ザナール王国の花の種屋。
「いらっしゃいませ。おや、ハイン様。お久しぶりですね」
腹が飛び出し、だいぶ髪が薄くなった店主は、店に入ってきた身なりの良い青年を見て満面の笑顔を浮かべる。この客は貴族であり、店の得意先であった。
ここはザナール王国。ヨーロッパによく似た建物が建ち並ぶ一角にある、花の種屋である。
店内にはありとあらゆる花の種が並べられており、そのどれもが様々な色の淡い光を放っていた。
しかしそれは、天井から吊るされた花の形のシャンデリアが放つ光で輝いているわけではない。種自らが発光しており、時折カタカタと揺れるのだ。形も大きさもそれぞれ違う。
「今日は良い花の種が入ったんですよ」
プラカードには『ウサギの種』『蛙の種』『二十代男性の種』など様々な商品名が書かれていた。
種が光っていること、また自ら揺れることからわかるように、これはただの種ではなかった。
「こんにちは、ご主人。ぜひその種を見せて頂けますか」
貴族の青年は、ザナール王国でごく一般的に着られている民族衣装をピシリと着こなしていた。ブーナッドのようなつくりだ。
貴族と言うだけあって良い布を使っている。品の良い装飾、それから透かし模様の入った黒のジャケットが、暗めの金髪に良く映えていた。服の刺し色に入った赤や金は下品になり過ぎない匠の一品である。
「もちんろんでございますとも。花の種を育てる名手、ハイン様にはぜひともお見せしたいと思っていたのですよ。」
ハインと呼ばれた青年の手には黒檀でこしらえた猫型の杖があり、足を少し引きずってはいたが、軽く歩き回る程度であればなんてことはないようだ。
美しい髪は柔らかそうで、上半分を長く伸ばし、下は短く刈り上げている。瞳は宝石のような黄緑色だ。やや低めの声と整った顔立ちは、若い女性をひきつけるのに十分すぎるほどであった。
「いやあ、お貴族様ですから、その気品が種にも伝わるのでしょうな。あなたの育てる花はいつも素晴らしい。ああ、少々お待ちを。一番にお見せしたくて、店の奥へしまっておいたのです」
もったいぶった台詞で笑顔を浮かべる店主を見送りながら、ハインは苦笑していた。この店主は得意先への扱いが少しオーバーである。しかし、その人柄の良さから、皆わざとではないのだろうと苦笑を浮かべるにとどまっているのだ。
「おや、どこへ置いたかな。確かここに……いや、こっちか? しまった……大事にしまいすぎて置いた場所を忘れたぞ」
店主が店の奥で独り言を言いながら種を探している気配がしてくる。それを聞きながら、ハインはしばらく待たされることになるだろうと思い窓の外へと目を向けた。
「…………」
窓の外にはいつもの光景が広がっている。活気づいた市場、呼び込みをする店員。それぞれが家柄に応じて布を染めた民族衣装を身にまとい、街中を忙しそうに歩き回っている。
はるか向こう側には最近できた蒸気機関車が走っており、上空には飛行船が飛んでいた。
「……随分と発展したものだ」
ハインの言うように、近年、この街は非常に栄えてきていた。丁度十六世紀イギリスのように、飛躍的な発展を遂げた時代に入ってきているのだ。特に水蒸気を使った発明品は目を見張るほどの威力を発し、人力よりもはるかに大きな機械を動かすことができるようになったので、この国のあらゆる産業が栄えた。
余談ではあるが、国営蒸気機関車の社長を務めているのが、このハインという青年であった。金払いが良く、そして何より質の良い花を育てる若社長を、この店の店主はいたく気に入っている。
「やあ、あったぞ! お待たせ致しました! どうぞ、この箱を」
店主の声に窓の外を眺めていたハインが振り返れば、店主はその手に木箱を持ってハインのそばまでやってくるところであった。
その箱を店主から受け取り、ハインはそっと蓋を開ける。
「ああ……これは……」
「どうです、凄いでしょう?」
箱の中には、見たこともないほど真っ黒な種が一粒入っていた。種はかすかに赤い光を放っており、よく見れば居心地悪そうにカタカタ揺れている。大きさは二インチ(一インチ=約三センチ)ほどである。
「こんなに黒い種は初めて見ましたね」
「そうでしょうとも。初めは悪魔の種の――それも恨みが濃いせいで黒さが増したものかと思って腰を抜かしてしまったのですがね、恨み特有の臭いがしませんからどうも違うようで」
「なるほど、確かに無臭ですね」
「それにほら……こうして耳に近づけると……」
