花妖精の社交デビュー。
「つまりだな。お前、そろそろ社交界の誘いを断り続けていると酷い目にあうぞって話だ。お前の家の前に、釣書を持った使用人が乗る馬車が行列をなしてもいいのか?」
キリコとハインが仲直りをしてしばらく。
ハインが今日は仕事も休みだから家でキリコとゆっくりしようと思っていると、いつものごとく何のアポイントもなくウォーカーが訪れた。
居留守を使おうとしたハインにキリコから軽い非難の念が飛んできたため、仕方なしに相手をすることにして客間へと通したわけだ。ハインは絆が深まるとこういった面倒な感情まで伝わってしまうのかと少し苦笑した。
「仕方がないですね。では、今度の舞踏会にはキリコを連れて行きましょうか……」
そしてウォーカーの持ってきた話題は、今、非常に騒がしくなっている社交界のことであった。なぜなら年頃の王子が社交界デビューをするからだ。同い年もそうでない娘もみな浮かれ、その両親たちは血眼で我が娘をどう王子と王家の目にとめさせるかを熟考している。
それと合わせ、王子と一緒になるには少し年が上の女性は、このお祭り騒ぎに便乗して有力貴族の元へ嫁ぐ算段と言うわけだ。
「ようやく行く気になったか。俺としては人間の女性を連れて行って欲しいが、まあそこはお前が行く気になっただけで重畳。文句は言うまい」
正直ハインは微塵も興味がない。
こんなにつまらない催しごとに出かけるくらいなら、読みもしない釣書をいかに効率的にバラして処分するかで一日中奮闘している方がまだ有意義である。
「面倒ですねぇ」
「そう言うな。お前の来訪を歓迎しているお嬢様方は多い」
「冗談を言わないで下さい」
ところで、ハインの邸を訪れていたウォーカーは、自分の友人とその花妖精がすっかり仲直りをしたことに気をよくしていた。
絆は前よりもさらに深まったような気がするし、ちょっとしたアイコンタクトをしてとても幸せそうに笑うのだ。まるで新婚夫婦のようで少し鬱陶しいような気もするが。
しかし、初めて花妖精を得た時の自分のようで少しくすぐったいとすら思う。このまま全てが良い方向へ向かえばいいのにと思わずにはいられなかった。
「……なんですか、気持ちの悪い顔をして」
「おい、失礼なことを言うな。まあ、なんだ。お前たち、仲直りできて良かったな」
その言葉に、ハインが一瞬きょとんとしてから微笑んだ。
「あなたのお陰ですよ、ウォーカー」
「……気持ち悪いことを言うな」
フッと真顔に戻るハイン。
その顔を見て、ウォーカーも似たような表情になった。
「エレーネのことは、解決したのか」
「…………」
「……言ってないんだな……では、まだキリコはお前に殺されると思ってい――……おい、待て。お前、まだ殺す気じゃないよな?」
わざとらしくため息をつけば、ハインの眉間にシワがよった。
「殺す気なんて……あるわけないじゃないですか。社交界が落ち着くまでにはちゃんと説明をしますよ……」
「ああ、良かった。俺はまたお前が後生大事にクローゼットに仕舞いこんだ花妖精の残骸と同じように、キリコにも――なんだって?」
ウォーカーの中で“社交界が落ち着くまでには”という単語が引っかかる。つまり、それまでは黙っているということだ。
そして聞き返せば、案の定、ハインは気まずげに目をそらし、話までそらし始めた。
「そう言えば、なぜあなたがそのことを知っているのですか。どこから得た情報ですか。あなたがなぜ我が家のクローゼット事情に詳しいのか分かりませんが、私は――」
「おいおい、冗談だろ? お前、鉄道会社を起こすって決めた次の日には会社を作っていたじゃないか。あの時のフットワークの軽さはどうした」
それを言われ、ハインはすっかり黙り込んでしまう。
組んだ手の指をクルクルと居心地悪そうに回しながら、視線をあちらこちらへと彷徨わせた。
「なあ、いいかハイン。お前、あんなに酷いことをしておいて謝罪が遅れるなんざ、男の風上にも置けないぞ。なぜそんな酷い真似をする」
「……まだ、私の中で色々なことの答えが出ていないからですよ。というか、あなたは本当に一体どこまで知っているのですか」
「別に。お前が“花妖精を育てる名手”と言われたのは、目標があって頑張ったその結果、ということと、そしてその目的がエレーネに関わることで、そのために花妖精を何十匹も使っているということぐらいか? お前のことなんざお見通しだ。何年共にいると思っている」
「……なんて忌々しい……いいですか、ウォーカー。私はキリコのことは嫌いじゃない。ですが、もう駄目なんです」
ウォーカーはハインの言っている意味が分からず、顔をしかめて首を傾げれば、ハインは小さくため息をついた。
「エレーネが私の中で消化し切れていないのですよ。深淵から手を伸ばすエレーネが……脳裏から離れないんだ……」
歪んだ顔でそんなことを言われてしまったら、ウォーカーにはもう何も言えなかった。
