主と花妖精の絆。
「さあ、できましたわよ」
薄っすら汗をかいたミーナが何度も頷きながら、豪奢な姿鏡の前にキリコを連れていく。
その鏡に見たこともないほど着飾られた自分の姿をみとめ、キリコはその頬を上気させた。
「凄い! 目がいつもよりパッチリしてる……!」
ミーナのメイクは素晴らしかった。元の素材を活かしつつ、顔をかえることはしない。しかしそれぞれのパーツが存分にその可愛らしさを発揮している。
キリコには、平凡な女が“少しは花のある女”に変わっているように見えた。
「凄い……」
「ドレスはいかがですか? これはハイン様が特注でお作りになったのだとか。これはこの国の国民がよく着るドレスですの。あのクローゼットに入っているものも全部キリコ様のお洋服ですのよ。今度見てみてはいかがですか?」
「ハインさんが……? 私のために……?」
これはミーデルという民族衣装によく似たつくりであった。濃い赤に金色のリボンがよく映えている。黒い髪は綺麗に編みこまれ、所々に小さな飾りが散りばめられていた。
「なんてお可愛らしいのかしら! さあ、ハイン様を呼びましょうね。きっと手放しで褒めて下さいますわ」
その光景を思い浮かべ、キリコははにかんだように笑う。
それを見てミーナも微笑み、ハインを呼びに行くために部屋の扉を開けた。するとそのすぐ隣にハインが気まずそうな顔で立っているのを見つけ、目を細めた。
「まあ、ここにいらっしゃいましたの」
ハインは苦笑しながら入ってもいいかを尋ねた。
「もちろんですわ。さあ、キリコ様、どうぞこちらへ」
部屋へ入ってくるハインに、その姿を見せるように近づいていく。途中で照れくさくなって視線をそらせば、ハインからクスクスと笑いが出た。
「ああ、これは……どこに翼を隠したのでしょうね、私の可愛い天使。似合っていますよ」
「あの、服……ありがとうございます。クローゼットの中も、全部私のだって聞いて……」
「あなたを着飾るのは私の楽しみなのですから。ほら、こっちを見て下さい。もっとよく私に顔を見せて?」
視線をそらしている間に近くまで来ていたハインが、キリコの頬を両手ではさんで視線を合わせてくる。ますます顔に熱が集まっていくのを感じ、キリコは小さく身じろぎした。
「ハイン様。あまりしつこいと嫌われますわよ」
「それは困ったな。ずっと見ていたいのに、駄目なのか」
困ったように笑うが、視線はキリコに合わせたまま。ずっと目を見つめられ、初めこそ照れていたものの段々と居心地が悪くなっていった。
「あ、あの……」
「……困りましたね」
「え? 何が、ですか?」
「今日、出かけるのを中止にしたいくらいだ。誰にもあなたを見せたくないなあ」
ハインがそう言えば、ミーナが責めるようにハインの名を呼ぶ。
「それはあんまりですわ。キリコ様はずっと楽しみにしていらしたのに」
「だってこんなに可愛いのに……私の天使がどこぞの男に見られるのは我慢ならない」
冗談のような本気のようなテンションでそう言いながら、ハインは大きくため息をつく。
「ですが……キリコに約束も守れないケチな男だと思われては困りますからね。大丈夫、ちゃんと連れて行きますよ」
肩をすくめると、ハインは大きな手をキリコへ差し出した。
「さあ、私の小さなお姫様。今日は私があなたにこの国を見せて差し上げましょう」
柔らかい笑みを浮かべるハインの手を、キリコは照れた笑顔を浮かべながら取る。
そっと引かれて行くキリコを見て、ミーナは自分がいい仕事をしたと強く確信した。
* * * * * *
「ほら、あの馬鹿みたいに大きいのが宮殿です。私が仕事に行くのはあの宮殿と……それから向こうに見える鉄道会社がメインでしょうか」
「凄い……イギリスみたい……」
「イギリス? アースのですか?」
「はい。私からしたら外国で、私は日本という国に住んでいました。この国は昔のイギリスにそっくりです」
馬車に乗りながら、見えるもの全てを教えるハイン。その説明も窓の外に移る景色もキリコにとっては非常に興味深く、真剣な眼差しで視線を彷徨わせた。
