キリコ、花になる。
「まあ、綺麗なドレスですこと!」
ミーナが感嘆の声をあげる。ミーナの少し大きくて高い声にキリコも同意見であった。
あれからキリコが舞踏会の日取りを知らされたのは、開催のわずか一週間ほど前のことだ。
元々行く気がなかったハインは、なんだかんだと言いつつ返事をギリギリまで渋っていたようで、何も準備をしていなかったため今から新規のドレスを発注するのを諦め、クローゼットに眠っているたくさんの服を作り直すことにしたのだ。そしてその衣装が舞踏会の当日の朝に届いた。
職人達が不眠不休で仕上げたことをキリコは知らない。
「本当に……あのドレスも綺麗だったけど、これも綺麗ですね……」
そう言いながら何か違和感を覚える。一歩引いてドレスを上から下までながめるが、その違和感が何なのか分からない。
ドレスは若草の布を基調にしたものであった。ふわふわのレースが惜しみなく重ねられ、リボンが品よく並んでいる。真上から見ると、そのスカート部分がまるで大輪の花のようであった。
「こんな立派なドレス……私に似合うのかな……」
そう思わずしり込みしてしまうくらいには、匠の技は素晴らしかった。スカートも良く見れば宝石がつけられているし、真珠やシルバーと思われる飾りもついている。しかしそれが下品になりすぎず、まさにキリコのイメージする“妖精”の服装だった。
「何をお言いですか。キリコ様のためにハイン様が仕立てたのですから、似合って当然ですわ。だってハイン様の目の色と同じドレスですわよ?」
「私のため……ハインさんの目と同じ色?」
その言葉に沈んでいた気持ちが少し浮上する。
「さあさあ、こちらへ」
促されてミーナに近寄ると、テキパキと服を脱がされていく。トルソーに戻されたドレスを見ていて、ようやく違和感に気づいた。
気づいてしまえば何故今まで気づかなかったのかと思うほどで、キリコは思わず苦笑する。
「ミーナさん、これ私には大きいみたいですけど……」
そう。ドレスは大きかった。それも“少し”ではなく“結構”だ。
しかし、キリコにそう言われたミーナは懐から一つのガラス瓶を取り出した。
「そこでこの薬が役に立つのです」
「これは?」
「これは花妖精を育てる名手と謳われたハイン様が、花妖精用に作った短期成長剤でございます」
説明を受けながらガラス瓶を日に透かせば、中に入っているピンク色の液体に小さな花がたくさん入っているのに気づく。
「これを飲むと大サイズになることのできない花妖精も、日付が変わるまで大サイズの姿をとることができるのです」
「大サイズ? てっきり私のこのままなんだと……」
「いいえ、キリコ様。花妖精は三形態に変化できるのです。一つめは小サイズ。これはウォーカー様やわたくしの花妖精と同じですわ。それから二つめが今キリコ様のお姿である中サイズ。そして最後が大サイズと呼ばれる成人女性と変わらないサイズですのよ」
「つまり、これを飲むと大人になれるということですか?」
優しく頷くミーナを見て、キリコは少し胸が高鳴った。
もし、少しでも綺麗になる可能性があるのなら、キリコはそれに賭けたいと思った。そうしたら少しでも花妖精と言う名に相応しい女性になれるような気がしたから。
「…………」
そっと盗み見たミーナの顔。すぐ視線が合い微笑まれる。
「大丈夫ですわよ。わたくしが世界一のレディに仕上げますわ」
その言葉は嘘ではないように思えた。
* * * * * *
「さあ、完成しましたわよ」
そんな声が聞こえたのは、キリコが一体どんなメイクをされているのかとドキドキしながら待機して、意外と長いなと思い始め、とうとうウツラウツラしだした頃のことだった。
キリコが薬を飲んだ後、体中がむずむずするような感覚に襲われて本当に飲んでも良かったのかと不安になっていた。鏡を見ようと振り向けば、ミーナから後でのお楽しみだと鏡を伏せられたのだ。
