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(前編)

■「ハヴ・ア・ラブリー・デイ!」


 酒乱としての地位も築きつつある弟・柿崎勇気ベースとその姉・柿崎愛ヴォーカル。この姉弟が作るユニット「ラブリー・デイ」のライブが六月四日、渋谷・モノホールにて行われた。今や出すCDが必ずチャートに入るというブレイク中の姉弟であるが、気になるのは前述の弟・勇気の酒癖である。

 聞くところによると、一日未明、路上で泥酔状態のところを警察に保護され、姉の柿崎愛が身柄を引き取りに現れたが、その帰りにコンビニでワインを買い、店頭でラッパ飲みしたところを姉に殴られたとか。そりゃそうだろう、弟。

 四月より続いたライブツアーの最終日ともなるこの日の公演は、評判通りのバンドの成長だけでなく、ステージでつかみ合いになる姉弟の成長も見届けようと大勢のファンが詰めかけ、これまで以上の動員になったとか。その証拠に高宿駅からモノホールに続く路上には「チケット譲ってください」と書かれたカードを持ったファンだけでなく、姉弟を意識したファッション、デニムのジャケットにロングスカートの女の子やサングラスと長袖Tシャツ姿の男の子といったカップルで埋め尽くされ、若者の繁華街に姉弟のコピーが大勢見受けられたとか。

 満員で立ち見まで出たモノホールは空調が効いてても汗をかくような状態。そんな中、定刻の七時半を少し回ったところでイントロが流れる。この「【厳重注意】転売屋さんから買ったチケットにはお土産が付きません」ツアーで使用されてきたボ・ディドリーの「マイ・ベイブ」だ。陽気なリズムに客席から声が上がる。そしてその声に答えるようにステージに降りた緞帳の向こうからベースの音が返り、客席が沸く。

 そしてジャングルビートのフェイドアウトと共に一曲目「キャッツ&ドッグス」が始まり、場内の緊張感はピークを迎える。勢いよく叩き鳴らされるピアノの音に手拍子が始まり、次の瞬間文字通り切って落とされた幕の向こうから声をあげるのは苦労人の姉だ。

「ハーイ! 東京! 楽しんでねー!」

 元気いっぱいにアピールする姿にも大きな歓声が上がる。

 待ちかねた気持ちから大いな盛り上がりとなった一曲目に続き、二曲目はもはや定番となった掛け合いの曲、「スーパー・ヘッドエイク・アイスキャンディ・イン・サマー」だ。

〈頭がキーン! 頭がキーン!〉

 このコール&レスポンスだけでどれだけ体力を使うだろうか。それでもバンドは攻めの演奏を止めない。「風の強い日」、「ウイッピング・メーリング・ポスト」、「ポラライズ」と続け、ようやく一息となったところであの大ヒット曲「いねむりひつじ」。イントロの優しいピアノに続いて訥々とつぶやくように歌い出す姉。この静かなバラードでは合唱は起こらず、客席はただ耳を傾けるばかりだ。

 思えばデビュー以来、テレビなどのメディアにも積極的に露出しながらも、半年に一枚の割合でアルバムをリリースするワーカホリックな姉弟である。そりゃ酒飲んで暴れもするというのは冗談だが、楽曲の質を落とさず、演奏や歌のレベルも着実に進歩しながらここまで来たのは相当な苦労が必要だったろうことは想像に難くない。

 ステージはその後も落ち着いた曲調が続き、恒例となったメンバー紹介となる。

「この前、連行されたヤツ!」

 唐突に発せられた姉の突っ込みに応え、弟が飄々とウォーキングベースを披露。お前、反省していないだろう。そしてサポートメンバーをコールするたびに一人一人とそのグルーヴに参加し、終いには見事なジャズ・セッションへと発展。さらにはそこにアドリブで飛び込む姉。いつの間にか広がった音楽的なスキルを十分に見せつけた後、ジャズアレンジの「サザンクロス」へとなだれ込んだが、途中からフォービートはエイトビートに代わり、いつものパンクでポップなラブリー・デイへと変貌を遂げる。

 変幻自在な演奏力を生かし、その後も「アムネジア」、「叱られ坊主」と人気ナンバーが続き、「王様が来る」では恒例となった姉が弟の胸ぐらを掴んで引きずり回すパフォーマンスも披露。演奏中の弟は大変だろうが、広いステージを引きずり回す姉は楽しそうだ。

「このシャツ、結構気に入ってたのに」「物販じゃない」というやりとりを挟んで、いつものダンス大会となる「アイドルワイルド」~「フォックストロット」、さらにノリのいい楽曲が続き、場内の温度は一層ヒートアップする。いつものラブリーが得意とするところの楽しいライブではあるが、先ほどのセッションのような一面を見せつけた後では、楽しさの深みも違ってくる。特にアドリブで聴かせるところまで成長した姉・柿崎愛のヴォーカリぜーションは、特筆に値する。現に会場とのやりとりも今までにない余裕すら感じられ、さらなる進化が楽しみだ。

 名曲「勿忘草」の叙情的なシーン、同じく静かなラブリーを代表する「ランナウェイ」での劇的なアレンジはアルバムの再現にとどまらず、次のステップを十分に感じさせるものであった。

 そして最後を飾るのは、いつもの「アイ・ノウ」。

〈僕は知っている/だから歩きだそう/後悔はしない/絶対に〉

 客席と一体になって歌われるクワイアはこの日のハイライトとしてふさわしい物であった。生きている喜びが会場を満たし、そして揺らす。

「ハヴ・ア・ラブリー・デイ!」

 最後にコールされた姉の言葉が、詰めかけたオーディエンスの一人一人に響き渡る。意外にも、アンコールは無しであった。


 批判などする要素など見あたらず、追加公演があるならまた観に行きたいと思える立派なパフォーマンス。そんな明るく楽しく盛り上がるステージを観ながら、またふと思ってみたことがある。

 いくつかの音楽賞の受賞や大きなイベントへの抜擢、ライブツアーの大成功、CDなどの売り上げの増大。そんなことが続いた姉弟にはそろそろ次の次元への変化が必要ではないだろうか。今のままでも優秀なポップ・マシーンとして良作を量産することは可能だが、もう一段階の脱皮が必要に感じられる。それは作風によるモノなのか、芸風によるモノのなのかはハッキリしないが、それだけの十分な伸びしろを持て余しているように見えるのだ。

 当面は今のままでいい。だが、その変革のときは確実に近づきつつある。今やビッグネームとなった「ラブリー・デイ」だからこそ、最後にそう記しておきたい。


 それと、弟、飲み過ぎには充分注意を。姉さん困らすなよ。


                               (文/川瀬秀弥)


                        月刊「ヒューマンノイズ」八月号




 携帯電話が鳴っていたことに気づいたのは、着信後二時間ほど経ってからのことだった。いつもこんな風に、原稿を書いているとつい周囲が見えなくなって困る。

 携帯を拾い画面を確認すると、お世話になっている雑誌「ヒューマンノイズ」編集部からだった。

 自分のことを知っていてくれる担当記者はいつもならメールで連絡をくれるのだが、どうしたことか気になり、すぐに折り返してみる。

 呼び出し音二回ですぐにつながる。

「お世話になってます、川瀬です。山木さん、いますか?」

「あ、川瀬さん、お世話になってます。少々お待ちください」

 電話に出たのは入社したての若手編集者だ。いつもなら二言三言話をするものの、本日はすぐに取り次いでもらう。

「あ、川瀬くん? お疲れ様です」

「お世話になってます。どうしたんです? 急用か何かですか?」

「じつは、ラブリー・デイの事務所から電話があってね」

 先日書いたライブ・レポートのことが脳裏をよぎる。

「クレームですか?」

「いや、そうじゃなくて。ラブリーの取材をして欲しいというんだ」

「何なんです? それ」


 僕は本格的に専業での執筆活動を始め、まだ三年ほどのキャリアしか持っていない音楽ライターである。

 一応、フリーとはしているが、一番の得意先である音楽雑誌「ヒューマンノイズ」にべったりとお世話になってしまっている。本来ならこういう話も自分のところに直接来るはずだが、ほぼ身内のように扱ってくれている編集部には甘えっぱなしだ。

 ラブリー・デイの二人とは「ヒューマンノイズ」の取材で何度か会っている。そのときに渡した名刺もフリーではなく、「ヒューマンノイズ」のものだっただろうか。

 そのラブリーの姉弟について、僕の担当編集者、山木さんは言う。

「前に川瀬くんが書いたインタビューやアルバム分析の記事をあの姉弟が気に入ったらしくて、事務所主導で作る本のためにインタビューを頼みたいらしいんだよ」

 これはかなりいい話であり、今後の仕事の発展にもつながるのではないか。そう直感して気分がかなり上を向く。

 雑誌周辺の雑文書きやフリーペーパーへの寄稿、SNSサービスでのエッセイや、執筆を離れてライター仲間で開くイベントのDJなど、今ひとつ活動が絞られない生活にちょっした方向性が持てそうだ。

「願ってもないチャンスですけど、そんな過大に評価されるような記事書いてましたっけ、自分」

「先方が気に入ってるんだから、いいんじゃないかな」

 一通りの話を聞き、電話を切る。

 やっと巡ってきたチャンスになるのだろうか、少し落ち着かない気分になる。

 書類が雑然と積み上がっている机脇の山から、以前もらっている茶封筒を引き抜く。中身はラブリー・デイについての資料だ。

 もう何度も目を通しているが、改めて確認の意味も込めて、読む。


 彼らのデビューは、僕が音楽ライターとして世に出た時期に重なる、三年前の秋である。

 二枚目のシングルが爆発的なヒットを記録したことにより、一躍有名になる。が、このふたりの凄いところは、その後に続く作品のリリース計画が全く見えないところにある。

 二枚のシングルが売れているさなかに最初のライブツアーを敢行するが、そのツアー中に三枚目のシングルをリリース。さらにはツアー終了直後にファーストアルバムのリリースを行っている。こういうものは作品のリリースにあわせてライブツアーを行うのが普通だと思うが、そのセオリーを全く無視したやり方は業界内でも話題を呼んでいた。

 その後もライブツアーと作品のリリースは何の関係もなく行われ、それでいながらも売り上げも評判も上々。同時にテレビやラジオでも明るく元気な姿を見せ、お茶の間の人気すらもモノにしている。

 ちなみにアルバムリリースはほぼ半年ごとと、非常に短期間で行われている。

 一体、いつ楽曲を作ったりバンドの練習を行っているのだろうか。

 かつて何度か取材した中で、僕は直接それについて聞いていが、返ってきた答えはこうである。

「いつでも曲は作ってますし、音が録れる場所があれば、そこでレコーディングはできます。手をかけるほどのもんじゃないと思います。(弟)」

「詞はいつも書いてるし、曲は弟にギター持って来させて二人でごにょごにょやれば、大体すぐできます。ジャケットとかはデザイナーさんにアイデアをメールで送ってもらえば、それ見てすぐ答え出ますし。(姉)」

