7話:中等部の少女
洋館落下事件から1週間、松葉杖をつきながら大宮が復帰した。
「え、1週間で退院できるもんなの?」
「むしろ俺の時はヒビで1週間も病院軟禁されなかったけどな」
「いやー、なかなか病院から出して貰えなくて困ったよ!ははは」
「あいつ懲りてないな、絶対……」
離れた場所から大宮のやり取りを見ていた谷が、呆れ顔で隣に立つ藤井に言うと、藤井も同じ表情で頷いた。
その隣の恵は朝ごはんで頭が一杯のようだ。視線は噛り付いたトーストに釘付けだ。
今日は珍しく余裕を持って登校したらしい。
リスのように頬を膨らませ、もごもごと口を動かしてトーストを見つめていた彼女であったが、ふと視線を逸らすとピタリと固まった。
「くっそ……今日の日直誰だよ」
ぶつぶつと文句を言いながら教室へ入ってきた萩原を見た瞬間、谷が感嘆の声を上げる。
「うっわ、すげえ荷物。よくここまで持ってこれたな」
彼は雑技団のごとく器用に山ほどの配達物を運んでいた。
バランスを保って歩きながら横目に黒板を見る。
日直 月島
友野(恵)
「………」
朝一番に仕事のある日直にとって、絶望的な二人組であった。
この学校、出席番号が男女混合制なのだ。そのため起きた悲劇であった。
ちなみに学級委員と副学級委員は日直免除のため、本来月島の次の出席番号の光ではなく恵とかち合ってしまったのである。
萩原は日直の名前を確認すると黒板の反対側、座席側に視線を向ける。
ごくりとパンを飲み込んだ少女が慌てて視線を逸らした。
ドスン……
手に持った荷物を教壇に置くと重々しく音が響いた。
恵はトーストを持つ手にぎゅっと力を入れると、ちらりと音の方へ視線を向ける。
目が合った。怒りを含んだギョロリとした目から逃れることは出来ないようだった。
逸らせないまま、威圧感を放つそれはどんどん近づいてくる。
「日直」
「おお覚えてたよっ!」
「余計悪い。確信犯か」
「……昨日までは覚えてた」
やはりとでも言いたげに萩原は目を細めてため息を吐く。
「朝教員室行ったら、日直来てないからって持たされた。重かった」
「う。……ありがとう、持ってきてくれて」
「トモウトそこはありがとうじゃなくて謝るところじゃね?」
状況を見ていた谷が思わずツッコミを入れる。
「次やったら学食500円分奢りだから。高2なんだからしっかりしろよ」
「え、あ、そんなあっさり許すんだ」
高圧的な態度を収め、諭すような口調でまとめた萩原に谷は脱力した。
「はあ……ていうかお前も仕事人任せにすることあんのに、よくそんな偉そうに言えるよな」
「だってよ、トモウトと俺とじゃ仕事をすっぽかす理由が違うだろ。俺と違って中学からここに居んだから、恒例の仕事を忘れるってのはヤバイだろ?でもまあ、もし俺みたいに確信犯で仕事押し付けてたら軽く殴ってたな。やっぱり自分がやられると気分悪い」
「とんだガキ大将」
傲慢な態度に藤井が苦笑いで呟く。
同時に、なぜコイツが学級委員なのだろうという思いに苛まれる。
「お前ら俺に甘過ぎだよな」
そう上機嫌そうに笑って言う萩原の頭に、さすがに谷の怒りの空手チョップが美しいフォームで炸裂した。
プロ漫才コンビのツッコミさながら、スパンと決まったそれに恵と藤井が思わずおお、と感嘆の声をあげる。
「うおおー!俺の血と骨の結晶!」
だが背後からあがった高揚した叫びに少女たち二人は一瞬で気を取られた。
「あ、本当だ!新聞出来たんだ」
叫び声を上げた大宮は教壇に置かれた山積みの新聞へ向かって、松葉杖を駆使し駆け出していた。
恵や藤井をはじめ、近くにいた生徒もわらわらと近くへ集まる。
愛しげに新聞に抱きつく大宮の腕の隙間から一冊抜き取り、教壇に群がる集団から抜け出して折りたたまれた1面を広げる。
恐ろしげな写真が真っ先に目についた。
「ほおー、白黒印刷が余計に怖い。これが謎の洋館なのかー。確かに噂が立ちそうですな」
間抜けな声を出して恵が写真をまじまじと見る。
太い幹の間から屋敷ははっきりと写っている。外壁はくすんだ灰色で、本来の色を失っている。長い時間放置されて風化しているのがわかる。
