遥か昔の記憶。
「ここは……?」
先ほどまで、キリコはウォーカーと話をしていたはずだ。しかし、今は暗闇の中にいる。
瞬きをした瞬間ここにいた。何が起こったのわからず辺りを見回すと、下の方に明かりがあるのが見えた。その明かりに寄っていけば、一つの映像が浮かび上がる。
「あっ……」
それは楽しそうに歩く男女。
キリコには、それがすぐにハインだと分かった。そして相手の女性がエレーネだと言うことも。
その二人の後ろに暴走した馬車が迫り、ハインはエレーネをかばって路地裏の方へ押しやろうとした。しかし、それは一瞬間に合わず、跳ね飛ばされた二人はピクリとも動かなくなった。
「…………」
次に流れたのはお葬式の場面である。
エレーネは小さな箱に収められていた。それにすがるでもなく、そばで表情をなくしたハインが車椅子に座らされている。両方の足は大げさなくらいに固定されていたが、キリコはそれが大袈裟ではないと知っていた。
「……今の……は……」
瞬きをすると、映像がどんどん掻き消えていく。そしてかわりに、ウォーカーと別れたときから一歩も動いていない位置で、周りの風景が屋敷へと変わっていく。
「ハインさんの記憶……? なぜ見えたの……絆のせい? 絆は切れたと言われたのに……もしかして、まだ間に合うのかな」
そうだと良いなと思った。まだハインとつながっていたかったから。
「あら、こんなところでどうされたのですか?」
かけられた声に振り向けば、洗濯物を山ほど抱えたミーナがこちらを見ている。
「えっと……ちょっと退屈で」
「まあ……そうですわよねぇ……そうしましたら、図書室へ行かれたらいかがですか? あそこには絵本もたくさんありますから、もし字が読めなくても楽しめると思いますわよ」
「そうなんですか? ありがとうございます。行ってみます」
「ええ、ここをずっと奥まで行って、突き当りを左ですわ。扉の上に黒い標識がついていて……えっと……標識に金色でこんな文字が書いてあれば図書室ですわよ」
手に文字を書くミーナ。それはどうやら英語のようで、キリコは初めてこの世界の標準語が英語だったのかと知った。
ミーナにお礼を言い、言葉どおり図書室へと向かう。何か花妖精と主の絆を取り戻す方法とか、そんなものがわかるかもしれないと思ったのだ。花妖精を当たり前のように育てる風習があるなら、それに関する育成本もあると思った。
「文字が読めるといいんだけど……英語は単語くらいしか読めないからなあ」
しかし、何もしないよりは言いと思って歩き続ける。ようやく見えてきた“ Library ”の標識。先ほどミーナが手のひらに書いてくれた文字と同じだ。
扉を開ければ、古紙のいい香りがした。
「凄い……」
天井まである背の高い本棚。壁一面に本棚があり、綺麗にタイトルごと、種類ごとに分けてある。
全体のつくりは二階分あるが、天井がない吹き抜けのような構造になっていた。階段は螺旋階段が部屋の左右に二つ。窓は天井に明り取りがあるだけで、基本的には中央に並べられた机に備え付けられているランプを使うようになっている。よく見ればその明かりとりも本物のガラスではなく、中に電球が仕込まれているだけのようだ。
倒れ掛かってきそうな錯覚を覚え、キリコは少しだけ後ずさる。しかし圧倒するような本の量に、キリコはわくわくしていた。
「……こんなにたくさんの本があったなんて」
本棚を見ながら、ゆっくり歩く。すると、そこに気になる単語を見つけた。
“ Flower Fairy ― How to grow 1 ― ”
(花妖精 ― 育て方 1 ―)
「これ……もしかして」
その本は十冊ある。
そしてその近辺には、花妖精に関するものと思われる育成本が山ほど並べられていた。
「こんなにたくさん……!」
キリコは夢中でページをめくった。何かヒントがあるのではないかと思って。そして運のいいことに、そこに書かれている英語はスラスラと読め、キリコへと知識を与えていった。
一冊目を読み終わり、二冊目を手に取る。そこでようやく自分が立ちっぱなしで本を読んでいたことに気づき、いくつか本をとるとテーブルへ座って灯りをつけた。
あまり厚くないそれはすぐに読み終えることができる。どんどん本を読んでいき、最後の一冊を読み終えて本を閉じた時、キリコはがっかりした顔でため息をつく。
「ヒント、なかった……」
大体が種から花を咲かせるまでの基礎。
それから意思疎通をはかりやすくするための方法。
他の本を読んでみても、絆を取り戻す方法なんてのは書いていなかった。それは“主と花妖精の絆が切れるような事態におちいることなど、通常はあり得ない”と言われているような気がしてキリコを落ち込ませる。
「絆……まあ、そうだよね。人との付き合い方、みたいな本をハインさんが買うとは思えない」
出してきた本を戻すために本棚に向かう。
ゆっくり本を戻し、最後の一冊を本棚に押し込んでため息をついた時のことだった。ポンとその隣の本が飛び出して落ちる。
「ん?」
それと同時に、飛び出した本のあった場所から花妖精が顔を覗かせた。それは本よりも少し小さいサイズの女の子。葉っぱでできた服を着ており、いかにも妖精と言った姿をしている。そしてピンクの髪の毛にはたくさんの花飾りがつけられていた。
「は、花妖精……どこから来たの? というか、あなたのご主様は?」
『こんにちは。あたし、ここのコックをやってる人の花妖精よ』
「こんにちは。いつも美味しいご飯をありがとう」
別に花妖精が作っているわけではないだろうが、礼を言えば嬉しそうな顔をした。
