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(後編)

 月に一度の割合でライター仲間と開いているイベントがある。そこでは新着音源をかけたり、期待の新人から届いたデモテープをかけたり、ライター仲間と時事問題についてトークを披露したりと、おかげさまで好評のまま十回目を迎えようとしている。個人的にも賑やかな空気の中、人前で話したり笑ったり、何よりお客さんの反応が直接見えるのでとても楽しみにしている仕事のひとつだ。その記念すべき十回目のために何か特別なことができないかなどと話し合って気がつくとすでに夜中。週末の繁華街にて、行きつけの飲み屋での、企画会議も兼ねた集まりのことだった。

 とりあえずリーダー格の先輩ライターが進行表切ってくることになり、その場はお開きとなった。そのイベントで自分は、先日輸入盤屋で見つけた台湾のギターバンドと札幌在住の宅録ミュージシャンを紹介しようと密かに思っていた。

 自宅に戻ったのは夜中の二時を過ぎた頃。つい数十分前までは週末の喧騒の中、今は自宅兼仕事場の一室。深夜の静かな空気を感じつつ、留守電をチェックしながら、冷蔵庫の烏龍茶を飲む。

 机の前に座り、パソコンの電源を入れる。一応明日の日曜日は休日としているけど、仕事のために聴いておきたいCDは何枚かあった。そんな自己スケジュールを脳内で確認しながらメールやSNSをチェックしていると、山木さんからのメールを見かけた。

「柿崎勇気が亡くなったようです。至急連絡ください」

 一瞬、何の話か理解出来なかった。慌ててネットの速報サイトを見る。かなり大ききな閲覧数とともに、記事が現れた。



【訃報】ラブリー・デイ 柿崎勇気さん死去

 人気姉弟ユニット「ラブリー・デイ」のメンバー柿崎勇気(二二歳/本名非公表)が二二日に亡くなっていたことが判った。死因は急性アルコール中毒。


 XX年に姉・柿崎愛とともに姉弟ユニット「ラブリー・デイ」としてデビュー。数々のヒット曲を出し、総作品売り上げ枚数は二千万枚を超える。XX年、NUE音楽祭新人賞、年間作品賞を受賞。JSJリスナーズポールXX年、XX年二年連続で大賞を受賞。

二二日、連絡が取れないことから事務所スタッフが自宅を訪れたところ、遺体で発見された。告別式は二五日の予定。


 念のためスマホもチェックしてみると、確かに着信があった。何をしているのかと自分に嫌気がさす。

 とりあえず山木さんに返信のメールを打つ。夜中である上に週末ということもあり、事態が動くまでには時間がかかると思うが、当面集められる情報は見ておかなければならない。

 ネットの掲示板、ファンサイト、その他思い当たる限りのサイトを見て歩く。「ついにやったか」という書き込みが目に付き、どんなイメージで受け止められていたかを改めて認識することになる。公式サイトに更新は無し。ただし、アクセスが集中しているらしく、サーバーが重い。

 他のメールを見てみると、ラブリー・デイの事務所からのメールがあった。北野マネージャーからではなくスタッフさんからだ。やはり今回の話を受け、来週の姉・柿崎愛の取材を延期してほしいとのことだった。


 必要なところへのメールをすませ、椅子の背もたれに身体を預けて大きく伸びをする。一息ついて、酔いの覚めた頭で机に目をやると、猫と犬の姉弟を写したジャケットが目に付いた。先日の取材や、この前のライブを思い出す。

 弟、やっと自由になれたんじゃないのか? 姉さんにしっぽ振ってくっついて行って、どこまでもハッピーな曲を作り続けるんじゃなかったのか? 酒はほどほどにするって言ってたよな?

 窓の外が明るくなりかけていた。どうも気分が上向かないので、キッチンの隅に置いてあるウイスキーを取りに行く。グラスを一つと、氷、冷蔵庫の烏龍茶も持ってきて、机のところでひとりで飲み出す。クセのあるモルトの香りと、それをまろやかに変える烏龍茶を味わいながら、ヘッドフォンをかぶる。コンポに入れっぱなしになってた姉弟のCDを再生した。




 山木さんとの連絡は休日ながら日曜のうちについた。追悼の記事を書くのと同時に、先日の取材内容からも何か持って来られないかという話をもらった。こういうことかと思いながらも、その辺の事情はわかってもらうことにする。

 事務所にも連絡を入れてみた。電話はつながるものの、やはり休日という事で詳細は月曜を待ってからということだった。マネージャーの北野さんは本日不在。色々と忙しいのが伺える。

 少し気になっていたことがあった。

 先日の自分の書いた記事を、弟は見たのだろうか。まさかそれを着に病んで……。

 そう考えると落ち着かなくなってくるが、勝手な妄想で不安定になることはない。ひどい内容だとも思ったが、本人の口から語られたことだ。でも、気になる。

 何もできない休日の空気に苛立ちを感じた。

 その日の夕方、生前、繋がりのあったものとして葬儀に参加できないかと思いつく。告別式は当初、姉の取材を予定していた25日。時間的に問題はない。参加することに決め、告別式会場の場所を調べる。同時にここしばらく袖を通していなかった礼服を出し、近所のクリーニング屋へ持っていく。日頃、あまり足を運ばないこともあり、非日常を強く感じる。

 こういう催事のしきたりについてよく知らないこともあり、ネットなどで色々と調べる。香典の額、数珠などの小物は必要だろうか。こういう知識はどのように身につけるものなんだろうか。やはり、家族だろうか。

 昔の大家族が普通の時代から核家族化への時代を経て、古くからの伝統や常識がなくなりつつあるといった記事を見かけたことがある。自分のように実家勘当されたケースは特例として、ここでも家族という特別な繋がりを感じた。


 二五日。朝の日差しから、気温はかなり高くなることが予想された。実際に部屋から出た時には、少し首筋が汗ばむのを感じたほどだった。喪服ではキツそうな空気を感じる。

 告別式は十時からだった。会場となった都内の中規模な寺院ではファンとみられる行列が出来上がり、人気の高さを伺わせた。その列の脇を通り、関係者として入れてもらう。

 中には生前繋がりのあったらしい関係者が何人もいた。意外と有名人に該当するような人は少なく、ほとんどがプライベートな繋がりのように思えた。

 姉の柿崎愛を探す。が、その場には見当たらないようだ。

「川瀬さん」

 名前を呼ばれて声のした方を向くと、先日の取材で一緒だった事務所のスタッフがいた。メールをくれた人だ。

「この度はご愁傷さまで」

「いえ、来ていただいて、ありがとうございます」

 その場で二、三話をする。今回の騒ぎを受け、事務所は結構大変なことになっているらしい。

 少しためらわれたが、この前の取材後のことを訊いてみる。

「彼はあの後、取材のこと気にしてたりしてたんでしょうか」

 スタッフさんは調子を変えずに答えた。

「いえ、気にしてる様子はありませんでしたよ。それより、以前よりすっきりしたようで、口数は増えてました。なんだか前より砕けた雰囲気でしたよ」

「そうなんですか。どうもタイミング的に自分が変なこと書いてしまったのかと気になってしまって」

「ああ、そうですよね、気になりますよね。でも、あの話は脇で聞いてたこっちも“ええーっ!”って思うようなものでしたし。それを話すことができて、勇気くんも気が楽になったんじゃないでしょうか」

「そう言ってもらえるとこっちも気が楽です」

 式の始まりを告げるアナウンスが流れた。

「あ、それじゃ、また」と言い残しスタッフさんはその場を離れていった。自分の保身しか気にしてないようで少し後悔は残ったが、それでも少し救われたような気分になったのは確かだ。

 今後も特定の誰かについて書く機会は続くが、それがその人を意図しない形で傷つけるかもしれない。そんなことを改めて自覚する気持ちだった。

 他の参列者に紛れて行列に並ぶ。すすり泣く声、生前の姿を偲ぶ声、そんなものが耳に入ってくる。なんだ、愛されてたんじゃないか。もっと気持ちを広げておけば良かったんじゃないか。でも、そう思った所で特殊な環境で育った彼には、手放しで周りと接するのは大変なことだったのかも知れない。

 色んな過去を洗いざらい話したらしい姉とは仲が良かったようだが、知りあう人ごとにシャレにならない過去をいちいち話すことはできない。改めて彼の背負った十字架の重さ、彼の前に立ちふさがる壁の高さを思い知る。

 焼香台に飾られた写真はいつもの姿だった。長髪、サングラス、長袖のシャツ。大きな祭壇の脇には愛用のベースギターとアンプ。ステージで使ったとおもわれる衣装などが飾られていた。

 ふと会場を見回す。少し離れたところに北野マネージャーと姉・柿崎愛の姿があった。姉は少しやつれているように見えた。声を掛けたかったが、この距離では無理だ。焼香を済ませ、「天国から見守ってくれよ、姉さんや、同じような子供たちを」と、最後の挨拶を告げた。


 関係者用の専門口から出ると、いきなり自分に向けてフラッシュがたかれた。誰と間違えたのかはわからないが、急にそんなことがあったため少しムッとする。

「川瀬秀弥さんですね?」

 急にマイクを突き付けられ、そう聞かれる。

「そうですが、何か?」

「柿崎勇気さんに最後のインタビューをされたそうですが、何か変わったことはありませんでしたか?」

 これが噂に聞く芸能レポーターというやつか。

「いえ、特には」

「今回、なぜこんなことになったのでしょう」

「それは事務所からの発表を待つべきではないでしょうか」

「何か悩んでいらっしゃったんでしょうか」

「そういう素振りはありませんでしたね」

 悩んでるとしたら、人の無理解と無神経さではないでしょうか。そう伝えようとして、やめる。ここで何か言ってもどうにかなるものではないだろうと、自分でもわかる。適当にあしらってその場を離れた。取材陣の群れは僕の次に現れたミュージシャン仲間の方へ移動し、急に空気が軽くなる。僕は喪服のネクタイをゆるめ、足早にその場を歩き去った。