家が持つ暖かさからあまりに離れた荒廃具合は、見ているだけで寒気がするようだった。
「やだ私、それ持って帰りたくない。呪われる。絶対」
写真を見た瞬間、後退りしながら藤井が言った。
「大丈夫だよ、何も写ってないじゃん。ちょっと見た目が悪いだけでお化けなんか居ないよ!言葉どおり大宮は、骨折り損のくたびれ儲け……」
「骨を折って無いし、くたびれても無い!俺は勝ち組だ!」
新聞を抱き締めながらムキになって大声を出す大宮に、恵は苦笑いで押し黙った。
カッと見開いた彼の眼は否定を許さなかった。
「そうだね、ちゃんとお屋敷写ってるもんね。すごいじゃ」
「うっわ何この廃屋、ぼろっ」
恵のフォローを邪魔するように寝癖頭が新聞を覗きこんできた。
ぼんやりした顔でペットボトルを手に持つ月島であった。ちびちびとラベルの無いボトルから水分補給をしながら新聞を眺める。
「あー、おはよ葵。ボロいはないでしょー。例のお屋敷だよこれ」
ふーんと興味なさげの様子で月島は紙面を見る。
「なんだ。居ないじゃんお化け」
「ねー!やっぱりホラー都市伝説は嘘だったんだよね!」
二人の和気藹々とホラー特集を見る様子を、谷の陰に隠れている藤井が呆然自失で見つめる。
その脇を大股で歩く人影が通り過ぎた。
「おいコラてめえ!」
ヤクザさながらの声が近づいてくる。顔を上げる間も無く、茶髪の後頭部に空手チョップが炸裂した。
体が前へ揺らぎ、手に持ったペットボトルから水がバシャリとこぼれる。
「うっひゃあぶな!かかるところだったじゃん!」
すばやくバンザイの姿勢で新聞を持ち上げ、さらに本人もバックステップで避難するというすばらしい反射神経で、恵は飛び散る水を回避した。
「ってえー!ご、御神水が!なんてことしやがる!」
「うるさい。お前のせいで朝から労働させられるわ谷に殴られるわ最悪なんだよ、日直さんよ」
「わあ、全部なすりつけた。不貞腐れちゃって……」
八つ当たり気味な萩原の態度に我に返った藤井が呟いた。
「そう、日直だったんだよ。朝思い出したんだけどさ、起きた時にはもう手遅れだったっていうか」
「完全にサボりじゃねえか。生意気言ってんじゃねえ!走れば何とかなんに決まってんだろ。お前のが俺より家近いだろ」
「いや俺のが遠いね。何メートルか向こう側だね」
「ああ、はじまっちゃった」
ため息を吐き明後日の方を向いて恵が言う。
その目に、朝の仕事を終えた光が教室へ戻ってくるのが映った。
「え、ちょ何で床、水浸しなの」
教室に足を踏み入れて数歩、月島の足元に飛び散った大量の水が目に入ったらしい光が立ち止まる。
「ひかりー、大丈夫だよ!ただの水だから」
進むのを躊躇している光に恵が声をかける。
「いや、ただの水だからって放置しないでよ」
ただの水ならば教室に池を作っていても良いのか。良いわけがない。
正論を言う光だが聞くべき張本人は口論の真っ最中であった。
口論をする馬鹿二人の片方が、フタの開いたペットボトルを手に持っているのを見てなにかを確信したらしく、光は彼らをジトリと見据えた。
「キングオブ非常識どもめ」
喧嘩の内容はいつものごとく小さなことで、距離変わんないとしてもやっぱり決め手は足の長さだな短足、といった身の無い内容である。
身長は平均以上ある立派な男二人だが、中身は中学生以下だ。
同じA組の女子にすらモテないのは、噂の所為だけではないのだろうと光は感じた。
そろそろこの非常識な奴らに誰かが鉄槌を加える時間だ。そう思い立った光は教壇前の席で鼻をかむ生徒に近づく。
「ちょっとこれ貸して」
トイレットペーパーだった。
万年鼻炎の生徒の必需品である。巷で配られる無料ティッシュでは追い付かない生徒達数人でシェアされて使われる。
鼻が真っ赤になるのが難点だが、無料ティッシュスポットを何往復もせずにすむ、ありがたい存在だ。
「点線から点線までだからな。一回の使用限度」
「はいはいわかった。ありがと」
「何?トモネエ風邪?」
しびれる鼻の下を擦りながら聞く彼に首を振り、トモネエは笑顔で口を開く。
「ううん、ちょっと投げるものが欲しくって」
そう言って振り返りざま、タンと片足を大きく前に出す。と、同時に手からビュンとペーパーを投げ放った。