 そんな二人が作る曲は、一見お気楽なポップソングに見えながらもかなり深読みのできる詞と、六十年代から八十年代の洋楽の粋を集めたようなメロディセンスにあふれた良質なものだ。耳に残る、つい口ずさんでみる、楽器があればちょっと弾いてみたくなる、要するに名曲といわれるものばかりである。

 そしてそんな二人に取材した折に、こんな事があった。

 姉の髪の色が茶色から黄色がかってきた頃、それをネタに笑い中心の取材になりそうだったときがあった。僕はその場の取材をハンドリングしながら、正直軽く苛ついていたと思う。

 弟が口にした軽いジョークをやり過ごし、こんなことを言ってみた。

「じゃあ、そろそろ作品の内容について聞きたいんだけど、いいかな? 本当の部分の話を聞きたいんで」

 その途端、二人の雰囲気はがらりと変わった。

 気分を悪くしたとかそういった感じではなく、目を輝かせて身を乗り出して来る印象があった。その後の話は詞の内容のこと、前作のアルバムとだいぶ違う印象になっている音作りのこと、社会情勢と絡んでいそうな曲のこと、そういった話が途切れなく続き、当初予定していた取材時間もかなりオーバーしてしまう結果となった。

 忙しい姉弟にとっては厄介な取材となったかと思いきや、終了後には「今日は凄く楽しかったです。またお願いします(弟)」と言われてみたりもした。

 正直、テレビの人気者を相手にした取材ではなく、自分が一人のリスナーとしての聴いてみたいことを中心に取材したつもりだが、今までこういった取材はあまりなかったのだろうか。

 また、この時とは別の記事で、一聴してお気楽ながら捻くれたポップさばかりが取り沙汰されそうな音作りに、八十年代のポストパンクからの影響を指摘し、その割にダブやクラブっぽい音作りには走らない点などを指摘したところ、他の音楽誌もその切り口を真似しだしたことがある。これは自分でもライターとしてちょっと胸の張れる仕事の一つだ。

 そういえば、彼らの取材前に目を通した他のインタビュー記事では、あまり音楽について突っ込んだ感じの話を目にした覚えがないような気がする。近況を面白おかしく話し、作品や活動内容を宣伝して終わりといった記事ばかりが目につく感じがあった。初対面の印象ではサービス精神が横溢していそうな姉弟だったから、あくまでただの仕事としてこなしてたのだろうか。音楽雑誌が好きで、中学生のころから熱心に読んでいた自分には、インタビューを受けるのもミュージシャンの仕事という意識もあったのだが。

 まあ、そんな自分の書いた記事を良心的に受け止めてもらった以上、中身の濃い取材をしないといけない。そう考えて独自に情報を集めてみることにした。


 ネットにアクセスすると数々の掲示板やファンサイトを目にすることが出来た。姉弟の曲を演奏してネットで発表している者もいる。

 それまで目にしたことの無いような情報を探し、動画サイトにたどり着く。

 自分があまりテレビを見ないこともあり、こういうところでの動画は少し新鮮に見える。

 そんな中で動画サイトにアップされたバラエティ番組の動画があった。姉弟が番組ホストのお笑い芸人と話している場面。スタジオにあふれる笑い声の中で、クリスマスについて話してるシーンだ。


「じゃあ、キミら柿崎家にはサンタクロースは来た事が無いんだ」

「来ないというか、この姉の人がかなりハードに教えてくれるんですよ。“いい? サンタさんなんていないの! わかった?”って」

「なによ。あたしのせい?」

「お姉さん、ドライだねキミ」

「でも、本当にいないじゃないですか。ねえ」

「自分は考える暇もありませんでしたが」

「お姉さんはいつもこんな感じなんだ? 弟くん」

「はい。えー。……はい」

「何よ、その答え方は」

「柿崎家の姉弟の力関係がまるわかりだね」

「いえ、やさしいですよ姉は。”絶対”やさしいですよ」

「そういう答え方するから疑われるんだってーの」

「まあまあ、お姉さん。やさしいんでしょ、君」

「ええ、“甘い”んじゃなく“やさしい”を心がけてますから」

「で、クリスマスと言えばツリーなんですけど」

「弟! ちょっと強引だよそれ」

「いや、空気読んで」

「あんた、読み方下手だってーの」

「番組的にはありがたいけど、どこに着地するんだこれ」

「で、ツリーなんですけど」

「いいってーの!」


 あの二人らしいなあ、と少し笑いながら次の動画を再生する。今度は夏休み中の思い出らしい。


「あたし、朝は弱いんですよ。血圧が低い訳じゃないんですけど」

「本当に迷惑で」

「この子が起こしてくれるんですけど」

「まあ、ちょっと嫌ですけどね」

「何? さっきから」

「起こすのって、結構度胸いるから」

「何よ、それ」

「大体、不機嫌なこの人にちょっかい出しに行く罰ゲームですよ? そりゃ怖いに決まってるじゃないですか。いきなり蹴りが飛んできたり、起きた後もネチネチ愚痴って来たり」

「オーバーな。そんなひどい?」

「いつも準備運動とかして、気分を引き締めてから起こしに行ったもん」

「ああ、あのバタバタうるさいやつ? あれで結構起きてたよ」

「その割にベッドの中から蛇のような目でこっちを睨み付けてたよね」

 ここで姉の手刀が弟の脳天にヒット。

 別の動画でも同じようなものだ。

「あたしたちの小さい頃は、別に普通というか」

「ぼくがよく覚えてるのは、外行くときには手をつなぐのが強制っていうのが」

「だって危ないじゃない。あんた、急に走り出したりするから」

「それはわかるけど、なんだかやたら迫力出して、手をつなぐの強制してなかった? “オラオラ!”みたいに」

「あんたが逃げるからでしょ」

「正直、怖かったんだけど」

「ああ?」

「ほら、こういう」

「上手いねー、キミは」

「え? 姉とケンカですか。うーん……」

「この子とじゃ、ケンカにはならないですね」

「そうです。ならないですね」

「何よ、今度は」

「外でもやってて、手慣れてるんじゃないの」

「外じゃケンカなんてしないわよ。家の中だけ」

「あれはケンカじゃなくない?」

「じゃあ何?」

「迫害。……ほら! このオーラです。わかります?」

「何を言ってるのよ」

「姉ちゃん。カメラ回ってるから」

「あんたね、一方的にあたしを悪者にしようとしてるでしょう?」

「そんな命知らずなことできないって」

「ねえ、もう普通の姉弟ですから」

「実家のダイニングのテレビの横にあるシミなんですけど、消えないんですよね。僕の血の跡なんですけど。」


 姉弟といえば、自分にも兄がいる。自分と二人兄弟であるが、事情により自分が実家を勘当されているので、その後の付き合いはない。それでも子供の頃の理不尽な兄の存在を思い出し、大体あんな感じだったんだなと想像がつく。

 すべてにおいて理不尽、そして厄介。関わらないのが一番なんだけど、それでも同じ屋根の下の中でうざったい存在感を発揮しているのが兄弟というもの。

 この二人もあんな感じだったんだろうか。その割には仲が良いのは何故か。その辺が取材のポイントとして使えるか。そんなことを思い、手元の手帳にメモを記してみる。

「兄弟とか家族って、うざったくないか」




 平日の夕方、取材やライブなどのイベントがなければ自宅で過ごすことが多い。それでも仕事仲間やミュージシャンの友人知人と飲みに行ったりすることは度々ある。

 その日もいくつか抱えている仕事の合間を縫って、知人の若手ミュージシャンと飲んでいた。自分と同い歳だからか妙に気が会うこともあり、彼と飲むのは嫌いではない。そんな男だが、ライブハウスから出てきてメジャーのレコード会社から作品をリリースしながらも、まだ彼の生活は楽ではない。

「川瀬さーん、もっと俺持ち上げる記事書いてよー」と、冗談っぽく笑いながら話す彼の言葉は、半分くらい本音が含まれているのかもしれない。

 業界内の噂話や海外ミュージシャンの情報、サッカーや映画の話、小さい頃育った文化の違いなど取りとめもなくダラダラ話す中で、ラブリー・デイの話題が出た。

「俺今度取材するんだよ」

 何の気なしにそう話すと

「あの二人、実は本当の姉弟じゃないらしいよ」

 そう答えが返ってきた。

 ネットで調べるとそういうノイズのような情報も見つかる。念のため目にしてみると「中学の時の姉の方を知っているヤツがいるが、一人っ子だったはずとのこと」などといった知人の噂レベルだったこともあり、あまり気にはしていなかった。でも、酒の上の噂話としてなら、ちょっと聞いてみても面白いかもと思った。

「どこで聞いたの?」

「一部じゃ有名だよ。姉は一人っ子で、弟の方は出自がよく分からないって」

「何で姉弟なんだろうね」

「実は偽装夫婦とか。そんなバンドいたね」

 そこで笑いになって、新たにビールを注文する。

 以前姉弟に会ったときにはそんな印象は受けなかった。表面的には普通に仲の良い姉弟に見え、弟は姉に全面的な信頼を置いており、姉の方も目下の者をさりげなく気遣っている風な印象があったからだ。主観ではあるが、夫婦には見えない。

 続けて、こんな話も出た。

「弟はアル中らしいよ」

 それも知っていたし、自分でも記事に取り上げたこともある。ネットで見かける数々の武勇伝も知られているが、やはり裏を取っていない噂レベルのものである。だが、その後で出た話は気になった。

「以前はそうでもなかったけど、最近は酒気帯びで現場入りすることもあるんだって」

 それは初耳だ。以前会ったときには、少なくとも仕事に皺寄を出すようなタイプには見えなかった。

「テレビとかの仕事で?」

「そう。知ってるヤツがスタッフやってる番組なんだけど、酒の臭いさせてたって」

「仕事が出来ないくらいに?」

「仕事は普通だって。でも最近は結構酷いらしいよ」

 警察のお世話になるくらいだしな、と自分で書いた記事の事なども思い出してみる。

その後、その友人との話はとりとめもなく続き、近々投げ釣りかサッカー観戦に行こうというよくわからない約束をして帰途についた。

 地下鉄に揺られながら、スマホを見る。メールなどチェックしていると、情報サービスページにラブリー・デイのトピックがあることに気づき、さっそくつないでみる。

 来年初頭に公開される劇場映画の主題歌にラブリー・デイが起用され、姉の柿崎愛も出演するとのことだった。売れているな、忙しいななどと思い、先ほどの会話を思い出してみる。そういえば、アル中疑惑のある弟は出ないのだろうか。なかなかサングラスを外さないキャラである分、こういうところの活動はしにくいのかもしれない。

 スマホをしまい、車内の中吊り広告に目をやる。

 最近、こういう雑誌って読んでなかったななどと思いながら、見出しをたどる。でも、書かれていることはいつの時代もさほど変わりがない。「特集 やまない雨はまだ続く」とあり、政治家のゴシップ、有名タレントのスキャンダル、大きな集団食中毒事故を出した有名外食チェーンの経営陣進退問題、省庁の裏金がばれた後での人事問題、有名大学の入試不正問題、女子中高生を巻き込んだ援助交際組織の摘発とその不自然な収束、家出した子供を連れ戻した後に虐待死させた親、まだまだ続く派遣切りの現場など、人の世の常というべき話が、そこに並んでいた。