 翌日、朝のワイドショーを見ていたら早速そのニュースが始まった。

 ここしばらく、人気スターの急死という話題であちこちのメディアは持ちきりで、今後しばらくはその話題が続くのではないだろうかと思われた。

 コーヒーを飲みながらテレビの画面を眺めていると、昨日の葬儀についてのニュースが流れた。過去の映像や、昨日のファンの行列、テレビのバラエティ番組での姿などに交えて、昨日撮ったらしい関係者のコメントも流れる。その中で急に自分の姿が映り、思わずコーヒーに咽ぶ。

 見慣れた自分の姿と一緒に「最後のインタビューをした音楽ジャーナリスト川瀬秀弥さん」とテロップが表示され、こういうのって断りはないのかと疑問に思ってみる。

「(生前、何か問題を抱えていたような)そういう素振りはありませんでしたね」

 そう答える自分の姿に、「ちょっと待て」と突っ込みを入れたくなる。これ、例のインタビューが世に出たら明らかに嘘になる。どこかにクレームを入れるべきだろうか。落ち着かない気持ちでいると、スマホにいくつかの着信があった。画面を見てみると、どれも「テレビ見たぞ」というもので、返すべきかとまた悩みが増える。

 いくつかのメッセージを確認すると、その中で先日一緒に飲んだ若手ミュージシャンからの連絡があった。

「そっちは大丈夫ですか? 何だか色々と大変なことになっているようだけど」

 比較的距離を感じないヤツからのメッセージに、すこし気が軽くなるような気がした。彼がこの時間に起きているのは珍しい。少し迷ったが、そのまま電話を入れてみることにした。登録されているダイヤルから呼び出し、コールする。呼び出し音三回ですぐに繋がった。

「もしもし、メールありがとね。今、いい?」

「おう、お疲れさんです。見たよ」

 屈託のない声に気持ちが元気づけられていくのが判る。同時に、そんなに弱ってたのかと自分で驚きもした。

「弟の死因、急性のアルコール中毒って話だったけど、そんな雰囲気あったの?」

 多分、他のやつから聞かれたら適当に答えて切ったと思う。でも、彼は信用してる。

「いや、確かに取材に来たときには酒の匂いさせてたけど、そんな深刻でもなかったよ。むしろ、今後についてやる気みせてたし」

「まあ、川瀬さん悪いんじゃないんだし、気にしないほうがいいよね」

「気にしようもないしね」

 しばらく話し、いつもの自分が取り戻されていくのがわかる。

 業界内の人間として色々噂は聞いているようで、今回のことであれこれ憶測が出ているのを聞く。自分も耳にしていることだが、改めて人間の好奇心や流言飛語の類が好きなやじうま根性を実感する。曰く、仕事の激務が続いて自殺した説、アルコールではなく薬物による事故死説、偽装夫婦の愛欲のもつれによる自死説。おかしな所では、姉にいじめられたことを悲しんで飲み過ぎて死んだという説。

 まあ、気にしないほうがいいよねという話と一緒にまた飲もうよという話をして電話を切る。

 いい加減に自分も日常に戻らないといけない。変なことに気分を乱されるのはここまでとして、自分の日常を再開しようと、腰を上げた。

 ラブリー・デイの事務所からメールが届いてるのを見つける。差出人は北野マネージャーだ。

 文面を見ると「先日の葬儀の際、取材陣に対してのご配慮を感謝致します」とあったが、他に予想外のことが書かれており、驚いた。

 先日の書籍は予定通り刊行するというのだ。

 この件についてはもうひとりのメンバー、姉の柿崎愛も意欲を見せており、そのための取材を新たにセッティングしたいとの事だった。

 早速返信もメールを書く。本当に大丈夫なのかが気になる。取材で聞いた中では、実の姉弟ではないとはいえ、かなり弟との繋がりは強いと感じている。

 メール送信後、時計を見ると午後に予定されていた取材の仕事の時間が迫っていた。早々荷物をまとめ、指定されている事務所へ向かうことにした。

 姉弟の取材については帰ってから改めてやり取りすることになると思うが、何が聞けるんだろうか、それ以前に事務所の、北野マネージャーの考えがよくつかめないのが気がかりだった。ただの追悼本にはなりそうにないのは内容を知っているマネージャーにはわかるはずだ。世間がさらに混乱するような話題を振りまくということだろうか。


 その日の仕事では午前中のテレビのことをよく持ち出された。

 半分は軽い話題として。ただ、本人的にはそんなに軽い気分にはなれない。

 それでも一日分仕事を終え、自宅にもどる。

 いつもの通り留守電をチェックしながら冷蔵庫の烏龍茶を飲む。いくつかある留守電に混ざって耳慣れないメッセージがあった。

「あー、ヒデか? 父さんだ。たまには電話よこせ」

 三年前に勘当してくれた父からである。電話番号は母から聞いたんだろうか。急にどうしたのかは思い当たらない。

 仕事とは別の感じで落ち着かなくなる。今更どういう顔で会えいいのか、それもよくわからない。

 実家からの電話のことは置いておき、メールをチェックする。予想通り、北野マネージャーからの返信が届いていた。

 次回取材は週明けの月曜日、前回と同じ市ヶ谷の事務所だ。事前に打ち合わせは必要かとも思ったが、あくまで前回の続き的な方向で行こうとも考えた。

 崩壊している家族の問題の隣で、なんだか関係がおかしくなっている自分の家族についての話が持ち上がることについて、可笑しく感じている自分に気づく。でも、こっちは柿崎勇気の実家のような破綻したものではないにせよ、「家族」という問題が持ち上がっていることについて妙な因果を感じた。

 念の為、早めに準備をと考え、先に用意した取材用の資料などを取りまとめる。質問事項などをメモした手帳を手にした際、ふと中を開いてみる。

「兄弟とか家族って、うざったくないか」

 以前に書いた自分の素朴な疑問だ。たしかにうざくて、そして不可解だ。それと同時に、軽い連絡があるだけでも軽く気分が上がりかけている自分は、幸せ者なんだろうと思う。

 そして、その作業の後、少し迷ったが実家に連絡を入れてみた。




 柿崎勇気の訃報は週末の間も一般のメディアを賑わし、自分の映像も何度か見かけた。だんだん慣れてくるもので、もう少し気の利いた言い回しはできないものかと思ってる自分に気づくのも面白いものだった。

 そんな週末が明けた月曜の午後一時少し前、僕は市ヶ谷の駅前にいた。昼休みのサラリーマンや学生であふれる路上は、急に上がった気温のために少しゆらいで見えた。僕はというと、取材の仕事を前に食欲があまりなく、コンビニで買ったゼリーを胃に流し込んで事務所へ向かう。前回も確か同じ道歩いたなと、ふと想い出す。

 受付で名前を告げ、前回と同じように応接室に通される。

 柿崎勇希が座っていたソファの前、前回と同じ席に座る。

 あれからまだ十日ほどだろうか。まだ、柿崎勇希もその辺にいて、軽く挨拶しながら部屋に入ってくるような気がした。

 しばらくして、スタッフと共に姉・柿崎愛が入ってきた。葬儀のときに見かけたような憔悴したような印象はなく、いつもテレビで見かける明るい雰囲気が部屋中に広がる。お姉ちゃんスマイルともあだ名されるあの微笑み浮かべて、気さくに話かけてくれるところも以前のままだ。弟のこと以外の世間話を少しして、取材を始めた。


―― まず、この度は突然なことで、お力を落とされてる事かと思います。本当に残念です。


柿崎愛(以下、愛) ご丁寧にありがとうございます。まさかあんな簡単に逝くとは思いませんでしたわ(笑)。


―― 本日はこれまでのことを中心に聞くことになるんで、無理はしないでくださいね。


愛 大丈夫です。バカな弟の面倒見続けて鍛えられてますから(笑)。


―― ではまず、小さい頃のことで何か覚えてる事ってありますか?


愛 仲のいい友達がいて、よく一緒に遊んでました。名前は“ゆうの”って言って、どういう字を書くんだかは知りませんが、いつも“ゆうちゃん”って呼んでました。ああ、こっちも“ゆうちゃん”だ(笑)。


―― 幼なじみなんですね。


愛 で、ある日、そのゆうちゃんがいなくなるんです。ゆうちゃんの家には警察の人とかテレビ局の人たちとかいっぱい来てかなり物々しくなっちゃって。


―― 何があったんですか?


愛 死んじゃったんです、ゆうちゃん。児童虐待で。ほら、つながってるでしょ?(笑)


―― またかって感じですけどね(笑)。


愛 離れられない運命なのかも(笑)。それで、ゆうちゃんの家に何があったのかお母さんとかに聞いても答えは曖昧だし。それがどういう意味だったのか分かったのはずっと後なんですけど。


―― 子供には話せないことですからね。


愛 思い当たることはあったんですよ。ゆうちゃん、物凄い嘘つきで。それになにかと私を試すようなことして来たり。たとえば一緒に綺麗にした花壇をめちゃくちゃにしてみたり、内緒にしてたこと大っぴらにばらしてみたり。当然私は怒るんだけど、こっちの怒るさまをジッと観察してたり。そのときは不仲になるんだけど、それでも子供だからか普通に仲直りして接して。こういう子なんだって思ってました。他の友達とは明らかに違うんだけど、あれってSOSのサインだったのかなって。

 そのことを勇くん(注:柿崎勇気のこと)に話した事もあるんだけど、「明らかにSOSです」って。あの子がいうなら間違い無いなと(笑)。


―― その後は何かあったりしたんですか?


