悪老日記 Withお玉(完)
幽玄刹那丸さんは、なにげに三岳門下なのでござる―
「まって! まってくださいようぅ!」
「儂に追いつけるかなお玉ー」
お玉です。私は今、走っています。
朝奥様から道太郎様に朱色の着物を届けてほしいとお使いを頼まれ、お使い! 楽しい! なんて気楽に三岳先生の道場にお使いにいったら、三岳先生に着物を奪われ、今、街中を逃げる先生を全力疾走で追いかけています。
三岳先生は私に追いかけられるのが楽しいらしく、ぎりぎり、追いつけない速さで走ったり、私がつかれて走る速度が落ちると、立ち止まって、
「ほーれ、着物はここじゃ、ここじゃ」
と、おちょくってきます。
つんつるてんの朱色の着物に、まったく色味があっていない青と白の浴衣帯。頭はまげを結っておらず、まっ白でボサボサ。足は裸足で腰には私から 奪い取った木刀をさしているだけ。
完全にボケている老人です。
それを必死で追う私を、街行く人々は好奇の目で見て、クスクス笑ったりしています。
あのじじい、絶対に許さない。
絶対にお高様にちくってやる。
私はお高様に烈火のごとく叱られる三岳先生の姿を想像し、それだけを心の支えに朱色の着物を追いかけます。
そんなこんなで結構道場から離れたところまで走らされてしまいました。三岳先生は生き一つ乱しておらず、いつもの軽薄な笑いを浮かべた口で本当に腹がたちます。
「ぜ、ぜんぜい、ぎもの」
「は? お玉、まずは息を整えるのじゃ。何をいっているかわっからんわーい」
今日四度目の殺意がわいた時、先生が大きなお屋敷の前で立ち止まりました。
好機! 私は最後の力を振り絞り、先生に飛び掛かります。
「ぎものを、かえぜ、どろぼぶ!」
先生は私の頭を掴むと、くるんと一回転させ、地面に腰から落とします。
「静かにするのじゃお玉、ここはお前のような町人が騒いでいい場所じゃないわい」
こんのー! 誰のせいで大きな声とか、あげてると思ってるんですかー!と、叫ぼうとしたら、ムギュッと首根っこ掴まれ、声が出せないままお屋敷の中に引きずり込まれました。
たすけてー! お高様ー!
お屋敷の中は騒然としています。
「なぜ三岳先生が!?」
「佐治殿ではなかったのか!」
「まて! これでは話が違う!」
みなさん大わらわで、それを見て、三岳先生はまた悪い笑顔を浮かべています。
「おう、どうしたのじゃ! 約定どおり朱の着物を着てまいったぞ! 早く太刀合いの用意をいたせい!」
太刀合い! 今から戦うんですか!? 先生は刀持ってないですよね!? すごく帰りたいです!
玄関から勝手に入り、廊下で叫びまくる三岳先生の横で、とんでもないところに来てしまったと後悔してしまいます。
ずいずい勝手にお屋敷の中を進んでいく先生、取り残されると何されるか分からないので、不本意ながら、先生の袖を握りしめ付いて行きます。
「なんじゃお玉、怖いのか?」
「怖いです! そしてこんな怖いところに連れてきた先生を怨んでいます!」
「お前に恨まれたところで痛くも痒くもないのじゃ」
「お高様にちくります」
「おま! やっていいことと悪いことがあるのじゃ!」
焦る先生を見て、少し気が落ちつけました。今まで緊張で、回りが見えていなかったのですが、よく見るとこのお屋敷、人が多いです。きっと大名様かおおきな旗本様のお屋敷だと思います。
いらっしゃるお侍様たちも、お若いかたが多いように思います。
みなさん先生の登場で、焦るだけ焦りまくって走り回られています。
「先生! なぜにこのような!?」
呼び止められて、先生が振り向くので、一緒につられて振り向くと、
「幽玄様!」
きらっと男前の幽玄様が本当に困った顔をして立っておられました。
「おう刹那丸、とりあえず茶を用意せい」
後食い物が欲しいという三岳先生を、幽玄様が座敷に連れていきます。もちろん私もついて行きます。
三岳先生は座敷の通されると、さも当然のように上座に座られ、幽玄様に用意してもらったおはぎを両手に抱えもっしゃもっちゃ食べ散らかしています。
おはぎ食べられてよかったですね先生。
