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キリコは死んだ。

「誰か、救急車を呼べ!!」


 街に男の怒声と女の悲鳴が響き渡る。

 交差点へ乗用車が突っ込んできたのだ。それは一度もブレーキを踏まないまま人を次々に跳ね上げ、勢いよく電柱にぶつかると、ようやくその獰猛(どうもう)な動きを止めた。


「何、事故!? うわ、ヤバイじゃん……!」


 運転手の居眠り運転だった。

 潰れたボンネットから煙が上がり、中の運転手はよろめきつつ車内から降りてくる。額から血を流して、自分がしてしまったことの大きさに呆然としていた。

 しかし、幸いにして跳ね上げた人々は生きており、それぞれ血を流しながら呻いてはいるが、誰も命に関わるような怪我はしていなかった。

 ただ一人の少女を除いては。


「救急車はまだか!」


 その時、安藤病院と書かれた看板があるビルから、中年の白衣を着た男性が血相を変えて飛び出してきた。そしてザッと現場を見渡すと、地面に倒れてピクリとも動かない少女に駆け寄る。


「おい、キミ! 大丈夫か!!」


 この中年男性は事故現場の目の前で開業医をしており、大きな物音を聞いた瞬間、即座に事故だとあたりをつけて食べていたラーメンを放り出し、病院を飛び出したのだ。

 そして現場を見渡した中で、一番怪我が重いと思われる少女に近づいた。

 なぜこの少女の怪我が一番重いと判断したかと言えば、そこだけ尋常じゃない量の血が地面に広がっていたからだ。

 しかし――


「…………」


 少女の体は、どうみても助からないほど損傷していた。脈をみずとも、その様子を見て生きていないことを悟る。

 医者は遅れて駆け寄ってきた看護師に毛布を用意するように指示を出すと、他の患者の元へと走った。

 看護師は医者の影になって見えていなかった少女を見てから、痛ましそうな表情で少女に毛布をかける。毛布からはみ出した手足をなるべく隠そうとするも、布の大きさはあきらかに足りなかった。

 辺りには野次馬の悲鳴と、携帯のシャッター音が鳴り響く。


「可哀想に……」


 看護師の声がポツリと響く。

 そして看護師も、少女の全てを隠すことを諦めると、次の犠牲者の元へと走っていったのだった。

 こうして、物語の主人公である桜木キリコは十八歳という若さで、誕生日を迎えたその日に死んだ。




* * * * * *




「……私、死んだ」


 キリコは顔をしかめながら手を目の前に出し、その手をジッとながめる。

 自分が宙に浮いていると気づいたのは、少し前のことだった。真っ暗闇で宙に浮いているのに気づき、最初は夢だと思った。

 しかし、ボーっとしていると次々に過去の映像が浮かんできて、やがて自分の最後の瞬間を思い出したのだった。


「――家族は、いつ私がいなくなったことに気づくのかな」


 キリコがこんな心配をしているのは、ひとえに大家族の長女だったからである。別に家庭環境が悪いわけではなかった。

 しかし、大家族であるがゆえに、親は個々に目をやる余裕が無い。

 個々を軽んじているわけではないが、まだ十八歳のキリコよりはるかに若い子供(怪獣)たちが騒ぐものだから、もう成人に近いキリコは家庭内に居ながら一人暮らしをしているかのような扱いであった。

 両親も、キリコはしっかりしているから、ある程度は放っておいても大丈夫だろうと思っているのだ。


「……うーん……少なくとも夜中までは気づかないだろうなあ」


 ところでこのキリコという少女は、一言で言えば平々凡々な少女であった。

 身長も体重も平均。学力も運動能力も何もかもが普通。そんな彼女が平凡街道を歩み始めたのは、下に弟が三人そろったときのことだった。

 父親も母親も仕事や弟たちの世話で忙しい。

 一人の時は一心に愛情を注がれていたキリコであるが、小さな子供を抱えててんやわんやの父親と母親に甘えるなどできるはずもなく、自己主張をすることもできず、やがては全てを諦めて影のように生きると決めた。


「まいったなあ……」


 幼いがゆえに自己主張の強い弟達と妹達。それはキリコが死ぬまでに、合計で九人となっていた。

 その頃にはすっかりキリコの存在は埋もれ、ただ家事を手伝いながらバイトをして金銭を稼ぐ毎日。少し帰りが遅くなっても誰も気づかない。

 そしてそれをキリコは良しとしていた。半ば諦めが混じってはいたが、自分が目立たずとも家族が幸せであれば良いのだと。


「今日の夜ご飯当番はお母さんだから、私がいなくても誰も気づかないでしょ? 明日の朝ご飯当番が私だから、最悪でもその時にお腹をすかせた弟達が私がいないってことに気づくか」


 ご飯を作る人がいない、という理由で気づかれるなど、なんとも悲しい話である。


「でも家にはテレビが無いし、私は身分証を持っていなかったから、家族に私が死んだって伝わるのは少し先かな……」


 顔をしかめながら身分証くらい持ち歩くんだったと嘆くも、後悔先に立たずである。

 しかし、それもすぐに諦めると、大きなため息をついた。

 骨の髄まで染み渡った諦め癖。キリコは再び大きなため息をつくと目を閉じた。


「……私、最後まで冴えない平凡な女だったなあ……次に生まれ変わる時は……花のように……なりたい……一心に愛されて……幸せな人生、を……」


 やがて睡魔が襲ってくる。

 いまだ死んでしまった自覚が薄いキリコは、ゆっくりゆっくりとその睡魔に身を任せた。

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