愛 自分で冷たいなって思うんですけど、「ああ、いなくなったんだ」くらいの感覚しか無くて。でも、その後付き合う友達とかもそこまで歪んでる子っていなかったもので、どうも心の奥底にずっと残り続けてるんですよね。


―― 小さい頃だけに残る影響は大きいでしょうし。保育園とか幼稚園は行ったんですか?


愛 おかげさまで(笑)。そこで会う子たちはみんな普通っていうか、破綻してる子はいなくて(笑)。男の子がうるさいし乱暴だから嫌だなって思ってたくらいで。


―― その頃に好きなことって何かありましたか?


愛 犬を飼いたいって、ずっと親にねだってました。ペットがほしかったんですよね。できれば小型犬で。ミニチュアダックスとか。


―― 結構気性が激しいらしいですよね。


愛 そうらしいですね。知ってる人でミニチュアダックス飼ってる人がいて、見せてもらいに行ったことあるんですけど、あまりに動きが速くて(笑)。これは付き合い切れないなと思ったんですけど、時間が経つと、もっとちゃんと接すればいい友達になれたんじゃないかって思ったりしてました。だまされやすいのかも(笑)。

 犬って無邪気な感じが好きなんですよね。それと、基本的に頭がいいから躾けるってことができるじゃないですか。


―― 種類によって躾け方なんかもあるみたいですね。


愛 マニュアル化されているという(笑)。機械じゃないんだから(笑)。


―― で、飼えたんですか?


愛 駄目でした。家も借家でペット禁止だったし。


―― 残念ですね。その後の、小中学校のころとかはどんな感じだったんですか?好きだったこととか。


愛 特に目立たない普通の子でした。本が好きで読み物とか漫画とか……あ、友達とお話作ったり書いたりするの好きでした。


―― おとぎ話的な?


愛 そうそう。それと漫画が上手い子がいて、その子を真似て自分も漫画を描き始めたり。


―― それもおとぎ話っぽい感じで。


愛 最初はそうなんだけど、だんだんリアルなパロディへと変わっていきました(笑)。


―― リアルって(笑)。


愛 登場人物が評判の悪い先生のクセをそのままトレースしてたり(笑)。結構人気あったんですよ、クラスで。そのうち描かなくなっていくんですけど。


―― それはだんだん飽きてきたとか?


愛 いえ、ちょっと長くなるんですけど、まず、クラスで身体の弱い子がいて、その子をいじめてる子たちがいたんですね。なんだか何人かでプロレス技? ああいうのかけて騒いでるのよく見てて。で、ある日、いじめてる側の子が何やったんだか階段から転げ落ちて大けがしちゃって。それで何故かクラス全員で裁判みたいな感じになったんです。そのときにやり玉に挙げられたのがさっきのいじめられっ子で。


―― 何で?


愛 その怪我した子に良い感情を持ってなかった、極端に言えば恨みとか持ってたから、復讐する理由は十分にあるって。


―― 何の理由にもなってないというか、全然つながってないと思うんですけど、それ。


愛 本当に。はっきりいって意味わかりませんでしたよ。でも担任の先生が女王様みたいな勘違いしてるオバさんだったので始末に負えないというか(笑)、その話の持って行き方でみんなどこに話が行くんだろうかってビクビクしてたくらいで。そのうちに「誰々が誰々の悪口言ってた」とか「何々くんたちは誰々さんが嫌いでした」とか壮絶な告げ口合戦になっちゃって。その中でわたしたちの漫画も「酷いこと描いてる」って言われて。もはやクラスがどうなってるんだか判らない状態で。最後にはクラス全員で反省文を二枚づつ書いて話は終わるんですけど、それ以来みんなギクシャクというか。


―― そりゃそうでしょうねえ。


愛 凄いのは、その後もその先生がクラス便りみたいな通信文を配るんですけど、その中で「友達を信じること」とか「人を大切に思う気持ち」とか大真面目に書いてて(笑)。「ええー?」とか思って(笑)。


―― そういう人ってたまに見かけるけど、どういう人なんだろうね。本当に。


愛 ロクな人間ではないって小学生の自分でも判りましたけど。「自分だけは絶対あんな風にはならない」って強く思いました。

それで中学に上がるまで、人のすることに対して妙に敏感というか、何をするにも駆け引きが目につくようになったって言うのはありました。


―― 嫌な話だね、それ。


愛 気にしない子は気にしないし、単純に自分たちが過敏になってただけだという気もしますけど、でも嫌ですよね。


―― その後もずっと人間関係は、ちょっと引きずるような感じだった?


愛 はい。そんな感じで、なんだかそういう心の闇と隣り合わせみたいな感じがあって、テレビなんかで目にする人間関係、例えばドラマとかのやつでも疑問持ったりというのはありました。「本当に仲が良いのか?」とか、「絶対に疑ってるだろう」とか。

 で、それが解決するようなことが、小学五年生の頃かな? 本読んでて「ハッ!」と閃いたんです。

 周囲がどうあれ、自分が自分のための前向きな気持ち持ってれば、そういう嫌なモノがあっても適当に受け流せて、幸せな人生が歩めるんじゃないかって。


―― それ、正しいですよ。


愛 それ思いついてから、色々と変わってきました。気持ちが変わったからか、周囲の見え方もちょっと変わってきたりして。あまり接したりしない子にも、こっちから敵意も何も無いよって感じで接して行けばいいんだって思いました。それでもまだ頑なな子もいたけど、基本、自分はそれでやっていこうかって。第一、自分の人生なんだし、最後に責任取るのは自分一人なんだし。


―― 小学生でそんなこと考えるのって、かなり凄い状況だったんですね。


愛 他の人生知りませんから、全然自覚もなにも無いですけどね。


―― そこからは、じゃあ将来のことなんかも明確な考えがあったりしたとか?


愛 そこまではないです。どんな人間になるとかってあまりイメージ持てるもんじゃないし、女の子なら結構制限とかあるじゃないですか。社会的に出て行ける場所の問題とか。


―― そういう問題も片付けそうな勢い、感じなかったですか。話の流れ的に普通の子よりそういう意識を強く持ちそうな印象があるんですが。


愛 さっきの先生が「女性の地位向上がどうのこうの」ってタイプの人で(笑)。「無理! 勘弁して!」って感じですよ。他にも差別がどうのこうのとか、その辺からまとめて全部一気に苦手というか、ぶっちゃけ嫌悪感しかないんですけど(笑)。


―― なるほど。やはり影響強いね、小学校の先生って。


愛 確かに。で、小学校はそんなふうに息苦しい感じがあったんで、中学に上がるのは楽しみでした。


―― 実際に中学生になってみて、どうだった?


愛 まず、小学校の時の絶えずなにか警戒してるような感じがなくなって、本当に胸がスッとしました。「やっと楽になった」みたいな感じで。なんだか一人で浮かれて、入学式の日にクラスのみんなに声かけまくって、無駄に目立ってたくらいで(笑)。

 それと、中学一年の時にバンド組むんです。


―― 早いね。どういうきっかけで?


愛 同じクラスで仲良くなった子がベースやってて。”ひなちゃん”って子なんですけど、お兄さんが高校でベース弾いてる子で、その子が「バンド組みたい」って言ってて。それで同じクラスのギターやってる男子とドラム希望の男子と四人で組みました。


―― どんなのやってたの?


愛 ブルーハーツとか。ビートパンクっぽいものを。演奏はめちゃくちゃでしたけど、楽しかったですよ。スタジオ代がかかるのが困りものでしたけど。


―― 中学生の小遣いじゃね。


愛 それと、学校の先生でなぜか“ガム先生”って呼ばれてる人がいて。


―― “ガム先生”って、何で(笑)。


愛 謎なんですけど、みんなそう呼んでました。その先生も学生の頃バンドやってたとかで、練習スタジオを安く借りる裏技とか効果的な練習とか教えてもらいました。

 あと、先生の音楽仲間がやってるバンドのライブに行ってみたり。お金は取られましたけど(笑)。


―― バンドの顧問的な?


愛 はい。公民館の部屋借りればいいとか、あたしたちじゃ思いつかないアイデアを色々もらって。それと、さっき話した先生の音楽仲間の人たちがやってるバンドなんですけど、ある日のライブの前座に出してもらいまして。


―― 初ライブだ。どうだった?


愛 ヘタでした(笑)。でも可愛さでカバーみたいな感じで(笑)。はっきり行って「用意されてたお客さん」の前なんだけど、人前の快感というものを覚えまして(笑)。もう毎日でもライブやりたいって思ってました(笑)。でもバンドはそこで解散しちゃうんですけどね。


―― 何かあったの?


