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旦那様、怒る(2)

寒天だいすきでござるー



 三岳先生のお屋敷は歩いて行くことになった。

 お七が駕籠に乗らぬと、使用人の私が駕籠に乗るのはおそれ多いと、駕籠に乗ってくれない。

 私一人駕籠に乗るのはやはり気が引けるので、二人して歩いて行くことにした。


「若奥様、駕籠にお乗りくださいよ、お屋敷までは少し歩きますよ」

「良いのですお七、私も町を見ながら歩きたいのです」

「それならば良いのですが……」

「お七、私は年増ですがまだ足腰は衰えてはいません」

「いえ、その様なこと……」

「それともこのような年増と一緒に歩くのは嫌なのですか? 嫌でしょうね、こんな年増に使えていると世間に知られるのがお七は嫌なのでしょう」

「何を言っているのですか? 若奥様やはり何処かお体の加減お悪いのでは?」


「…………何でもありません」


 こんな事を言うつもりでは無かった。

 お七に当たってしまった。私に事を心から心配していてくれるお七に、当たってしまうなんて、何て愚かしい人間なんだろう。


「お七、ご免なさい」


「良いのですよ若奥様。虫の居所が悪いときは誰にでもありますよ、それに私は28ですよ、若奥様が年増なら私は大年増、一緒に歩いてお恥ずかしいのは若奥様の方でしょう。

 だからお駕籠に乗ってほしかったのに。

 ご自分で年増だなんておっしゃらないでください。若奥様はとてもお綺麗で、お若く見えますよ」


 お七は私の顔を見て優しく笑った。


「そうだ、甘いものでも食べていきませんか? 甘くて美味しい物でも食べれば嫌な事なんて吹っ飛びますよ」


 そうしましょう!と、お七は私の手を引き、笑顔で甘み処まで連れていってくれた。


「ここの寒天に黒蜜をかけて出すのが有名なんです、美味しいのですよ~」


 寒天二つくださいな、と、大きな声で注文した。出てきた寒天はザクザクと良い歯触りで、トロリとした黒蜜もとても甘く、本当に美味しかった。


「ね、美味しいでしょう」

「はい、とても美味しいです」

「このお店を教えてくれたのはお高様なんですよ、お高様は無類の甘党なんです」

「お高様は甘党なんですか」

「そうなんです。なのでお伺いするときは寒天などをお持ちすれば、とてもお喜びになると思います」


 お七は悪戯っぽく笑った。







 食べ終わり、寒天を包んで貰っているあいだ、私は何気なく外を見た。

外を見てしまった。

 こんなに外を見たことを後悔したことは今までもないし、これからもないだろう。



 外で道太郎様とお玉が二人して楽しそうに歩いていた。

 お玉も道太郎様もニコニコ朗らかに笑っている。


 お玉は小柄な道太郎様より小さく、本当に可愛らしい。

 道太郎様より頭半分は大きい私とは大違いだ。


 お玉が着ている薄黄色の着物は道太郎様の淡い青の着物に良く合う。

 濃紺の私の着物とは大違いだ。


 年頃も良く合う。

 本当に二人とも可愛らしく、初々しく、若々しく、愛くるしい。本当にお似合い。



 頭が鉄火場のように熱くなる。全身の血が頭に集まっていく。



「どうされました若奥様?」


 お七が寒天を包んだ風呂敷を抱えやってきた。



 なるほど、これは嫉妬か。げに恐ろしい感情だな、なんて思ってしまう。



「若奥様?」



 頭が燃える鉄のように熱く、目の前が、暗く、な、


「お顔の色が真っ青ですが、若奥様! 若お!…………」








 お七の顔が見えた。


「お気づきになられましたか。本当に肝を冷やしましたよ、いきなり倒れられて、お体お加減悪いのに、無理に連れ出して本当に申し訳けございません」


 お七の目が涙で滲んでいる。私は帯を緩められ布団に寝かされていた。

ここは何処だろう? 佐治家の屋敷ではない、見知らぬ処だ。

 

