旦那様、照れる
新しいお話でござる―
目を覚ますと道太郎様は濡れ縁に立ち、軽く腕と手を広げ、少し俯き、朝日を浴びて輝いていた。
全裸で。
何をしているのだろう?
何かの宗派の儀式的なものなのだろうか?
時折肩が、腰が、太股がピクリと痙攣するように小さく小さくはぜるが全体としては動きは全くない。
白い道太郎様の肌に朝日が当たり、まるで質の良い象牙でできた観音像の様だ。
美しい。
この世のものでは無いという言葉はこの光景、この人の為にあるように思える。
背骨の縁が浮き出た背中が少しづつはぜる。
下から上へ。
最後に両肩がピクリとはぜて道太郎様は両手を下げる。
「おきられましたか?」
美しい声、可愛らしさと力強さが共存する不思議な声。道太郎様の声。
「……はい」
野暮ったい声、少し低い少しかすれた声。私の声。
嫌になる。
「着物を着たいと思います。手伝っていただけますか?」
「……はい」
立ち上がり着物を出す。
全裸なのだ早くしないと。
道太郎様は両手を下ろしたまままだ濡れ縁に立っている。まずは下着を、そして着物を、最後に袴を履いてもらい腰の物を渡す。
道太郎様は脇差しを受け取り初めて私を見る。
道太郎様の美しいかんばせを今日初めて拝見する。
美しい。
本当に美しい。その顔に表情はなく、その瞳には感情はないが造形物としてこれほど美しい物がこの世に有るだろうか? 私は知らない。
道太郎様が私の顔を見ている。見下げている。なにを考えているのだろうか? 私の顔を見みて何を考えるだろうか? この様な嫁、年増の嫁、美しくない嫁、何を考えているかは分かるではないか。
後悔されているのだ。
この様に美しい人間の嫁に見合う私では無いことは私が一番分かっていることではないか。
いけない涙が出そうだ。
「紅」
「は、はい?」
「嫁御様は紅を引かれないのですか?」
年増なのだ紅ぐらい引いて少しは若く見せろということだろうか?
「まだおきたばかりなので朝の用意ができておらずすいません」
頭を下げ顔を隠す。
「いえ、昨日もその前も紅を引いておられませんでしたが、紅はお嫌いですか?」
紅が嫌いか? 好き嫌いではなく紅など引く状況になった事が無いだけだ。
ここ何年かは前の旦那様を育てる為に紅など引く暇はなかった。
紅など引いても「口が赤い」と怖がられるだけであったろう。その前は大殿様の世話をしていて朝も昼もない生活だったのだ、紅など引く余裕は時間的にも精神的にもなかった。
「紅を引いた方がよろしいですか?」
「いえ、嫌いなのなら良いのです」
「嫌いなわけではないのですが、持っておりません。不作法をお許しください」
低く低く頭を下げる。これぐらい頭が低ければ不作法も許していただけるだろう。
「…………気になっただけなので」
道太郎様は濡れ縁から庭に下り歩いて母屋に向かわれた。
私は頭を下げたままそれを見送る。
頭を上げる。道太郎様は私に紅を引いて欲しいのだろうか? 私など紅を引こうが引くまいが大した違いはないのだろうに。
ため息が出る。
「今日、幽玄様がご挨拶に見えます。みなさん粗相の無いように」
朝食の最後に夕夜様が皆に声をかける。
「幽玄様!」
お七が声を上げる。その顔は少し赤く上気していた。
「いつ頃見えられるのですか? お昼頃? それとも夕食を食べていかれるのでしょうか?」
矢継ぎ早に夕夜様に質問するお七。
顔が少し緩んでいる、楽しみなようだ。
「お七、そんなに興奮しなさんな。
幽玄様はお昼頃見えられて今夜お泊まりになられます。
布団の用意と客間の掃除を念入りにお願いします」
お七のさまを見て夕夜様ニヤニヤと笑う。
幽玄様、どの様な方なのだろう?
「夕夜様」
「何でしょう暮葉さん」
「私はこの家に嫁ぎ日が浅いため幽玄様がどの様なお方なのかを知りません。失礼とは思いますがどの様な御仁なのか教えていただけませんでしょうか?」
「そうですね、今晩お会いする前にお話しておいた方が良いでしょう。何も知らずに初めてあの方に会うと驚かれるかもしれませんし」
「驚く?」
「ええ驚きますよ~」
お七の顔がいやらしい。
「幽玄様は念道家です」
「念道?」
「はい念道を通しこの世の心理を探る方です」
聞いたが何がなんだか分からなかった。
なんだ念道? 何か武術だろうか? それとも華道や茶道の様な物なのだろうか?
「念道とは」
夕夜様様がいやらしく笑いながら口を開く。
念道とは?
「衆道のことです」
し、衆道!!