愛 単純にライブやりたがるメンバーと演奏を固めたがるメンバーで分かれまして。それで女子と男子で分裂してしまったと。でもそこからまたバンドで動いたりすることはなかったですけど。


―― 他にやれる人とかいなかったんだ。


愛 というより、一応人は集まって形にはなるんだけど、人前に出るまでは行かないみたいな感じで。そこでガム先生から言われたことが「上手くなるの待ってたら、いつまでたっても人前には出られないよ」って。


―― いい事言うね。


愛 さすが経験者だなって。それでもバンドは一度お休みということにして、演劇部に入るんです。当時二年になったばかりで、一年の子たちに混ざって発声とか柔軟体操とかやってました。


―― 人前に出る機会が多いね。


愛 一応、演劇部の舞台でもそうやって人前に出たりはしたんですけど、ライブほどの盛り上がりは感じませんでした。学園モノの「女生徒B」みたいな役ばっかりだったからかも。あと、演劇部の練習でやることのうち、「今までの人生を振り返る」とか「今まで嫌だったこと」とかをみんなの前で話すってのがあったんですけど、個人的にはそっちの方が面白かったというのがあります。


―― 昔の嫌なこととか思い出すんだ。


愛 早速“ゆうちゃん”のこと話すんですけど、その場がシーンとしてみたり(笑)。でも同じような体験してる子がいたりして、その子とはそれから色々話すようになりました。


―― 複雑な家庭環境の子なのかな。


愛 その子は……あ、出来ればこれ、カットしてくださいね。

 その子は両親からの物凄い押し付けで苦しんでた子で、小さいころから自然に笑ったり怒ったりというのを禁じられたみたいで。親の意思の通りに笑ったり喜んだりしないと、とにかく殴られるって。そのせいか、周囲には物凄く気を遣ってくれる子なんですけど。

部活なんかも最初、演劇部に入りたいって言ったときも「女優にでもなる気か!」って怒鳴られたらしいです。

 その子とはけっこう色々話したりするんですけど、二年の秋に急に演劇部辞めちゃって。


―― 何かあったんだ?


愛 親の命令だそうです。良い高校に進学するために、部活辞めろって。その子が部室で泣いてるの見て本気で腹が立ってきて。


―― そう言う親の話、色々聞くようになったけど、本当にどうしたらいいんだろうね。


愛 そのことガム先生にも話したんですけど、どうすることも出来ないって。無力ですよね。「家族だ」なんて言われたら外からではどうしようもないですし。本人に「家出しろ」なんて言えないし。


―― そんなことしたら、女の子じゃ犯罪にも遭いやすいだろうしね。


愛 立場が弱い子供を保護したり後ろ盾になってくれたりする団体とかあればいいんですけどね。自称「子供のための団体」とかはたまに見かけるけど、ああいうのって本当は何やってるか解らないし。少なくとも現実的に子供たちを苦しみから守ってるようには見えないじゃないですか。


―― 愛ちゃんはその後、どうしたの?


愛 えー、特に何もないです。普通に中学時代を終えて高校に行くんですけど、さっきのベースの子と同じところに進学して。そこでやっぱり一緒にメンバー捜してバンド組むんですけど、同時に演劇部も入りました。総集編って感じで(笑)。


―― 今度はスムーズに行ったのかな。


愛 そこそこ。ベースの子も上手くなってたし。あたしも「声の出方が以前と違う」とか言われて喜んでみたり(笑)。芝居の稽古のおかげです。それで三年間、いつもバンドの練習したり、芝居の稽古したり、バイトしてたりで一番迷いが無かった頃かも。毎日、その内のどれかで帰りが遅くなるんですけど、それすらも楽しくて。毎日が本当に充実してる時間でした。


―― その頃って、将来の夢とかってあった?


愛 学校の先生になれないかって思ってました。自分はその時点でバンドと芝居という二つの自己表現の手段を持ってて、それがどれだけ自分の支えになるかっていうのを感じてたんで、それを伝えたいなって。それから、さっきの子やゆうちゃんみたいな子を少しでも助けられないかなって。


―― じゃあ、大学は教育学部だ。


愛 いえ、法学部です。この進路を希望したときの担任や親の反応がまた凄くて(笑)。弁護士にでもなるのかって。でも、中学のときのガム先生は法学部の出身なんです。法学部出てて社会の先生。ちょっと違ってない? って思うんですけど(笑)。


―― 大学在学中は教育実習にも行ったんだ?


愛 はい。楽しかったですよ。まだ学生なのにみんなから「柿崎先生」って呼ばれるのって。


―― 大学受験のこととか聴いても良いかな?


愛 普通というか、三年になって部活も引退って頃にバンドも休もうってことになって、あとは大人しく受験勉強してました。なんだか、こう恵まれた生活してると勇くんに申し訳ない気もしてくるんだけど(笑)、以前勇くんにそういうこと言ったら、「気にされるのが気に障る」って言われたんですけど(笑)。


―― 彼の場合は特別だったからね。


愛 確かに。だからその分、後悔のない生活送るのがベストなんですよね。さっきの演劇部の子なんかもその後のこと知って、つくづくそう思いました。


―― 「その後」って、また会ったりしたんだ?


愛 一度中学のときの友達何人かで会う機会があったんですけど、そこで噂になって。なんでも学校を長く休んで精神科の病院に通ってるとかで。無理もないですよね。で、ご両親がそれ見てやっぱり精神科に通ったとか。


―― なんだそれ(笑)。


愛 娘が思い通りにならないのを気に病んで、お母さんがノイローゼになったらしいです(笑)。本当に何なんだそれって思いますけど、子供の意志を尊重できないくらい意思の弱い人間なんだから、まあ、あっても不思議じゃないのかなと。


―― その友達には会ったんだ?


愛 いいえ。でも一度だけ見かけたことあるんですけど、完全に別人でした。髪も物凄く伸びてて、表情が見えない。少なくとも、健康そうとか元気そうとか、全然離れた状態でした。そうなるまで追い詰める親って、ホントに信じられないけど。


―― 魂を殺してるようなものだものね。その分、自由を感じられる幸せは大切にしないと。


愛 確かに。ちなみに勇くんも母親の方に「お前は自由じゃないか!」って、よく怒鳴られたらしいですよ(笑)。本当に判らない人っているものなんですよね。小学校の時の先生じゃないけど。


―― 大学以降のこと聴いてもいいかな。


愛 はい。ストレートで入れてサークルも音楽関係のものに入りました。例のベースの子は別の大学行っちゃったんですけど、大学のサークルって外部の人も入ったり出来るってのが驚きで。「こっち来ない?」なんて声がかかったりして。一気に自由度が増して色々やりやすいなって思ってました。またその反面、恋愛のトラブルとかも生々しいのがあったりして(笑)。さすが、大学という。


―― ライブ活動とかはやってたたのかな。


愛 割と早く。バンドも上手くまとまって、すぐにライブ活動出来るようになりました。

中学のころから夢見てた生活が実現できたという(笑)。でも勉強も真面目にやってましたよ。一年のときは基礎だから良いとして、そのうち児童虐待とか、その方面の勉強を中心にやってました。レポートなんかも熱心に書いて、先生からも「こういう方向を勉強したければ」って、ゼミとか勉強会なんかも教えてもらって、率先して参加して。


―― 何か今まで見た問題の解決になりそうな事はあった?


愛 それが、勇くんも言ってたけど、子供の側に立った法律ってまだそんなにないみたいで。ずる賢い大人を相手にするには、もっとしっかりした援助の手が必要なんですけどね。あたしも実際に虐待にあった当事者……その頃には独り立ちしてる回復者でもあるんですけど、そういう人に会って話を聞いたり。勉強も本気で弁護士を目指すようなノリになってました。

 そんなコトしてるうちに、バンドでやる曲もそういう児童虐待とか、家庭内の問題なんかをモチーフにした曲が増えてったり。「機能不全家族」的というか。


―― 「機能不全家族」というと、虐待とか家庭内暴力なんかが普通に起こる家庭だ。


愛 そうです。子供が子供として育つことが出来ない環境です。無理させて、歪んだ人間にしちゃうってところで。そういうテーマで詞を書く機会とかあって、自分で歌うこともあって結構必死に書いてました。他にはカバーですけど、スザンヌ・ヴェガの「ルカ」とか、エアロスミスの「ジェニーズ・ガット・ア・ガン」とか、ジェネシスの「ママ」とか。

 メタリカの「ダイヤーズ・イブ」はテンポが速いのを無理やりやってみたり(笑)。


―― 社会派っぽい活動になっていったのかな?


愛 いや、ライブは結構やってましたけど、説教臭いこと言わないし、第一、そんなに目立ってないです(笑)。でも、その頃の学校の先輩でゼミなんかでも一緒だった人には「問題意識だけは忘れないでね」って言われて。そこは気をつけようかと思ってました。

 それと、そういう活動してると同じ匂いを感じるのか、そういう経験のある人と知り合う機会が物凄く増えて(笑)。「こんなにいたの?」って驚きましたけど。


―― ラブリーの直前にやってたバンドになるのかな?結構支持を集めてたって話を聞いてるけど。


愛 いや、バンドとしてはそのまたちょっと前なんですけど。で、当時のバンドは段々誤解されてきてるというか、「みんなのトラウマを引き受けるよ」みたいなイメージで括られるようになって、はっきり違うと言いたかったんですけど、実際に悩んでる人目の前にするとそうも言ってられないというか。まあ、そこで突き放さないと自分も潰れていくことになるんですけどね。


―― きついでしょう。突き放すの。


愛 ええ、百八十度変わって目の敵にされたり(笑)。そういう人たちって自分と他人の間の線の引き方が判らないんだって思ってても、ちょっとこれはって思うことは度々ありました。そのうちにメンバーも嫌がって辞めていったり。どうも自宅にファンの子が押しかけて悩みの相談をするらしくて(笑)。そうやってメンバーも段々いなくなっていく中で、自分も卒業の時期が近づいて。


―― そうだ、本職の方はどうだったの?(笑)


愛 バンドと両立しながらちゃんとやってましたよ。バンドが行き詰まって来たのが四年になった頃で、その頃までに教育実習に必要な単位は取ってたので、そういう進路的には問題は無かったです。それで教員試験受ける準備してるときに、バンドが解散しまして。ここまでかって思ってました。


―― じゃあ、進路としては教職オンリーだ。


愛 はい。そういう風にしてたんですけど、バンドは三日やったら辞められないって言うじゃないですか(笑)。すぐにメン募サイトとか見て回るようになりましたけど(笑)。楽器屋さんの貼り紙とか。


―― 一時期は一人でギターの弾き語りに挑戦したとも聴いたけど。


愛 やってました。でもなかなか上手くできないって言うか。あの、声出す時の身体の使い方ってのがあって、それをしながらギター弾くってのが自分には無理だなって。


―― どういう使い方なの?


