新芽中の新芽。
「!」
ハインが仕事に行くための馬車の中、突如警報が鳴り響いた。
豪華で座り心地の良さそうな馬車に似つかわしくない、ゴテゴテとした機材が耳障りな音を発する。
それはキリコを植えていた鉢植えにつけたもので、発芽した時、また種に危険が迫った時に鳴るものだ。そしてこの音は“発芽”を知らせる音であった。
「なぜ今……異世界の種は成長が早いということか? いや……まさか種を蹴破った……? だが、植えて二日目の種にそんなことができるはずが……しかし、あの種は特殊だからな。もしかしたら――……」
ブツブツとつぶやくハイン。急に種のことが心配になってきた。今すぐ仕事を放り出して様子を見に行きたいが、この仕事は王命なのでサボることができない。隠すことなく舌打ちをして、ハインは頭を抱えた。
「ああ、私はなぜ自分じゃないと開錠できない鍵を部屋につけたんでしょうね……これでは使用人に様子を見てもらうこともできないじゃあないですか」
口汚い言葉を吐き、頭をかきむしる。
ハインは、なんとかこの仕事が早く終わらないかと考えをめぐらせた。
* * * * * *
「わあ、まぶし――……」
泥だらけになりながら真っ暗闇の空間を飛び出して、絶句する。
目の前に広がるのは、ロココ調の部屋。部屋には何もないが、どう見てもお金持ちの家だと言うことは分かった。
しかし、何かがおかしい。部屋の物が全てでかいのだ。まるで巨人の家に紛れ込んだようである。そして何より一番キリコを驚かせたのは窓の外の景色であった。
「……凄い」
映画の中でしか見たことが無いような町並み。
外を歩く人は皆、キリコが言うところの“外国人”ばかりであった。視線が高いことから、この建物自体が高いのだと知る。
「……嘘でしょ……」
混乱しながらうつむく。
「ひっ!?」
そして気づいた。
自分の居た場所が、植木鉢の中だったのだと。植木鉢の中に埋められていたのだということに。
「だ、誰がっ……こんな……!」
再びパニックになり、よろける。すると柔らかい土に足を取られて転んだ。そして運悪くそれは鉢植えの端っこで、キリコはなすすべなく、鉢植えからテーブルへと落ちていったのだ。途中ブチリと音がし、足に激痛が走る。
「きゃあ!?」
テーブルに落ち、体に衝撃が走ってうめいた。
しばらくは声も出ないほどの痛みに襲われ、ようやく起き上がったときには荒い息を吐き、服は冷や汗でびっしょり濡れてしまっている。
「い……った……」
怪我の状況を確かめるために、仰向けに体勢を変えて手をかざす。手が無事であることを確認し、天井を見ながら顔を触る。頭を撫で、喉を撫で、胸を撫で、腹を撫で、どこも痛くないことを確認した。
「天井……綺麗……」
じわりと涙が滲む。
そしてゆっくり体を横向きにして、起き上がろうとした。しかし、体に力が入らない。筋を痛めてしまったのかと泣きそうになりながら、下半身の様子を見るために足を曲げた。
「ああ……」
特に怪我は無かった。何も問題がないように見えた。
足の裏から、植物の根っこのようなものが生えている意外は。
「なんなの……なんなの、これ……もうやだ……」
涙はとうとう溢れ出し、テーブルの上を濡らしていく。
根っこを追っていくと、それは鉢植えの中に続いていた。そして種の中に、あるいは土の中に埋まっていないといけないであろうと思われるそれがブチブチと千切れているのを見て、キリコはもしかしたら自分はとんでもないことをしてしまったのではないかと思えてきた。
それは事実当たっており、もはやこの状態で植物が生きていくのは不可能であった。
「ここ、どこなの……」
自分のか細い声が震えているのに気づく。それは恐れだけではなく、寒さからくるものであった。
「寒い……」
ガタガタと震え始めた体を腕で抱く。しかし熱は全く集まらず、キリコの体温はどんどん下がっていった。
「……さむ、い」
視界が暗くなっていく。
キリコは、部屋の中に濃厚な花の匂いを感じた。
ポロリと一粒、涙が零れ落ちる。
