28話:保健室カウンセリング
「月島」
恵、萩原に続き部屋から出ていこうとしていた月島の背に小さな声が届く。
振り返れば、俯いて足元付近に視線を漂わせる光の姿。
「なに?」
「それ」
「ああ、さっきこけてひねった」
光が神妙な顔つきで指差す先には、浴衣の裾からのぞく月島の足首があった。
青く腫れ上がったそれは酷く痛々しい。
「ひねったって……」
「いやだわー、こんな所の怪我に気付くなんて俺の下半身ばっか見てたんでしょ。人生上を向いて歩こうぜ」
「その足で私運んだの?」
月島の話題を脱線させる為の茶化しも虚しく、光の表情はますます痛々しげに歪む。
「……腕かして」
問答無用といった風に月島の腕をつかむと、自分の肩にひっかけた。
「いやいや!支えてもらわなくても1人で歩けてたでしょ?そんな重症じゃないから」
「急がないと時間ない」
「いや充分間に合うよ。こっから仮眠室まで5分かかんないし」
「保健室で湿布もらわないと」
「だから別にそんな重症じゃ……」
ドアを開け、支えながら歩きだした光の顔を見た月島が口をつぐむ。
横一文字に口をひき結びふるふる震えながら、光は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「あー……うん、よし。俺を保健室に連れてってっ」
甲子園に連れてって、のノリで何も見なかったような笑顔を作って月島が言う。黙ったまま光は小さくうなずいた。
仮眠室と同じ地下一階に、即席保健室はある。
保健の先生と最低限の薬やベッドが揃う小さな個室だ。
何となく気まずい空気のなか、肩を組んだ2人が早足で階段を降りていく。
3分程度で目的地に着いた。
「失礼しまーす」
ノックをして部屋に顔を出すと、先生は外出中のようだった。
机の上にあるコップ一杯の紅茶にティーバッグが入れっぱなしのため、緊急出張治療中なのかもしれない。
「居ないし。勝手に湿布借りていいよね」
遠慮なしに部屋に入り込んだ月島が、転がっていたトランクを目に留め、蓋に手をかける。
「多分こん中っしょ。借りまーす……うわっ!」
慌ててバタンと蓋を閉める。
「間違えた。先生の私物だった。魅惑の紫フリル。ぐへへ、むしろ湿布にしてやろうか」
そんな月島渾身の女子にとって「マジサイテー」トークにも、光は張り合いの無い態度で、キョロキョロと湿布の行方を探していた。
「落ち込んでも頑固な部分は残るのに、ツッコミ要素は消えるんだ」
面白そうな声色で月島が言う。
机の下にあったもう1つのトランクから、湿布を発見した光の反論はない。
その代わりに顔を上げて月島の後ろ姿を見た光は、ひっと小さく息をのんだ。
「月島、首どうしたの?」
首が赤く腫れているのが見え、光が駆け寄り近くでみたそれは、噛まれた跡だった。
「やだ、なにこれ……歯形?」
「トモネエ覚えてないの?」
「覚えてないのって……それってもしかして」
「あーあー、まあ、気にすんなっ。気にしたら負けだ」
にかっと親指を立てて爽やかな笑顔を浮かべる月島。
そのあっけらかんとした姿に、光は俯き閉口してしまう。
そんな再び暗い表情を浮かべる彼女の様子に、月島は静かにため息を吐いた。
「もしかしてこういう時トモネエって、話しかけないで放っておいて欲しいタイプ?普段なら落ち込んだ時でも、周りに迷惑かかると思って明るくしてるでしょ?だから盛りたてようとしてんだけど、放っておいたほうがいい?」
ついにしおらしい光に耐えきれなくなったのか、月島が直球を放って尋ねる。
「……気を使わせてごめん。ただ私、みんなに酷い迷惑かけたのに、特に月島には……。それなのに何も言わないから」
「人に迷惑かけたのに、怒ってもらえないのが逆に辛いってこと?」
「うん」
「まるでMのような発言。残念だけど俺怒ってないし、怒る気ないし。あれだね、自分的に誰かに迷惑かけたーってなるとすごい落ち込むんだね。そういうのすごく気にする性格っぽいもんね」
「………」
机を挟んで奥側にある椅子、すなわち先生が診察する側にドカリと腰掛けた月島。
座れば?と視線で訴えると、光は患者側の席に静かに腰掛けた。
「トモネエなんでも自己解決型じゃん。他人に迷惑かけたくない症候群みたいな」