愛 簡単に言って姿勢と呼吸法なんですけど、身体を真っ直ぐに立てて、お腹からの空気の通りをスムーズにするっていうのがあって。それと、大きな声が出るように身体に音を響かせるような力の抜きかた?まあ、そんなのがあって(笑)。自分は楽器弾きながらは無理って、結論づけました。まあ、今ライブではちょっと弾いたりしてますけど。


―― 十分、様になってるけどね。


愛 ありがとうございます。それでも自分がバンドやるならポジションは歌専門だなって、改めて思いました。まあ、良い経験って事で。


―― で、教員試験は無事に合格したんだっけ?


愛 はい、おかげさまで。でも、その後に待機期間というモノがありまして(笑)。上手い具合に試験も音楽活動もこなしてたと思ったら、試験に受かったモノの行き先がないという状態になりました(笑)。大学も卒業で、とりあえずバイトということでファミレスで働き出して、そこで勇くんと知り合うんです。


―― 職場ではみんなの姉貴分みたいだったって話だけど。


愛 目立ってたからかなとは思いますが、あまり自覚はないです(笑)。それより、勇くんも見た目から変わってましたよ。


―― 初めて彼に会ったときのことって何か覚えてますか?


愛 服の着方を知らない子だなって印象がありました。


―― 服の着方って(笑)。


愛 趣味が悪いとかじゃなくて、あまり服のこと考えてない着方してるのが印象的で。服の柄を合わせないとか、なんだか貧相に見えるような組み合わせを普通にしてるとか。着方でもっと印象が良くなるのに何でしないのかって。まあ、それどころじゃなかったっていうのは後で解りましたけど。


―― その辺は言ったりしたんだ?


愛 色々と話すようになった頃に言いました。素直に聞いてくれて、みるみるうちに印象が変わってきましたけど。


―― 素直にきいてくれたんだ。


愛 彼は心を許した人にはもの凄く懐きますからね。犬みたいに(笑)。


―― で、バンドに誘ったそうだけど。


愛 はい。教員試験受けてるときに趣味として参加したバンドなんですけど、まあ、長くは続かないだろうなって思ってたんで、本当は申し訳ないんですけど。で、勇くんが案の定辞める辞めないの話になったとき、いっしょになって辞めたんですけど。


―― インタビューでも言ってたけど、あまり関係は良くなかったのかな?


愛 その前のバンドやってるときからの知り合いで、手が空いてるなら一緒にやろうって話だったんですけど、なんというか、こう、特にアーティスト指向みたいな感じの(笑)。


―― 一部を除いてメンバーがパーツ扱いになりがちなバンドだったのかな。勇気君の話から察するに。


愛 そうですね。悪い人たちではないんですけど(笑)。まあ、そこ辞めて勇くんと一緒に曲作ったり話するようになって。


―― 一緒に曲とか作り始めてどうだった?


愛 すぐにぽんぽん(曲が)できはじめて、「これはちょっと凄いかも」って思いました。「いねむりひつじ」とか「サザンクロス」は最初から完成型で出来てたし。彼はアイデアの出方が凄いんですよね。一曲丸ごと降りてくるタイプみたいで、それをテープにまとめたのをくれるんですけど、テープ一本に五曲とか普通に入ってて。それも毎日ですよ?(笑)


―― 凄い勢いだね。


愛 本当に。しかも作りすぎて前に作った曲を忘れてたり(笑)。で、テープの中身は鼻歌とギターなんですけど、聴いてて「ここはピアノだな」とか「ここは音を薄めにしないと」とか、見えるんですよね。それで話してみると、まさにそういうイメージだったと。自分も楽曲作りに自然に参加できてるみたいで、それから本格的に作り始めたというのもあります。


―― 今更だけど、愛ちゃんはそれまでは自分で曲作ったりってしたこと無かったのかな。


愛 普通に作ろうとしてましたけど、自分はそっちの才能はないなって思ってたんで。でも、ある日、勇くんから言われたんですよね、「鼻歌できない人っていないでしょ」って。それきいて「はっ」としたんですけど、堅苦しく考えてたんだなって。


―― 服のことといい、いい影響及ぼしあってるね。


愛 姉弟ですから(笑)。


(ここで急に黙り込んで下を向く)


―― しっかり。つらい話ばかり聞いてる自分が言うのも何だけど、


愛 いえ、大丈夫です。すみません。


―― 自分が言えた義理じゃないですけど、ダメなときは言ってくださいね。


愛 ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。


―― じゃあ、その曲作りの共同作業中に姉弟になった話なんですが。本当に大丈夫?


愛 覚えてますよ。デモのCD作ったときの話なんですけど、彼がパソコン持ってないこともあって、あたしのiBookでキーボードとかの打ち込みをしたものに手弾きのギターやヴォーカルをかぶせて作ったんですけど、できあがった楽曲をCDに焼いて配るとき、ちょっとジャケットとかのデザインを気にしたくなるじゃないですか。それでユニット名とか個人の名前出す段階で「夢咲ケンタ」が出て(笑)。お笑い志望なのかなって思ったんですけど、「自分、二十歳になったらホストになりますから」ってまじめに言われて。ちょっとこの子はって、止めなきゃって思って。


―― なんで止めようと思ったの?


愛 さっき話した、話を聞いた被虐待経験者でホストの人がいたんです。あ、元ホストですね。話を聞いたときには違ってたし。その人はお母さんから虐待を受けてて、家出なんかも繰り返してたらしいんですけど、ホストとしては女の子を借金漬けにしたりとか、かなり酷いこともしてたんだそうです。抑えて話してくれてそれっとことは、本当はもっとすごかったんだろうなって思いますけど(笑)。それでその人は最後には詐欺で捕まって、アル中で長期入院してたんですけど、勇くん、あのまま行ったら間違いなくそうなるなって(笑)。現にその後アル中だったし(笑)。


―― 止めて正解だったね。


愛 おかげでこっちが大変な思いしましたけどね(笑)。それで、今までのこと(話を)聞くようになるんです。学生の時にやってた、被虐待経験のある人に話を聞くような要領で。最初は勇くんも乗り気じゃないんだけど、だんだん自分から話してくれるようになって。それで、自分でも今まで見聞きしたこと話すようになって、問題をどんどん共有できていって。そこで言ったんです。「君、あたしの弟になれ」って。


―― そのときの反応、どうだっの?


愛 ……(しばらく黙ったのち)、まずひとこと「はあ……」って、気のなさそうにつぶやいて。それで、ポロって涙をこぼしたんですよね、彼は。


―― 自分のインタビューでは言わなかったけど、嬉しかったのかな。


愛 どうなんでしょうね。それ以降、「お姉ちゃん」って呼んでくれてたから、嫌ではないと思うんですけどね。


―― 呼ばれてみてどうだった?


愛 こういう弟ならいてもいいかなって(笑)。私、一人っ子なもので。それに、なんと言うか、犬みたいに素直なところもあって(笑)。なんだか、小さい頃からの夢的な……(笑)。


―― ペット感覚か(笑)。その後はデモが認められて事務所に入ったと言うことだけど。


愛 はい。作ったデモCDを周囲の人とかに配ってたんです。音楽活動してたときの知り合いとかに、「面白い子がいるんだよ」って。そしたらその中から声を掛けてくれたのが今の事務所で。何枚目かのデモが出来上がった翌週には事務所に呼ばれて面接してました。


―― それで順調に進んだんだ?


愛 いえ、勇くんが「実は姉弟ではありません」「ライブなどやっていません」って、全部正直に答えてくれて(笑)。


―― ぶちこわしだ(笑)。


愛 でも、今のマネージャーが「面白い」って、拾ってくれたんです。


―― 北野さんね。


愛 (モノマネで)「面白いよー!」って(笑)。この人、一見、普通のまじめな人そうなのに、そういう部分があるんですよ(笑)。


―― 北野さん的にはどの辺が気に入ったんですか?


北野マネージャー 二人でいるところが本当の姉弟に見えたんですよ。それに楽曲も良いし、歌も上手い。本物の姉弟じゃなくとも問題ないって、そのまま押し通しまして。


愛 責任者ですから、この人。そのため今事務所で発言力あるんですよ(笑)。


―― 実際にテレビとかでは姉弟アピールしてた様だけど。


愛 勇くんがあそこまでアドリブ効くとは思いませんでした(笑)。上手いでしょ?


