旦那様、怒る
暮葉さんはくれはでござるー
朝おきると道太郎様はいなかった。
私は初めて夫と同じ布団で眠った。同じ布団で眠ったのが、夫婦の営みはない。
道太郎様も私にお手を付けないのだろうか、そんなことを考えてしまう。これでは私がそれを求めている様ではないか。
はしたない。
私は昨日の夜のことを考える。
道太郎様の寝顔、月明かりに照らされとても美しかった。
道太郎様はすぐ寝入られてしまったが、寝ぼけて、私の胸に頭を埋めた。
とても可愛らしかった。私は眠りに落ちるまで道太郎様の頭を撫で続けた。
とても愛おしかった。
私は布団を出て、着替え、朝の身支度をし、部屋を出る。
八吉が庭の手入れをしている。幽玄様は朝早く帰られたようだ。満ち足りた顔をしていた事だろう。
「おはよう八吉」
「おはようございます、若奥様」
「朝からせいが出ますね八吉、ご苦労様です」
八吉は頭に巻いた手ぬぐいを取り深々と頭を下げた。
確かに八吉は目つきが悪く罪人のように見える、いや実際罪人なのだが、よく見ていると、本当に働き者だ。
朝から晩まで何か仕事をしているし、仕事に対して文句一つ言わない。こんな使用人は嫁いだどの家にも居なかった。
「八吉、新参者の私が言うのは失礼に当たると思いますが、これからも道太郎様にお仕えください。道太郎様に貴方のような働き者の使用人がいて、私は嬉しいです」
八吉はこれでもかと言うほど頭を下げた。そのまま体を振るわせていた。
「おはようございます若奥様! あら! アンタこんな頭を下げて! 若奥様にご無礼したんじゃないだろうね!
あら、何泣いてるのさ、アンタ本当に朝っぱらからこんな品のない泣き顔、若奥様の気分が滅入るってもんよ! 早く顔を洗ってきなさい!」
八吉はお七に促され、井戸のある屋敷の裏手へ歩いていった。
「若奥様すいません、八吉が何やら粗相をしたようで。どうかお許しください」
お七は八吉同様深々と頭を下げた。
「いえお七、八吉は何も無礼はしていません。無礼をしたのは私かもしれません。どうか八吉に私が深く詫びていたと伝えてください」
「若奥様! 滅相なことを言うもんじゃありません。八吉相手に詫びなど若奥様がなさることではございません」
「でも私はこの家に嫁いでまだ数日、八吉やお七、お玉は何年間もこの家で暮らしているのです。私には知らないこと、学ばねばならないことが沢山あります。その私が八吉にあの様なこと、気分を害しても仕方がありません。どうか詫びておいてください」
私はお七に頭を下げる。
「若奥様、そんな、私に頭を下げられても困りますよぅ。若奥様はもっとドッシリ構えてればいいんです。使用人に頭を下げるなんて、まったく」
「すいません」
「そんな益々頭を下げるなんてこっちが困ります! お顔をお上げください! わかりました。八吉には若奥様が詫びていたこと伝えておきますから、どうかお顔をお上げください!」
「感謝します、お七」
やはり面と向かって詫びるのは気恥ずかしい。お七が引き受けてくれて本当によかった。
「失礼ながらお聞きしますが、八吉に何と詫びればいいんです? 八吉や私たちは若奥様や道太郎様、奥様に気持ちよく暮らしていただくのが仕事です。何か気に入らないことがお有りになれば、それは私たちの落ち度。それをおっしゃっていただくことは、私たちにとって仕事の内です」
「いや、その、八吉や皆の仕事ぶり不満はありません。私はただ八吉にこれからも先道太郎様にお仕えしてくださいとお願いしたのです。とても誠実な仕事ぶり、あなたが道太郎様の使用人であること、私は嬉しいです、と、伝えたのです。出過ぎた真似をしました。新参者の私がその様なこと、今思い出しても恥ずかしい。八吉にどうか許してほしいと伝えてください」
お七は私の手を取り深々と頭を下げた。
「やっぱりあの馬鹿がいけないようですね。そんなお優しいお言葉いただきながらお返事も返せないなんて、謝ることはないんです。私たちにとってもう若奥様はお仕えするお方のお一人なんですから、どっしり構えていてくれればよいのです。分かりましたか?」
「…………」
「分かりましたか!?」
大きな声を出したお七にびっくりしてしまう。
「はい!」
びっくりして、私も大きな声でこたえしまった。
「そうです、それでよいのです」
お七はにこにこ私の手を引き、濡れ縁に腰を掛けさせた。
「若奥様、私たちは道太郎様に大恩がございます」
「それは聞きました」
「はい、ですが私たちはその恩以上に道太郎様が大好きなのです。私たちは道太郎様にお仕え出来ること本当に幸せに思っています。皆、道太郎様のおそばにいたいのです。ですからお褒めのお言葉はもったいないことです。私たちは好きでここに居るのですから」