『あのね、本当はね、お部屋を出ちゃいけないんだけど、今は遊んでるから大丈夫なの』
ニコニコ笑顔を浮かべる花妖精を見ながら、それは全く大丈夫ではないのではないだろうかと思いながらキリコは笑顔を作る。
「コックさんが心配しないうちに部屋へ戻らないとね」
『うん、喧嘩したくないから、夕方には戻るわ』
「喧嘩したら嫌な気持ちになるもんね」
『嫌な気持ち? 違うよ』
不思議そうな顔をする花妖精に、キリコも不思議そうな顔を返す。
『喧嘩したら、私の中にヴィーがいなくなるんだよ』
「いなくなる……?」
ヴィーとはコックのことだろうと思えた。しかし、いなくなるとはどういうことだろうかと思った。
『存在が見えなくなっちゃうの。喧嘩してない時は見てなくても見えるのに。まるで人間みたいね。人間は遠いところにいる相手が何をしているのか分からないんだって。怖くないのかな?』
それを聞いてキリコは心臓が押しつぶされそうな気がした。
相手のことが分からないのが怖い――……花妖精であれば当たり前のその感覚は、元人間であったキリコには理解ができなかった。離れた相手が何をしているかが分からないなんて、当たり前のことだったからだ。
だから、今回キリコは怖いではなく悲しいと感じている。
「……キミは……喧嘩したら、どうやって仲直りするの?」
『仲直り? わかんない! すぐ怖くなっちゃうから、いつもお互いにすぐごめんなさいするよ』
あまりにも当たり前な返答に思わず半目になる。
「まあ……そうだよね。相手を悪い気持ちにさせたら“ごめんなさい”だよね」
『うんうん! あなたも喧嘩したの?』
「喧嘩……じゃないかな。ちょっと、お互いの気持ちがわからなくなっちゃって……好き、なんだと思うんだけど、どうしたらいいか分からないのかも」
花妖精は何度も頷きながらキリコの話を聞いていたものの、キリコの言葉を聞いてから何かを閃いたように手を打つ。
『いいこと知ってるー!』
「なあに?」
『魔法のおまじないをしたらいいんだよ! いつもヴィーがやってくれるやつ!』
「おまじない? それってみんなやってるのかな」
『花妖精と主はやってるんじゃない? この間、アマエラもやってた! 凄く効くよ! だっていつもよりヴィーの気持ちがわかるもの』
アマエラが誰なのかサッパリ分からないが、それを聞いてキリコの頬は上気した。もしかしたら自分たちも上手くいくかもしれない。そう思うと自然と口角が上がる。
「そうなんだ! 教えて!」
そのおまじないのことを思い出したのか、花妖精は興奮したようにキンキン声で何かを叫び飛び回っている。
「え、あの……聞こえない……分かりやすく教えて?」
ちょっと困った顔でそう言えば、花妖精はキリコの鼻先に停まってニッコリ笑顔を浮かべた。
『だーかーらー! ジッと目を見て笑顔。それからこう言うの――……』
“好きだよ”
鼻先にチュッと口付けられる。
何をされたのかを理解して、それから自分がこんなことをしなければいけないんだと思い至り、それをする相手がハインだと気づき、キリコは赤面した。
「え……これを……私が?」
『うん、これでバッチリ!』
「そ、そう……そう、なんだ……」
こんなことをして、怒られたりしないか。
こんなことをして、嫌われたりしないか。
こんなことをして、はしたないと思われたりしないか――……
考えれば考えるほど、ドツボにはまっていくような気がした。
「私が……ハインさんに? む、無理だ……できるかな……」
うんうん唸って顔を上げれば、いつの間にか花妖精は消えていた。
「私からするのかぁー……いやー……それは……それはちょっと……いや~……!」
混乱しながら花妖精が落とした本を取り、本棚に戻そうとする。するとその本には“ Flower Fairy ― Parallel universe ― ”と書いてあった。
「パラ、レル……私のことだ……!」
慌ててその本をめくると、そこには索引があった。どうやらそれは世界の花妖精ごとに分けて書かれているようで、一番最初のページは“ A ”から始まる世界の名が書いてあった。
そして、めくってしばらく。ようやく“ Earth ”の文字を見つける。
「…………」
目を皿のようにして文を読んでいく。“ Japan ”と書かれた項目を探し当てると、キリコはゴクリと生唾を飲み込んだ。
その項目は非常に少なく、他の国に比べると圧倒的に情報が少なかった。しかも日本から来た種の前例はほとんどないようで、あっても情報が得られないようなものばかり。
ただ一言、そこにはハインが求めていたであろう情報が書かれていた。
「鎖国を行なった日本は鎖の属性を持つ。生ける者の魂を縛りつけ、離さない長寿の効果。あるいは、その命を蘇らせ、花妖精の命が続く限り永らえさせる効果が期待される。しかしながら、あらゆる種と同様に失敗した場合に花妖精が消滅してしまう――……」
ようやくキリコは本当の意味で理解した。
自分がなぜハインに大事にされていたのかを。
きっと、今までに何度も何度も試したはずだ。あのクローゼットの奥に閉じ込められた残骸が、それを物語っている。
そう気づいてしまった。それほどに、ハインはエレーネを求めていたのだと。
「ハイン……さん……」
それでも、キリコのハインを思う気持ちは変わることがない。この気持ちが本当の思いなのか、それとも足枷なのか……もう、そんなことはどうでもよくなっていた。
「私の命、役に立つかなあ……?」
ポツリと呟いた声が、図書館の中に響く。




