突然の来客。
「……今のところ、波形は安定しているな」
ハインはこまめに計器を確認しながらメモを取る。
種を植えた鉢植えには“感情測定器”と“温度・湿度管理機器”が取り付けられていた。感情測定器とはその名の通り花の種の感情を表す機器で、意思疎通がしづらい種とのコミュニケーションをとるためのものだ。
これは一般人でも買える価格なので、花の種を育てようとする人はまず最初に購入する機材のうちの一つである。
「さて、と」
ハインは椅子に腰掛け、少し離れたところで花の種を植えた鉢植えをながめた。
花妖精専用に用意した部屋の中は適温に保たれており、余計なものは何もない。十二畳ほどの大きさの部屋にビロードの絨毯。中央に丸テーブルが置かれ、そこに鉢植えと機材が置いてある。
天井は取り払われ、全てガラス張りになっていた。まるで大きな温室のようなここは、花の種を育てるために特別改装したのだった。だから自然界と同じように電灯の類は無い。夜になれば月明かりが入ってくるくらいであった。
「通常、花の種が芽を出すのは一週間後。そこから子葉、本葉……つぼみができるまでに三ヶ月と言ったところか。花が咲くのはそこからさらに一週間」
ブツブツつ呟きながら、椅子に座ったまま鉢植えをながめる。その顔は、一体どんな花が咲くのかという期待に満ち溢れていた。
「花が咲くのが楽しみだな。そうしたら、私は――」
言葉の途中で家の呼び鈴がなる。
窓のそばへ寄って玄関の方を見てみれば、そこには見知った顔の男が立っていた。
「ウォーカー……花の種のことを聞きつけたか。耳の早いやつめ」
どこから情報を……と考えるも、パッと思いつかない。あの花の種屋の店主は口が堅いがガードが甘い。何らかの出来事が店主に起こり、種のことを同業者に知られ、そこから情報が漏れていったのだろうとあたりをつけた。
なぜなら、ウォーカーと呼ばれた男は、ハインのいる部屋をジッと見つめて笑っているからだ。あれは聞きたいことがあるときの顔で、ハインにとっては都合の悪いことであることが多い。
ハインはため息をつくと、ポケットから電話を取り出して執事室へと連絡を入れた。
「……私です。ウォーカーは客間ではなく上の花妖精の部屋へ通して下さい」
短く告げ、鉢植えの方へ近づいていく。
「さあ、お客様が来ましたよ。どうやらお前の噂を聞きつけてきたようです。鉢植えを拭いてあげましょう」
拭くほど汚い鉢植えではなかったが、どうにも落ち着かない気持ちを落ち着かせるために布で磨き上げる。少しだけ鉢の輝きが増し、ハインは満足げに頷いた。
そして大きなため息をついて、後ろへと話しかける。
「まったく……とんでもないタイミングで来たものですね。どこからかぎつけたのですか? 忌々しい」
「悪かったな。情報ってのは黙ってても俺の耳に入ってくるのさ」
戸が開く音はしなかった。しかし、ハインには後ろに立つ男の気配が良くわかっている。もう何年も一緒にいる幼馴染で、彼の行動パターンは嫌になるほど知っているのだ。
「またあなたは、我が家の執事が案内するより先に来てしまったのですね」
「いいだろう? どうせ幼馴染なんだ」
「……大人になったのですから、他所では絶対にしないように」
「お前相手だからだよ。他でやってたまるか」
クスクス笑いながら部屋に入ってきたのは、ワインレッドの民族衣装を着た青年だ。灰色の髪を短く刈り上げ、頭頂部だけ少し長めにして立てている。ガッシリとした体つきにワイルドで整った顔立ち。ハインとはまた違った格好良さである。背筋をぴんと伸ばし、そのそばには二体の肉感的な花妖精をはべらせていた。
「ごきげんよう、ハクとレン。元気にしていましたか?」
花妖精に向かってハインが微笑みかければ、おそろいの衣装を着た笑顔の花妖精がクルクルと嬉しそうにハインの周りを飛ぶ。