「好きでここにいる?」
「そうです、ですから私たちのことはお気になさいますませんよう、その様なご褒美、八吉にはもったいないことです」
お七はまた頭を下げた。
「でも、有り難うございます。そのお言葉を胸に、今以上に心を込めご奉公したいと思います」
お七は涙を袖で拭った。
お七と八吉と三人で朝食をとる。お義母様がいない(私は昨日の夜、紅をお借りした時、がんばって夕夜様をお義母様と呼んでみた。お義母様はとても喜んでくださったので、これからそのように呼ぼうと思っている)、道太郎様がいない、お玉もいない。
「お義母様はいらっしゃらないのですか?」
「奥様は朝早くお出かけになりましたよ、何でも近々大切なお客様がいらっしゃるのでそれのご準備だそうです」
大切なお客様がみえられるのか、私も嫁として恥ずかしくない振る舞いをせねば。
「道太郎様はどちらに行かれたのですか?」
「お買い物があるとかでお玉をつれてお出かけになりましたよ」
お七が答える。
お玉をつれて買い物? 朝からお玉をつれて買い物、何か凄く違和感がある。何故お玉なのだ。荷物が重いなら八吉でもよいはず、何故買い物のお供はお玉なのだ。
「お玉とお出かけですか、どちらへ?」
「さぁ? 私は存じ上げません。アンタは?」
お七に聞かれ八吉は首を捻る、八吉も知らないらしい。
何なのだこの違和感。お玉と買い物に行くのであれば私と買い物でもよいはず、何故お玉と出かけねばならないのか、何故お玉なのか? 私ではないのか?
「若奥様? どうかなさいましたか?」
いや何でもありません、私はそう言うと立ち上がり、部屋に帰っていった。
道太郎様が私を買い物のお供にしなかったこと、考えれば簡単なことだ。
私は今年で26になる。
お玉は13。
道太郎様は16。
誰と誰がお似合いかなど考えなくとも分かる。
道太郎様は私と外を歩きたくないのだ、誰だってこんな年増を横につれて歩きたくは無かろう、可愛く若いお玉をつれて歩けば、男として鼻が高かろう。
私は年増なのだ。私が年増なのがいけないのだ。私が、いけないのだ。
本当に、つまらない嫉妬。
私はこんなに嫉妬深い女だっただろうか? それだけ道太郎様に心惹かれているということなのだろうか?
もしそうなら、これ以上道太郎様に心惹かれることが、ないようにしなければ。
大きく心惹かれれば、それだけ、道太郎様に、愛情なりなんなりを求めてしまう。
それは若い道太郎様にとって、負担でしかないはずだから。
「若奥様?」
濡れ縁からお七の声がする。
「若奥様、お加減でもお悪いのですか?」
急に食事の席を外した私を、心配してくれているのだ。
「何ともありません、ただ少し気分が塞いだだけです。心配かけて申し訳ありません」
「いや、何でも無ければ宜しいのですが、ご気分優れませんか?」
「心配及びません、少し疲れただけです」
私はお七に心配かけまいと出来るだけ明るく声を出した。
「……若奥様、何でもお七にお話ください。私でよければいつでもお話相手にさせてください」
お七に要らぬ心配をかけてしまった。私はお七を好きになってきている。このお家にいる人間たちを好きになってきている。
要らぬ心配はかけたくないのに、私は駄目な人間だ。
部屋を見渡す。
昨日の夜ここで道太郎様と一つ布団で寝たのだ。とても満ち足りていたではないか。なのに何故そのすぐ後に、はこんな気持ちになるのだ。
私はおかしいのだろうか?
「若奥様…………」
お七が心配している。これ以上心配をかけたくはない。障子を開け、濡れ縁に出る。
「今日は道太郎様に、三岳先生への御挨拶に連れっていっていただこうと思っていたのです。しかし道太郎様が居ないのではどうにもなりません。
諦めて一日静かに過ごすこととします」
嘘だ。でもこう言えば少しは格好が付くであろう。
「思い立ったら吉日、私がお供いたしますよ若奥様。お高様も三岳先生も若奥様に早くお会いしたいと思っているはずですよ。良い気晴らしにもなります!」
いやまて、外には出たくない。そんな気分ではないのだ。私は今日一日を静かに過ごしたいのだ。
「では用意してきますね」
お七は小走りに行ってしまった。
気分が沈んでるというのに、誰かにお会いするなど本当に嫌だ。しかしお七は私を心配して外に連れていってくれようとしている。これは断れない。
何故あんな嘘を。何故もっとうまい嘘がつけなかったのか。
頭を抱える。
嘘一つ上手くつけない、もう年増なのに。もう若くはないのに外見ばかり年を取り中身は子供のまま、馬鹿のままだ。
本当に今日は気分が沈む日だ。