ただ、今のままではキリコが心を消耗し続け、とても可哀想なことになるであろうことは分かっていた。それがもしかしたら、この男をまた“ただの人形”に変えるほど大きな出来事になる可能性があることも。
「俺は早期解決をオススメする」
「……わかってはいます。わかってはいるんです。あなたは……いつも私に正しいことしか言わない」
「みな、お前には耳障りの良いことしか言わないからな。俺が耳の痛いことを言わなくて誰が言う」
「そうですね……ああ、耳が痛い」
再び小さなため息をついたハインを見ながら、ウォーカーは帰宅するべく立ち上がる。
「ま、助け手が必要ならいつでも呼んでくれ」
「助かります」
「礼なんか言うな」
「親しき仲にも礼儀あり、ですから」
「おい、それは今日アポイントもなしにやってきた俺への嫌味か?」
「嫌味? とんでもない。アポイントどころかノックもなかったことは見逃しますよ」
フンっと意地悪そうな笑みを浮かべると、ハインもゆっくり立ち上がった。
「ああ、見送りは結構だ。アポイントがない俺は客ではないからな」
「見送りではなくキリコに会いに行くだけです。あなたがようやく帰るのでね」
「…………」
絶妙なタイミングで使用人が入室し、静かにウォーカーへとコートを差し出す。
そのコートを受け取りながら、ウォーカーはブツブツと小声で文句を言った。しかしその文句もハインに全て無視され、ウォーカーは使用人の案内で邸を去っていった。
「ウォーカーさん、帰っちゃったんですか?」
上からふってきたキリコの声に顔を上げれば、丁度キリコが階段から走り降りて来るところだった。一言ウォーカーに挨拶をするつもりで走ってきたものの、一足遅く間に合わなかったようだ。
「ああ、キリコ。丁度呼びに行こうと思っていたのですよ」
「呼びに来なくても私が来ますよ」
キリコの視線がチラリとハインの足に行ったのを敏感に察知し、ハインは意地悪そうにニヤリと笑う。
「なんですか? あなたまでウォーカーのように私の足が役立たずだとでも?」
「そ、そんなこと……!」
意地悪そうに笑うハインを見ながら、キリコは慌てて首を振った。それを見たハインはさらに笑みを深め、降りてくるキリコに手を伸ばす。その手をキリコが少し恥ずかしそうに取ると、ハインはキリコを引き寄せて腕の中に収めた。
「キリコ」
「はい……」
キリコは接近に弱い。顔を真っ赤にしているキリコを見ると、ハインはその支配欲をくすぐられた。
「ねぇ、キリコ。綺麗なドレスは欲しくありませんか?」
「ドレス……? いえ、別に。クローゼットに山ほどあるやつ、あれ私のですよね? まだ全部着てないんです。左側のレーンにあるものは半分くらい着ましたけど、中央と右のレーンの服はまだ一回も着ていなくて」
「…………」
想像していた言葉ではなくて少し面食らう。どうも自分はキリコのご機嫌取りをしたかったようだと気づき、ハインは少し苦笑した。
「キリコ」
「はい」
「そろそろ社交界で舞踏会が行なわれるのですが、そこには花妖精も行けることになっているのです」
「そうなんですか。ああ、離れられないからで――まさか」
「私も一応貴族の端くれですから、そう何度も欠席することができなくて。本当は行きたくないのですが、もう断るのも限界なんです。キリコが一緒に行ってくれるのなら我慢できるかも」
キリコの乏しい知識でわかることと言えば、舞踏会と言えばドロドロとした女の争いとダンス。
この世界にきて一度も考えないわけではなかった。ハインが貴族だと分かった瞬間から、馬車があると知った瞬間から、心の隅でシンデレラみたいで気になるなと思ったこともある。
だが、自分が参加したいかと言われれば、答えは“否”であった。遠くから見てみたいような気はする。
あんな場所で自分が戦えるわけがないと良く理解していた。女同士の争いは醜い。綺麗な人ばかりのところに、自分みたいな冴えない女が行ったらどうなるだろうか。それは火を見るよりも明らかだ。
ただ行くだけなら問題ない。だが、平凡な自分の隣には非凡なハインがいる。
そう考えると非常に憂鬱だった。
「キリコ、一緒に行ってくれませんか?」
「…………」
ジッと見つめられ、キリコは妙な罪悪感が沸いてきた。
きっと行きたくないと言えば、あらゆる手段を用いてハインは欠席をするだろうと思った。
しかし、もう限界だと言ってはいるが、そんなことはないだろう。ハインなら何かしら上手い理由を思いつくはずだ。それを、自分の都合だけで頑張らせてもいいものかとも思う。
だが、もし……もしワガママが許されるのであれば、これから殺されるであろう自分に少しは優しくしてくれてもいいのではないかとも思った。
「あの……」
だから――……
「少し、なら」
満面の笑みを浮かべるハインが見たくて、どうしても自分が必要だと思って欲しくて、キリコは自分の思いを殺す。
「ありがとうございます、キリコ。新しいドレスを仕立てましょう。あなたに相応しいドレスを」
「……はい」
望んでいたとおりの満面の笑みが返ってきたのに、なぜかキリコは少しも嬉しくなかった。