 それは普通のことなんだろうけど、あまり普通に取りたくないな。

 そんなことを思った脳裏に、ラブリー・デイの曲「ランナウェイ」が再生される。先日のライブでも演奏された曲だ。

〈ぼくは逃げ出すよ/今すぐ逃げ出すよ/でも逃げた先も同じ街だろうね/同じ花が咲き、同じ雨が降るだろうね/逃げながらぼくはきっと見つけるだろう/本当に逃げて行ける場所ではない/自分の中の何かを〉

 現実の醜さは充分知っている。でも、それに抗うのでも染まるのでもなく、一定の距離を置いて自分をキープしたい。世界なんて変わるもんじゃないから、自分の中に強さを持つ。

 そんなものだよな、と思いながらふたたび見出しをたどる。

 少し酔いが覚めてきたこともあり、自宅に戻る途中、コンビニで酎ハイでも買って帰ろうかと思ってみる。

 ふとスマホが振動する。画面を確認すると、さっきまで一緒に飲んでたミュージシャンからのメールだった。なんでも、分かれた後に偶然別の友人と会い、そのまま一緒に飲んでるとのことで、良かったら来ないかとの誘いだ。

 申し訳ないけど明日も朝から仕事だと返信して、またさっきの広告を眺めた。




 取材の日程が近づいたある日、ラブリー・デイの事務所に足を運んだ。一度、挨拶もかねて確認の電話を入れた際、事前の打ち合わせに伺うことになっていたのだ。

 市ヶ谷の真新しいビルのフロアを丸ごと借り切った事務所にはラブリー・デイのポスターが貼られ、力の入り具合を確認することとなった。また、先日知った映画のポスターもあり、このことも取材に組み入まないとなとも思ってみる。

 受付で名前を告げ、応接室に通される。

 運ばれてきたお茶に手をつける間もなく、ラブリー・デイのマネージャー、北野さんが入ってきた。

 北野さんは三十代半ばくらいの、眼鏡をかけた少し太めの男性だ。過去の取材時に何度か顔を会わせている。結構ジョークが好きな、砕けた雰囲気を好む人だ。その分、気の使い方も細やかな人である。

「このたびはよろしくお願いします」

「こちらこそ、ありがとうございす。どうぞよろしくお願いします」

 一度立ち上がり、今回の礼を述べてから改めて席に着く。

 今回の打ち合わせの目的は取材の概要や留意しておくべき点、事前に取り決めておくべき事を確認しておくことだった。その他にも、気になる部分があったら事前に聴いておこうとも考えていた。

「書籍を出版されるとのことですが、何か特別な目的があるんですか? バンドをよく知ってもらう他にも何かアピールしたい事があるとか」

「川瀬さん、書かれてましたよね。もう一段階変わる必要があるって」

 あの記事のことか思いだし、ちょっと驚く。

「はい、あくまで自分の主観ですけど。そのことで僕が」

「それだけではないんですけど」

 首に掛けた社員証カードを胸ポケットに収めながら続ける。

「今回、ラブリー・デイの本を作るに当たって、ちょっと二人の内面的なことを世間に出そうとしているんです。そのために、丁度良い距離感で客観的な見方をしてくれるライターさんを探してたんですよ。あの二人には仲のいい友達のようなライターが何人かいまして、そう言う人達にお願いしても狙ってるような話は出てこないかと思ったんです」

「なるほど」

 そう思われてたのかと納得する。その反面、具体的にどういうものが求められているのか気になる。マネージャーが続ける。

「内容として内面に注目するため、彼女らの小さい頃からの話を聞いてほしいんです。その中で二人がどんなことを感じていたかとか、お互いに知らなさそうな事や気持ちなんかも掘り下げてほしいと。そんな風に、その辺を中心にお願いします」

 そういう話は今までに無かったのだろうか。二人がブレイクした頃にはそういった切り口の取材や記事が結構あったのではと思い返してみる。でも、自分でも見た中ではあまり詳しく語られた生い立ちは無かったような気もしてくる。いつでも明るさに溢れ、賑やかな笑いのヴェールに隠れて振る舞う姉弟は、肝心な部分もスポイルしていた気もする。

 また、取材の日時についてこんな話が出た。

「取材は二日とお願いしてると思うんですが、まずは弟の勇気の方をお願いします。それで、勇気の記事がある程度まとまった段階で姉の愛の取材をお願いしたいんです。大体間は一週間くらいでお願いする事になるでしょうか。そこで川瀬さんなりの考察を交えてほしいんですよ」

「間があるのは、何かあるんですか?」

「そんなに変わった事はありませんよ。姉の方は映画の都合がありますし。ただ、あの二人の話をまとめてもらうには時間が必要かなとも思ったんです」

「やっぱり何かありそうですね」

 少し笑いながら続けると、マネージャーさんも笑顔を返してくる。

 思い通りには運ばない、厄介な取材になるに違いない。

「解りました。じゃあ、まず来週水曜に柿崎勇気の取材を。その翌週に柿崎愛の取材と言うことで」

「お願いしますよ」

「あ、それと、もう一ついいですか?」

「ええ、どうぞ」

「柿崎勇気さんの方なんですが、アルコールについていくつかの噂を聞いております。飲み過ぎの件については本人も気にされてると思いますが、取材当日は大丈夫でしょうか?」

 そう聞くのも不自然かと思ったが、念のため必要だと判断した。

「大丈夫ですよ。その辺は本人にも言って聞かせます」

 先ほどとは少し違う、そのまま鵜呑みにしても問題ないような口調だった。




 曇りがちだった空は午前中の内に日が差し始めていた。

 明け方までかかって書き上げた原稿を、出版社にメールで送った後、準備をして自宅を出る。こっちが寝不足ではあるが、というか徹夜ではあるが、それはしょうがないことだ。

 電車での移動中、念のため質問を書きためたメモ帳に目を通す。聞く内容は一本道みたいなものだが、要所要所で今の活動や作品に繋がることも聞かなければならない。

指定された時間通りに事務所につく。少し緊張していることもあり、妙な落ち着きの無さを自分に感じて、ちょっとおかしく思える。

 スタッフに挨拶し、会議室に通されて待つこと数分。弟・柿崎勇気が現れた。

 写真撮影がないからか、いつものサングラスはつけてはいないが、黒い長袖シャツの腕をまくって着ているあたり、いつもの雰囲気が残る。

 少しだるそうなのは体調が悪いからなのか。そう思っていると、やはりというかかすかに酒のにおいを感じた。

 部屋に入ってきたときの様子から問題になるような状態ではなかったが、できればという思いもあり、ちょっと残念に思う。

 少し遅れて北野マネージャーも部屋に入ってくる。申し訳なさそうに目で挨拶される。

 柿崎勇気は、スタッフが差し出した冷たい水を「すみません」と言いつつ受け取る。そして、彼が水を一気飲みしたところで取材はスタートした。



―― 大丈夫?


柿崎勇気(以下、勇) ああ、すみません。夕べ、例によって飲み過ぎちゃって(笑)。


―― また噂になっちゃいますよ。


勇 その程度で済むなら(笑)。スミマセン。でも、深酒した翌日の、このぼーっとした感じって好きなんですよね。


―― ほどほどにね。じゃあまず、小さいときの事って何か覚えてますか?


勇 殴られてましたね。親に。


―― またいきなり殺伐とした話を(笑)。


勇 虐待受けてたんですよ。理由とかよくわからないことで毎日殴られたり蹴り入れられたり。怒鳴りつけられたり。家から放り出されたり。


―― それはお姉さんもですか?


勇 ああ、そうですね。じゃあ、ここでぶっちゃけます。私、柿崎勇気は柿崎愛さんとは実の姉弟ではありません。


―― また唐突ですね。


勇 このインタビューをするという段階で、公表しようとは思ってたんですよ。事務所からみんなで話し合ってて。


―― もっと公表する機会があったのではと思うけど。


勇 そんな大したことじゃないと思ってましたし、何か書いてやろうって構えてる人たちって嫌だし、なんだか無駄に騒ぎになりそうな場で話すより、こういう場でちゃんと話をきいて欲しかったんです。ほら、川瀬さん、スクープですよ(笑)。


―― あまり嬉しくないなあ(笑)。じゃあ、今日は初の公式発表ということなんだ。でも、本来のテーマも判ってるよね?


勇 半生を語るって内容でしたよね。結構ひどいものになると思いますけど。


―― お手柔らかに(笑)。


勇 はい(笑)。まず、僕は自分が生まれた場所が判りません。親に聴くたびに適当な違う答えが返って来たもので。親にとってはどうでも良いことだったんだと思います。物心ついてからずっと東京だったので、出身は東京と言ってます。あ、姉ちゃんも同じ東京で、同じ足立区の出です。これは間違いないです。


―― ……(いきなりの話に絶句している)。つらいこと聞くようだけど、ご両親はどういう人だったの?


勇 バカですね(笑)。いや、これは客観的に判断してバカです。共に人の言葉が聞けないというのか、自分の思いこみだけが正しくて、他は一切無視みたいな。弱いんですよ、人間が。だから何か理由付けて子供に当たり散らすしかない。

 あ、さっきから親ってまとめて言ってますけど、暴力担当が父親で暴言担当が母親って感じです。怒鳴られるのは両方。区別するのも面倒なのでまとめて「親」で片付けてますけど、その辺は受け流してください。


―― その虐待って、いつ頃まで続いたのかな。


勇 一度僕が死ぬまでです。


―― 死にかけたんだ。


勇 はい、殴られすぎて自家中毒起こして。何も食べられなくなった上に、吐いてばかりいたから、すぐに栄養失調になって。ガリガリに痩せてました。病院に持って行かれたときには結構危なかったみたいで、医者に怒られたって言ってましたよ。確か四つだったかな? 四歳くらいの頃です。


―― 周囲の人たちって、何もしてくれなかったんだ?


勇 するわけ無いじゃないですか。最近はそういう子供を助けようみたいな風潮があるみたいですけど、自分がガキの頃には無かったです。今でも本当は怪しいですけどね。


―― 幼稚園とかは行ってなかった?


勇 行ってましたけど、半分以上休んでましたよ。で、金がかかってるのにとか、またウダウダ言われるんですよね。


―― 友達とか相談求めたり……って、幼稚園じゃ無理か。


勇 ええ。じつは一度相談したことがあるんですよ。同じクラスのヤツに「親に凄く殴られるんだけど」って打ち明けたら「うちなんてもっと凄いよ!」って、まあ幼稚園児ですから(笑)。リアルな話でしょ?


―― 小学校とかは?


勇 普通に行ってました。イジメられまくりでしたけど。


―― 今度はイジメだ。


勇 はい。まともに育てられてないヤツが周囲と普通にやっていけるわけ無いですよね。しょっちゅう弄られてましたし、あと当時坊主頭だったんで「ハゲ、ハゲ」ってイジメられました。


―― 坊主頭って、それは何で?