―― 台本とかじゃなかったんだ。


愛 いつも冷や冷やしてたんですよ、内心。それで収録後に「なんであんな事言うの!」ってケンカになったりして(笑)。一緒に話す時間が長かったからか、自然と姉弟っぽくなっていったのかとは思います。あと、勇くん、実は弟がいるんですよ。


―― えっ? それは全然知らなかった。それらしい雰囲気も無いし。


愛 彼もプロですから(笑)。


―― じゃあ、その弟も彼と同じように育ったんじゃ。


愛 それも勇くんに聞きました。でも、スケープゴートは勇くんひとりだったそうです。弟さんも両親と一緒になってダメだのみっともないだの言ってたそうですよ。


―― なんだそれ。


愛 弟さんも生きていくために必死だったんでしょって。「機能不全家族の典型だし、高校の途中から一切口もきかなくなったから、もう関係ない」って、勇くん言ってたんですよ。 

 兄弟とか姉妹って捨てられるもんじゃないって、あたしは思ってましたけど、子供捨てる事があるように必要なら簡単に捨てられるんだなって。


―― どういう気持ちで聞いたらいい話なんだろうね。


愛 その分、姉弟として受け入れてくれることを心から感謝したいみたいに言ってました。なんだか、任侠の世界みたいですけどね(笑)。で、勇くん的には弟ならではの目ざとさとか、基本的に姉に甘える部分なんかは、実物の「弟」という存在を参考にして意識してるって話でしたけど、あんたはそれ関係なくやりたい放題だっただろうがっていう(笑)。


―― (笑)。その後は人前に出るようになるんだけど、何か思い出深いこととかありますか?


愛 このまま人前に出ちゃっていいのかなって、少し迷ったことは覚えてます。それに、音楽ではなく、半ばバラエティのタレント的な部分もあったので(笑)。北野さんに相談しても「いいよいいよ」だし(笑)。話聞いて欲しかった(笑)。ちゃんと(笑)。


―― じゃあ、二枚目のシングルの「いねむりひつじ」がブレイクしたときには、これで音楽で行けるとかって思ったんじゃない?


愛 思いました。でも、業界は甘くないですね。「ヒット曲持ってるバラエティタレント」扱いでしたし(笑)。


―― ストレスだけが増える感じだ(笑)。


愛 本当に(笑)。それでテレビとかじゃなく、もっと外に多くいられるようにライブ中心の活動にしたいって事務所に言って、一悶着あったけどそうしてもらって(笑)。


―― レコーディングとか、ツアー中にも簡単に録ってしまうのって、それも関係あるのかな。


愛 それはまた別です。ホールの控え室なり、ホテルの部屋なり、本当にどこでも録れるものなんですよ、音って。そうやって録ってるから制作費も抑えられるし(笑)。何よりもアイデアが出たばかりで新鮮な内にすぐ録ってるから勢いがあるし。


―― そういうものの中には、まだ出してない素材とかいっぱいあるでしょ。


愛 はい。ボックスセット組めますよ(笑)。


―― 今後、聴いたり出来るようになるのかな?


愛 ……。今後は未定ですからね。どうなるかは判らないです。


―― その辺、今後の活動についても出来れば訊きたいと思ってたんだけど、大丈夫かな?


愛 いいですよ。すみません、変に話の腰折っちゃって。


―― ごめんね。まずは映画の仕事があるわけだけど、それについては思うところってありますか?


愛 映画は昔から好きで結構観てたんですけど、いざ出るってことで話もらうとさすがに緊張しますね(笑)。自分のやってた芝居って舞台じゃないですか。映画用の演技はまた別って聞いて、正直慌ててます(笑)。


―― いわゆる「新劇くさい芝居」にならないように。


愛 そうです。でも、そこから演技の方向目指すかってなると、全然違いますけど。


―― いわゆる女優志向ではないと。


愛 ないです。それに「女優」なんて言葉好きじゃないし。


―― それは何かあるのかな?


愛 真面目に女優で頑張ってる人には申し訳ないんだけど、どうも軽く感じてしまって。


―― どうして軽く感じるんだろう?


愛 “女優”という言葉でしょうかね(笑)。あと、表現には何でも基礎体力というか、下地になってるものって必要だと思うんです。音楽なら練習やセッション繰り返して、そこで培った経験や勘とか。で、お芝居って集団の中で繰り返し何かを続けて、そこで出てきた自分というものが最大の武器になると思ってるんですけど。演劇経験者としては(笑)。それでも、映画とかではそういう要素が全然見えない、それこそ誰がやってもいい役が多く感じてしまって、そんなポジションに抜擢され続けるのってどういう仕事なの? って気持ちがあるんです。


―― 今度やる映画はどうなの?


愛 まさにその典型だと思うんですけど(笑)。


―― だめじゃん(笑)。


愛 少しはいいかなって(笑)。それと、勇くんが少し休める時間が取れるんじゃないかとも思って。病院に入るとかね。


―― アルコール治療の?


愛 入院は最低三ヶ月で、本人の状態によってはいくらでも伸びるようですけどね。もう必要なくなりましたけど。で、後はもう一つしか残ってないなって。


―― 基本は音楽なんだ。


愛 そのつもりですし、サポートの皆さんとも今後やっていこうって、ちょっと話してて。曲はあるし、作り方のノウハウも持ってるというか、もらったしで。


―― 勇気くんとの共同作業でつかんだって感じかな?


愛 そうですね、本当に。曲作ってるときに話したこと、それこそキーボード弾きながら「コードが違うけど、このまま行っちゃおう」とか「ここでピアノはクドい」とか、「参考にワイアー(注:七十年代終盤に活躍した革新的なイギリスのパンクバンド)を聴いてくれ、三枚目を」とか、「プログレのオルガン使いをパクろうと思う」とか。しょうもないことで言い合ってたこととかが……。みません。大丈夫ですって、これもクドいですよね(笑)。


―― 今日の話は、そのままみんなに出させてもらおうと思います。愛ちゃんだってそのつもりで話に乗ってくれたと思うしで。冷たいようで申し訳ないけど、ラブリー・デイを応援してくれるみんなにも、今の姿は伝えないといけないと思うしで。


愛 お願いします。今後のことはこんな感じですけど、少なくとも勇くんが天国でガッカリするようなことはしたくないんで。

 「リアル」って言葉、勇くん好きだったんです。よく使う言葉なんで、そんなに気にもとめてなかったんですけど、この言葉って昔の、それこそごく初期のパンクの人たちもよく使ってたらしいですね。あの時代にあの音楽が出てきた背景考えると、文字通りどれだけ現実を直視して、それに向かっていくかという、

 今はこうですけど、ここから必ず立ち上がって見せたいなって。そういう「リアル」をしっかり見せたいです。



 取材中、柿崎愛には無理している様子を感じていた。こういった取材で話をするにはまだ早いのではと、何度も思った。だが、一部へこんだときにもすぐに持ち直していつもの調子で話をしてくれた。

 強いな、と思った。

 一連の取材を終えた後、少し話をした。

 実はまだ、整理がついていないのはよくわかる。それでも、がむしゃらにでも先に進もうという意思は、弟と認めた柿崎勇気のことを思ってだろう。そういった気性は、その弟との長く過ごした時間や、二人の間で交わされたたくさんの言葉から手にしたものに違いないと思う。

 本当に姉弟だったのだ、この二人は。

 取材後、別れ際に「ありのまま、お願いします」とあの笑顔で言われた。言われずともそうするつもりだが、「任せてください」と答えてみた。取材担当者として、過不足なく現状を出すつもりだ。




 事務所の休憩室にある自動販売機の前で缶コーヒーを飲む。日頃、こういったものはあまり飲まないが、なんだか甘い飲み物が欲しかった。

 冷たいコーヒをグッと一息で飲み干す。自分が少し疲れていたと、ようやくそこで自覚する。

「おや、こちらでしたか」

 振り向くと北野マネージャーがいた。今回の取材についてお礼を述べ、少し話をする。

 自分も北野マネージャーも喫煙はしないので、こういった場所での雑談は珍しい。

 今回の取材について、「やはり色々ありましたね」と切り出して見る。攻めるわけではなく、こんな感じでよかったのか自分でも手応えがつかめなかったのだ。

「色々と辛い取材になってしまって、申し訳ありません」そう言いながら、休憩室の壁際にある椅子を促される。そのまま一緒に座り、話をつづけた。

「バンドのこれまでの活動の締めとして、節目の記念のようなものとして考えてましたが、全く予想外の結果になってしまって」と、マネージャー。

 今後のラブリーはどうなるのか、未定なのは聞いているが、マネージャーとしてはどう考えているのかを改めて聞いてみる。本に使われる文章はそのまま続くことを前提に書くが、と付け加える。

「それでお願いします。勇気のインタビューはあのまま行かせましょう。世間的にはいろんな話題を呼ぶと思いますが、それで世論を喚起できれば、そこからまた発展させたい話もありますし。」

「“世論を喚起”って、何をするんです?」

「世間の人たちが家族問題にもっと目を向けてくれれば、それはいいことだなと。ただ、申し訳ないんですが、この件については川瀬さんにも話が行くと思います。その時はご厄介でしょうが、少し協力してもらえませんか」

「厄介だなんて、とんでもない。自分も勇気くんとの話の後でちょっと勉強しましたし」

 少し済まなそうな雰囲気の北野マネージャー。こういう姿は珍しい。

「現実の虐待について何があるのか、とにかくショックでしたが、今回の書籍の刊行もそいういう目的があったんですか」

「ええ、実は。初めてあの二人が姉弟でないって事聞いたときに、どういうことか事情を聞こうとしたんです。でも、ご存知の通りあの二人ですから安易に真相なんか出てこないんですよ。それである日、改めて話を聞きたいって二人を呼び出したらあの話が出たんですよ。驚きましたけど、何か事情があるのは仕方がないことですし。それに、その後の活動内容を考えるときに、勇気の身元をどうしようかという悩みはありました。でも、そのまま行かせるしかないなと」