 襖が開き誰かが入ってくる。


「目を覚まされたようですね。お加減どうですか?」


 三岳先生の奥様、お高様が私の横に座り優しく頭を撫でてくれた。

 私は座ろうとするとお高様は私の肩に手を置きその動きを制した。


「まだお休みなさい、ここは私の屋敷、気兼ねすることはありませんよ」


 にっこりと微笑まれた。


「お倒れになられた若奥様を何処かでお休みいただこうと思い……、お家に帰るより、お高様のお屋敷のほうが近かったので……」


「お七! 何て失礼なことを……」


「良いのですよ、お七にはいつでも我が家のように思って欲しいと言っています。私に頼ってくれたこと、心よりうれしく思いますよ」

「申し訳ございません若奥様、でもお七は若奥様の事が心配で……心配で……」


 お七は私をただ心配してくれただけ、倒れた私がいけないのだ。


「良いのですよ嫁御殿、道太郎の嫁御は私の娘も同然、ゆっくりお休みなさい。

 そうでした。

 お名前をまだ伺っていませんでした。

 いつまでも嫁御殿では堅苦しくていけません、お名前教えていただけますか?」


 私はお七に手伝ってもらい座る。寝たまま名を名のるなどということは出来ない。


「名も名乗らず申し訳ありません。

 暮葉と申します。

 度重なるご無礼どうかお許しください」


 私は頭を下げる。


「暮葉殿ですか、とても良いお名前。私は高と申します。どうかお見知り置きを」


 お高殿も深々と頭を下げられた。


「暮葉殿、そのお名前は生まれながらのお名前ですか? それともどなたからいただいたのですか?」

「最初に嫁いだ夫からいただきました。暮れ落ちる夕日のような、枯れ落ちる木の葉のような自分の人生に寄り添う者とこの名前をくれました」


 最初に嫁いだ大殿様は自分が死んだらこの名前を捨て新しい亭主に名前を付けてもらいなさいと言っていたが、私はこの名前が捨てられなかった。

 それにその後嫁いだ夫は私と言葉を交わす前に死に、その後の夫は言葉の意味をよく理解できる年ではなかった。


「それはいけませんねぇ、道太郎に嫁いだのです。前の御主人に付けていただいたお名前では道太郎が可哀想です」


 お高殿はきっぱり言われた。


「そうでしょうか? 私は道太郎様に名前で呼ばれたことはございません。これから先もないでしょう、私の名前など道太郎様はお気にしていないと思いますが」

「何故です?」

「何故と言われましても……」


「何故道太郎が貴方を名前で呼ばないと断言できるのです? 道太郎は貴方のことを名前で呼びたいのかもしれません、でも前の御主人からいただいたお名前、呼びにくいものがあるでしょう。道太郎は恥ずかしがり屋で、控えめなところがあります。それに剣一筋で来た身、とても不器用な人間です。その道太郎が一日二日で自分の女房の名前を呼べるとは思いません。道太郎が初めて貴方の名前を呼んで、貴方がお返事をして、道太郎はとても喜ぶでしょう。しかしそれが前の旦那が付けた名前と知ったら道太郎は悲しむかもしれません。前の旦那に嫉妬する日々、しかしそれ承知の上での事だったはず、こんな事で嫉妬する自分に、道太郎は自己嫌悪を抱きとても苦しみます。もちろん貴方にもあたるでしょう。貴方に手を上げるかもしれません。それでも貴方は意地らしく道太郎に仕えます。その姿を見て道太郎は益々自分を責めます。そして最後は…………」


 お高様は袖で顔を隠す。


「私は道太郎と貴方の墓前に菊の花を置きさめざめ泣くのです。何故あの時あなたの名前を変えておかなかったのかと」


 可哀想なことをしました……お高様は私の手を取りさめざめ泣かれた。


 お高様、私は生きております。


「とりあえず名前を変えましょう。若奥様も道太郎様も死なない内に」


 お七、私はその様なことでは死にません。


 そうね、そうね、そう呟きながらお高様は硯と筆を取りに行かれた。







 お高様は背筋を伸ばし、ゆっくりと優雅に墨を擦る。


「お高様、私は名を変えるつもりはございません」


 お高様が墨を畳に落とす。


「貴方このままでは死んでしまうのですよ!」


 いや、死にはしない。


「そのような(まぁどの様なことだが分からないが)事にはなりません。道太郎様は私を名前で呼ぶことなどないでしょう。そもそも道太郎様は私に興味が無いのです。ただお義母様からのお言いつけで渋々私をもらったまでの事、私がどの様な名前でも関係ないのです。道太郎様もこのような年増を押しつけられお困りでしょう。もっと若く、可愛らしい娘を貰いたかったはずです。なので良いのです、もし名前を変えてその名前でも呼ばれなかったら………………………空しいだけです」


「若奥様、その様なこと……」


「いえ良いのですお七、悪いのは私なのです。年増なのも、可愛らしくないのも私なのですから」


「いえその様なことは」


「お高様私のために色々とお気使いいただき誠に有り難うございます。ですがお名前の件、謹んでお断りいたします」


「そうですか、貴方がそう言うなら、私ではなく道太郎が貴方の名前を考えるべきでしょう。お七、道太郎へ文を書きます。必ず渡すように」

 

 へ?


「私は貴方にピッタリの名前を思いついていたのに……」

 

 へへ?


「生姜! 道太郎が一番大好きなモノの名前を取り佐治生姜! 私はこれが良いと思うのですが……」


 へへへ?


「お高様それはあまりにも」

「そうですかお七? 生姜は美味しいし、体も温まりますよ」

「は、はい……」


「では道太郎が考えた名前があまりに酷いときは、この名前を使いなさい」







 改名、お断りしてよかった。



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