24話:さよなら日常
ミーティングをしようと呼び出しを受けた萩原が会議室へと向かう。
風呂上りに配給された牛乳瓶をぶらぶら振りながら、階段を上り2階の会議室のドアを開ける。
「なんだ。まだ全然きてねえじゃん」
円形の机がドンと置かれただけのシンプルな会議室には、まだ1人しか着席していなかった。
「5分前なのに珍しいな。他の奴ら、疲れて寝てなかったか?」
「え?ううん……」
会議室で縮こまっていた1人が、いきなりの質問にさらに縮こまってオドオドとする。
小柄なその人物はD組副学級委員の神谷彰子だ。
「えっと、光ちゃんと愛理ちゃんと玲奈ちゃんは、ちょっと用があるから先行っててってだけだったから。すぐ来ると思う……」
「ふーん」
どかっと席に着くなり、萩原は牛乳瓶のキャップをキュポンと外す。
「………」
紙のフタをぺりぺりとめくり、風呂上がりの一杯を堪能する姿を、彰子はぼんやりと見ていた。
「はー、たまに飲むとうまいよな、牛乳って」
「え?あ、うん、そうだね」
こくこくと焦るようにうなずいて肯定を示す彰子。
それからお互い会話もなく黙り込む。
持参したキャラクター物のノートをただじっと見つめる彰子。
その正面で手持ちぶさたげに、タカタカとリズミカルに机を叩く萩原。
「……こないね」
「会議室1って言ってたよな?」
備え付けの時計が8時を指しても2人から人数は増えず、違和感に部屋が包まれる。
「ちょっと隣の会議室見てくる」
「え、いいよ私が」
「いいって。すぐすむし」
「あ……うん」
聞き取れないような音量でもごもごと申し訳なさそうにお礼を言う。
萩原が部屋から出ていくと、彰子は小さくため息を吐いた。
背もたれに寄りかかり目を閉じると、もう一度ため息を吐く。
「……絶対あの2人のいたずらだあ」
彰子の脳裏には関原と田島のしたり顔が浮かんでいた。
「いねえ」
すぐにがチャリと戻って来た萩原を、困った表情の彰子が迎える。
正面の席へ萩原が着くと、決意したように拳を握った彰子が、背筋をしゃんとさせて萩原の顔を見た。
「萩原くんあのね、これ、イタズラだと思うの」
「は?」
「愛理ちゃんと玲奈ちゃんの。ミーティングなんて多分嘘っ。萩原くんと私で遊んでるのあの2人っ」
必死の形相で言いたいことを感情のままにまくし立てる彰子。
真剣な眼差しで話す彼女の言い分は、耳には入るが今のところ萩原には理解不能だ。
「え、どういうこと?イタズラ?」
「なんか、萩原くんと私をね、こい……とにしよ……とっ、うう」
「あ?俺と神谷を、の後なに?」
「うう……萩原君と私を、く、くっつけようとしてるの!」
顔を好調させ、そう言い切った彰子はもはや涙目だ。
「萩原くんも私も全然そんなんじゃないのに、勝手に盛り上がってるの。もう、ばかみたい!」
一度言い切ったらなにやら暴走スイッチが入ってしまったらしい。
ぷすぷすと頭から煙が上がらんばかりに赤くなり興奮している。
「こんなことして……もう耐えられないっ!私が大人しくオドオドしてるだけだと思ったら大間違いなんだからっ。うううーー」
「神谷って、意外に熱い性格なのな」
「……ううっ」
遠くを見て唸っていた彰子が正面に視線を戻すと、複雑な表情で見返す萩原が居た。
力んだ拳を解放すると、へにゃりと脱力したように、机にうつ伏せになる。
「落ち着きます……なんか恥ずかしいのと緊張とで頭に血が上って……」
「思ったより変な奴だなお前」
「あはは、そうですね……恥ずかしい」
「なんで敬語なんだよ」
「え、や、なんかもう」
「まあいいとして、つまり。関原と田島の陰謀で他の奴らは来ないのか」
「は……うん。だから帰って平気のはず、ごめんね」
「は?なんで神谷が謝んの?ったく。あいつら何考えてんだよ」
「元は、私が悪いんだと思う、紛らわしいこと言っちゃって……」
「紛らわしいこと?」
「憧れっていうのが紛らわしかったみたいで。私、萩原くんみたいになりたいなって、そういう意味で言ったのに」
一気にクールダウンしてリラックスモードに入ったらしく、彰子はいつもより流暢に萩原と会話できているようだ。
「俺みたいに?やっぱ変なやつだな」
「そんなことないよ、憧れてる人、いっぱいだと思う」
「ふーん?そういう扱い受けたことないから全然実感ねえけどな」
「へ、そうなの?」
「ああ、だからなんかソワソワするから憧れとかマジやめろ。……まあその話はもういいや。それよりあれだ……お前のクラスだけ昨日の評価シート出てないんだけど」
「え、あ、さっき光ちゃんに渡しておきました。遅れてごめんなさい」
