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自覚の兆し。

「ハイン」


 真夜中。

 寝ていたハインが、呼びかけに目を覚ます。


「あなた幸せ?」


 その問いに、肝が冷えた。またあいつが来たのだと。


「私がいないのに、幸せ?」


 息が荒くなる。


「……そんなの、許さないから」


 耳に手を押し当てる。

 その声を聞きたくなくて、力任せに押さえ、やがてハインの意識は飛んだ。




* * * * * *




「キリコ。あなた、お風呂に入りなさい」


 真面目な顔をしたハインにそう言われ、キリコは初めて、自分がこの世界に来てから一度もお風呂に入っていないことに気付いた。

 顔がどんどん赤くなっていくキリコを見て、ハインは慌てたように付け加える。


「いえ、あの、花妖精はお風呂なんて不要ですから。本来は別に入らずともいいのです。だってあなただって忘れていたでしょう? それは本能ですからね。人間の時とは違うのです」

「そ、そう……いうもの、なんでしょうか。あの……臭いますか?」


 辛うじてそう言えば、ハインは更に慌てたように付け加える。


「そんなことはありませんよ。なんせあなたの本質は霊なのですから。摂取した物だって排出などしていないではありませんか。まあ、どこに行ったのかは研究会でも永遠の謎として度々議題にあがりますが」

「そうなんですか?」

「ええ。なにせ、汗や涙は出るのに排泄は無いのですから。それでも何かを摂取し続けることができるのであれば、何かしらの処理行為が発生しているはずです」

「そう言われてみればそうですね……」


 落ち込んだ様子のキリコを見て、ハインは誤魔化すように咳をした。


「まあ、ちょっと外に連れて行こうと思ったので、ついでだからお風呂に入ってはどうかと思いまして。あなたは元アースの女の子でしょう? アジア人種はお風呂が好きなのではないかと思いましてね」


 外。


「…………」


 その魅力的な単語に心が躍る。

 朗報である。

 キリコの聞き間違いでなければ、ハインは確かに“外”と言った。


「外? 私が、出るんですか……?」

「そうですよ。行きたいのでしょう? 使用人から、あなたがずっと窓の外を見ていると聞いていました。今日は仕事がありませんから、あなたのご機嫌伺いをしようという魂胆です」


 興奮で頬が赤く染まっていくキリコを見て、ハインは純粋に可愛いなと思った。キリコはニヤニヤしているのに気づかれたくなくて、少しうつむいて顔を隠す。しかし口角が上がるのを隠しきれず、その様子に声を出してハインが笑えば、キリコは少しだけ眉をしかめた。


「どこへでも連れて行ってさしあげますよ」

「どこへでも……じゃあ……花の、咲いているところに……それもできるだけ沢山の花があるところに……」


 キリコは照れたようにそう言って顔を上げる。そして、目を見開くハインと視線が合った。それは驚愕と恐れ、それから後悔と怒り――……

 様々な感情の入り混じった、複雑な表情。

 それに、ハインはキリコを見ているようで別の何かを見ているような気がした。


「ハインさん……?」

「…………」


 不安になったキリコがその袖を引っ張ったとき、ハインはびくりと震えてキリコに視線を合わせた。


「あ、ああ……花畑……ですね」

「……はい。あの、大丈夫ですか……? 別の場所に、しますか?」

「いえ、行きましょう。大丈夫です……さあ、お風呂場はあちらです。使い方を教えますから、一緒に行きましょう」


 大丈夫なようには見えない。

 その言葉を飲み込んで、キリコはハインと風呂場へ向かった。




* * * * * *




「あらまあ……キリコ様はお可愛らしいですわね。小さなウサギさんが水浴びをしたようですわ」


 キリコが風呂から上がると、年の若い使用人が立っていた。

 紺のドレスに白いエプロンをつけており、金糸の飾りがあちこちに縫い付けられている。

 その使用人は満面の笑みで、風呂上りのキリコを迎えてバスタオルで包んだ。

 これはハインの計らいで用意された世話役であったが、ドアを開けた瞬間にその人が立っていたためキリコは驚いて固まる。そのキリコへあっという間に近づいてきたものだから、ウォーカーのとき程ではなかったが、キリコは少しだけ嫌な気持ちになった。

 それを敏感に察知した使用人は困ったように笑うと、茶色い一つに結ばれた髪の毛を綺麗に整え直して丁寧に一礼をする。


「もしかしてハイン様は何も仰っていないのでしょうか……突然申し訳ありません。これはハイン様の命令ですのよ。だってあの方は男性で、キリコ様は女性でしょう?」

「あ……はい、あの、私はキリコです……」

「わたくしはミーナと申します。ここで一番若い使用人ですの。だからキリコ様と合うんじゃないかってハイン様がキリコ様の世話役に」


 ミーナはクスクス笑いながらそう言い、手を差し出した。意味が分からずにキリコが首をかしげると、ミーナは差し出した手の上を指して、そこを見るように言う。

 キリコがジッとそれを見れば、かすかに何かの紋章が浮かんだのに気づいた。それはするすると解けて光の糸になり、やがてキリコの中へと流れ込んでいく。


「……ハインさんの気配がする」

「ええ、ええ。そうでございましょう? 屋敷の者はみな、この刺青魔法を入れているのですよ。ハイン様が信頼して仕事を任せているという証拠になりますの。まあ、職業証明書みたいなものですわね。どこへ行ってもこれが証明になりますわ」


