「……私は……死んだということは、もう帰れないんですか?」
「……ええ」
「……そう、ですよね……」
何も言わなくなったキリコに、ハインはもう少し寝るように言うと、ベッドへと押し込んだ。
そして何も言わずに去っていく。その後姿を見ながら、キリコは小さくため息をついた。
「……なんで……こんなことに」
* * * * * *
「さあ、起きなさい」
優しい声がしたのは、部屋がだいぶ暗くなってからだった。
キリコが薄っすら目を開けると、トレーを持ったハインが立っている。そこからいい匂いがしたのに気づき、キリコのお腹は音を立てた。
「ああ、良かった。お腹は空いているようですね」
意地悪そうに言うハインに、キリコは赤面してうつむく。
しかしハインの持つトレーの中身を見て、キリコはすぐに満面の笑みを浮かべた。
「わあ……!」
トレーに乗っているのは、コーニッシュパイとコーンスープ。それからサラダにフルーツ盛りであった。
コーニッシュパイには熱々に溶けたチーズがたっぷりかけられており、それをフォークで刺すとパイ生地からあふれ出た肉汁がチーズと合わさっていく。
「美味しそう……! 頂きます!」
キリコは笑顔を浮かべたまま、少し大きめに切り分けたコーニッシュパイを口いっぱいに入れた。肉汁がたっぷり染み込んだパイ生地とチーズ、それから肉とジャガイモがキリコの口内に豊かな香りを広げていく。
しまりの無い顔で笑えば、それを見ていたハインも笑みを浮かべた。
「美味しいですか?」
口に物がいっぱい詰まっているので、何度も頷いて美味しいとアピールする。ハインは小さく噴出すと“火傷をしないように”とだけ呟いた。
ようやく口の中のコーニッシュパイがなくなった頃、キリコはコーンスープへと手を伸ばした。黄金色のスープにスプーンを差し入れると、コーンの粒の他に刻んだニンジンが入っているのに気づく。それを口に含めば、なんとも言えない甘い香りが口いっぱいに広がった。
「これ、チーズ入ってますか?」
「ええ、よくわかりましたね」
「チーズにコーンスープって食べたことのない組み合わせだから、すぐ気付きました」
「そうでしたか。それにしても花妖精が人間と同様の食事を取るのは珍しいのですが、全くいないわけではないんですよ。これからあなたと食事ができるようになるなら、毎回の食事が楽しみになりそうだ」
キリコは相槌を打ちたかった。
しかし、口いっぱいの幸せを頬張っていたため、微笑むにとどめる。そしてそれを飲み込んだ頃に、ようやく口を開いた。
「私、ハインさんと一緒にご飯を食べてもいいんですか?」
「もちろんですよ。私は一人暮らしですから。一人の食事は味気ないものですし。まあ、使用人は山ほどいますが、彼らは立場上、一緒に食事を取ってくれないのです」
「使用人? ハインさんはお金持ちなんですか……? あ、そうか、さっき貴族って……」
戦々恐々としてそう聞けば、ハインは苦笑しながらキリコの頭を撫でた。
「まあ……それなり、でしょうか。お金に興味がありますか?」
そう問えば、キリコは千切れそうな勢いで首を振る。
「ごめんなさい、そういう意味では……! 私の家族は大家族で、凄く貧しかったんです。お金は確かに欲しかったですけど、それでも最低限のものがあればいいと思っていました。だって……お金がなくても、家族がいたから楽しかったから……」
ハインは少しだけ顔をしかめる。目の前の少女が泣きそうなのに気づき、その頬に手を伸ばした。
「……キリコ。記憶がある状態で新しい世界を受け入れるのは、辛いと思います。ですが、私があなたの家族になれるよう、あなたが居心地よく過ごせるよう、尽くします」
ハインの真剣な眼差しに、キリコは思わず息を飲み込む。
静寂の中、ハインはただジッとキリコの目を見つめていた。しばらくその状態が続き、気まずくなったキリコがようやく視線を彷徨わせた頃、平然としたままのハインが笑顔を浮かべる。
「ほら、湯気が出ている間に食べておしまいなさい」
「は、はい……」
熱を持っていく顔を無視して、キリコは再び食事を開始する。
しかし、先ほど美味しいと感じていた食事は、すっかり味が分からなくなっていた。
「……あれ」
ふとキリコは違和感を覚える。
そして部屋を見渡してようやく気づいた。濃い花の香りがするのに、この部屋には一本も花が置いていないのだ。
「どこからお花の匂いがするんだろう……?」
ポツリと呟いた声に、ハインが反応する。
独り言であるのを確認し、ハインはばれないように震える息をはいた。
その目は、鋭く光っている。