* * * * * *
「くそ……」
ハインは焦っていた。
王命の仕事は予定よりだいぶ早く終えることができた。しかし、発芽の知らせを鳴らした警報が、今は種の危機を知らせる音を鳴らしているのだ。
いつもよりスピードを上げて走る馬車。普段のハインであれば御者がこんなスピードを出せば“街の人を轢き殺す気か?”と御者を注意するだろうが、今このスピードで走ることを指示したのはハイン本人である。
これ以上はスピードを出せないと御者が泣きそうになるまで急かした。
「まだつかないのですか!」
「も、もうつきます! 門が見えております!」
哀れ小窓から怒声を浴びせられた御者は、ビクリと肩を震わせて縮こまる。小窓は無言でバシリと閉められた。
しかし御者は乱暴な仕打ちをされたにも関わらず、“主との接触が途切れた”という安堵感しか抱かない。普段とは違う穏やかではない主に、わずかに首をかしげる。一体何があったのかと聞きたい気持ちでいっぱいだったが、それを聞けば確実に怒られるであろうことを思うと聞けずにいた。
「到着でございます!」
馬車がようやく家の門の前に着いたとき、そのいささか乱暴な音を聞きつけた使用人たちが、慌てて主を迎えるために玄関先へと集合した。大きな門を開錠せねばと駆けつけたにも関わらず、この屋敷の主は待てないとばかりに使用人用の小さな門から入ってきていた。それを見た使用人たちは、一体主はどれほど急いでいるのかとわずかに動揺する。
そして使用人たちにはまるで興味が無いような、そして非常に焦ったような表情のまま、ハインは動かしにくい足を懸命に引きずって家の中へと入っていった。いつもの穏やかな主を知っている者たちは初めてみる光景である。いつもであれば、笑顔で留守中に変わったことがなかったかを聞くはずなのだ。
「ハ、ハイン様、何かございましたか」
「申し訳ありませんが、後でにして頂けますか」
それだけ言いながらコートも脱がずに部屋へと向かう。しかしハインの足は短い距離であったが限界が来ていた。仕事中からずっと早歩きをしていたのだ。
痛み出した足にハインが顔をしかめれば、見かねた使用人の一人が声をかける。
「あの……もしかして花の種のお部屋ですか? 失礼ですがお運び致しましょうか?」
「お願いします」
汗をかいて張り付いた髪、肩で息をするハイン。どれもが見たこともない光景で、使用人一同は呆然として運ばれていくハインを見送った。
そして使用人が花の種の間へ連れてきたとき、ハインは礼を言って降ろすように指示を出す。
「すみませんが、ここから先は私だけにして下さい」
「かしこまりました」
使用人が居なくなったかも確認しないまま、ハインは震える手でいくつもつけられた鍵を開けていく。
そして最後の鍵が外れて勢いよく扉を開き、目を見開いた。
「……そんな……」
テーブルの上に散らばる土。
鉢植えから飛び出している根。
そして、テーブルの上で縮こまる、なりそこないの花妖精。
「…………」
よろめきながら近寄る。
恐る恐るキリコに手を伸ばして触れた瞬間、まだその体が微かに温かいのに気付いて再び息をのんだ。
とても小さいが、生きている。
「生きている……!」
大慌てで、しかし丁寧に摘み上げて保温容器に入れ、特殊な液体を流し込む。これは弱った種のための培養液で、栄養がたっぷり含まれているハイン特製の薬剤であった。種に効くものなので花妖精に効くかどうかは分からなかったが、それでもそれ以外の方法を思いつかなかった。
「生き続ける確立は半分……いや、それより低いか……」
キリコの足には根が数本くっついているだけであった。まだこの段階であれば大量の根が足にくっついているはずである。少なくとも、ハインが見たことのある花妖精解体新書の解剖図鑑にはそう載っていた。
土から出るにはあまりにも早すぎたのだ。
現に、キリコの体は一インチもない。下手をしたら見逃してしまいそうなほど小さい。
「なんとか生きてくれ……」
頭を抱えたハインは、大きく息をはいて額に手をあてた。