幽玄様の元には、ひっきりなしにお侍さまが現れ、耳元で何かを伝えたり、指示を仰いだりしています。
私は出していただいたお茶をすすり、おはぎを一ついただこうかとお皿に手を伸ばすと、「ふみー!」と猫のように奇声をあげる先生に威嚇されてしまったりしています。
幽玄様が先生のほうをむき、深々頭を下げます。
「三岳先生、今日の所はお引き取りいただかないでしょうか」
「い、や、じゃ」
「そこを押して、」
「ぜったいに、い、や、じゃ」
「そこを、」
さすがボケ老人、引きません。
幽玄様のお顔がどんどん青白くなっていきます。
「で、刹那丸。お前は儂の敵か? 味方か?」
口の周りにあんこをべったりつけた三岳先生が、視線だけ殺せる目つきで幽玄様を睨みます。
幽玄様は少し顔をあげて、先生の視線を受け、その美しいお顔が、群青色と変わらないほど青く染まります。
「それがし、先生に弓引くことなど決して! 決してございません!」
「それなら早う太刀合いの用意をいたせ。盟約どおりこちらは切られた血が分からぬように朱色の着物を着てまいったのじゃぞ」
「しかし、せんせ……」
「早う」
「は!」
幽玄様はしゃきーんって感じて立ちあがり、小走りで咲き気を出ていきます。
先生はつまらなそうに、またおはぎを砲張ります。
「先生、虐めすぎじゃないですか? 嫌われますよ、今以上に」
三岳先生は、ふん、と鼻で笑い、
「お玉、この太刀合い、本当は道が来るはずじゃったものでな、なに、つまらん男と女の気持ち悪い話なので、儂がきた」
と、吐きっ捨てるようにおっしゃいました。
先生、話をかいつまみ過ぎて、全然内容が分かりません。て、顔で先生を見ると、本当につまらなそうに説明してくれました。
「今回の話はな、まず果し合いありきなんじゃ。
ある男が上役の娘と懇ろになっての、二人して駆け落ちしたのじゃ。
二人は江戸にあがって士官の口を探した、まぁなかなか無いわな。それで男は仕官を探しながら浪人となり、女は男を支えるために内職、まあよくある話じゃ。
まぁこの話のくだらないところはここからじゃ。
そのまま数年たち、男に仕官の話がまい込んだ。男は喜び、仕官の話を持ってきた侍の家に挨拶に行ったのじゃ。そしたらどうじゃ、仕官を進めた侍の横には、一緒に駆け落ちしてきた女が座っておった。
女と侍は共に頭を下げ、二人の仲を認めてほしい。
自分たちは愛し合っている。
なに、ただでとは言わない。
どうぞ、仕官をお受けになってください。
下品な話じゃろ?」
そこまで話すと三岳先生は、お茶をずずっと下品極まりなくすすります。
「まぁ男は激怒激怒で、女に問い詰めた。
お前が一緒にいたいと、あなたにどこまでもついていくといったから、二人して国元から逃げたのではないのか? 自分と過ごしたこの何年かはなんだったのか?
女はただただ、すいません、すいませんと誤っていたそうじゃ。
そして最後に一言、もう疲れてしまいました、といったそうじゃ。
男は仕官は受けない。二人の中も認めない。といい、女の手を引き帰ろうとした。
侍は最初男をなだめようとしていたが、そのうち、
今まで仕官できなかった男の責任。女に苦労かけるとは何事か。自分なら幸せにできる。女のことを愛しているなら、幸せにできる自分と一緒になることを喜びこそすれ、激怒するとはお門違い。
なんて小さき男か。
と、罵ったそうじゃ。
まぁそこからは売り言葉に買い言葉、それじゃ果し合いじゃとバカな話になっての、それでお互い、愛する女に血を見せるのは忍びないから朱色の着物を着て討ち合おうと決めたそうなんじゃわ。
それでその果し合いが今日この屋敷で行われるってことになっとる」
三岳先生はここまで話し終わると、お茶を飲もうとして、自分の湯飲みにお茶がないことに気がつき、私から湯飲みを強奪すると、一気に煽り、ごろんと横になります。
なるほど、本当に他人にはどうでもいい、しかし本人たちには死活問題なお話でした。
朱色の着物の意味も分かりました。
でも、今までの話で、三岳先生も、道太郎様も、幽玄様も関係なくないですか?
