20話:コイバナ
曇天の下、常緑の木々に囲まれて生徒たちは立ちすくんでいた。
上空から見れば森の中にぽっかり生まれた、コンクリートの孤島に見えるに違いない。
実に空気のおいしい絶賛マイナスイオン排出中スポットだ。
「うわあああ、寒い!早く全員降りてこいやああ」
全員下車するまで建物内に入ることは出来ない。あまりの寒さに生徒たちは立ちすくんで震えていた。
都会に慣れた彼らに雪の積もる山の冬場は厳しい。
「ひひかり、なんで私こんな所にいるの?これ夢?うぐぐ寒いい」
「ちょっとまさか、朝から覚えてないの?一応起きてたのに。今日合宿でしょ、バスに乗ってここまで来たの」
「え、怖っ!昨日寝た時からまったく覚えてないよ」
顔を埋めたマフラーの隙間からもふもふと白い息を出し、ぴったり身を寄せあった双子が騒ぐ。
その輪に青い顔をした藤井がよろよろと加わった。
「寝てたのに車酔いした……」
そう言いぐったりとうなだれる藤井の頬に、光と恵は開けたての温まっていないホッカイロを押しあてた。
「うーん、あったかい……気がする」
「私たちの愛のあたたかさですよ」
「開会式終わったら即授業だけどそんなんで大丈夫?」
「ふふ、二人の愛のホッカイロがあれば大丈夫」
その言葉に双子はにんまり笑うと、ホッカイロにかけた力を強めてさらにぐぐっと藤井の頬を押す。
頬肉を中央部へと押されたその顔は、普段のすっきりと整った顔立ちから、かけ離れた憎たらしさだった。
脱癒し系を果たしてしまった藤井を見て、双子はけらけらと笑う。
「やめなふぁーい」
怒ったような声を出しつつも藤井も楽しげに笑う。
全員降車し、団体が動き出してもまだホッカイロ攻撃は続き、藤井の憎たらしい顔は移動式となる。
「うわっ」
のろのろと移動する彼女らを追い抜かす瞬間、ちらりと様子を窺った谷が驚愕の声をあげる。
「ぶはっ!お前の嫁?あれお前の嫁?」
「おいお前の嫁、あの顔はヤバいぞ。おにぎりとかあだ名つくレベルだぞ」
谷の視線を追いかけて見た、脅威の藤井に月島と萩原が茶化す。
「べ、別に嫁とかじゃねえし……」
「うわっ」などと失礼な感嘆の声をあげたにも関わらず、谷の表情は今やにまりと破顔していた。
「おい、顔が気持ち悪いぞ」
「あんな顔にされても無抵抗な藤井かわいいな。もぐもぐうまうまって顔だね」
「うるせえな……」
文句は言うが否定はしない谷が早足で歩きだし、さっさと建物内に入る。
モテないメンズはそれを追いかけ玄関で素早く上履きに履き替えると、もたもたと履き替えにてこずっていた谷の尻を蹴り上げた。
「ってえ!」
「イチャついてんじゃねえよ」
「いつどこでイチャつきました?!ええい、うざったい!」
コートのポケットに手を突っ込んだまま、蹴りの応酬をする。
「萩原、みんなを背の順で並ばせてください」
「はい。……くそ、邪魔が入った」
「大丈夫、谷は責任持って俺が殺しとく」
「殺ッたら整列しろよ」
「お前ら……」
呆れた様子の谷の鳩尾に二度拳を入れて月島は満足したのか、ポケットへと手を収める。
「お前ら……俺のことサンドバッグだと思ってるだろ」
「お前が目の前でイチャつかなきゃ、こんなことにはならないよ」
「そんな彼女欲しいなら、光か恵と付き合っちゃえよ」
「うっわ、何その惰性みたいな。てかあの二人は無理でしょ」
「うーん、意外にいけると思うんだけどな」
「っていうかそれって、男として恥ずかしいセリフだぞ!男の惰性で女がホイホイついて行くと思ったら、大間違いなんだからね!女を何だと思ってるのよ!」
「お前、変なところでクソ真面目だよな」
「クソ奥手なお前よりはマシ」