 なるほど、と頷く。目の前の使用人がハインの信頼した人物であると知り、先ほどまでの嫌悪感が消えていく。


「ハイン様の所有される花妖精を落ち着かせる効果もありますのよ。仕事をしているものは、大抵が雇い主からこの印を貰ってますわ。だからこれから外に出るようになって怪しい人に会ったら、この刺青魔法を見せてもらうことをお勧めしますわ」


 見せてくれない人は危ない人と言うわけだ。

 それを理解したキリコは、何度か頷いて微笑んだ。


「さあ、風邪をひかないうちに拭いてしまいましょうね」


 不思議と恥じらいは無かった。キリコは少しだけ見たウォーカーの花妖精があまりにも露出の高い格好をしているのを思い出して、花妖精はある程度恥ずかしいと思う気持ちが無くなってしまうのだろうかと思う。

 もしそうであれば由々しき事態である。もしかしたら、知らず知らずのうちにハインから“恥知らずな女”と思われる行動を取ってしまう可能性だってあるかもしれないからだ。

 そうやって地味に悩んでいると、ミーナが不思議そうな声をあげる。


「キリコ様はもうこれ以上大きくならないのかしら? わたくしは可愛らしいから今のままでいてほしいのですが、キリコ様がもう少し大きくなりたいとお思いになれば、大きくなるのでしょうねぇ。うーん、でもやっぱりこのサイズが大サイズだといいわね」


 そう言いながら、ミーナが丁寧に水分を拭っていく。浴室の鏡を見て、キリコはようやく自分の姿をまじまじと見ることになった。言われるまで気にもしていなかったが、その体系は十八歳の頃とは大きく違う。まるで幼い女の子の風貌だ。

 以前に言われた中サイズだとか、サイズの話はいまいちピンとこなかったが、幼い姿の自分を見るのが珍しくて質問をする余裕もない。


「花妖精は愛でられるために生まれてくる存在ですから、主に一番愛される姿になるのだそうですよ」

「一番愛される姿……?」

「ええ。主がもっとも可愛がってくれる姿に……ハイン様とキリコ様の絆がもっと深まったら、きっとこのお姿も、もう少し変わるかもしれませんわね」


 それを聞いて、キリコは胸のあたりがキュッとなった。少し痛みに似たそれに顔をしかめ、キリコは肩を落とす。


「ハインさんと私は……まだ絆が深くないですからね……会ったばかりだし」


 分かってはいた。しかし、改めて言われると少しだけ落ち込む。


「最初から絆が深い関係というのはありませんわ。なにせ家族であっても、時間をかけて関係をはぐくんでいくのですもの」


 そう言って笑うミーナの顔は、とても穏やかであった。


「わたくし、妹が欲しかったんですのよ。キリコ様をそんなふうに言っては失礼だと思いますけど、こうやってお世話をしたくてたまらなくて。ねぇ、キリコ様、ご存知ですか? 屋敷中のみんなが、キリコ様のことを一目みたいと思っていますのよ?」

「私を……? どうしてですか?」

「だって、あのハイン様がとっても大事になさっているのですもの。今まで数え切れないほどの花妖精をお育てになったハイン様が、一番大事にしていらっしゃるのですから、見たいと思うでしょう?」


 そう言われ、キリコは目から鱗が落ちる思いだった。


「しかも今日まで誰にも合わせないとなれば、みんな気になりますわ。だってシーツ変えやご飯の時も入室時間を決めて視界を減らして……って大騒ぎしていましたし。まあ、今ハイン様がお持ちの花妖精はキリコ様だけですから、これからもっと甘やかして頂けるのでしょうねぇ」


 ミーナのその台詞を聞いて、嬉しいような悲しいような気持ちになる。数え切れないほど花妖精を育てたと言うことは、当然、この屋敷にキリコのような存在がたくさんいたと言うことだからだ。もしくは今もいるのかもしれない。

 ミーナの言った“一番大事にしている”という言葉が無ければ、キリコは落ち込んだままだっただろう。


「さ、拭き上がりましたわよ。次はドレスですわね。向こうの部屋に用意していますの。ちょっとお行儀が悪うございますけど……下穿きのまま移動しましょうか。殿方は部屋にいませんから。大丈夫ですわよ」


 笑顔のミーナに連れられて風呂場を出ようとしたとき、ふとキリコは気になっていたことをミーナに尋ねた。


「ミーナさん、そういえば気になっていることがあって」

「なんでございましょうか?」

「たまにお花の香りがするのは、お香ですか?」


 そう言えば、ミーナは不思議そうな顔をした。


「いいえ、キリコ様。花妖精はお香のような人工的な香りが苦手ですから、その類は置いていませんのよ。お花も切花は置きませんの。切って時間が経った花は、花妖精からしたら死の臭いがするとかで……」