「出したんならいいや。これで鬼畜教師に怒られなくてすむ」
「鬼畜教師って……あはは」
それから昨日今日の合宿の話に移る。
A組のスケジュールとBCDE組は違う内容だったようで、お互いの差異に驚いていた。
話が一段落すると、彰子が出していた筆記用具の片付けをカチャカチャとはじめる。
だがピタリとその手を止めると、くすぐったそうな笑顔を浮かべて尋ねる。
「うーん……やっぱり気になるから聞いちゃおうかな。……萩原くんって光ちゃんのこと、どう思ってるの?」
「はあ?なんでんなこと。やっぱあの面倒くさい噂のせいか」
「だって2人が並んでると、なんか目が引き寄せられるというか、お似合いって感じなんだよ……えへへ」
なぜか照れる彰子を、今日一番の呆れた眼差しで萩原が見る。
「お互いにそれはないと思ってる。ホントいい迷惑な噂」
「え……あ、ごめんなさい」
バッサリと迷惑と言い切った姿は、今回のイタズラに対する自分の姿に重なった。
自分との噂のせいで、相手に迷惑をかけていることが腹立つという感情。
それを感じとった彰子は自分のことを棚に上げて軽率なことを言ったと謝ったのだ。
少しシュンとしながら片付けを再開し、筆箱のチャックをキューッと閉めると、ノートと共に手に持ち、席を立つ。
「神谷とこんな長時間話したの初めてだよな」
「え、うん、そうだね。あのね……私正直、萩原くんのことちょっと恐かったんだけど、今日とっても話しやすくてびっくりしたよ」
そう言ってまた照れたように笑うと、小さな歩幅でとことこと歩き、おやすみと一言残し会議室から出ていった。
(慣れれば結構話せる奴なんだな。何で副学級委員に選ばれたのか不思議だったんだが)
4分の1ほど残っていた牛乳を時間をかけて飲み干すと、鼻の下を拭い、席を立つ。
ゴミ箱は会議室の端に設置されていたが、部屋設置のものの使用は許されていなかった。
各階に設置された、燃える燃えないビンカンの分別ゴミ箱に捨てなければいけない。
(めんどくせ)
会議室は2階だ。同じ2階では、先ほどまで勉強していたグループ学習室前の廊下にゴミ箱が設置されている。
電気を消し、廊下に出て目的地へと大股で向かう。
開放された学習室のドアを横切り、ゴミ箱の前に立つ。
――ガサッ
開け放たれた学習室から音が聞こえた。
廊下の明かりが入り込まない真っ暗闇から。
ゴミ箱の上で牛乳瓶を持ち上げた格好のまま、そちらを向いて固まる萩原。
暗闇からの音といえば、とっさに思い当たるのは屋敷での騒動。
(いやいやいや無い。疲れ疲れ)
恐怖の館から離れた安寧の地でそんな心配をする必要は無いと、自分を奮起させ小さく首を振る。
持ち上げていた手から牛乳瓶を離す。
ゴミ箱へまっ逆さまに落ちた瓶は、不安を払うように騒音を立てた。
ガシャンッ!!
「うわあああっ!?」
「うおっ!?」
瓶の音に呼応して暗闇から響いたのは若い男の声だった。
どたどたと畳を踏みしめる足音が廊下へと近づく。
走って現れたその人影は――
「はあ……なんだ……」
ただの月島であった。
「何してんだお前。1人肝試しか?」
バクバクとおさまらないチキンなハートビートを感じながら平静を装う。
「いや、これ取りにきた。電気は教室の前の方にスイッチあって面倒だから点けなくていいかなっと。座ってた場所覚えてたし」
忘れ物らしい手元の筆箱を振って説明する月島。
面倒だから電気を点けなかったというのは嘘だろうと、萩原は瞬時に勘ぐる。
最近猛烈に必要とされている、度胸をつけるための訓練だったのだろうと、そう解釈した。
「ウノの罰ゲームでマジック使おうと思ったら筆箱無いのに気付いてさー」
度胸をつける訓練に見事失敗した証拠に、やけにテンション高く説明をはじめる月島。
ビビると半笑いオーバーアクションで聞かれてないことも明かす、気分はぐらかしタイプだ。
「へー」
そういったことが丸分かりな萩原が、どうでもよさげに相槌を打つ。
そしてさっさと、早足で廊下を歩きだす。
思いがけぬドッキリで疲れがどっと出たらしく、ここで身のない話をする時間も惜しいのだ。
それは月島も同じなようで。げっそりした様子で足を動かしはじめた。
階段を下りる2人分の足音が、静かな空間にタンタタンと響く。
屋敷での一件以来、彼らは恐怖に確実に精神をすり減らしていた。
だが今夜、さらに彼らを困惑させる事件が起こる。
それは確かに彼らの求める答えへと近づく一歩なのだが。
疲れきった心と体に追い討ちをかける非日常は、やはり今度も夜に訪れた。
――そしてこの非日常が、彼らの運命を後戻りのできないところへといざなうこととなる。