鼻で笑いながら言い合い、身長の違う彼らは整列のために離れる。
それにしても谷をいじっている間の彼らは実にイキイキしている。
狩猟民族の血でも騒いでいるのだろうか。
「ちょっとちょっと、私たちってどこ並ぶのー?エリート集団超怖いんですけど」
「あは……なんか肩身狭いね」
「まあ授業サボってプチ旅行出来るなんてラッキーだから、我慢しよーぜ」
A組の列から外れ、他クラスの八人の委員たちはポツンと佇んでいた。
「みんなー、とりあえずBCDE組の順番で並んで。あと玲奈、この合宿地獄だから。ラッキーとかないから」
「……しおりの時間割見てなんとなくわかってたけど、現実逃避したいだけだから。希望壊すなし……」
「わかってるなら、いい」
そう話す玲奈と光の瞳はどこか疲れたように遠くを見ていた。
「ちょっとちょっと!ラッキーはあるでしょ!彰子大接近のチャンスじゃない!ここでくっつけちゃえるように頑張るんでしょー?」
「愛理ちゃん、ホント、やめて……」
その言葉に近くで固まり話していた他クラス委員男子組が、ざわりと騒めく。
「え、神谷って恋愛とかするタイプなんだ」
「A組に居るのか、誰だ?」
「ホント、恋愛じゃないから!憧れだからぁ!」
「うわ、どうした神谷」
「うひょぁあああ!!」
タイミングよく彰子の背後に現れた萩原に、キャラ崩壊の奇声をあげる。
らしくない様子にさらに萩原が困惑した表情を浮かべると、彰子は顔を蒼白にして俯いた。
「なんなんだ?まあいいや。先生がお前らは別行動だって。竹谷先生についてけってさ」
「はーい」
ぞろぞろと竹谷先生の方へと移動する委員たち。見送りながら萩原は疑問を口にする。
「神谷ってあんな大声出すタイプだっけ?」
「うーん……まあ、あれはレア中のレアだと思って」
いつの間に一大プロジェクトとなってしまった、萩原と彰子をくっつけよう大作戦。
進展なのか後退なのかわからない今のイベントに、光はどう対応すればいいのかわからず曖昧な笑みを浮かべる。
とりあえず自分なりに、プラスな方向へ行くような行動をしようと思いつく。
「ねえ……あのさ、萩原はどうして自分に彼女ができないかわかる?」
「は?どうした突然。お前が恋愛話とか」
「いや別に普通だから!他のクラスの子たちと居る時は話すし!いいでしょ別に」
「ハッ、つか何その質問、いじめ?そりゃ、俺の努力不足なんじゃねえの。女子との交流とかないし」
「やっぱね、そう言うと思った」
「……まあお前がモテないっていう点なら、勘違いとかもあるんだろうけど」
「は?」
思案顔で腕を組む萩原の、思わぬ発言に光が固まる。
「なんか男女3対3で昼飯とか食ってるから、デキてる3組と勘違いされてるらしいぞ」
「な……それ」
「この前の委員会のあと聞いてその場では否定したんだが、だいぶ広まってるらしい。さすがにちょっと悪気は湧いたんだが、何かぐだぐだしてるうちに言いそびれててな」
「知ってたんだ」
「なんだ、お前も知ってたのかよ。なら何とかしようと思わなかったのか?」
「なんとかしようと思っても、こういうのの対処って私の専門外だし手が出せないの」
「17歳女子高生がそんなんでどうすんだよ。ホント恋愛に耐性なさすぎだろ」
「ふん……別に私はどうだっていいんだもん。恋なんてする気もないし。萩原は知ってたならもっと焦るべき」
「だったら同じだよ。別に誤解されて困る相手なんて居ないし、俺もどうでもいいんだよ」
普通ならば誤解は放っておけない所だが、頓着が無いのかなんなのか、彼らの意見は意外な一致を見せた。
整列したA組の列が教師の先導で動きだし、合宿所案内オリエンテーリングが始まった。のろのろと歩きながら萩原と光は会話を続ける。