そう言いながら、店主はハインの耳元へ種を近づける。すると、その種からかすかに歌のようなものが聞こえてきた。何を言っているのかはわからない。しかし、その不思議なリズムが歌であると伝えてくる。そしてその声は、小鳥がさえずるような可愛らしい音であった。
「種が歌っている……?」
「ええ、そうです。種なのに、もうこんなにハッキリと意思を持っている。素晴らしいでしょう。なかなかありませんよ、こんな種は」
店主は得意げにそういうと、目を輝かせてこう付け加えた。
「しかもね、これは異世界から来た種なのです」
「異世界……? それは間違いなく異世界なのですか?」
「ええ、ええ! それはもう! 私の店にある、種の出所探査機がそう反応したのですから。間違いなく異世界ですよ。探していらっしゃったでしょう? 異世界からくる種を」
そう言いながら種の鑑定書を差し出す。それを受け取ったハインの目は輝きを増した。
花の種を育てる者であれば、誰しもが憧れるもの。それが異世界の種であった。それは数十年に一度だけ、運がよければ見つかる、という代物。
なかなか手にすることができず、その性質上、貴族ですら手を出せないほどの高額で取引されることもある。
「これは……素晴らしい……アースの種ですか……なるほど、異世界の中でも珍しい部類だ」
ハインの手がかすかに震える。
そもそもこの世界でいう種とは、万物の魂であった。この世界では、人も動物も死ねば魂が体から抜け、そしてそれが花の種になる。それを集めて売るのが“花の種屋”と呼ばれる職業だ。
異世界からの種は、なんらかの偶然で時空を超えるということはわかっていた。しかし、いつどのようにしてこの世界に流れ着くのかは誰も知らない。
「ハイン様もご存知の通り、普通の種は育つと花妖精になりますが、使役できる類の中でも位の低いものでしょう?」
店主の言うとおり、花の種から作られる花妖精は、手紙運びなどの雑用を任せる他は観賞用としてしか使い道が無い。しかし、花妖精の見た目の可憐さから、人々の娯楽用、もしくは愛玩として歴史が長いのだ。
「ですがね、これは異世界から来た種ですから。何か凄い力を秘めていると思いますよ」
「ええ、私もそう思います」
手に持った種を日に透かす。普通であれば種の中に何らかの形が見えるが、この種は何も透けない。
「だが……その分、育てるのは難しいでしょうな。花妖精はただでさえ育てるのが難しいのに、これは異世界のですから。何が起こるかわかりません」
「そう……ですね……花妖精はどうしても本物の精霊より力が劣りますから……」
「ですがハイン様なら――……」
微妙にずれた答えを返しながら、種に視線を注ぐハイン。もう種にばかり意識がいっているハインを見て、店主は八割がた種を買ってもらえるだろうと思った。
次は値段を確認するに違いないと思い、少しだけ緊張する。残りの二割が、高額すぎて買ってもらえないかもしれない、と言う懸念であるからだ。
しかし店主の懸念をよそに、ハインは種から目を離すと満面の笑みを浮かべて買いましょうと言うのだった。
店主は少し戸惑いながら、ハインに恐る恐る声をかける。
「か、買う? 値段を聞いてから検討されなくてもいいのですか?」
ハインは、店主のこういうところが好きであった。儲けになるのだから売りつければいいのに、店主はまず値段を聞いてから検討をしろとすすめてくる。
「検討する必要はありませんよ。その種がどうしても欲しいのですから。ああ、あと先日頂いた肥料を三つと、鋼の鉢植えが四つ、それから聖水を十本、家まで届けてもらえますか?」
「はいはい、もちろんですとも!」
店主は嬉々としてメモを取ると、先に種だけを包んでハインに渡した。
「それで、値段はいくらなのですか?」
「店先に並べるとしたら、最低でもこれくらいは――……」
そう言って指を五本立てる店主。
「五千ポンドですか」
五千ポンド(一ポンド=約百八十円)は種にしては非常に高額の部類だ。
通常、種は高くとも二千ポンド(約35万)ほどで取引される。安いものであれば一ポンドからある。
さすが異世界の種……とハインが内心ため息をつけば、店主はゆるく首を振った。
「……もっと上ですか」
「ハイン様。これは決して高い値段ではございませんよ」
「ええ、そうでしょうね……五万ですか」
「…………」
「……五十万?」
ポツリとそう言えば、店主はようやくニコッと笑った。
あまりにも高い。ハインは先日、別の店で異世界の蛙の種が四千ポンドで売れたと聞いたことがあったので、てっきりそのくらいの価値だろうと油断していたのだ。あまりにも高いその値段にため息をつきながら、少し迷って財布を引っ込めた。
