旦那様、照れる(2)
うなー、初恋でござるー
衆道とは戦国の世では当たり前に行われていたらしい。
つまりは殿方と殿方のあれだ。
戦国の世では当たり前だが戦が絶えない。
当たり前だが戦場に幾度と無く訪れなければならない。
侍は戦が仕事である、戦場には行かなければならない。
大きな戦、小さな戦規模にもまちまちあれど戦は一日二日で終わる様な事は少ない。戦は長引く。家族と離れ、故郷を離れ、心寂しい時も有るであろう。
人肌恋しい時も有るであろう。
しかし戦場は女人禁制である。そこで心を慰めるために生まれたのが衆道である。
多くの武将は戦場に小姓を連れていき、その身で我が身を暖めたという。そしてその小姓たちは成長しその武将の側近となる。
逢瀬を重ねた相手、体を重ねた相手、愛しき同衾の相手を武将たちは信用し、大切な仕事を任せる。
取り立てる。
そのため衆道は出世の手段でもあり、その技は男女の物より奥深く、巧みで、美しいと聞く。
衆道。
道太郎様と衆道。はっきり言ってこれほどしっくりくる組み合わせが他にあるだろうか?
一人濡れ縁で茶をすする。
道太郎様は道場に出かけられた、皆は客人を迎える用意で忙しい。
私はこの家に来てまだ日が浅く何の役にも立たない。むしろ居るだけ邪魔、なので一人、縁側で茶をすする。
衆道かー、なるほどこれで合点が行く。
道太郎様はこの様な嫁でも納得している理由が良く分かった。
つまりは嫁など居ればいいのだ。誰でも良いのだ。
年増だろうが、醜顔だろうが、生まれが卑しかろうが、何でも良いのだ。
どうせ美しかろうが若かろうが興味がないのだから。
何を勘違いしていたのだろう、私を嫁として欲しがるなど、何か理由がなければ有る筈の無いことではないか。
屋根を同じくしても、手一つ握らない道太郎様は私に不満が有るものとばかり思っていたが、とんだ勘違いだ。
興味がないのだ私など最初から。
生き恥さらして最後がこれか。
この様なことならあの時とっとと死んでいれば良かったのだ。馬鹿な女だ。今となっては死ぬこともできない、私が自害すれば佐治の家に迷惑がかかる。
死ぬこともできず、とは言え生きている気もしないが。
何もない女なのだな私は、最後の最後まで何もない。有るのは死んでいった夫たちとの思い出だけ、まるで夫婦とは呼べない、夫婦の思い出だけ。
ふ、はははは、滑稽すぎて涙も出ないではないか。
茶をすする。
まるで隠居ではないか。
ははははは、笑えてくる。
涙も出ない。
「泣いておられるのですか?」
驚き、声のした庭を見る。
そこには美しい侍が一人立っていた。
年の頃は三十程だろうか、背が高く、広い肩と胸板。
青白い美しい着物と漆黒の袴。
美しく結われた髷には後れ毛一つ無く黒々と輝き、そのかんばせは高い太い鼻と切れ長の目が大きく太いが整えられた眉は凛々しい。
「泣いておられたのですか?」
声は太くそして優しい。
「泣いてはおりません」
「でも涙が」
自分の頬を手で触れ濡れている事に気が付く。
泣いていたのか、そうか。
「泣いていたようです。お恥ずかしい所をお見せいたしました。お許しください」
頭を下げる。
「いえ、人は生きていれば、知らないうちに涙が零れる事もあろでしょう。喜びは何か一つのきっかけで容易く壊れてしまいますが、悲しみは波の様に一度引いたかと思ってもすぐに押し寄せてくるものです。
それに涙は恥ずかしい物では無いでしょう? 赤子だろうが老人だろうが高僧だろうが夜鷹だろうが涙は流れます。
自然なことです。
生きているのですから、生きている証です」
にっこりと優しく、そして力強く微笑まれた。
美しい笑顔、道太郎様とは違う生命力に溢れた美しさ。
大人の殿方だけが持ち得る美しさ。
泣いている事は生きている証。まだ私の心は生きているらしい。
嬉しい様な、気恥ずかしい様な、でもまだ生きたいと私の何処かが思っていてくれている事は何か清々しい。
「ありがとうございます。お心遣い感謝いたします」
頭を下げる。
「いえ」
庭の殿方も頭を下げる。
「それに…………」
庭の殿方が頭を上げ、私の目を射ぬくように見た。
その瞳の黒い所は澄んだ様に黒く、白い所は濁ったように真っ白だ。まるでとても高価なビードロを見ているようで美しい。
「それに?」
「それに貴方がさめざめ泣かれている様は、とても美しく感じました。
貴方の涙、貴方の在り様はとても美しい。
叩きつけ砕け散る寸前の瑠璃杯の様に、
戦場で今まさに散りゆく敗戦の将の様に、
燃え尽きる寸前の蝋燭の炎の様に、儚く、力強く、鮮烈で美しい」
あ、心の奥の鐘が鳴りそう。
「私は色々な方にお会いしましたが、貴方ほど美しいと思った女の方は居ません。
貴方は美しい。
やはり佐治様の御屋敷、お伺いする度に美しいものが増えております」
ああ、心の奥の鐘が鳴ってしまいそう。
「申しおくれました。わたくし、幽玄刹那丸と申します。以後お見知り置きを」
よし! 心の鐘は鳴らなかった。
その代わりに、淡く、罪深き恋心が砕け散る音がした。
ガラガラガラガラ、ガラガラガッシャン。