「ではあそこまで売れた時には、内心ヒヤヒヤしてたんじゃないですか」

「まあ。でもそこから先に行かせるにはどうするか考えたら、今回のような本で問題をすべて公表するしか無いなと思ったんです。勇気が亡くなったのは全くの計算外でしたが、愛も言ってましたけど、本当ならどこかで病院に入れて、アルコールの治療を受けさせることも考えていたんですよ。同時に、こういう子供たちがもっと世間の注目を浴びられないかとかもね。今となっては、もう後の方のことしか期待できませんが」

「タイミング的にはこっちも遅いですけど、やはり、何かありましたね」

 そう言って笑ってみる。

「まあ」

 そういって笑いが返る。

 僕は改めて今回の礼を述べ、記事がまとまったらまたメールする旨を伝えて、その場を後にした。マネージャーは最後まで穏やかな笑顔を絶やさず、柔らかな物腰で接してくれた。仕事内容に問題があるわけなどなく、ハンドリングや気遣いに感謝している。

 僕の仕事は二人のインタビューをまとめること。そして、自分で見ていた二人の姿を文章にすること。それらを持って、事務所の本の出版となる。

初めての大きな仕事ではあるが、予想外の幕引きも含めて、大変な事態だったと思う。

 事務所を出て、地下鉄の駅に向かう。

 夕方というには微妙に早い時間帯。太陽がまだ高いところにあるのが不自然に思えた。

 堀の上を渡ってくる風は湿気と熱気をはらんでいる。

 ショルダーバッグを背負い直すと、来た時と同じ駅の方を目指す。ふと振り返り、事務所の入ってるビルを眺める。特に代わり映えのない佇まいを確認すると、再度そのまま地下鉄の入り口を目指した。

 地下鉄のホームにまで降りる。自宅に戻るつもりだったがどうも気分がのらず、そのまま反対側のホームに入ってきた地下鉄に乗り、当初の目的とは反対の方向を目指した。

 今の息苦しさを解消できる、それこそ空気のいい場所に行きたいと思った。

 車両の出入り口付近に貼られた路線図を見る。そして、その行き先から豊洲に行こうと思った。

 十数分ほどの時間の後、その豊洲につく。思った以上に複雑な駅の構内に軽く迷いながら、適当な出口から地上に出る。

 まだ外は明るい。気温の高さも同じだ。でも、海の近くだからか、幾分か呼吸しやすさのようなものを感じる。

 突き上げるような高層ビルを眺めながら、ショッピングモールの方向を目指す。そのショッピングモールの眼前に広がる海が見たいと思ったのだ。巨大なそのショッピングモールの脇を通り、公園を左に見ながら歩くと、すぐに東京湾が見えた。歩道の階段を降り、柵のそばまで近づく。潮の匂いを含んだ風が強く吹きつけている。髪が乱されるのを感じながら、柵の前で足をとめ、そのまま大きく開かれた空間を眺める。

 ここから見える海は、切り取られた東京湾の一部でしか無い。周りには倉庫やビル、建築中の建物。そんな周囲を建造物で囲まれた海であっても、十分にどこか外へつながっているような空気を感じる。

 大きく息を吸い込む。しばらく止めて、ゆっくりと吐く。何度か呼吸を繰り返し、もう一度目の前の海を眺める。

 何も変わりはしない。本当に、何も変わりはしない。それでも、どうにかしたい。何をどうしたいのか。たった今聞いたばかりの話の数々か。それをどうするのか。

 はっきりしているのは、自分の中の釈然としない部分だった。

 相手のいない一人芝居ではなく、相手はいないが無駄な敵意だけで動く、間違ったシャドウボクシング。影すら見えない虚空に向けて無駄なパンチを繰り出すような虚無感。そして、正体がわからないまま感じる焦燥感と敵意。

 子供の鳴き声がする。ふと、その方向を見ると、母親らしい女性が激しく叱責している場面が目に入る。さっきのような話を聞いたあとでは、見過ごせないどころか嫌な気分にしかならない。子供が駄々をこねているのか、母親が虐待しているのか、それはわからない。考え様がないし、第一、介入できるものでもない。

 これは無力だろうか。

 ふと空を見上げる。強い風に運ばれた銀ネズミの雲が一面覆いはじめ、どことなく雨の匂いがしてきたような気もした。

 嫌なノイズを垂れ流す親子を残し、ショッピングモールの中に入る。

 BGMと人々の雑音が館内に響き、耳にまとわりつく。

 どこかの店舗の店員だろうか、黒い長袖のシャツにロングヘアーの女性が目の前を横切る。ふと、その姿が取材の時に見た弟・柿崎勇気と重なる。

 ショッピングモールの中を無目的に歩く。特に行き先は考えていない。通路に沿って、ただ、歩く。気持ちは妙な焦りを感じているが、とりあえず歩くことしか考えられなかった。

 なぜ、こんなにも力のない者が、見えないようなところで押し潰されなければならないのか。頭の中を、一つの疑問が回り続ける。いつまでもいつまでも、コースアウトする切っ掛けも見つからぬまま、堂々巡りを続けている。

 湾岸に見える工事現場の風景を思い出す。

 あの場所には何が建つんだろうか。どこかの企業のオフィスだろうか、それとも工場や倉庫のような事業施設だろうか、またはホテルのような宿泊施設だろうか。

 いずれにせよ、人はそういった場所で、生活のために働き、日々を暮らす。そんな風に社会と関わって働くということは、例外なく自分たちに課せられた義務であるはずだ。

 でも、そんな中から、逸脱しようとする者が現れる。その反面、しわ寄せを被った被害者は、身に覚えのない負債を負わされて苦しむ。

 そして、そのしわ寄せを被った者は、さらに弱い者に重荷を押しつける。

 すべてはただの欲望が生み出した不幸な結果なのか。その欲望とは生活の疲れに負けて、自分の義務を放棄した甘えそのものではないのか。

誰かに面倒を押し付けながら満足の高い人生を送れるような、そんな無責任な人生は送れるのかというと、そんなことはしたくない。

 そう感じるのは、自分にまだ守るようなプライドというか、自分の中の手放したくない何かがあるからか。

 それならそれを大切に守りながら生きていくしか無い。

 でも同時に、人のそういうものを当てにして何かに、または誰かに寄生して生きることしか考えないものもいる。子供に、医者の次には国家公務員になれと、そんな幼稚な命令を安易に下す自称保護者の様に。

 生きるだけでも十分大変なのに、身を守りながらではもっと大変だ。そして、そういう状況から守ってくれるものはいない。

 では人から身を守るための手段とはなにか。

 ハリネズミのように、誰も近づかせないように、周囲に対して刺を突き出し続けるしか無いのか。

 そういうことを続ける反面、どうやって人と結びつくか。

 ショッピングモール内のBGMにラブリー・デイの曲「ランナウェイ」がかかる。姉・柿崎愛の声が耳に入り、彼女が教職を志していたことを思い出す。

 「教育」の文字を思いつく。

 自分のことをまた思い出す。

 小さいころ、何でも周囲がやってくれるので、自分から意欲的になることはなかったと思う。

 そんな折、ロックという音楽に触れ、その刺激的な音、胸がすくような主張、過激でクールなファッション、そんなものに憧れた。そういうものに敏感な友達や先輩と付き合った。その中で覚えているのは、お手本になるような人がいたという事だった。言動も、行動も、ファッションも、ジョークのセンスも、生活のパターンも、会話のリズム、見る映画、読む本、何かやるときの手加減の具合も。

 見習っている内に、自分でも自分で納得の行く人物になっているような実感があり、それは喜ばしくも、また本当にそうなっているのかの不安もあった。でも、冷静に自分を見ると、確かにそうして周囲に受け入れられている。そうやって、周囲に育てられたことを実感する。

 これを、「教育」と言うのだと思う。

 弟・柿崎勇気のバイトに明け暮れた苦労時代、姉・柿崎愛の先生や先輩に引き立てられた学生時代。そして自分の先輩や仲間との、音楽ファンとしての日々。どれもそれぞれの人間の確立には必要なことだったと思う。

 だから人は自由な心を持ち、人と出会い、人と話し、人と暮らすことを考えなければと思う。

 人形なら好きなように飾り付けて飾っておけばいい、でも、僕らは自分の意志を持った人間だ。それを忘れないように、姉弟の曲のような生命の賛歌を、生きる喜びを称える感動の数々を、自分は探し、紹介し、広めていきたいと思ってるのかも知れない。

 初めて音楽評を書いて褒められた時のことを覚えている。友達のバンドに入れてもらい、人前で下手なギターを弾き、取り敢えず褒めてもらった時よりも嬉しかったのは、自分の言いたいことに直接共感してもらえたからだと思っている。もっと感動を人に伝えたい。

 姉・柿崎愛は復活するだろう。その時には最高のコトバで迎えてあげたい。また、あの世から見ている弟のためにも、心の逃げ場を探している子供たちのためにも、壁をぶち壊して逃げ延びる起爆剤は感動であると、はっきりと伝えたい。弟・勇気がその感動に向かったのも、その閉塞から逃れるために、半ば本能的に選んだ手段ではないかと思うのだ。

 歴史上、破滅的な人生を歩んだミュージシャンは何人もいた。感動を産み出し、その反面、モラルをあざ笑うかのような行動で周囲の眉をひそめさせたかも知れない。が、その創造行為への殉教者達は今思い出しても純粋だ。

