懺悔。
「ねぇ、キリコ。最近、エレーネの夢は見なくなりましたよ」
ハインは動かなくなったキリコの頬を撫でる。
あの日、魔方陣は確かに発動した。キリコは動かなくなり、エレーネが蘇ることもなく、いつもと同じように花妖精の残骸と成り果てたキリコを自分のベッドに横たわらせ、その横でキリコを抱きしめる。
結果を言えば失敗であった。しかし、ハインは失敗してよかったと思った。エレーネのことは見たくなかったのだ。
そしてそのまま泥のように眠り、気がついたらキリコが隣にいなくなっていた。てっきりあれは全て夢だったのかと思い部屋を飛び出せば、泣きはらした目のミーナが立っていた。
何も言わない彼女。しかし、花妖精の部屋には屋敷の使用人達が抱える花妖精が全員そろっていた。
それは花妖精が死ぬたびに起こる慣例でもあり、ハインはここで初めて、もしかしたら花妖精も使用人たちも自分が何をしているのか知っているのかもしれない、と思った。
「知っていますか。ウォーカーが婚約したようです。相手は誰だと思いますか? あの花妖精ですよ。驚いたことに、花妖精を人間に変える術をずっと探していたのだそうです。それが上手く見つかって、成功したのだとか。大精霊の泉……とか言っていましたね。誰に聞いたのやら……もっと早く教えてくれたらよかったのに」
ハインはキリコが隣にいないと気づいた後、キリコを出すようにミーナに詰め寄った。
しばらく頑なにキリコとは誰だ、ととぼけていたが、やがて生気のない顔でフラフラと歩き出す主を見て恐ろしくなったミーナは、慌てて使用人の寮からキリコだったモノを連れてきたのだ。
また、主が狂ってしまうのかと……そう思った。
「ウォーカーの花妖精はね、元々ウォーカーの奥方なのです。あれは人生と全財産をかけて種を探し出し、ようやく見つけたというわけですが、種が双子になっていたのには驚いたと笑っていましたよ。花妖精が人間になっても、ウォーカーの奥方だった頃の記憶は蘇っていないそうですが、それでもあの双子が統合して一人の女性になったので、婚約をするに至ったのだと言っていました」
ハインの予測どおり、使用人は全員、自分たちの主が今まで何をしていたのかを知っていた。知っていて黙っていたのだ。エレーネとの悲劇を知っていたからこそ、言いたくても言えなかったのだ。
しかし、主を起こそうと部屋にやってきた使用人によりキリコがいなくなったことを知った他の者は、キリコと主を引き離した。全て夢だったと言うことにするために。そうすれば主の心を守れると思った。
ところが使用人達の思惑は失敗し、目の前に再度連れてこられたキリコを見て柔らかな笑みを浮かべる主を見て、使用人達はもう駄目だと悟った。
「キリコ……あなたを初めて外に連れて行った日、あなたが『できるだけ沢山の花があるところに行きたい』と言ったのを覚えていますか? エレーネも……同じことを言ったことがありました。何の冗談かと思いましたよ。てっきり私は、エレーネの悪夢を白昼にも観るようになってしまったのか、とね」
ハインは顔を伏せる。
「……ねぇ、キリコ……寂しいです。あなたがいなくて、私は前に進めなくなってしまいました。もう、駄目なんです……情けない男だと思いますか? 思うでしょうね。自己中心的で、あなたのことなどこれっぽっちも考えなかった。こんな私が、またあなたと一緒にいたいなんて言う資格はありませんが……もし……もし願いが叶うならば……あなたが私のもとに戻ってきてくれるのならば、私はあなたを大事にしたいんです」
震える声が、部屋に響く。
その時、一枚の紙がポケットから滑り落ちた。それはウォーカーが大精霊の泉について書き記したメモで、婚約した話を持ってきたときに渡されたものであった。
かさつく手でそれを拾い、中を開く。
「…………」
見開かれたハインの目に、燃えるような炎が見えた。
* * * * * *
「キリコ、もうすぐ泉に着きますよ」
肩で息をしながら、ハインは背にキリコを乗せて足場の悪い山道を歩いていた。空は今にも雨が降り出しそうな空模様で、時折その雲間に稲妻が見える。
もう駄目だと言っていたハインは、ウォーカーから貰ったメモを見て変わった。そこに一言“お前の小さな天使が教えてくれた”と書いてあったのだ。
これが、最後の賭けだと思った。
「泉に着いたら、大精霊を呼びましょう。出てきて下さるか分かりませんが、何もしないよりはいいでしょう。あの馬鹿の代名詞のようなウォーカーがありえないとされていた願いを叶えたのですから。この私にできないことなどないはずです」
自分を鼓舞するための強気の口調でそう言い、ハインはひたすら前を向く。
その目には、もう闇や迷いなどはなかった。
「キリコ、いままで情けない男ですみませんでした。もうあなたに失望されないよう、強い男になると誓います。だから……だからどうか……」
震える声を飲み込み、ハインは大きく息を吐く。
空からは雨が降ってきた。
雨がハインの体から熱を奪っていく。ハインはキリコを降ろすと、鞄から雨具を取り出してその体に丁寧に着せ、そして再び背負う。その時、動かしにくい足に痛みが走ったが、少し顔を歪めて休憩し、再び前を向くと杖をつきながらゆっくり歩き始めた。
「転んでいては格好悪いですし、あなたが怪我をしたら困りますから。少しゆっくり進みますね。夕方までには着くといいのですが。だって、一緒に戻る時、夜の森だとあなたが怖い思いをするでしょう?」
雨はどんどん強くなっていく。
ざあざあと音を立て山道を雨水が流れ、それはやがて小さな流れを作っていった。それが足場を悪くする。
「……はあ……はあ……」
ハインの足が止まった。
目の前に広がるのは、少し大きめの泉。ハインはひと目見てこれがそうなのだと分かった。雨が降っているというのに、その水面は神々しく輝いているのだ。
杖を捨ててその中にざぶざぶと入っていきながら、背のキリコを降ろす。水中で重みのなくなったキリコを引っ張り、ハインは泉の中央まで来た。
「大精霊よ……どうか、私の願いを叶えて下さい。花妖精の命を奪い続けた私が願うなど、浅ましいにも程があることは知っている。しかし……どうか……」
雨は、先ほどよりも激しさを増していた。