勇 母親の趣味です。「子供は坊主頭がかわいいんだからそうしてなさい」って。「イジメられるから嫌だ」って言っても「ハゲじゃないって言い返せばいいでしょう!」ってキレられて終わりです。で、結果、自分がイジメられ続けるという。


―― 今ではそれも完全に虐待だね。


勇 強制する側に意識なんて無いですけどね(笑)。


―― 他には何かあった? 出来れば明るい話で(笑)。


勇 成績は良かったですよ。ついでに敬語で喋ってて礼儀正しくもしてました。小学一年生でも。


―― 敬語? それはまた何で。


勇 殴られないための自己防衛です。家でボコられてる時間が長かった物で、どうしたら殴られないか本気で考えまして、その結果です。でもそうしてると周囲のオトナの人が優等生扱いしてくれるんですよね、成績も良いし。全部親の虐待の結果なんですけど。で、またそうしてると周囲から浮くんですよ(笑)。


―― その頃でも相談できる人っていなかったのかな。


勇 スミマセン。話がどんどん変な方向に行ってしまって。でも、解決策、一応自分で見つけまして。


―― それはどういう?


勇 何も考えないんです。何も考えずにバカやってれば痛みは感じないって言う。だからそうしてました。結構人気ものになったんですよ。バカやって礼儀正しくて敬語で喋ってて成績も良い。


―― それでその後やっていくわけだ。


勇 そこでまたダークな話題なんですけど(笑)、何かやたら(学費の)高い進学塾行かせてもらってたんです。一応自分から通いたいって言ったことになってるんですけど。


―― 来た(笑)。


勇 カネのことまたウダウダ言われるんですよ。「お前には毎月十三万円も払ってるんだ!」とか。


―― 凄い金額だね。


勇 ね、普通通わせませんよね。


―― でも通ってたんだ。


勇 はい。こういう判断って保護者がするものだと思うし、収入がないなら行かせないのが普通だと思うんですけど。


―― 塾に通うのは将来のためとか?


勇 一応医者志望ということになってて。


―― 「ことになってて」って(笑)。


勇 本当は調理師に憧れてたんですよね。手に職を持ってるって格好いいし強いとも思ってたので。小一のときだったか「大きくなったら何になる」っていうヤツがあって、自信持って「コックさんです!」って答えたら母親がそれ見て嘆くんですよね。「何て夢のない子だろう!」って。「ほっとけ」っていう(笑)。


―― それで医者に。


勇 はい、考えないのが最良の逃避策だった物で。小さい頃から親にそう言わされてたこともあって。僕自身、長いこと病院にかかってからだとも思うんですけど(笑)。

 それと、進学塾ということで私立中の受験もしたんですけど、落ちました。これは落ちて良かったと思ってます。学費についてウダウダ言われるの目に見えてましたから。


―― で、暗黒の六年間を過ごして。暗黒なのかな?


勇 途中からどうでも良くなってましたけどね(笑)。


―― 中学では少しは変わった?


勇 一応バカやって人気者のまま中学に行ったこともあって、ついでに成績も良かったので注目はされてましたけど、周囲からは避けられてる部分もあって。なんか微妙ですが(笑)。無駄に反感買うことが多くて。


―― 反感って、何で?


勇 絵に描いたような優等生さんだからじゃないっスかね。ほら、目の敵にする方は思春期だか反抗期とかで。


―― 勇気くんには無かったんだ? 反抗期とか。


勇 あったと思いますが……(笑)。狂ってましたので。それに、その反抗期だか思春期だかの奴らが、こっちのやることに反応していちいちポーズ作ってる姿見て、自分も鼻で笑ってた部分ありますし。


―― どっちもどっちじゃん(笑)。中学って言うと部活とかあるわけだけど、そういうのは?


勇 無いです。何やるにもお金かかるじゃないですか。バイトできれば良いんですけど、中学生じゃバイトなんて無いですし。って、これは甘い考えで、リアルに探せばあるんですけどね。

 何より金が無かったので帰宅部の上、図書館通いです。


―― 中学時代にギターを始めたって聴いてるけど、そのときのことも話してもらえるかな。


勇 ああ、忘れてた(笑)。ギター始めたのは中ニの夏です。直接のきっかけは安いギターが手に入ったから。近所のバッタ屋だかに二千円でぶら下がってたの買って。ガットギターでした。元々音楽はやりたかったというのはあるんです。小さい頃、親にピアノ習わせて欲しいってねだったくらいなので。で、その親には怒鳴られましたけど。ギター買ったの見て「そんな物買ってどうするんだ!」って。


―― そこはもう慣れたんだね。


勇 はい。殴られるレベルでもないし。


―― 当時はどんなの聴いてたの?


勇 古いロックばかりでしたよ。クラシックギターにもあこがれがあったんですが、リアルで聴くことが出来るのって、ラジオでかかるものか図書館で借りてくるCDくらいしか無いじゃないですか。テレビじゃ面白い音楽ってかからないし。それで、手に入るもの聞いてなんとか自分でも出来るようになってみようとしてたんですね。


―― バンドとかは?


勇 それは高校に入ってからです。その頃までに小遣い貯めて安いストラトとか、色々買い集めましたね。


―― 練習とかはどうしたの? 誰かに教わったりとか。


勇 いえ、全部独学です。本屋でギター雑誌立ち読みして、覚えて帰って練習するという。カネかかってないでしょう(笑)。その分ギターの小物とかに回すという。あ、図書館にも教則本とか楽譜集があって、それも良く借りてました。で、よく使われるコードとかそこから覚えていったりもしたんですよね。図書館、使えますよ(笑)。


―― なんだかいじましいね。好きなミュージシャンにロリー・ギャラガーを挙げてたけど、それもその頃から?


勇 はい。図書館になぜか何枚もCDがあったんですよ。どういう人か知らなかったんですけど、いつも同じボロボロのストラト抱えてるし、こういう金のかかってなさそうな人って好きで(笑)。真似しやすそうで(笑)。


―― 中学生でロリー・ギャラガーって渋い趣味だと思うけど。ブルースとか好きだったのかな。


勇 取り立ててブルースが好きって感じじゃなかったです。でも、昔のハードロックってそういう傾向の物、多いじゃないですか。


―― そういう傾向の物が好きだったんだ。


勇 はい。コードも三つが中心だし(笑)。当時のミュージシャンって、そこからの広げ方が面白いんですけどね。確かにコード三つなんだけど、例えばC、F、Gみたいな三つじゃなくて変なコード三つ使ってるとか、音響に走って変な音でやり出すとか。


―― その中で傾向としては正統的というか、いわゆる王道のロックに行ったわけだ。


勇 お金があったり、音楽に接する環境に恵まれてたりしたら違う方向に行ったと思いますよ。事実、リアルでクラシックや民族音楽には興味あったんだし。でも、最低限、人と合わせられるようになるためには王道のパターンしか無いだろうって思ってました。その結果、自分で作る曲も、なんかありがちって言うか、まあ普通の音楽っぽくなったわけですけど。普通のっていうか、あまり変わったことのない? 何だろう。上手く言えないですが(笑)。


―― 普遍性のある音楽を作ってるってことだよね。


勇 ありがとうございます。さすがプロですね(笑)。


―― いやいや(笑)。中学ではバンドはまだだとして、音楽について話したりすることって無かったのかな?


勇 ないですね。ロリー・ギャラガーとか、テイストとか知ってる人いないですし。バンドというと雑誌にしょっちゅう載ってるようなものしか聴かないじゃないですか、中学って。で、一人でコピーしてました。


―― で高校になるのかな。


勇 はい。一番の暗黒時代ですが(笑)。


―― あああ、今まで以上に(笑)。


勇 最初はそうでもなかったんです。中学のときの同級生も何人かいて、バカやって目立つ上に優等生で、ついでにギターでしょ。軽音のサークルに入って、初日にロリー・ギャラガーの曲を何曲か弾いて「一年の中じゃ一番上手い」とか言われて。早速ベースとドラムと三人でバンド組みました。自分以外初心者でしたけど、こっちはしっかりと音出して、「それについてこい」みたいな感じで。曲はロリー・ギャラガーばかり。当然自分でヴォーカルも兼任です。そのまま行けば良かったんですけどね。


―― 行かなかったんだ。


勇 一年の文化祭までは上手く行きました。でもその後ですね。

 文化祭自体はバンド演奏で何度も客席を「おおっ!」なんて言わせて存在感出してみたり、一気に注目集めたりしてたと思います。クラス展示も、喫茶店なんですが自分の発案でメイド喫茶「笑ってはいけない」っていうのやりまして(笑)。


―― どういうメイド喫茶?


勇 文字通りそのままです。お客さんは笑ったらセンブリ茶のペナルティが課せられるんですが、それとなく笑わせようと店の中に罠があったり、謎のショータイムが不定期にあったり、ブーブークッションみたいな小ネタがあったり。


―― お客さん入るんだ。


勇 ホントに。意外と(笑)。


―― それだけ聞くと充実してるように思えるけど。何があったの?


勇 文化祭の後で進路相談があったんです。三者面談の。で、自分は一応医者志望と言うことで医大を希望しまして、担任からも「この成績なら大抵の医大に推薦が出せる」なんて言われたんですが、一緒にいた親が「大学なんて、自分でお金出して行くところですものねえ」なんて言い出すわけですよ。


―― どういうこと?


勇 多分、リアルで金がないという意味ではないかと。担任もそのときは意味がわからなかったみたいで「そうですねえ」なんて言ってましたし。

 で、学校からの帰りに親に、母親ですけど聞いたんです。「金、無いんですね?」って。そうしたら「わかんないよ、お前の努力次第だ」って答えられまして。正直、何の努力すれば金が出てくるのか判りませんでしたわ(笑)。それじゃあ進路変えて他の道をって考えたんですが、親が、また母親ですけどうるさくて。


―― 新しい進路って?


勇 楽器が好きだったので、そっち方面の技術者になれないかなって思ったんです。調べてみたら、新聞配りながら専門学校に行けるみたいだったし。で、それを親に話したら、これがもう怒る怒る(笑)。「そんなところに行くくらいならドカタにでもなった方がマシだ!」とか怒鳴られまして。担任にも相談したんですけど、「お前は大学行け」って、それで終わりました。


―― 大学行って何の勉強を?