 救われなかった子供達の魂は、呼び合うように呼応し合い、こだまし、共鳴し、まだ苦しむ心に手をさしのべている。そんな気がした。


 無目的に歩き回ったショッピングモールの中、大きく開かれたガラス窓の壁の前で足を止める。その外にはイベントで使われるであろう小さなステージが見えた。外からの自然光とともに、いつしか降りだした豪雨をの中、人気のない中庭のステージが何かを待っているように見えた。

 ここにおいで。

 苦しみはここに持っておいで。

 物を作る人々の魂が、そこから手をさしのべているような気がする。

 キミの苦しみはそのまま終わらせない。なぜなら、今までもたくさんの魂がそうして救われてきたから。

 伝わっているだろう? この声が、音が、言葉が。この気持ちが。

 店内に流れるラブリー・デイの曲が伝える。

〈聞こえるでしょう/キミはひとりじゃないんだよ〉

 柿崎愛のヴォーカルが優しく耳を包む。その歌は弟・柿崎勇気に歌われたものなのか、それはわからない。でも、ここにいて同じ気持ちを抱える自分たちには、みんな同じ気持ちが伝わるはずだ。

 大丈夫。どんな世界でも生きて行ける。自分をしっかり持って、自分の足で歩いていける。

 窓の外に稲妻が走る。激しい雨が叩くガラスを隔てて、ポジティブな意志が、戦っているように見えた。

 雨は、まだ止まない。バッグを下げたまま窓の外を眺め続ける。自分がしなければいけない当面の“仕事”を意識する。「早く書かなければ」と、心からこみ上げるものを感じる。

 雷の音と豪雨の音、それと静かに対峙するような館内のBGM。

 まだまだ雨は止みそうになかった。




 その週末、実家近くの駅に降り立った自分は、いつの間にか変わってしまった駅前に少々驚いていた。今までラーメン屋だったところがコンビニになっており、自分もよく通った大きな書店がレンタルDVD屋になっていたりもした。没個性化という気もしたが、この方が今の駅の利用者には便利で嬉しいのかも知れない。

 実家から連絡をもらい、電話を入れた所、母は喜んでくれた。兄が結婚するとのことで、今度の週末に帰ってくるから、お前も帰って来いとの話だった。「出てけ、帰ってくるな」と父から言われてるんだけど、という話に「馬鹿ねえ、何言ってるの。帰って来なさいよ」とやんわり押し切られて今に至る。同時に、土産かなんか買ってくべきだったかと、ちょっと後悔するが、まあ自分の実家だしと気にしないことにする。

 実家近くということで、知ってる人に遇わないように気をつけながら、懐かしい道を歩く。意外と三年前と全く同じ風景に一部だけちょっと違ったものが入っているのは、妙にリアルを感じるものであり、この町に生きている人の力強さをなんとなく感じてみたりもした。


 三年ぶりの玄関をくぐり、声をかける。少し躊躇したが、その言葉を選んだ。

「ただいま」

 すぐに奥から母らしい声がして、バタバタと足音が近づいてくる。

「そんなとこ立ってないで、早く上がって来なさい」

 しばらくぶりに見た母親は、意外と前と変わっていない印象を受けた。

 居間に行くと、父親がいた。テレビをつけているが、見ている様子はなく、手にした新聞紙をばさばさと片付けたりしている。

「元気だったか」

「まあ、普通に」

「たまには帰って来いって」

「うん。まあ」

 勘当のことは言わない。あえて言う必要もなかった。

 いつの間に戻ったのか、台所から母の声がする。兄が婚約者を連れて帰ってくるとの事だった。事前に話は聞いていたが、義姉になる人に会うのは初めてだ。

 その母の声を受けて、「お前も早く嫁もらえ」と、父。

「でもこんな仕事だからなあ」と、僕。

「テレビに出るくらいだから、結構やってるんじゃないのか?」とその後も父からの話は続き、あれは出演の内に入らない件などを説明するが、いつの間にか普通に話ができていることに気づいて、自分でも少し驚く。

 父の話しかけるタイミング、母の口を挟むタイミングは長い間慣れ親しんだままだ。

 兄が帰ってくる。母がまたバタバタと玄関へ出向く。

 なんだか賑やかな話し声の中、現れたのは兄と婚約者。そして、その人は知ってる人だった。

「あ、戸田さんだったの? 兄貴の嫁さんって」

「お義姉さんだろ」

「久しぶり。よろしくね、ヒデくん」

 旧姓戸田さんこと義姉さんは兄の高校時代からの友達で、仲がいいので彼女じゃないのなんて兄をからかったらテニスのラケットで派手に殴られたことがある。あれは殴られ損だったということか。

「テレビみたよ。凄いね」

「音楽ジャーナリストだもんな。やっと認められたか」

「だから、あんなのは認められた内に入らないって」

 その後もお茶を飲みながら、食事しながらの時間、親戚の話や近頃の暮らしぶりなどの話が続く。離れていた時間を埋めるように。小さい頃よく遊んだイトコも嫁に行く話が出た時には、だからお前もとしつこく絡まれて正直困った。

 音楽業界の話も少しする。「今度、自分が書いてる本が出るんだよ」と。「何の本?」と聞かれ、少し躊躇しながら、ちょっと不幸があったラブリー・デイの本で、自分がインタビューといくつかの記事を書いてると説明する。

「凄いね」「売れるといいね」との声をもらう。売れ行きより内容の受け止められ方が気になるが、その気持ちは嬉しいと思った。

 いつの間にか夜も遅くなったため泊まっていくことになり、昔使っていた部屋に行く。兄と共同で使っていた部屋だ。壁に残っている、高校時代の僕が貼ったグリーンデイのポスター見て、そう言えばこっちも「デイ」だなと思ったりする。あっちのデイは穏やかな一日的なニュアンス。こっちのデイは大人になる日のこと。同時に何かにラリってる意味もあるとか。

 そんなことを考えていると、兄も部屋にやってくる。そして、慣れた様子でテレビの下に置かれているゲーム機を取り出した。

「ひさしぶりにやろうぜ」

 当たり前のように流れる動作でパッドを手にする。ゲームの起動画面から、使うカートを選ぶ画面、すべてが自動で動く機械のように進み、何年もやりこんだゲームを、この歳になってまたはじめる。

 ゲームしながら、兄の結婚はデキ婚とのことで、すでに三ヶ月とのことを聞く。相変わらずやることやってどんどん先に行く人だねあんたは、とそんな言葉が口をついて出る。 そして、一度は勘当を宣言した父親が、それを撤回し、自分を呼び寄せたのはそのことが原因なのかも知れないとの話をする。

 兄の操るカートが僕のカートを妨害する。それを昔と同じようによけながら心の中でつぶやく。

「愛姉さん、少なくともうちの兄弟や親子は捨てたり、放りっぱなしとか、そん な風にはならないらしいよ」

 久しぶりのゲームながら子供のような妨害をする兄に、同じく子供の頃のような文句を言いつつもはしゃいでいる自分の姿に驚く。

 いつの間にか義姉さんが発泡酒と、ちくわとキュウリのつまみを用意してくれて、一緒にゲーム画面を楽しむ。こういうのは実家を出る頃ではなく、もっと昔の、それこそ兄がまだ高校生でブレザーの制服の下にパーカーなどを着込んでは父に怒られていた頃以来ではないだろうか。

 笑いながらのゲームは続く。

 しばらくして、母が床につく旨を告げに来る。

「夜更かししないで早く寝なさいよ」という母の言葉に「判ってるよ」と反抗的な言葉を返し、兄と新たな発泡酒を開ける。

 少し酔いが回ったのか、自分でも驚くような気軽さで、ちょっと聞いてみる。

「子供が出来るってどんな気分?」

「なんだよ、やぶから棒に」

「いや、ちょっと家族問題で考えることがあってさ」

「なんだよ、家族問題って」

「いいじゃん、仕事で色々あってさ」

「なんだよ、色々って」

「もういい」

 クククと笑う兄。この辺も変わっていない。そして、急に話を続けるのもいつものパターンだ。

「びっくりしたよ。こいつのご両親にはどうやって挨拶しようとかさ」

「殴られた?」

「バカ。“まあ、だろうと思ったけどね”的なこと言われて、こっちがビビったわ」

「凄いご両親だね」

 その話を聞いて、義姉が静かに笑っている。

「子供生まれたら何かやってあげたい?」

「自称自由業のおじさんみたいにはなるなって、それは言うかも知れんな」

「あっそ。大切なポイントだね」

「あとは、健康でいてくれて、馬鹿でもいいから人様に迷惑かけるような子じゃなきゃいいな」

「その子がさ、期待通りに育たなかったらどうする?」

「ああ?」

 ちょっと気分を害したか。

「変なこと聞くんだな。まあ、育ち方にもよるけど作った責任は取るだろうな」

「父親として?」

「そうだな。人としてでもいいけど」

「人としてって?」

「なんだよ、色々突っ込むな」

「ちょっと仕事でね、まあ濃い話を色々聞いてさ。子供に将来の面倒見てもらおうと思う?」

「その前に子供にちゃんと独り立ちさせるほうが先だよ」

「それがわからないバカがいるんだ。子供を道具くらいにしか考えていないような、気に入らなければ虐待して殺すようなヤツとかさ」

「そういうのは隣近所で目を光らせるしかないだろ。昔の日本と違ってご近所付き合いは無くなったかも知れないけど、変なヤツ増えた分、地域の安全についてはみんな今以上に敏感になると思うぞ。少なくとも俺はそうする。子供のためにもな」

 そう言うと、僕のカートを道連れに、兄のカートが激しくクラッシュを起こした。

 あーっ! と思わず声を上げる。

 それを聞いて兄と義姉が笑った。




                                了

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