「でも谷と律のこと嫉妬してるよね?」
「嫉妬ぉ?目の前で青春されんのがウッザいだけだっつの。早くどうでもいいから決着つけっていう苛立ち」
「心せまっ!でも、か、彼女がほしくないわけじゃないんでしょっ?それならもっと困らないと」
「いいんだよ、別に“今のままで”な」
口の端を上げてそう言う表情に、光の中で一つの疑念がわきあがった。何となくだが、心当たりのある疑念だった。
「……萩原ってさ、もしかして好きな人居る?」
質問に萩原は不敵な表情は変えないまま光を見下ろす。光が首を傾げて見返すと、目を細めて悪役のような笑みを浮かべた。
「え、当たり?」
「わかるように言えば、わかるんだなお前でも。さて気付いたな、これでフェアだ」
「フェア……?なにが?」
「お前は苦手分野のことは、他のことよりボロが出やすい。俺は一方的にお前のそのボロに気付いちゃってたんだよ。不平等だったろ?」
「は?……はあぁ?意味わかんない」
「ボロってのはその顔だよその顔。八割がた騙せても俺は騙せなかったな。今までの会話の流れ的に“専門外の苦手分野”でボロを出してる心当たりがあるんじゃねえの?」
「はあ?何それ……そんなの別にないし」
「お前、好きなやつ居るだろ」
自分には関係ないこと。
曖昧でよくわからない、何の役にもたたないと感じているもの。
そして何より“知るのが怖い、向き合いたくないもの”。
光にとって、今話題にあがっている専門外の苦手分野である“恋愛”は、そういうものだ。
避けてきたそれを突き付けられ、一方的に押し付けがましい意見を述べられただけだが、光はすっかり動揺していた。
萩原の最後の言葉に、今や弁明の余地のないひどい顔を晒していると自分自身わかっていた。
「まあ向き合いたくない気持ちはわかるが認めろ。俺にはバレてる。なんだよ睨むなよ。お前が確率の低いスイッチを押したから、こんな面倒くさい話になってんだぞ」
「なにそれ……」
「トモネエのコイバナ」
「それが確率の低いスイッチ?萩原の勝手でセットしたスイッチじゃない。私の知ったこっちゃないのに」
「俺が知ったこっちゃあるからいいんだよ。あー、すっきりした。別にお前も情報もらえる相手ができたとか、軽くプラスに考えとけよ」
「……情報とか……何勝手に話進めてるの?別に萩原の言ってること肯定してないでしょ」
「うわあ、まだそれ言う?鏡で顔見てこいよ。めんどくせえヤツ」
「萩原に言われたくない」
紅潮した不機嫌顔でそっぽを向いた光。それから萩原も視線を外すと、静かにゆっくり深呼吸をする。
それでも落ち着かなかったのか顔を俯かせると、爪が食い込むほど両の拳を握り締めた。
(ふぐぐぐ!くそくそくそ……!なんで俺がこんな話……!くそ恥ずかしい!仕方ない仕方ない!こいつらどっちかがそういう話に興味を持ったらそれをスイッチにして頑張るって決めた俺をうわあ殺してえ!くそぉぉおおっ!!)
歯を食い縛り何かに耐えるように震える彼の表情は、感情丸出しの青春高校生そのものだった。
「ここが仮眠所です。荷物もここへ置いてください。筆箱を使うのでカバンから取り出しておいてください」
佐藤先生の声に萩原が我に帰ると、広いお座敷一面に布団が敷き詰められているのが目に入った。
ぞろぞろと部屋の端に作られた広い通路を渡り、壁ぎわに設置された棚にカバンを置いていく。
「おい、筆箱持ってくんろろッ……」
荷物を置いてすぐ、身を翻して部屋から出ていこうとした光の背中に、平静を装いそこねたカミカミの萩原が呼び掛ける。
「そうね」
「どんだけ上の空なんだよ」
「うるさい」
地獄の合宿が始まる以前に、彼らの気分はドン底に落ちていた。