枕語り(2)
プロローグはここまででござる―
大名、旗本、御家人この三者には明確な違いがある。
それは石高。
10000石から大名、千石から旗本、それ以下は御家人。
5000石の旗本は裕福である。
旗本大名、そんな言葉がある。旗本でありながら暮らしは大名並、いや小大名よりも贅沢で豪華だ。それには二つの理由があり一つは三斤交代、二つ目は領土直轄だ。三斤交代には莫大な予算がかかり、領土直轄にも莫大な予算がかかる。それを大名は自前で用意せねばならず、その義務がない旗本のほうが裕福になる。当たり前といえば当たり前だ。
同じように1000石の旗本よりも900石の御家人のほうが裕福である。旗本は家臣を雇わなければならない義務があるが、御家人にはその義務はない。
つまり小の大は強く大の小は弱い。
私の新しい縁談の相手はそんな小の大、850石の御家人の家の当主であった。
佐治家。
御家人。
石高850石。
御上から与えられた役職はない、無役だ。
つまり働かずとも毎年お給金が御上から頂ける裕福なお家だ。
当主は佐治道太郎、16歳、剣術の腕に長け、昨年行われた上様御前試合では18人を倒し、一度も負けなかったらしい。
しかし役職はない。
それだけ活躍すれば石高の増量と良い役職を与えられそうなものだが?
有名な神田の三岳道場で敵う者無しと言われるほどの剣客、何故私などを欲しがるのだろうか?
佐治家からの使いは夫の死から二月後、月命日の8月8日、いきなり私を訪ねてきた。私はこの縁談何度も手紙でお断りしていたので、先方もあきらめたものと勘違いしていた。
そう、勘違いしていたのだ。
佐治家の人間が直に訪ねてきてしまった。
訪ねてこられたのだ、会わなければならない。それでなければ失礼になる。私は貧乏公家の娘で、この家では後家。すでにやっかいな居候でしかないのだ。その私が来客を断ることなどできない。
お会いするしかなかった。
座敷に通されている客人に失礼が無いように私は化粧を整え、髪を整え、座敷にむかった。
そこにいらっしゃったのは奇妙なお方だった。
奇妙、奇妙と言うのは失礼だが奇妙としか表現できない。
そのお方は女性だった。前髪は目の上でそろえられ、上げてはいない。髪は肩ほどでそろえられ、結ってはいない。
3つ4つの童女のような髪型。
小さな体には紫色の振り袖、袖には綺麗な薄紫の藤の花。帯は黒色で鹿皮を漆を塗ったかのような光沢。
そして美しい顔、青磁のように肌は青白く透き通るよう、目は切れ長で大きく、鼻は高く、唇は桜のような鮮やかな薄紅色で本当に美しい。
私はこんなに美しい顔の形を初めて見た。しかし、これだけでは奇妙ではない。これではただの美しい童女だ。
でも、この方は童女ではない。
この方の奇妙な点はその色気だ。
女の私でも感じる色気、決して童女では出せない色気、失礼ではあるが、まるで超一流の遊女のようだ。
歳は20歳位だろうか? 私より年下に見える。私にもこのような色気があれば私の人生も変わっただろうか? いや、15の時に遊郭に売られていただけだろう。つまらない考えは止めよう。
使いの方は私に頭を下げた。
優雅に本当に優雅に頭を下げた。
〝頭を下げる〟この動作はこんなにも優雅になるものなのだろうか?
私は驚きながら下座に座った。使いの方は優雅に、無言で、指をそろえた手のひらで上座を指した。私は促されるままに上座につき直した。
「わたくし、佐治道太郎の母、夕夜と申します。暮葉様にはご機嫌麗しく、超越至極にぞんじます」
母上? そんなはずはない。道太郎殿は16、この方はどう見ても20前後、歳が会わない。先代の後添様だろうか?
「私は貴方が気に入りました、当家にいらっしゃいな。貴方なら道太郎様もお喜びになりましょう」
なにを言っているのだ、気軽に当家に来いなどと、私がどのような女か知っているのか?
何人もの男に嫁ぎ、その全てを死なせ、生きる気力もなく、その上25を過ぎたの大年増だぞ。
私は怒りと驚きで言葉を発せずにいた。
「貴方はお美しい、外見も中身もとてもお美しいです。
私は美しいものが大好きです。
私は貴方が欲しくなりました。
道太郎と並べばさぞ美しいでしょう。
道太郎のことはきっと気に入ります。
道太郎はきっと良い夫になるでしょう。
私も母でなければ道太郎に嫁ぎたいくらいです」
夕夜様は優雅に手で口を隠し笑った。
「私は25を過ぎています。歳が合いません。それに子供も生めるかどうか分かりません。道太郎様に失礼に当たるので、今回のお話はお受けできません」
歳の話を出せば引き下がってくれるだろう。歳の差は事実で子供も生めるとは思えない。
夕夜様は優しくにこりと笑いおっしゃられた。
「歳は気にしないでください。
私も35になりますが、15の頃と何か変わったことはありません。
貴方は十分に美しい、それで結構。
子供は生まれなければ側室を貰います」
何人かアテがあるから、そう言って笑った。
35? このお方が35?
あり得ない。子を産むための嫁に産まないでも良いなどと、あり得ない。
裕福とは言え御家人の身分で側室など、あり得ない。
あり得ないことだらけだ。とても信じることは出来ない。
この方は何を言っているのだ、私を騙し何をしようと言うのだ、私をからかい何の利が有るのだ。私の中に強い憎悪と怒りが渦巻く、私を、私の中の夫達を愚弄する気か!