「……キリコ、あれが見えますか? 黒い色のアーケード街があるでしょう? あれはサブリミナル横丁と言うのですが、あそこはいわゆる貧困街です。残念なことにガラの悪い者が多いので、行かないように気をつけて下さい」
「そうなんですか」
「とは言っても、あなたは私から離れることができませんから、あなたがあそこへ行くことはないと思いますが」
「離れられない?」
ハインにしては強制力の強い言葉に驚けば、ハインは何かに気づいたように思案顔になる。
「この説明を忘れていました。そもそも花妖精というのは――……そう、ですね……上手い言葉が見つからないのですが、近い言葉で言えば主従関係にあります」
「主従」
「もちろん私があなたを僕だと思ったことは一度もありません。あなたと私は対等な関係ですから」
傷つけまいとそう付け加えるハインの優しさに、キリコは笑顔を浮かべる。
「絆で結ばれれば結ばれるほど、自由に行動できる範囲は狭くなる。お互いをつなぎ合わせるように、決して離れられなくなるのです。しかし、それをお互いが心地よいと感じる……我々は特別な関係ということですね」
「でも私はまだ自由にしていますよね? だって、ハインさんは私を置いて仕事に行っちゃうから……」
キリコがそういった瞬間、ハインは困ったような笑顔を浮かべた。それを見て、キリコは自分の失言に気づく。
「あ、すみません、あの……」
「いいえ、キリコ。寂しい思いをさせてすみません。できれば私もずっとあなたのそばにいたいのですが……そもそも私はあなたを育てると決めてから、すぐにでも仕事を辞めるつもりだったんですよ。辞めても一生を過ごすのに十分なお金がありますからね」
ハインは“なぜ私たちは離れていても大丈夫なのか”について答えなかった。そしてキリコも、それに気づいてはいたが深追いはしない。
なんとなく、追求していいかどうか迷ったのだ。
「でも周りがうるさかったので、そうすることができなかったのです。言い訳ですが……」
「望まれるのは凄いことだと思います」
そう言えば、ハインは少し驚いたような表情になった後、頬を赤く染めた。
「なんだかあなたに言われると素直に受け入れられますね……周りが何度もなだめようとした言葉は全く嬉しくなかったのですが」
いつも幼馴染であるウォーカーがこの光景を見れば、目玉をひん剥いて驚いていたであろう。それほどに珍しい光景であったが、普段のハインを知るよしもないキリコはニコニコと笑っているだけであった。
「……なぜあなたと私が離れていられるかということですが、それはあなたがまだ花妖精として覚醒していないからでしょう」
聞いていいかどうか迷っていた問いは、呆気無くその答えが与えられた。しかし、実際に聞けばさらなる疑問が湧く。
「覚醒?」
「ええ。花妖精は時間をかけて花妖精の成体へ変わります。あなたはまだその途中と言うことです」
自分が無理やり殻を破ったせいだと気づいたキリコは、顔をしかめてうつむいた。
「キリコ、そんな顔をしないで下さい。あなたが成長する方法はいくらでもありますよ」
「私……ただでさえ普通なのに……何かできることがないと、ハインさんに申し訳なくて……あ、普通だと思っていたけど、今はただの欠陥品ですよね……ごめんなさい……」
「キリコ。その言葉はもう絶対に、二度と、言わないで下さい。私はあなたを一度たりとも欠陥品だなんて思ったことはありません」
真剣な眼差しのハインを見て、キリコはゆるく頷いた。しかし心の曇りは晴れない。
「ほら、キリコ。丁度馬車がついたようです。気分転換をしましょう。ミーナがバスケットを持たせてくれたんですよ。きっとコックの作った美味しいサンドイッチが入っているに違いない」
そう言って持ち上げたバスケットからは、確かにいい香りが漂ってきた。
かすかに空腹を覚え、キリコはようやく口角を上げる。その姿を見て、ハインは優しくキリコの頭を撫でた。
ミーデル参考画像
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