するとこれを見て慌てたのは店主である。しかし、主人としては決してぼったくりの値段を言ったわけではなく、極々良心的な値段であった。他店であればもっと取られる可能性もある。
「ああ……! いや、あの、ハイン殿!」
「店主、落ち着いてください。買わないわけではありませんよ。もう少し大きい額を扱える小切手が必要だと思いましてね」
この国では金額によって小切手の種類が変わる。ハインは万単位までしか使えない小切手しか持っていなかった。それ以上の小切手は馬車の中だ。
「いえいえ、払って欲しくて言ったのではないのです! 意地悪をしてしまい申し訳ありません! この種はハイン様に差し上げようと思っていましてな……!」
焦ったようにそういう店主を見て、ハインは驚いたように目を見開いた。それもそのはず。儲けを期待できる逸品である。それをあげるとはどういうことであろうかと、眉をひそめていぶかしんだ。
それと同時に店主も驚いていた。この種は売るつもりだったのに、と。しかし、ハインのガッカリした顔を見てしまったら、思ってもいない言葉が口をついて出てしまったのだ。自分は余程この貴族の青年が好きらしい、と店主は内心で苦笑する。
「いや、私もこれほど良い種にめぐり合えることはなかなか無いもので……少し意地悪をしてしまいました」
しかしこれを聞いてため息をついたのはハインだ。まさか店主がここまで利益を考えないとは思っていなかったので、この店の経営状況が心配になってしまった。それだけ良い客として扱われるのは悪い気はしないが、いずれこの店主が騙されるのではないかと不安になった。
「店主。何もタダで欲しいとは言っていません。私だってこの種に相当の価値があるのは分かっていますよ」
「ハイン様。どうか私の意地悪をお許し下さい。花妖精は栄養の他に主の気を吸って生きる。あなたほど良い気を出せるお方はそうそういませんよ」
そう言って店主は困ったような顔をする。
「売り手として、あなたのような名手に種を引き取ってもらえるのはこの上ない幸せ――……少し、話をしませんか?」
そして話が長くなるであろうことを予測して、足の悪いハインのために椅子を引っ張ってきてた。そこへ座るように促し、自らはドアの外の営業中と書かれた看板を準備中に変えにいく。そして戻ってくると、ハインのそばへ椅子を引っ張ってきて自らも座った。
「実は……失礼ながら、この種は誰も育てられないと思っているのです」
「どういうことですか」
怪訝な顔になるハイン。それを見ながら、店主はハインの方に寄ると声を小さくして話し出す。
「とっても繊細なのですよ、ハイン様。これは異世界の種でも非常に希少で、国に知らせたらまず間違いなく“研究目的のために預かり”となる代物だ」
「……というと?」
店主はポケットから紙を取り出す。店主によって開かれたそれには、種の成分を調べたときの記録が書かれていた。
それを受け取ってハインが中を改め、そして目を見開く。
「これは……」
「ええ、ええ。危うく種を駄目にするところでした。何せ、水はミネラル水か聖水しか受け付けず、花妖精用の肥料を加えると弱るのですから。代わりに人が食べるものと同じものを与えると元気になる」
「なんと面妖な……」
「私がたまたまコーヒーを零さなかったら、気づかなかったでしょうな。それから暑さにも寒さにも弱いようです。温度は常に二十五度から二十七度を保たねばなりませんし、日中は日光をしっかりあてて、夜は少しだけ明るくする必要がある」
「……なるほど。手間がかかりますね」
店主は優しい笑顔を浮かべて椅子から立ち上がった。
「どういう花妖精ができるのか、今から楽しみです。ちゃんと育てられたら、ぜひ私にも見せに来て下さい」
この店主が儲けを考えず、純粋に種のこをと考えているのだと知ったハインは、苦笑すると種を受け取った。そしてさっさと帰り支度を始める。店主もドアの外の看板を再び営業中に戻すと、ドアを大きく開けて待機した。
「これは責任重大だ」
「だがしかし、ハイン様は必ずや綺麗な花を咲かせることができるでしょう」
店主がハインの背に手を添えて店先まで送る。そして店先に待機させていた馬車に乗り込むハインに一礼をすると、その馬車が見えなくなるまで見送った。
ブーナッド参考画像
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