なんで道太郎様が果し合いしなくちゃならないのですか? なんでそれを先生が変わったりしなくちゃならないのですか?
「先生、」
私が疑問をぶつけようと、三岳先生に声をかけた瞬間、がばっと障子が開きます。
「太刀合いの準備整いました。三岳岳三殿、こちらへ」
お侍さまがそう告げ、先生はよっこらしょと起き上がり、私もここで一人待っているわけにもいきませんのでついて行きます。
「こちらです」
案内された先は中庭でした。
三岳先生は用意された陣幕の前まで進み、その場でしゃがみこみます。
私はその横になっています。
「こちらが椎名芳郎殿です」
「今日はよろしくお願します」
30歳ほどでしょうか? 少しやせてるお侍さま、椎名様が、先生に頭を下げます。
「お玉、これが寝取りの間男じゃ」
三岳先生が椎名様を指さし、そういうと、お庭にいる全員が凍りつきます。
「そしてあれが寝取られた間抜け男じゃ」
馬鹿にしたように、相手方の陣幕にいらっしゃるこちらも痩せたお侍さまを指さし、なぜか先生は手を振ります。
もちろん相手方は無視です。
「つまりは間男も間抜け男も果し合いじゃ! なんて言っても刀握る度胸もなく、それぞれ代理人を立てて立ち会うことになってわけじゃ。
本当に二人とも金玉ついてるのか疑わしいもんじゃ。
まぁ、よくあることなんじゃがな」
そういうと三岳先生は立ちあがり、腰に差している木刀をゆらりと抜きます。
「それじゃ、一踊り、舞わせてみようかの」
ゆらり、ゆらりと陣幕から離れ、庭の中央に立ちます。
反対側の陣幕から朱色の着物を着たお侍さまが出てきました。
「幽玄様!?」
思わず声が出てしまいました。朱色の着物を着て、青を越えて黒に近い顔色をした幽玄様が、膝を生まれたての小鹿のようにカクカクさせながら、三岳先生の前に進み出ます。
「刹那丸、お前も難儀な生き物よの」
「……三岳先生、できるなら、苦しまないよう一瞬で殺してください」
幽玄様がカクカクしながら刀を抜き、三岳先生はつまらなそうに首をボキボキと鳴らします。
果し合いが始まってしまいます! 幽玄様と三岳先生、どちらも私の知っているかたで、私は幽玄様も三岳先生にも死んでほしくありません! 特に幽玄様には死んでほしくありません! いつもお家にいらっしゃると、私やお母さんにとても優しくしてくれる幽玄様。ああ幽玄様死なないで。先生は結構どうでもいいです。
『はじめ!』
掛け声がかかった瞬間。三岳先生は木刀を幽玄様にふわりと、渡すように、投げました。
幽玄様はいきなりのことで焦ったのでしょう、刀でそれを乱雑に払います。
その刹那、三岳先生が踏込み、幽玄様の顎を拳で軽く殴りつけます。
ゴチ。
骨と骨とがぶつかる音がして、幽玄様が土下座をするように崩れ落ち、膝をついて首を垂れます。
しーん。
あまりに一瞬のことだったので、果し合いの場となった庭が静まり返ります。
「卑怯ではありませんか!」
しーんと静まり返ったお庭に、声が響きます。
声のするほうを見ると、さっき先生が『寝取られ間抜け男』と罵ったお侍さまが顔を真っ赤にして怒っています。
「ふぃ~きょ~う~?」
三岳先生がぎろりと相手陣幕を睨みつけると、その悪鬼のような顔に恐れおののいたのでしょう。またお庭はしーんとなります。
「お~た~ま~」
私に話を振るな! このボケ塗れが!
「お~た~ま~。儂に卑怯という人間はどうなるか知っておろうな~」
私はタメ息をつきます。
もう無視したい。でもああなった先生は無視できません。私まで被害に会いたくないですから。
「はい知ってます。先生を卑怯者だと罵った人間は死罪です」
パシッといってやります。これで満足ですか。
「そうじゃ! 死罪じゃ! よってこの庭にいる人間全員死罪じゃ!」
え?