その大きさは九インチほどあり、凝った衣装は踊り子のように煌びやかで露出が多い。飾りが多いため、花妖精が飛ぶたびにシャラシャラと清涼な音を立てる。その動きに合わせて、綺麗に編みこんだ燃えるように赤い髪の毛が楽しげに跳ねた。
この二人は踊り子の魂からなった双子の花妖精である。
「相変わらずだな。主のそばについて離れない花妖精も、お前には寄っていくようだ」
「おや。悔しそうですね」
得意げに笑うハインを見て、ウォーカーは肩をすくめる。すると、二人の花妖精が突如その動きを止めた。
「ん? どうした?」
ウォーカーが花妖精を見ると、二人はジッとクローゼットの方を見つめていた。その目は深淵を見つめるように暗い。先ほどのはしゃぎ様が嘘のようである。
「なんだ、またか? おい、ハイン。うちの花妖精がここに入るたびにクローゼットを気にするんだが、いったいクローゼットには何をしまっているんだ?」
そう聞かれ、ハインの顔がわずかに歪む。
しかし、ウォーカーはそれに気づかなかった。
「クローゼット? さあ……特に何もないと思いますが。それよりあなたが見に来たのはこれでしょう?」
そう言ってキリコの種が植えられた鉢植えを指差せば、ウォーカーはニヤリと笑いながら片方の眉を上げた。
いつのまにか二人の花妖精は鉢植えのすぐそばまで行っており、鉢植えの縁で頬杖をつきながら、まだ何も出ていない土を見つめてニコニコ笑っている。
「それがお前の新しい花か」
「本当にどこで嗅ぎつけたんでしょうね……忌々しい」
苦笑するハインを見ながら、ウォーカーはゆっくりと鉢植えへ寄っていく。
「なんだ、まだ芽は出ていないのか」
「あたりまえでしょう。まだ植えてから一日しか経っていませんからね。それよりも大声を出さないで下さい。もうその種には声が聞こえているようですから」
「種なのにか? 声が聞こえるのは芽が出てからだと思っていたが」
驚いたように顔を上げるウォーカーを見て、ハインは得意げに口角を上げた。
「それは特別な種でして。私も毎日新しい発見があり、楽しんでいますよ」
「異世界の種らしいな」
「……そこまで知っているのですか。面倒だな」
ハインが呆れたようにため息をつけば、ウォーカーはにやりと笑う。そして立ちっぱなしのハインが足をかばうように少し身じろぎをしたのをみとめ、ウォーカーはハインに椅子に座るよう促した。ハインは苦笑しながらもそのすすめに従う。
「それで、いったいどんな種なんだ?」
「……どんな……ああ、そういえば聞いていませんね」
「は? なのに買ったのかよ……安くないんだろう?」
「ええ、確か店舗価格は五十万ポンドだと言っていましたが」
値段を聞いた瞬間、ウォーカーの口が大きく開けられる。
「そんな大金を出して、どんな種かも聞かなかったのかお前は!! ゴキブリの種だったらどうするんだ!」
「お金は出していませんよ。これは店主の好意で譲ってもらったのです。まあ、ひとえに私の人徳でしょうね」
そう得意気に笑うハインを見ながら、ウォーカーは顔を引きつらせてため息をついた。
「人徳……まあ、お前ほど人徳のあるやつはいないだろうさ。裏の顔を知っているのは、この屋敷のランド・スチュワードの爺さんと、俺くらいだろう?」
「裏の顔だなんて人聞きの悪い言い方はやめて下さい。種に聞こえるでしょう?」
にやりと笑うハインに対し、ウォーカーも同様の笑みを返した。
「まあ、その種がどうなるか俺も興味がある。これはからはちょいちょいお前の様子を見に来るとしよう」
「これから? いつも来ているじゃあないですか。それに別に来て頂かなくとも結構ですよ」
「そう言うな。ただでさえ、お前は足が動かなくなってから家にこもるようになったからな。いい加減お前は前を向いて――」
ウォーカーの目の前に、杖が突きつけられる。
「それ以上は――」
「……あ、ああ……悪かった」
薄っすらと笑みを浮かべているはずのハインの目は濁っており、ただウォーカーばかりを映していた。