「迷惑かけたくないっていうのは確かにあるけど……たぶん、それだけじゃない」
「へえ?他に理由あんの?」
「え……いや」
「言ってみ言ってみ」
ちらりと上目遣いに様子を窺うと、背もたれにだらしなく寄りかかり、リラックスした月島が目に入る。
机上に視線を戻した光は、ぽつぽつと話しはじめた。
「……私、基本、何やっても不器用でうまくいかない要領の悪い人間なの。けど、ちゃんとやれないと恥ずかしいじゃない。うまくやらなきゃいけないじゃない」
「うん」
「恥ずかしい思いしたくないってそればっか考えて。……そのために色んなこと、予習するの。ただの見栄っ張り。失敗して誰かに迷惑かけるのが嫌なのは、そういう気持ちがあるから。自分が駄目人間だってさらして、迷惑をかけるのが辛い」
「うん」
「本当に私ってダサい、ちっちゃいヤツ。何も出来ないくせに見栄だけは張る、臆病者なの」
「そうかな?」
「そうだよ。月島はわかんないのかもしれないけど。……だから自分の失態で迷惑かけるのが嫌な理由は、綺麗事だけじゃ無いの」
「ずいぶんネガティブに言うね。見栄っ張りで臆病者で、そこで諦めるやつだって居るのに、トモネエはそこで頑張れる奴なんでしょ。なんでも完璧にしてやろうって頑張れる。俺はトモネエのそういう所、好きだけど」
一瞬ピタ、と空気が固まる。
俯いて机上のティーカップを見ていた光が、目を丸くして顔を上げる。
だがさらりと普段言わないような、普通なら言えないようなことを口から放った月島は、飄々とした様子だ。
「とりあえずみんなトモネエのこと責める気は無いと思うよ。モヤモヤしてても自分の中で決着つけるしかないね」
「え、うん……」
そう爽やかに笑って言った月島に、トモネエはぱちぱちと瞬きをしながら勢いに押されたように肯定する。
「トモネエはもっと人に相談とかしたほうがいいよ。今みたいに溜めると自己嫌悪に陥るんだから。それで自分を追い込んで悪循環になるんでしょ。いやでも、言ってくれてよかった。そうやって話してくれると俺も安心するし……」
何やら僅かに表情をかたくすると、月島は話を途切れさせ、黙って見返して聞いていた光から視線を外す。
「……まあトモネエは、たまに誰かに相談してパーッと気晴らししないと、駄目だよねっていうアレだよ」
意味も無く、うんうんと頷きながらそう言うと、ぽりぽりと頬をかいて口を閉ざす。
再び沈黙が広がる。しかも次第にそわそわとした空気が広がる。
と、いうのも
「あー……なんか……はあー」
慣れない『自分暴露話』をした光が居たたまれなくなってきていたのだ。
俯けた顔を手のひらで覆い、絶望といったタイトルがつかんばかりのポージングだ。
「うわまた自虐スイッチ入ってる」
「……悪かったわね」
自分の性分を暴露してしまった恥ずかしさやら後悔やらと戦う光。
その前で、月島はいきなりパシッと膝を叩くと、ビシリと人差し指を光の方へ向け、アゴを反らせ見下した嘲笑を浮かべる。
「おいダメ女!その手に持ってる湿布を跪いて俺の足に貼れい」
いきなりの変わりように、手のひらを外し顔を上げてキョトンとする光。
「え?」
「トモネエMなんでしょ?こういうプレイで元気出るんじゃないの」
「な……でるか!Mだといつ肯定した!」
湿布を月島に投げつけると、ピシンといい音を立てて顔面にヒットした。
「やだやだ、元気出てるじゃなーい。体は正直なんだからー」
「なわけあるかっ」
机ごしに身を乗り出して月島のむなぐらをガシリと掴み、激しく揺らす。
「あんたたち、何してるの!?」
ドアを開ける音ともに、保険医の焦る声が響く。
カツアゲ現場のような2人がそちらを見れば、信じられないといった驚愕顔で彼女は立っていた。
「就寝時間、過ぎてるよ!」
「「うええっ!?」」
光があわてて胸ぐらから手を離すと、机を回り込み月島を引っ張り立たせる。
そして言葉もなく照らし合わせたようにガシッと肩を組む。
光に支えられながら月島は片足で飛び、素晴らしいコンビネーションで移動しドアを開け出ていく。
「怪我して保健室居たら長引いちゃったって言っときなさいねー」
二人三脚のような後ろ姿で去っていく2人に、ドアから顔を出して保険医が呼びかける。
ドアを閉めながらクスリと彼女は笑う。
「さすが高校生甘酸っぱいわあ」