三岳先生が道場で私を襲った時のように、怪鳥のごとく舞い上がり、相手方陣幕に飛び込み次々とお侍さまを襲います。
「きゃっほーい!」
悪鬼のごとき邪悪そのものの笑みを振りまきながら、千切っては投げ、千切っては投げ、もう敵味方関係なく、目に入る人間全てを追襲っています。
本当にもう、地獄絵図です。
私は巻き込まれないよう、幽玄様の足を引っ張り、引きずり、なんとか石燈籠の陰に隠れ息を殺します。
ああなった三岳先生を止められるのはお高様だけで、今お高様はいませんから、誰に求められません。
早く終わらないかな? 今日の晩御飯は何かな? 流行りの歌舞伎を見に行きたいな。奥様におねだりしようかな? なんて考えながら、嵐が過ぎ去るのを待つだけです。
「きょえー!」
本当に先生は楽しそうです。
「むきゃー!」
まぁ、楽しんでるならいいか。なんて現実逃避しながら、気を失っている幽玄様に寄りかかると、大きな欠伸が出てしまうのでした。
私と幽玄様をおぶった三岳先生は、夕暮れ落ちる道をならんで歩きます。
先生は暴れ尽くしたので満足したのか、終始笑顔です。
「あの屋敷な」
三岳先生がいきなり喋り出しました。
「道の嫁の前いた家じゃ」
私はハッとして先生の顔を見ます。
「間男が間抜け男に進めた仕官先は嫁の元いた家での、あそこほら、七つになる当主が死んだじゃろ、だから今回の果し合いは次期当主を決める代理戦争みたいなもんじゃたんじゃ。
あそこのクソども、道の嫁が嫁いだことも家が荒れた原因の一つじゃなどとのたまて、道まで引っ張り出しおって、その相手が道の知ってる刹那丸を用意しおった。
クソどもはクソらしくお家が荒れているのに、自分たちだけ幸せそうにしている道たちに逆恨みしていたのじゃ。
道は相手が刹那丸だと知らされておらなんだのじゃ。
刹那丸は刹那丸で、ほれ、男同士の何やら何で、果し合いの代理、断れなかったようじゃ。刹那丸は、」
先生が背負っている気を失ったままの幽玄様を気持ち悪いほど優しい目で見ます。
「道に切られるつもりであったらしい」
そういうと、よいっとかけ声をかけ、おぶっている幽玄様をしょい直します。
「お玉、人間と獣の違いが分かるか?」
「なんですかね? 着物を着てるとか、言葉をしゃべるとかですかね?」
ふん、と、鼻で笑うと、三岳先生は私の頭をがしがし撫でまわします。
「人間と獣の違いはな、ないんじゃ。
人間も獣も同じじゃお玉。今回の果し合いも同じじゃ。男と女のあれこれも、お家の相続あれこれも、すべて暴力で解決しようとする。人きり包丁で切り合って、何も解決せんわいな。バカじゃよ、バカバカ、みんな獣じゃ。人も獣も何も変わらん、馬鹿な獣じゃ」
三竹先生はそう言うと、
「あをーん!」
と、雄たけびをあげます。
「ほれ! お玉! お前も叫べ!」
「いやですよ絶対!」
「ほら叫べお玉! あをーん!」
私が拒否しても、先生は何度も何度も雄たけびをあげます。
道を歩いているお侍たちが、君様なものを見る目で、三岳先生を見ます。でも腰には二本差し。人殺しの道具をぶら下げ、獣を見る目で三岳先生を見ますが、その腰のお道具で、なにからなにまで解決するのでしょう? と思うと、あれだけ暴れて人一人殺さなかった三岳先生と、お侍、どちらか獣なのか分からなくなります。
「ほら叫べお玉!」
雄たけびをあげる先生、とってもわがままで、馬鹿で、でも、道太郎様も、御門下の方々も先生を尊敬しているのが少しだけ分かっちゃった気がします。
「あをーん! ほらお玉!」
叫びませんけどね。
「ほら!」
絶対に叫びませんけどね。