そして今、ようやく終了の声がかかったのである。外はすでに夕方になっていた。
「さあさあ鏡をご覧くださいな」
前へ鏡を持ってこられ、キリコの全身が移った瞬間。
「……わあ」
キリコは目を見開いて鏡の中を見つめていた。
久々に見る元の自分の体系。そしてその鏡に映る自分は、今までに見たこともないくらい綺麗にまとめられていた。薄い顔に化粧が映え、いつもとは違う雰囲気が出ている。それは“妖艶”とも言え、キリコは見たこともない自分に少しだけドキドキした。
ドレスをまとい、綺麗に化粧をされ、編み上げた輝く黒髪――……まさに、花である。
くるりとまわれば、ドレスの裾がふわりと舞って花のようになった。
「凄い……ありがとうございます、ミーナさん!」
「喜んで頂けたら本望ですわ。では外で首を長くして待っているであろうハイン様を呼んでまいりますわね」
そう言われ、一瞬時が止まる。
そして嫌だと思った。
「……キリコ様?」
無意識にミーナの手をつかんでいたらしく、それに気づいたミーナがいぶかしげな顔をする。
「あ、あの……えーと……」
何を心配しているのか一発で思い至ったミーナは、ニッコリ笑顔を浮かべてキリコの頬に手をそえた。
「大丈夫ですわ。必ずハイン様は褒めてくださいますわよ。だってこんなに綺麗なんですもの」
その言葉に安心したような表情を浮かべ、キリコはそっと握っていたミーナの手を離す。
そして笑顔のまま離れて行ったミーナが扉を開けると、その向こう側には薄っすら笑みを浮かべたハインが立っていた。黒の正装を身にまとったハインはいつもと髪型が違うせいか、キリコには全然別人に見えた。ゆるく後ろへ流した髪。綺麗なうなじの筋が色気を放っている。
「あら、待ちきれませんでしたの?」
「そりゃあね。自分の準備なんか会社に行くよりも早く終わったものだから、もうずっとここにいたよ」
ミーナに向かって笑みを浮かべるハイン。
それを見て、キリコは少しモヤッとした。ミーナではなく、早く私を見てほしい。もしわがままを言ってもいいのなら、少しだけ褒めてほしい。
そう思って、ジッとハインを見つめる。
「さて、私のお姫様は――」
そう言ってようやくキリコの方へ視線を向け、目を見開く。
「…………」
「…………」
口を手で覆ったハインが何かをつぶやくと、その顔はわずかに赤くなった。そのつぶやきを聞いたのはミーナだけであるが、ミーナはそれを聞いて満足げに笑う。
「……キリコ」
少し足早にキリコに寄っていくハイン。
キリコが恥ずかしさに顔を伏せると、ハインはその頬を両手で挟んで顔を上げさせた。
「キリコ。あなたは素晴らしい女性ですね。どうしてこう……ああ、まったく……本当にあなたと言う人は……」
「ドレス……ありがとう、ございます……」
「……キリコ」
「はい……」
「とても陳腐な言葉で申し訳ないのですが……言葉が出てこなくて……キリコ、本当に綺麗だ」
その台詞を聞いた瞬間、キリコの顔に熱が集中した。
キリコは、そんな顔を見られたくなかった。再び顔を伏せようとした瞬間、グッと引き寄せられ、キリコはハインの腕の中に閉じ込められる。
「ねえ、キリコ……二人でサボってしまいましょうか」
「駄目ですよ……」
「だってあなたを誰にも見られたくないんです。どうしてでしょうね?」
「……どうして、でしょう?」
嬉しいはずなのに、なぜか心が沈んでいく自分に気づく。
褒めてもらえたのに、抱きしめられているのに、甘い笑顔と言葉でキリコだけを見てくれているはずなのに、どんどん心が沈んでいく。
そして、思った。
もう、私が好きになるようなことをしないで欲しいと。これ以上、勘違いさせないで欲しいと。
しかし、それを拒絶できるほど、キリコは強くなれない。
「綺麗ですよ、キリコ。本当に。本当に綺麗だ」
ハインの言葉は、甘い甘い毒であった。