勇 さあ(笑)。あの、言いたいことは判るんですよ。教師って聖職だかなんだか言われてますけど、“仕事”なんですよね。なら、リアルに教師としての成績があって、そのために動くのは当然だよなって。何人生徒を助けたかより、何人生徒を良い大学へ送り込んだかの方がどう考えても良い査定が着くと思いますし。


―― でも、そんなことで人生歪められちゃたまったもんじゃないでしょう。


勇 小さい頃の話を持ち出すようですけど、こういう密室みたいな感じ、判りますか? 密室の中なら力のあるものが力の無いものを殴ろうがレイプしようが殺そうが周囲にばれなきゃ良いみたいな状態。自分は狭い部屋の中で、文字通り密室の中で父親にボコられたり母親にクドクド嫌味言われたりして発狂するくらいやりこめられてたわけですよ。結果、どうしようもないクズになったと。でも周囲にそんなことは関係ない。それがリアルであると。

 他に人目なんか無ければ厚かましいことや非常識なことなんて幾らでもされると思います。


―― 普通はしないと思うけどね。


勇 「普通」ならね。自分もそう思います。普通に愛情というか、相手を一人の人間として尊重出来るならば。


―― 出来ないもんなのかな。


勇 出来ない人、いますよ。いっぱいいます。人目がなければ何でもやってしまう、不品行というかだらしないというか……バカ?(笑)

 でー、親元にいてもウザったいくらい干渉されるだけだし、こっちの話は何一つまともに聞いてもらえないしで自活すること考えたんですけど。


―― 自活って一人暮らしだ。


勇 はい。でも、それも早速怒鳴られました。まず、「この家のどこが不満だ!」(笑)。あと、「お前一人、家を出て楽をしようとはどういうことだ」。


―― 「楽」って、意味がわからないんだけど。


勇 親にしてみれば生活が苦しかったんだと思います。大学に通わせるのためらうくらいに。ははは……。それでガキの将来の稼ぎをアテにしてるんだけど、それより先に一人で出て行かれるのが妬ましかったんじゃないですかね。「お前に人生を謳歌させるなんて冗談じゃない!」みたいな。あと、一人暮らしさせたら仕送り送るのが当然と思ってたとか。頭が悪くて、思い込みから抜け出すことが出来ない人たちでしたし。

 で、学費の事とかウダウダまた言われるわけで、それじゃあって、バイトを始めました。ビル掃除。


―― 家を出る資金に?


勇 いえ、その前に学費です。もう何だかんだ言われるのが本っ当に嫌で嫌で。もうどうしようもなく嫌で。


―― 子供の面倒見るのは親の義務なんじゃないかな。


勇 建前上はそうですよ。建前上は。奴らに聞いてもそう答えると思いますよ。でもリアルではさっきの密室の話ですよ。閉じこめた状態で、外に漏れないような環境でギャーギャーやるんですよ。イヤミなんかもダラダラと言い続けて。世間の常識なんて通用しませんよ。加害者側の性根なんてどうなるもんでもないし。


―― 一度暴れれば良かったんじゃない?


勇 親殴ったとして、手を止められるか判らない。何なら殺すかもっていうのはありました。それだけの蓄積は確実にあったわけだし。実際にそういうこと考えるだけで身体震えてたし。それと、もうそんな親のことや干渉されるだけの生活なんて考えたくなかったってのもあります。本気で、もう考えたくなかった。本当に。


―― 相当参ってたんだ。


勇 それでバンドも部活もやめて、ホントにバイトだけするようになって……。あれ、頭おかしかったですよ。学校でも笑わなくなりましたしウケねらいのおふざけもしない。

で、そこからさらに踏み込んで、十二月の期末試験の後だったか、ビルから飛び降りました。


―― 飛び降りた?


勇 四階だったから死ねるわけ無いんですけど、それでも遺書書いて飛び降りました。死ぬほど痛かったですよ(笑)。地面に落ちてしばらくは呼吸が出来なくて、窒息で死ぬんじゃないかってくらい。気を失ったりしなかったので。


―― 今、凄く簡単に言ってるけど、それって凄い事だよ。


勇 はい。そのときは頭が死ぬ方向にしか行ってなくて。自殺する直前って、あんな風に視野が狭くなってるんだなってよくわかります。でも、飛び降りて死ぬの失敗しても後悔は無かったんですよね。次はこうすればリアルに死ねるんじゃないかって、苦しみながら冷静に考えてたくらいで(笑)。


―― 誰かが救急車呼んでくれたりして助かったのかな。


勇 はい。(救急車を)呼んでくれた人は、自分が飛び降りるところを偶然見たそうで。申し訳ないです。嫌なシーンを。しかも時期がクリスマスとかそのくらいじゃなかったかな(笑)。で、入院中は母親がまたウダウダと(笑)。


―― 今度は何を。


勇 何言ってたのかな? 良く覚えてないんで。覚えてるようなもんでもないし。ああ、そのとき田舎の叔父が来て話聞いてくれたんです。叔父って、母親の人の兄にあたる人なんですけど。で、「一体、どうしたんだ」って。

 それでコレまでのことや進路について話しまして。叔父も「じゃあ、お前のお母さんに言ってやるから、お前はもう心配するな」って言ってくれまして。


―― ようやく助かったんだ。


勇 いえ、全っ然。母親の人が言うには「お前のせいで叔父さんに怒られたじゃないか!」って……。(引きつった笑いが起こるものの、すぐに部屋中が静かになる)


―― 段々腹が立ってきたよ。


勇 お世話になった弁護士の先生やカウンセラーの先生、みんなそう言います。リアルでちゃんとした親かってのも良く聞かれますよ。血は繋がってるのかとか。すみません。何度も繰り返しますけど、バカなんです。本当に度を超してるんですよ。


―― でも、限度って物があるんじゃない?


勇 いや、無いですよ(きっぱり)。子供殺すほどのバカですよ? 本当に常識が通用しないんです。


―― ……(絶句している)。


勇 話、戻して良いですか。


―― よろしく頼むね。


勇 はい。入院は二ヶ月くらいで出ることが出来まして、一応学校にも戻ったんですけど、保健室に登校という形でした。それでも、休み時間とかにクラスのヤツが会いに来てくれたりしたんですけど、そのときの自分は完全に別人になってたみたいで。笑わないのはそのままでしたけど、話す内容とかもかなり酷かったみたいで。一応、今回のことは事故って事になってたみたいなんですけど、そのこと聞かれたとき、リアルで自殺に失敗したんだってハッキリ話しましたし。話した相手はドン退きでしたけど、こっちは何を退いているのか判らないくらいで。


―― クラスの人、無理もないね。


勇 ホントに。それでも二年に進級する頃には普通に教室に参加できたんですが、それでもほぼ廃人みたいになってて、完全に別次元の人でした。バンドやったり教室でバカやってた面影ゼロで。それと、バイトにも復帰して、無茶苦茶働いてました。バイト代は親に渡すんですが、もう、何だろ。……奴隷? みたいな(笑)。


―― 親に渡すってのは?


勇 学費と、あと入院のときの入院費? なんだかもうどうでもよくて、まあ、働いた金渡してました。


―― ……。


勇 繰り返しますけど、まともな親では……。


―― (遮るように)もう判った。親のことはもういいとして、その頃の生活の事聴きたいんだけど、卒業まで他に何か無かった?


勇 無いです。クラスのイベントも全部捨ててましたし。修学旅行も行かないつもりだったんですよね。でも、あれ単位になるってんで参加したんですけど、同じ班のみんなには迷惑かけてしまって。喋らないし、共通の楽しみとか一切判らないし。


―― 今気にしてもどうしようもないけど、そこまでになるってのが良く理解できないな。いくらなんでも周りの人も少しは何かしてくれるもんじゃないかな。


勇 ありましたよ。バイトばかりしてしょっちゅう学校で倒れてたからか、担任じゃなくて学年主任の先生に呼ばれて話したんですが、意味無かったというか。一応校則で禁止されてるバイトを三つ掛け持ちで、あ、自分、ビル掃除とゴミ集めのバイト、三つ掛け持ちでやってたんです。全部、学費ってことで。で、そこまでする理由とか話したんですけど、家庭訪問って事になって。で……。

 川瀬さん、怒らないで聞いてくださいね。

 学年主任がうちにきて、「十代の時間の大切さがなんちゃら」って話してたんですけど、そのときはうちの親、両方ともおとなしく聞いてたんですよね。で、学年主任が帰ったら、そいつらまた僕にギャーギャーと文句を。


―― やっぱり限度ってものがあるだろ。


勇 ……(笑)。無いんですよ。無いの。もう本物のバカだから判らないんですよ。本当にリアルに限度とか人間の常識とかってもの、本当にもうこれっぽっちも無いんです。考えるだけ本当に無駄なんです。

 実際に子供が良く殺されるでしょ? 馬鹿な親に。あれは子供が死ぬから世間に出てくるんですよ。子供が死なない限り、いつまでも続くんですよ。

 川瀬さんの反応、もっともです。普通の人ならリアルに怒ると思います。怒らないのは色々と麻痺してる当事者だけで。姉ちゃんに話したときには、姉ちゃん、泣きながら憤慨してましたし。


―― 話したんだ。って、当たり前か。


勇 このバンド作る際に色々と話して、そのときに姉ちゃんから「あたしの弟になれ」って言われて、それで姉弟名乗ってるんです。ネットで言われてるような偽装夫婦とかそんなんじゃなくて。


―― で、その高校時代は終わるまでその調子なんだ。


勇 はい。学年主任の先生からは家庭訪問後の事聞かれましたけど、じつは親からギャー ギャー言われてるときに、その声、録音しておいたんです。で、そのテープを先生に渡したらもう何にも言ってこなくなりました。


―― 逃げられたんだ?


勇 いえ、「自分はとっとと家を出るつもりだし、一人でやってくことを本気で考えて、今耐えてるんです」ってこと話して、それでも「何かあったら相談しなさい」って、言ってもらえましたけどね。

 虐待受けてる子供って、そう簡単に家の中入って行って救い出せないじゃないですか。同じ事だと思ってますし、そう言ってもらえただけ有り難かったなというのはあります。それだけですけどね。


―― その後は卒業になるのかな。


勇 それと一緒に進路ですよね。医学部受けて受かりましたけど、そっちは投げて。

 順を追って話すと、金が無いながらも親は「うちの子は医者目指してる」とかうるさいわけですよ、周囲に。大体受かっても行けるわけ無いのに。でも何かにつけて「お前は努力が足りない」とか偉そうに繰り返すんで、真面目に受験勉強してK大の医学部受けたんです。で、受かったと。


―― 名門校じゃない。


勇 通えないから記念受験ですけどね。これでも努力が足りないとか意味不明なこと言われそうだったので、それと、ハッキリ言っておかないとまたどんなバカ理論が飛び出すか判らなかったので、入学許可証と入学の手引き一式を渡しながら「この学校に通って医者になる勉強がしたいです。保護者として学費を払ってください。おねがいします」って、言いまして、「誰に対して口きいてるんだ!」って、またお門違いの怒りは買いましたけど。ついでに受験料払ったのも自分ですけど、父親は受験料って返してもらえる物だと思ってたんですよ(笑)。で、その話はそこで終わりです。

 あ、合格したって話は学校にも報告に行きました。(大学には)行かないけどって話も。担任と学年主任の先生の所、両方に。で、結局進路はどうするのかって聞かれたんですけど、「新聞配りながらどっか進学します」って事だけ話しました。

 丁度僕が報告に行ったとき、たまたま中学時代から一緒だったクラスメイトにばったり会いまして。彼女も合格の報告に来てたみたいなんですが、帰りに悪いこと言っちゃって。「中学から同じだったんだから、大学も同じところ行ければ良かったのにね」って話かけられたんですけど、「そこ、学費いくら?」とか言ってしまって。しくしく泣かせました。まずいって思ってその場を離れたんですが、そんときも「じゃあ、自分、バイトがあるんで」って。リアルにダメでしょう、これ。


―― 中学の頃からって事は、勇気くんの人間が変わっていく様をずっと見てた子だね。


勇 たぶん。まあ、そこで終わってその後も何の繋がりもありませんけどね。その頃は学校も自由登校で、残りは卒業式に出るだけだったんですが。ああ、その卒業式でも……(笑)。


―― また親だ?