それは実に美しくなめらかな動きであった。
小学校時代はドッジボールで男子をも唸らせた投球スキルの持ち主であった。スピードは筋金入りである。
風を切って飛ぶロールは新聞を手に持つ恵を越え、水溜りのそばで口論する月島の頭に……
「ふゃっ?!」
……は当たらずに彼の脇を抜け、入り口付近に立っていた少女の頭に当たった。
上ずった悲鳴のほうへその場の全員が目を向ける。
「「……」」
状況把握ができず、一瞬時が止まる。
唯一全てを把握している光が、顔を仰向けて固まる少女に慌てて駆けつけた。
「大丈夫?!」
少女の足元に転がるトイレットペーパーと駆け寄る光を見比べて、目撃者たちは未だ状況が理解できない。
「手元が少し狂っちゃったみたいでっ!あ、う、そうじゃなくてっごめんなさい!」
珍しくあわあわと取り乱す副学級委員に目撃者たちも答えを導き出す。
投げた。一瞬横切った風が凶器だったのだ。そしてそれが本来の目標を外したのだと。
「……やだー、副学級委員さんってば強暴ね」
「女の子の顔にそんなシモの物を当てるなんてぇ……」
馬鹿男子二人のタッグいびりがはじまった。こういう場面での彼らのコンビネーションは、普段では到底考えられないほど輝いている。
「「トモネエさん、ひどぉい」」
暴力の原因が自分たちの不始末にあり、自分たちに向けてのものであるとわかった上でのこの態度である。
「くっ……うう、ごめんね?痛い、よね」
悔しいが反論もできない。
二人へ怨嗟の視線を向けてから、気を取り直し気まずげに目の前の少女を見、改めて謝罪する。
「痛くないですよ、大丈夫ですっ。ペーパーですもん!」
少女は困ったように笑っていた。
相手を傷つけずに自分の無事を伝えるにはどうすべきかで困っている様子だった。
そんな気持ちを汲み取り、穏やかそうな笑顔を浮かべる彼女に光の良心はさらに痛む。
名札を見ると、小柄なその少女はまだ中学生であった。
なぜ中学生が高校に居るのか。
この平成高校は、平成中学校と合併しており同じ校舎で同じ教師から教育を受けているためだ。
いわゆる中高一貫教育制度をとっていて、中学受験を終えれば同じ校舎で受験も無く高校3年生までの6年間を過ごすこととなる。
中学終了時に出入りはあるが、ごく数人である。
そんななか萩原と月島は高校から入学したレアな人間だった。
ちなみに中高まとめて部活動のリーダーや生徒会長は高校2年生、すなわち5年生の役割である。
「えっと、誰に用があるの?」
中学生がこうして高校生のクラスへ赴くことは稀で、さらにそのほとんどが部活動や委員会関連である。
「大宮先輩に用が会って……」
「え?大宮?」
ちろりと視線を後ろへ向ければ未だに新聞の山にしがみ付き、恍惚の表情で何かを呟く大宮が目に入った。
「わ、わかった。大宮ー、ひたってないでちょっとこっち来て!」
写真部の後輩だろうか。
この変態先輩に対してこの優しげな後輩が居ると思うと、光は複雑な気持ちになった。
「でも大丈夫か?ホームルームまであと3分くらいだけど」
ちゃっかり座席に着いていた萩原が飄々と言うと、少女は時計を見てあっと小さく驚いた声を上げた。
「何なに?俺に用?」
声とともに目の前に現れた大宮を少女はハッと焦った様子で見やる。
「あ、あの大宮先輩っ!大事なお話があるので、お昼休みに時間をください!おおお願いします!」
近づいて来た大宮に、焦った様子でそれだけを言うと少女は慌てて走り去った。
その声は思いのほか大きく教室に響きクラス中の視線を集めたので、少女の顔が紅潮していたのを大勢が見ていた。
少女が走り去った後、今度はクラス中の視線が大宮に集まる。
「だ、誰だっけあの子……でもなんか、すごいドキドキする…」
大宮がドアを見つめながら惚けた表情で呟く。
静まり返っていた教室はその言葉を皮切りに、さざ波のようにざわめいた。
「い、今のってもはや公開告白だよね」
「あの大宮に告白?あんなにかわいい子が?あり得ない!」
「うそだろ?いやうそだ!大宮に先を越されるなんて、これは夢だ」
騒然とするなか、朝のチャイムが鳴り響いた。