「怒った顔も美しい!
これは想像以上!
とても素晴らしい!
こうしてはいられません!
その怒り収まらぬ内に道太郎に会わせなければ!
あの子は必ず貴方を気に入るでしょう!」
「ふざけるな!!」
私は立ち上がり怒鳴る。
立ち去ろうと一歩に踏み出したところで、右腕の手首を左腕で捕まれた。
「さぁ、参りましょう」
手を引かれる、手が、いや体全体が意のままに操られている。痛くはない、痛くはないが体が私の体なのに私の言うことを全く聞かない。
手を引かれそのまま部屋を出る。
門まで手を引かれ、駕籠に乗せられる。
私は駕籠に乗っているが、夕夜様は手首を握ったまま駕籠の横を走っておられる。
程なく駕籠が止まる。
また手を引かれ知らない屋敷の中に入っていく。
連れ込まれる。
そのまま座敷まで連れて行かれる。
そこで見たものは、女達であった。
14、5歳の女達が三人、一人の女を囲むように座っている。
真ん中の女が立っていて、着物の袖を広げこちらを振り向くようにシナを作っている。
美しい。私は立っている女を見てそう思った。
この世の何よりも美しい、そう思った。
満開の桜を見たときのように、中秋の名月を見たときのように、一面の彼岸花を見たときのように、これ以上美しいものは無いと思わせる圧倒的な美。私は今この世で一番美しい人間を目の前にしていると感じた。
私は中央の女性に目を奪われていた。
「あら、今日はお稽古ではないはずでしょう。みなさんどうしたのかしら」
夕夜様は少し棘のある言い方で女性達に問いかけた。
「すいません、でも今日新しい着物が仕立て上がったので見ていただきたくて……」
座っていた女の一人が弁解する。
まだ少し幼さを残す顔立ち、着ている着物や髪飾りを見るとこの女の家の裕福さが分かる。武家ではないが、大きな商家の娘であろう。
「私がいない間に家に上がり込み、その着物を道太郎に着せて喜んでいたのですね。貴方達はまったくどうしようもない、お父様方が聞いたらどのような顔をなされるか分かっていらっしゃるの? ここには通えなくなりたいのですか?」
女達はうつむき泣き出すものもいる。いや待て、今何と言った?
「道太郎、お嫁様をお連れしました。さぁ挨拶なさい」
立っていた女が私の前に座り頭を深々下げた。
「佐治家当主、佐治道太郎でございます。不束者なれどなにとぞ御指導、御寵愛のほどをお願いいたします」
女ではないか! 女に嫁げと言うのか! ふざけるな!
「道太郎、着替えてらっしゃいな。そのような格好では当主として示しがつきません。着物は少し落ち着いた物を、剣胴着はいけませんよ、貴方はあればかり着ようとしていけません。あれほど無粋な着物はありませんよ、お嫁様に失礼に当たりますからね」
はい。そう答えて道太郎と呼ばれた女は奥に下がっていった。
「お玉、いますか」
「はい! ここに!」
座敷の先に見える庭から力強い可愛らしい声がした。植え込みからひょっこりと12、3歳ほどの少女が顔を出す。幼く可愛らしくそれでいて生命力に溢れる力強い笑顔。
「お客様です。お茶を持ってきてください」
「かしこまりました! お幾つお持ちしましょう!」
「三つで結構、いたずら好きの娘さん方はお帰りになります」
「はい!」
お玉と呼ばれる娘は小走りに庭を出ていった。
「さぁ! 貴方達はお帰りなさい。このことはお父様方には内緒にして置いて上げます。このようなこと、二度としてはいけませんよ」
娘達は渋々挨拶をし、部屋を出ていった。三人が三人も私のことを恨めしそうに睨みつけながら。
「全く姦しい、ごめんなさい。私の生徒達なんです。私はあの子達のような娘さんに行儀作法や着物の選び方、殿方が好きな仕草などをお教えしているの」
けっこうお金になりますわよ、夕夜殿はいやらしい顔で言った。
「私は帰ります。貴方の戯れ言にこれ以上お付き合いはできません。失礼致します」
夕夜殿がいやらしげに笑う。
「勘違いなさらないで、道太郎は男ですのよ」
は! 何を言っているのだ! 正真正銘女であったではないか! この後に及んでまだしらを切る気か!
「女でした」
「いや男です、ここに今道太郎が来て証明しますからお待ちなさい」
「いやその必要はございません、女でした。私は女に嫁ぐつもりはありません」
「…………男性になら嫁いでも良いと?」
「そういうことではありません」
襖を開け人が入ってきた。
白い足袋、白い袴、白い着物、異様な出で立ちの御仁は先ほどの女、道太郎と呼ばれた人物だった。
「道太郎何ですかその格好は!」
夕夜殿は驚きのけぞっている。
「母上が胴着は駄目だとおっしゃったので、私が所有している一番格式高い着物を選びました。死装束です」
異様だ、何なのだこの人は。
「ま、まぁ良いでしょう、道太郎、着ているものを脱ぎなさい」
何なのだこの人たちは。
道太郎と呼ばれた人物は立ち上がり、スルスルと死に装束を全て脱ぎ、全裸になった。確かに女じゃなかった。男性だった。体は男性にしては華奢だが女の体とは全く違っていた。
「当主の裸を見たのです。嫁いでもらいますよ~」
夕夜殿はいやらしい顔で笑った。