勇 まあ、自分が家を出てたのが悪いんですけどね。

 また順を追って話しますと、進路について動いてたんですが、まだまだ親の干渉が凄くて。ちなみに新聞配りながら専門学校って考えで動いてたんですが、親相手ではまず話自体が通じないと。で、新聞販売所に直接話聞きに行ったりしてたんですが、どこでも「家の人とよく相談して」ってところで終わってしまって(笑)。で、とある販売所に保護者の認め印ねつ造して入ろうかとしたら親元に連絡が行ってしまってダメになったりとか。母親の人が言うには、今度は「ちゃんとした大学通って国家公務員になりなさい」だそうで。専門学校の締め切りも次々と来るし、とりあえず働く場所をとか思ってたんで、家出て住み込みでパチンコ屋で働き始めまして。卒業式はそこから行きました。で、学校で騒ぎがあって。


―― 親が来たんだ?


勇 はい。ほとんど家出の状態だったんで何かあるだろうなとは思ってたんですが、リアルで直接教室までやってきて騒ぐとは思いませんでしたわ。


―― 教室までって。


勇 文字通り教室に来たんですよ、母親の人が。それで、「今どこにいるの!」とか「帰ってらっしゃい!」とか「ちゃんとした大学に~」とか、とどめには「みんなに恥ずかしくないの?!」(笑)。


―― みんなの前で?


勇 もうね(笑)。で、卒業式逃げましたわ。参加しないでさぼりました。


―― ……。


勇 一応学校には後から電話入れました。「自分、退学扱いになりますか?」って。ほら、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズが学校の最終日だかに半日早く帰ったんで退学処分になったって聞いてたんで。幸い、退学にはなりませんでしたが、担任の先生からその後の自分を心配……してくれてたんだか、まあ、そういう感じのコメントもらって、学校生活はそこで終わりです。


―― お疲れ様でした。普通ならグレるところなのかもね。


勇 グレる意味って、よくわからなくて。グレてどうにかなるんだったら、幾らでもグレますけどね。でも、グレてすることって「宿題してこない」とか「学校遅刻しちゃう」とかでしょ? 早々に学校に見切り付けて、街中で生きるために働くようなグレ方って見たことなくて。まあ、いいか。すいません。自分はリアルな方を取りますんで。


―― それからはパチンコ屋で住み込みの仕事なんだ。


勇 はい。結構不条理な目にも遭いましたけどね。下手な客の人がいて、何か自分を目の敵にするんですよ(笑)。「この店、絶対におかしいだろ!」とか絡んできたりして。じゃあ、他所行けよっていう(笑)。


―― そこでの待遇はどうだったの?


勇 寝る場所とメシがあって、休む時間もあったんで楽でした。休む時間にはギターも触ってられましたし。住み込みの部屋が四人一部屋で、自分と元ヤンキーの人と、中国人と、よくわからないオジさんの四人。今まで見たこと無い人たちだったんで面白かったですよ。何か世界が広がった感じで。

 そのときに元ヤンキーの人とかから「もっと良い所行けたんじゃないか?」とか、よく言われてましたけど、情けないことに他に行くところ知らなかったんです。ネットとかで色々調べられれば良かったんですけどね。漫画喫茶とか行って情報集められるようになったのはもっと後です。


―― その後はずっと働くんだ。


勇 はい。どこかで専門学校って夢もあったんですけど、下手に動くとまた親がどこで絡んでくるか判らなかったし、途中から食いつなぐことだけが目的になりました。なんか、もうリアルで底辺を歩んでる感じなんですけど。


―― そこにはいつまでいたの?


勇 五ヶ月くらいかな?夏の暑い盛りに……残暑が厳しかったんだか、そんなころに六畳一間のアパートに移るまでです。あ、住み込みのバイトでも掛け持ちって出来るんですね。途中から夜の道路工事も追加して働いてました。昼の仕事にしわ寄せが出なければいいって、店長に感謝です。


―― アパートに移ってからは?


勇 (アルバイトは)ファミレスとホストクラブですか。そこで姉ちゃんと出会うんですけど。


―― どっちで(笑)。


勇 ファミレスです(笑)。これも順を追うと、まずファミレスのバイトに入りました。厨房で、料理覚えようって思いまして。小学校の頃の夢ですね(笑)。で、そのときにフロア担当でみんなの姉貴分みたいになってたのが姉ちゃんです。柿崎愛さんです。


―― ホストクラブの方はどうやって?


勇 ファミレスが朝から夕方までで、その後の時間が使えるなって思って、酒を出す店のフロアって認識で行ってみたらホストクラブだったと。当時、十九になるかどうかなんで、ホストにはなりませんでしたが。


―― 何月生まれだっけ?


勇 九月です。九月の二十八日。正しければ(笑)。


―― そこで働きながらラブリーの結成になるんだ?


勇 はい。でも、そこに行くまでまだちょっとあって。

まず、ファミレスですけど、無茶苦茶怒鳴られるんですよ、自分。


―― なんで?


勇 厨房仕切ってる人でそういう人がいたんです。そのせいでバイトが長く居着かなかったらしいんですけど、自分は無駄に耐性があるせいか(笑)、それに普通に耐えてまして。フロア係の方でも「今度のバイトはどれだけ持つか」って話してたらしいですよ。多分、賭けてたとも思います(笑)。

 で、そんな流れから姉ちゃん、柿崎さんとも話するようになって、音楽やってるってことで話が通じるようになったんです。

 で、ある日、バンドのベースが抜けるって話を聞いて、自分はベース弾いたこと無かったですけど、参加することになりました。

 姉ちゃんにバンドのテープもらって聞いてみたら、なんだかルート弾きしかしてないみたいで楽勝だなって思いまして。それでベーシスト転身です。自分で音楽やるために機材買い集めようとしてた資金から中古のジャズベを買って。


―― 何年かぶりの音楽活動だ。


勇 なんか懐かしかったですよ、スタジオの感じとか。アンプ持ってなかったので音作りは適当でしたけど、ヴォーカルの姉ちゃんが連れてきたベースということで普通に接してくれて。


―― そこから活動してくんだ。


勇 はい。でも、早速衝突が出るんですよ、つまらないことで。たとえば、曲やアレンジのアイデア出すと、作者のキーボードがふくれるとか(笑)。やる気なくすとか(笑)。姉ちゃんは歌上手いのに、なんでこのメンツとやってたのかは判りませんでした。あとは悪口になるから割愛しますが。

 大分前からネットで「あの二人は姉弟じゃない」とかいう書き込みをしつこくしてる人いますけど、多分その人たちなんじゃないかなと。無意味なコトしてる暇あったら自分の音楽やれば良いんですけどね。

 それと、人の曲に口出すと嫌な顔されるのは判ったので、今まで書きためてたのとか新たに考えたのとかまとめるのに中古のMTR買いまして。ギターの弾き語りが基本ですけど、宅録したテープを作るようになりました。で、またコレが次から次へと作れるんですよ(笑)。


―― その頃から才気走ってたんだね。今も半年に一枚とか物凄いペースでアルバム出してるけど、その位のペースが丁度いいのかな。


勇 今でも嫌がられていますけどね(笑)。


―― そのバンドは結局どうなったの?


勇 参加して二ヶ月くらいからか、キーボードのふくれる人(笑)が「こいつと一緒ではやれない」とか言い出して(笑)。前のベースもこうやって辞めたんだなって直感でわかりました(笑)。で、「じゃあ、辞めます」って話したら姉ちゃんも「あたしも辞めます」って。


―― ついてきてくれたんだ。


勇 職場が一緒だからかなって思ったんですけど、そのときの帰り道に「君はなんだか知らないけど、何か物凄い“中身が詰まってる”感じがある」って言われて。意味判らなかったけど、「一緒にやりましょうか」って事になって。それから二人で曲作るようになりました。


―― 長かったね。


勇 はい。


―― そこからはどんな活動を?


勇 まずは曲作りが中心でした。どっちかがアイデア出して、僕がそれをまとめて。まとめながら閃いた物でもう一曲作ったりとかで、なんだか無駄に曲数が増えて何やってるのって怒られたり(笑)。要は曲作り中心の生活でした。で、出来た曲は姉ちゃんが人に聴かせたりして、そこから事務所に拾われました。


―― ライブ活動とかは。


勇 無かったです。全部プロになってから。


―― それじゃ不安だったんじゃない?


勇 でも姉ちゃんも自分も変な度胸はあるというか、そのときになればドンドン出て行けるクソ度胸みたいなのありましたから。新島さん(新島正敏。バックバンドのドラマー)からも「お前らみたいのは本当にこの仕事向いてるんだな」って言われたくらいで。


―― 事務所に入ってからCD出すまでは?


勇 その辺は特に変わりもなくでした。普通に働いて、怒鳴られて、場合により蹴り入れられたりパシリさせられたり。


―― ファミレスで?


勇 一部違いますけど。じゃあ、これも順を追って(笑)。

 ファミレスでのバイトは普通に怒鳴られてばかりで、慣れはしますけど、それでもきつかったですけど。でも、怒鳴られてると色んな物が見えてくるんですよね。何て言うか、自分がみんなを代表して怒鳴られてるようなもんで。


―― 見せしめ的な?


勇 そんな感じです。怒鳴られるのは理不尽ですけど、意味あってのことなんだって判って。それでも嫌ですけどね。

 ある日、その無茶苦茶怒鳴る人がメシ奢ってくれたんです。「何か説教かな、嫌だな」って思ってついてったら、「お前、我慢強いんだな」って。ラーメンと餃子奢ってくれながらそんな風に話されまして。


―― へえ、何か人間的な部分を見てたのかな。


勇 そうかも知れません。で、「なんでここでバイトなんかしてるんだ?」って聞かれたんで、「できれば料理を勉強したいんです」って答えたら、その人、少し考えて、「じゃあ、もう少しだな、がんばれ」って。意味不明なんですが。


―― その人なりに考えがあったんだろうね。


勇 無駄ですよね(笑)。

 もう一方のバイトの方も色々あって(笑)、自分はお酒とか料理とか運ぶ係ってつもりでいたんですけど、たまにお客さんが「まあこの子かわいい」って、チップくれるんですよ。


―― 凄いじゃない。


勇 ははは。でも、そこで「あざーっす」ってホイホイもらっちゃいけないんですよね。そういうときはそのテーブルで一番のホストの人に「○○さん、どうしたらいいでしょう?」って助けを求めるっていう。そうやって場の雰囲気を持ってくんですよ。リアルなチームプレイ(笑)。


―― それは独学で覚えたんだ?