「え……そう、なんですか?」

「ええ。ですから、一度も香りのするものは置いておりませんのよ。何か匂いましたか?」

「花の……濃い花の匂いが……たまに匂うんです」


 ミーナは首をかしげて考え込む。しかし、思いあたる物は何もなかった。


「わ、わからないなら大丈夫です!」

「お役に立てず申し訳ありません……どこから匂うのかしら」


 首をかしげているミーナが歩き出そうとして、すぐに立ち止まる。


「あら。キリコ様、申し訳ありません。わたくしお風呂場に忘れ物をしましたわ。ベッドの上に新しいドレスが置いてありますので、先にドレスを見ていてはいかがですか? わたくしは忘れ物を取ったら、すぐに行きますわね」

「はい!」


 やはり、ドレスと言われれば嬉しい。

 一体どんなドレスなんだろうかとワクワクしながら、キリコは風呂場と部屋をつなぐドアを勢いよく開けて走り出した。後ろから転ぶから走らないように、というミーナの声が聞こえる。


「大丈夫、転ばないか――」


 駆け出した足が止まる。

 ついでに心臓も一瞬止まり、すぐにバクバクと物凄い勢いで動き出した。


「え……キ、キリコ……! あなた、なんて格好で出てくるのですか!」


 ドレスを持って陽にかざしていたハインが、キリコを見て驚きから困惑の表情になっていく。そして手に持っていたドレスをベッドに放ると、慌てた様子でキリコに近寄りながら、脱いだジャケットをキリコにかぶせる。


「キリコ様? どうしましたの? いったい――まあ! なんてこと……!」

「あ、いや、ミーナ……私は――」

「いいからハイン様は外に出て下さいませ!」

「わ、わかっています……!」


 ミーナは大慌てでベッドへかけてあったハインの杖を引っつかみ、それをハインに押し付けるとグイグイと部屋の外へ追い出していく。そしてハインが扉の向こうへ消えたのを確認すると、乱暴に扉を閉めて大きなため息をついた。


「申し訳ございません……まさかハイン様が我慢できずに入ってきているとは思わ――キリコ様? 大丈夫ですか?」


 顔を真っ赤にして呆然としているキリコを見て、ミーナはとんでもない罪悪感にかられていた。あの時“先に行ってもいい”だなんて言わなければと。


「大変申し訳ございません、キリコ様。わたくしのせいですわ……」

「恥ずかしかった……」

「ええ、それは……本当に申し訳――」

「ち、違う、んです……私、あの、なんか、あの……か、勝手に、花妖精は恥じらいなんて無いんだと思ってたんです……だって、ミーナさんに体を拭いてもらっても恥ずかしくなかったから……」


 ポツリポツリと話しだすキリコに、ミーナはより胸を痛める。


「でも……でも、なんか、ハインさんに見られたのは……下穿きだけで肌じゃなかったのに……恥ずかしかったんです……大発見……知ることができて良かった」

「キリコ様……」

「だって、これで恥知らずなことをしてハインさんに“変な子”だって思われることは無いって分かったんだから」


 顔を真っ赤にしたまま、困惑の表情を浮かべて笑うキリコを見て、ミーナはなんだか内臓がギュッとなったような気がした。息が荒くなっていく。抑えきれないもどかしい感情が、ミーナの中をグルグルと駆け巡った。


「キリコ様……ああ、なんてお可愛らしい……キリコ様、それは……それは、もしかして……ああ! 駄目! わたくしからは言えない……!! なんてもどかしいのかしら!」

「え?」

「恋ですわ!」


 ミーナは言えないといいながら大音量でそう叫ぶと、肩で息をしながら、なんてことだと叫んでいる。なんてことはこっちの台詞だと思いながらも、キリコは発狂するミーナをながめていた。

 そしてようやく落ち着き始めたミーナに優しく声をかける。


「あ、あの……恋ではないんです」

「え?」

「だって、会ってからまだそんなに経っていないし」

「時間なんて関係ないですわよ。どれだけ濃密な時間を過ごしたかが問題ですわ」


 とは言われても、キリコは確実にこれは恋ではないと確信していた。

 ただ、恋に発展する可能性は十分にあるとも思っていた。

 なぜなら、あまりにもドキドキすることが多いからだ。このドキドキが、いずれ恋になる可能性は十分にあるのだとキリコは思っていた。


「大丈夫ですわよ、キリコ様。今日はザナール王国で一番可愛い女の子に仕上げますわ!」


 キリコは鼻息荒くメイク道具などを広げていくミーナを見ながら、もしこの平凡な女が少しでも可愛くなれるなら、ハインの隣に立っても遜色なく見えるようになる可能性があるのなら、その全てをミーナに任せたいと思ってしまった。

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