とある貴族の懺悔。
「私は一体何をしたかったのでしょうね」
びしょ濡れでタオルに包まれ、ハインはボソッと呟いた。
「…………」
ハインの他、馬車にはウォーカーが乗っていたが、そのハインのつぶやきは車輪と雨の音に紛れてウォーカーには届かなかった。
「…………」
ハインは過去に思いをはせていた。
自分が花妖精を育てる切欠となった日のことだ。あの日も、こんなふうに沢山の雨が降っていた。
『花妖精を育ててみてはいかがですか』
たまたま花妖精の種を売っている店の前を通ったとき、外に出ていた店主が話しかけてきたのだ。
店主はハインの服装を見て、表情を見て、ハインが喪に服したばかりであることを知った。そしてその近くに花妖精がいないのを見て取り、少しでもこの男の気が晴れればと思ったのだ。
『花妖精……』
ハインはその言葉を聞いたことがあった。貴族階級でも話題になっている小さな霊のことで、若い娘がこぞって育てているのだと噂されている。
そんなもの育てる気にはなれなかったが、店主が無理やり種を押し付けてきたので受け取った。
しかし、ハインはその種をしばらく植えずに引き出しに仕舞い、そしてそのまま忘れてしまったのだ。
それから数週間。
『……これは』
ハインが未だ落ち込んだままで過ごしているある日のこと。
図書室でたまたま目に入った“花妖精の能力”と言う本を見て、自分が種を貰ったことを思い出した。そして何気なく本を手にとって何気なくページを開いて、ハインは危うくその本を取り落とすところであった。
“花妖精は未知なる能力を秘めている。私の病に倒れた可哀想な仔犬は、花妖精の力で死の淵から蘇った。”
最初は信じなかった。
他の本にも、そんなことは一言も書いていなかったからだ。
しかし、花妖精の種は魂からできていると知って、少し淡い期待が沸いてきてしまった。人の種であれば、もしかしたら死んだ者の魂をなんとかすることができるのではないかと。
それがどんなに恐ろしい考えなのか、この時の頭がおかしくなっていたハインにはよく理解できていなかった。
『エレーネ……あなたにもう一度会えるかもしれない』
ただ、その思いだけであった。
植えた種は思いのほか順調に育ち、そしてウサギのような花妖精が花から生まれでた。それが人間ではなかったことにがっかりしつつ、あの花妖精の種を取り扱っていた店に花妖精を伴って訪れる。
すると、ハインのつれている花妖精を見た店主が、目を大きく見開いてこう言ったのだ。
『これはまさか……私がお譲りした種ですか……?』
店主いわく、とても小さなウサギが生まれる予定だったのだそうだ。
しかし、ハインのウサギは大型犬ほどもあった。
『お客様……物凄い才能ですよこれは……!』
そう言われてから、何か自分の考えが後押しされたような気がして、ハインはエレーネを蘇らせるために花妖精の研究に没頭した。
使用人は時折心配そうに声をかけてくるが、あの廃人寸前の主よりはいいのだと言い聞かせて深く踏み込まなかった。
『エレーネ……また新しい情報が分かったんです。アースのニホンという国はサコクという文化がありまして、その国の言葉では鎖という意味がこめられているそうです。だからニホンの魂には鎖の文化が根付いている。これは魂を縛り付けるという効果……つまり不老長寿や蘇りといった効果が期待されているようで、もしかしたらあなたに会える日がすぐ来るのかもしれません。問題はどうやってその種を手に入れるか――』
ハインの研究に対する情熱はさらに深くなり、育てた花妖精は一定期間が経過するとどこかに消えてしまう。そして、クローゼットの奥からは濃厚な花の臭いがするようになっていった。
誰も、この部屋には立ち入らない。
濃厚な花の臭いが、すえたようなその臭いが、ハインの心と頭を蝕んでいった。
「……私は……どうすれば……」
馬車の窓から外を眺める。
雨は未だに振り続けている。
* * * * * *
「キリコ様……」
ハインよりも先に屋敷へついたミーナは、湯を沸かすのと図書室から花妖精に関する白色の本を全て持ってくるよう同僚に頼んでから、花妖精の部屋へと向かった。
小さめのベッドを引っ張り出してきて、タオルでよく水気を拭いたキリコと湯たんぽをベッドへ押し込む。
同僚が持ってきた本と湯を受け取ると、思いつく限りの治療と保温を施して再びキリコをベッドへ入れる。
「どうか……どうか目を覚ましてくださいませ……ハイン様がまたあの深淵に引きずり込まれないように……どうか……」
ミーナはあの頃のハインを知っている使用人の一人だ。
このままハインが死んでしまうのではないかと何度も思ったが、花妖精によって傷ついた心が癒され、元気になっていったハインを見て、それから、その元気の方向性が何かおかしいことに気づいた。
やがて周りの者も少しずつ気づいていく。
ハインの様子がおかしいと。
「…………」
しかし、誰も何も言えなかった。
口にするのもおぞましい何かが、もしかしたらこの屋敷内で行なわれているかもしれない。
それは噂話ですら口にできないような恐ろしい何か。
あの優しすぎるハインがとうとう狂ってしまったかもしれないだなんて、誰も、誰も口にできなかった。
「ハイン様……どうぞ早くお戻り下さい……」
頭を抱えて、ミーナが大きく息を吐く。