勇 空気読んでいればだいたいそんな感じかなって判ります。現場では他にも邪魔にならないような気配の消し方とか、ホストの人がお客さんに気づいてないときにそれとなく促してみたりとか。色んな気の回し方があるんですけど、面倒を避けるのを第一に考えて自分で動いてました。お客さんにウケたりするのも裏方ながらそういう働きが物を言ってるのかなって。

 でもそんな風にウケが良かったりすると、あまり稼げてない人たちの反感買ったりするんですよ。


―― で、パシリだ。


勇 はい。普通に買い物に行かされるだけとかなら良いんですけど、いや、嫌ですけど(笑)、挨拶代わりに「元気かー?」で蹴り入れられたりするのはどうも。でも、やはりそういう世界でもいるんですよ、見ててくれる人って。なんか自分は幸せ者ですよ。

 その人、店のナンバーワンではないんですが、それでも着実に売り上げ作ってる人なんですが、ある日、これまた食事に誘ってくれまして。焼き肉奢ってやるって。自分、実はそのときって焼き肉屋のシステムって知らなかったんですけど、初焼き肉ってことで尻尾振っていきましたね(笑)。

 で、飯食いながら「お前なら良い接客が出来ると思う」って。何かと思ったら、その人、近々独立する予定で、そのときについてこないかって話でした。そのときまだ自分十九だったので直接誘いは無かったんですが、要はホストにならないかと。


―― 行くつもりはあったのかな?


勇 お金になるなら。一応名前ももらったんですよ。「夢咲ケンタ」っての。


―― 夢咲ケンタ! 良い名前じゃない(笑)。


勇 お客様には「夢咲クン」「ケンタくん」で呼んでもらえって。でも、それ姉ちゃんには全否定されましたけど。一緒に曲作ったヤツ、パッケージにして人に配るとき、クレジットどうするかって話になって、せっかくだから自分は夢咲ケンタでって話して。姉ちゃん笑いながら「何それ」なんて言ってたんですけど、自分、二十歳になったらホストになることをリアルに考えてるって言ったら、姉ちゃん、笑いが消えまして(笑)。


―― そりゃ消えるわ(笑)。


勇 でも、そんな悪い道じゃないと思うんですけどねえ。そりゃ失敗した人から見たら酷い世界かも知れないですけど。あと、ある程度上に行くまでは人間扱いされないってのも判りますけど、それはどんな業界でもそうなんじゃないかとも思いますけどね。

 ちなみにそれからです。自分の来し方について色々話すの。


―― 今話したようなことをずっと辿ってたわけだ。


勇 はい、ときに泣かれながら、ときに憤慨されながら(笑)。何で自分のことで姉ちゃんが泣くのかは判りませんでしたけどね。

 ただ、姉ちゃんの周りにもバカな親に潰された子っているようで、そういうの端で見てるのも辛いんだなって、ようやくですけど思いました。

 でもねえ、本人にしてみたら必死にもがいて、その上でなるようにしかならないんだからどんな印象与えようが仕様がない気もしますけどね。

 ただ、「努力が足りない」とか「甘えてる」みたいな頭空っぽなコメントじゃなくて、ただ聞いて、黙って理解してもらえたのはものすごく大きいと思ってますけど。


―― そういう話をするときって、どんな感じだったのかな。


勇 うーん。いつも平日はお互い仕事やら入ってて、そんなに時間とか取れないんですけど。それで、休日とか、アイデア出し合ったりスタジオで音録ってたりしてた時間使って、じっくり話をするようになって。かなり濃い時間だったと思います。

 どっちかの家で時間取って話すんですけど、意外と昔のこととか面白く笑えるように話そうとしても上手く話せないんですよね。感情がそれを邪魔するようで。ときには話してて泣いちゃったりとか、ムキになったりとか。恥ずかしいんですけど。そうやって過去の自分のこと一つ一つ話しました。それで結構気は楽に……なったのかな? (笑)。でも、しゃべってて感情がわき上がってくるような感じって、ちょっと新鮮でした。意外でしたよ、自分が話しながら息苦しくなったり、しゃくり上げそうになるのって。


―― 今まで封印してたものだからかな。


勇 そうですね。こういう「分かち合い」っていうのか、そういうのって治療施設でも行われてるみたいですね。で、姉ちゃん、最初気の毒そうな顔で、途中から憤慨したり泣いたり。自分も泣いたりしてるんで、端から見たら変な光景だったと思いますけど(笑)。そんなある時、「君、あたしの弟になりなよ」って言われて。「じゃあ柿崎ケンタ?」って聞いたら「ケンタいらない」って(笑)。


―― 「いねむりひつじ」(二枚目のシングル)の中に〈君の痛みはわからないけど/君の寂しさはよくわかるよ/君の側にいて〉っていうのはそのときのことなのかな。


勇 姉ちゃんがその詞を書いたのって、その話する前なんですよね。でも、なんだかその後のことを予見してるような内容の詞って多いですよね。変な言い方ですけど、導かれて書いてるような。


―― そのときの話し合いも曲作りとかに影響を与えてるんだ。


勇 はい。それと活動も。そこで姉弟名乗って二週間で事務所に拾われましたから。


―― それでようやくデビューと。


勇 自分が一九の終わりで姉ちゃんが二十三。早いですよね。しかも最初からメジャー。


―― 不安はあった?


勇 特には(笑)。それよりバイト辞めるときがちょっと辛かった。ファミレスは例の怒鳴る人が「がんばれよ」って、珍しく怒らないで普通に声かけてくれたんで、周囲のみんなも驚いてたりして(笑)。ホストクラブはさっきの声かけてくれた人が、改めてまたメシ奢ってくれまして(笑)。まず「がんばれよ」、それと「何かあったら頼ってくれていいんだからな」って。新しいお店の名前入りの名刺をくれました。まだ持ってますよ。ちなみにその店のアニバーサリーの祝いにはお花贈ってるんですが、その度ごとに「生意気だ」と返事もらってます(笑)。


―― 辞めるって事はそれだけ仕事あったんだ。


勇 はい。姉ちゃんがああいう人なのでタレント的な仕事も多いんだろうなって思ったら、自分も含まれてました(笑)。で人前に出るのと、スタジオで音録るのでスケジュールがいっぱいで。でも楽でしたけどね。


―― それまでが大変だったからね。


勇 自分も露出する分、絶対に親に見つかったりしたら酷いことになるって言うのは予見できてたんで、常にサングラスするようになったんですけど。髪も伸びたから別人に見えてると思うんですけど。それに高校時代みたいに喋らないゾンビみたいな佇まいじゃなくて、なんかお気楽な弟キャラで売ってますし。


―― 見つかってないのかな。


勇 多分無いです。事務所にも現場にも何もないですし。人前に出るたびに姉弟アピールしてるから目立ちにくかったのかも知れないですけどね。


―― でもオープンにしちゃったね。


勇 本当、どうしよう(笑)。まあ、今では弁護士の先生や家族問題のカウンセラーの先生がいてくれますから。でも、実はこの分野って、法律は子供を守るようには出来て無くて、何かあったら本当に手間ですけど、それでもやらないとなって思ってます。


―― 出来てないってのは?


勇 法的に親は子供を捨てることが出来るんですけど、子供は親を捨てられるようには出来てないんです。何かあったらリアルに面倒くさいことになるという。で、法廷でもそれまでの経過とか、これまでの虐待や過干渉の経緯とか持ち出すとしても、すんなり手を切って顔を合わさないって感じにはなりにくいんですよ。


―― 実際に親からひどい目にあわされた子達ってどうしてんだろう?


勇 逃げてるんじゃないですかね、見つからないように、それこそ息を潜めて。それと、こういうのって法律作る側もやはり自分の利益考えるだろうし、弱者である子供の側じゃなくて見返りのある大人の側に立つだろうし。なんだかよく子供たちを助けるとか子供たちを守れとか言ってる有名人の人いるじゃないですか? あの胡散臭いオバさんとか(笑)。一度ああいう人に公開で聞いてみたい気がしますけどね。「本当にそう思ってるなら助けてみろよ」って(笑)。「ここにいるから」って(笑)。


―― 「こっちは本物なんだぞ」と(笑)。


勇 「お前、飛び降りたことないだろう」って(笑)。すみません。話し戻してください(笑)。


―― で、デビューして二枚目のシングルがブレイクと。


勇 最初のも徐々に売れてて、最終的には結構な枚数行ってるんですけどね。でも、ちゃんと稼げるってわかって良かったです。


―― その二枚目のシングルが売れてる最中にライブツアーがあって。


勇 テレビの仕事もあったんで結構いっぱいいっぱいでしたけどね。個人的には高一の文化祭以来という。姉ちゃんは大学のときに結構場数踏んでたみたいですけど。


―― 伝説の「ステージで姉弟げんか」というのは、あれは演出なんだ?


勇 半分だけ(笑)。完全に演出なんて、そんな演劇経験者でも無いのにできないですよ。成り行きでああなって、でもその反面良い感じでまとまって、ステージも盛り上がって終わったし。


―― 演奏中に勇気くんの胸ぐら掴んでステージ引き回すのも半分ハプニングなんだ?


勇 はい。弾きづらいから勘弁して欲しかったんですけどね。でも、あれでお客さんが「わ―っ!」となるから便利なんですけど(笑)。


―― でも、演奏は乱れないし。さすがプロですね(笑)。


勇 いやいや(笑)。


―― そしてテレビとかメディアに出始めて、一時期はバラエティ番組でもレギュラー 持ってたわけだけど。


勇 苦手でしたけどね。話に参加するタイミングとかが難しかったり。それに、他の出演してる人たちが、なんかみんな声がでかくて(笑)。みなさん内蔵が強そうなイメージがあって(笑)。自分には無理だなって。


―― うまくやってたように見えるけどね。


勇 司会の仕切り次第です。本当に上手いですよ、ベテランの芸人さんとか。


―― 創作面ではどうだったんだろう。


勇 持ってたもの出すだけって感じだったので、売れた時には「えっ?」って思うことも多々ありました(笑)。あと、姉ちゃんの歌がメインで聴かれる分、バックの音作りには思い切り趣味を持ち込んだんですけど(笑)、そこでポストパンクやレコメン系なんかの引用を指摘する川瀬さんみたいな人がいて(笑)、それまでずっと一人でやってたような分、すごく嬉しかったですよ。「これには気づくまい」なんて思って遊ぶと、CDレビューでちゃんと突っ込まれたり(笑)。


―― こっちもプロだから(笑)。音楽の他、生活なんかも楽になったのかな?


勇 機材が買えるのが最っ高に嬉しくて(笑)。エフェクターのラックみたいなものの他にも小さいもの、録音用のICレコーダーとか買ったりして、ひとりで喜んでましたよ。ICレコーダーはどこ行くにも持って行きましたし。楽譜が書ければよかったんですけどね。


―― 書けないんだっけ?


勇 時間かければ書けますけど。でも、こういうのは書ける内に入らないだろうって。鼻歌録音したほうが早いです。


―― その後は順調に作品のリリースとライブが続いて、大きな会場でのライブや音楽賞の受賞もあったわけだけど。


勇 でもそれだけでは食えないので(笑)。何より作品出せる機会が続いてるのが嬉しくて。


―― 行き詰まりとか、まだ感じないんだ。


勇 全然。逆に行き詰まってる人、連絡下さいって感じです(笑)。楽曲提供させてほしいですって(笑)。


―― 今度、お姉さんが映画に出るようだけど。


勇 元演劇部だそうですからね(笑)。


―― 勇気くんはオファーとかなかったんだ?


勇 ありましたけど、サングラス外すことになるようなので(笑)。それに、姉ちゃんは「借金取りに追われてる住所不定の元OL」って役がありますけど、自分はこれと言った役がないみたいだったので。あと、映画ならテーマ以外にも音楽担当させて欲しいってのはありましたけど、そっちはもう決まってたみたいなんで、今回は残念ってことで。


―― この先について想定してる事とかってある?


勇 うーん。姉ちゃんにくっついて行って、できる限り聴く人がハッピーになれる曲が作れればって。今はそのくらいかと思います。他の件で忙しくなりそうな気もするんで(笑)。


―― そして今後に続くわけだけど、音楽以外のことも聞くインタビューとしてはどうしても触れておきたいことがあって。


勇 お酒ですね? (笑)。


―― 判ってるじゃない(笑)。


勇 はい。色々迷惑かけてますから。自分、悩みは無い方なんですが、これだけはちょっと気になることというか。だから人と一緒には飲まないようにするんですけど、打ち上げとか付き合いで乾杯ってなりますからね。どうしても。ハッキリ言って酒乱のアル中だと思います。


―― ホストにならなくて良かったね(笑)。


勇 はい(笑)。当時は酒なんて飲んでませんでしたし。そんな金あったらCDとか本に使ってます。またはメシ。リアルではそっちのほうが優先でした。


―― 今でも毎日飲んでるんだ?


勇 飲んでます。何でこんなに飲んでるのかって、自分でも疑問に思いながら飲んでますけど(笑)。一度、姉ちゃんに指摘されたのが「飲んでる姿はひたすらウザいけど、楽しそうだ」って。それまで楽しそうに見えることがあまりなかったみたいなんで、新鮮に映ったみたいです。


―― お姉さん、止めたりしてくれるんだ?


勇 以前は。今は結構投げられてますけど。それと、自分でも一応騒ぎになるようなことは辞めようとは思ってます。


―― さっきもあったけど、なんでそんなに飲むんだろう?


勇 自分の感情がハッキリするからかなって、思ったことがあります。また昔のこと持ち出しますけど、「素直な感情」を持ったりすると怒鳴られたり殴られたり全否定されたりってのが小さい頃続いてた分、どんな気分になっても邪魔されないってのが、自分でもいい気持ちなんだろうなって。でもそれで放置自転車をドブ川に投げ込んだり、自分の服燃やそうとしたりってのはやり過ぎですが(笑)。


―― そういう行動はいつもお姉さんが止めてるようだけど。


勇 なんだかストップが上手くかかるんです。腹を割って色んな話を全部聞いてくれたからかなと思うんですけど、何か素直にきけるんですよね。犬みたいに言うこと聞くんで飲み会のときには必ず姉が側にいます(笑)。笑い事じゃないですけどね(笑)。

 ただ、姉ちゃんも自分の酒が飲みたいだろうにって、そう思うと理不尽さを感じてまた暴れたりするもんだから(笑)。


―― 家で一人で飲むときはそんなに暴れないんだよね。


勇 暴れないです。だいたいDVDとか見ながらベースやギター触ってる程度です。アンプ通さないでずっと弾いてるわけで。で、これが気持ちよかったりするんですよね。ときに泣いちゃったり(笑)。


―― なんで人と一緒だと暴れるんだろう。


勇 嬉しいんじゃないかって思います。「思います」って、自分の感情ですけど(笑)。周りに人がいて、嬉しくて、ついはしゃいじゃうという。周りに甘えたがってるのかなって。かまってもらいたくて馬鹿を重ねるという。


―― アルコールのそういう問題持ってる人で、「悪いのはアルコールだ」「アルコールにとらわれるのがいけない」という話があるようだけど。


勇 自分も言われました。確かにアルコールが入って「乗っ取られる」みたいな感覚はありますけど、自分の場合、あくまで何かやってるのは自分なんですよね。アルコールじゃなくて、人格の奥深いところを掘り起こす必要があるって、リアルに思います。

 あの昔の嫌なことをトラウマレベルでまた一つ一つ掘り起こす作業。……うわぁ(笑)。


―― でも必要なことならやらないと。つらくても乗り越えないといけない壁なわけだし。


勇 わかります。どれだけ人に話したりすれば済むのかって、だんだん嫌になってますが。こういう障害を抱えた人たちって、どうしてるんでしょうね。自分は曲作って結構癒されているような部分もあると思うんですけど。


―― 作詞で関わってる曲とか?


勇 曲の方もですよ。メロディやコード感の雰囲気とかで、こう、何かしっくりしない感じを、こう無理矢理メジャーに持って行くとか。徹底的に暗い曲作って、アレンジの段階でめちゃくちゃにぶちこわして別物にするとか。あまり表面には出ない、というか出さないところで色々やってます。姉ちゃんはストレートな詞も書いたりするんで、それが際だつようにアレンジ変えたりフィル入れたりとか。そういう自分の気分とか無関係にやれる部分でも、やりすぎ位を念頭に置いて。


―― たとえば「サザンクロス」は、希望の星だった南十字星を偽物と間違えてたけど「だから何だ?」という曲だし、「ポラライズ」は目に入る風景は全部歪められてたモノかもしれないっていう内容があるわけだけど、そういう曲を作るときって、お姉さんとは話し合ったりするんだ?


勇 しますね。原型見せ合って、どんな感じにしたいとか話して、具体的な詞のフレーズとか話し始めるとそこから大体世間話になるんですけど(笑)、共有はしています。何度かそれで夜中まで話しあった事があって、大抵翌朝にパニックになって(笑)、一時期はメ―ルでやりとりしようかという話もあったけど、基本的に直接話します。人って、直接話した方が通じますしね。話が通じる相手であることが前提ですけど(笑)。


―― これまで発表した作品について、ファンのみんなからも色んな反応があると思うんだけど。


勇 「悩みを共有してください」みたいなメールとかもらいますよ。そういう方相手にするのはその人のためにも良くないんで、正直悩みますけどね。敏感に嗅ぎ取られるんでしょうね、心の闇じみた部分。当然、人には幸せになってもらいたいですけど、「こうなれば解決する」って正解がないんで、こっちもどうしようもないですけど。つらいんですよね、こっちも。


―― でも、今後の活動として、そういう方面に焦点も当たるだろうね。今日しゃべったし(笑)。


勇 ああ……(笑)。でも、やりますよ。さっきも出ましたけど、乗り越えなければいけない壁ですし。



 初日のインタビュー記事をまとめてみて、正直、複雑な気分にはなった。

 取材の終わりに弟は深くため息をつき、それでいながら少しすっきりしたような顔をして「しゃべってしまった」と、一言つぶやいて周囲の笑いを誘った。そして、僕の方を向き、「変な話になって、すみません。派手にやってください」とも一言。

「尾ひれ付けたりするワケじゃないんだから」と返してその場は終わったが、彼が過去に姉さんと話したときもこんな感じだったのだろうか。

 インタビューを録音したテープから起こした内容は、ほぼ網羅している。これはそのまま出して良いものか、少し気になった。そのまま出したら大事になりそうで、少し落ち着かなくなる。

 このインタビューの後、自分でも少し本を読んでみた。児童虐待や家族問題についての専門的な書籍だ。そこで見られたことは柿崎勇気の過去にあったこと、どれも似ているような気がした。小説などで、力のない子供が馬鹿な大人のいいようにされるという話はディケンズの時代から繰り返し見られることだ。でもそれが現代の日本で、ここまで酷い形で行われているとは、素直には受け止めにくいことでもあった。

 自分の育った環境を思い出してみる。自分は普通のサラリーマン家庭の次男坊として育った。兄と父が結構衝突することはあったものの、他にはこれと言った問題がない家庭の出身だ。それこそ問題があるとしたら、自分が大学卒業後に入った不動産会社を一年で辞め、学生時代から続けてた音楽記事の執筆で生計を立てる、それこそ音楽ライターという不安定な職種に転じたときに少々あったくらいである。先に不動産業界で働いていた兄からは「馬鹿か?」の一言で切り捨てられ、父からは勘当の宣告を頂いた。だが、母はその後も何かと連絡をくれ、ときどき仕送りもしてくれる。当然父には内緒で。申し訳なく思いつつも、こういうフォローに応えたいと思う分、仕事への意識や人との関わりに自覚というか責任のようなものをより重く感じ、それが今の自分を支えている一つになっていると思っている。そして、そういう関わりを持てる理由になるのが家族や親族といったものではないだろうか。

 でも、今言ったような書籍などで目にした世界では、そのような信頼や繋がりはない。柿崎勇気の話にあったような、一方的な暴力があるだけだ。肉体的、精神的問わず繰り返される理不尽さの果てに、何が残るのだろうか。

「“お前が言うことを聞けばいいんだ!”というのが、アイツらの基本姿勢ですからね」

 柿崎勇気は、両親についてそう言っていた。それが本当なら、もう相互理解なんて無理な話だろう。

「本物の馬鹿だから、本当にわからないんですよ」

 そうかもしれない。そして、そんな問題を抱えて息を殺している家が、この世界にはまだまだあり、自害や自傷を選ぶ子供たちが後を立たないのかもしれない。

 机の横に積まれたCDの山から、ラブリー・デイのアルバム「キャッツ&ドッグス」を引き抜き、コンポにセットする。軽快に流れだすピアノの音を聞きながらジャケットを眺めると、偽装姉弟の姿があった。猫耳のカチューシャをつけた姉、犬の鼻のマスクをつけたサングラスの弟。

〈歌え猫たち!/騒げ犬たち!/人間ども立入禁止解放区へおいで!〉

 明るく響く歌声を聞きながら、メーラーをを立ち上げてメールを作成する。

 遅くなったが、初日のインタビューがまとまった旨を「ヒューマンノイズ」山木さんにも報告する。しばらくして「どうだった?」と返信が来たので、「色々と抱え込んだ、濃い内容になりました」と返した。内容については当然触れない。

 これらの話を踏まえた上で、姉の方にはどんなアプローチをするべきか。弟のことは一度置いておいて、まずは人間・柿崎愛としての話を聞くのが道理だろうが、それだけでは終わらないような気もしてきた。

 事務所のマネージャー、北野さんに、まとめたインタビューの第一稿を送る。事務所でのチェック後、OKを待って正式な記事となる。それを待つ間に、次のインタビューの準備をすることにした。姉・柿崎愛についてのインタビューだ。事前に集めた過去の雑誌記事やネットで拾った記事を読みながら、不安がこみ上げてくるのを感じた。この前の弟の話、どうやって次の姉のインタビューにつなげるのかと。姉は姉で普通に聞いてしまえば良いような気もするが、弟の生活にかなりな影響を与えているのはすでに解る。では、姉は姉でまた別の問題を抱えていないかというと、それもはっきりとはわからない。

 とりあえず考えられるテンプレート的な質問をいくつか準備し、彼女が書いた歌詞を読むべくCDのブックレットを手にする。日頃接するときの、心地よさとともに耳に流れ込んでくる言葉の数々に、何かを隠しているような影はあまり見当たらない。深読みしようと思えばいくらでも出来る物だが、多少の影を感じたとしてもポジティブさへと昇華される歌詞は、生きることの喜びを全肯定している力強さに溢れている。それでも何度も読み返し、影の意味を探る。何の根拠もない宝探しをしているようで、少し自分が滑稽に思えた。



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