18話:襲撃者、タネあかし
「はあっ……げほっ」
屋敷から走り逃げた人影が、荒い呼吸をしながら膝に手をつく。
屋敷の襲撃者だ。
うつむいたまま煩わしげにカチャリと顔につけていた金属のマスクを外す。
額にはじっとりと汗が浮かび前髪がはりついていた。
冬の夜風が熱をもった顔を冷やしていく。
ざわざわと木々や伸びた草が音をたてるなか、力が抜けたように尻をつきしゃがみこんだ。
その瞬間ゴッと一際強い風が吹き目を瞑る。
ガタガタガタッ
「っ?!」
背後からの騒音に振り返る。開けたままにしていたドアから風が入り屋敷の内装を揺らしたのだ。
枯れ葉が散るなか鬱蒼と佇む屋敷の全貌をあらためて目にする。
静かな威圧感、背筋を冷や汗がつたうような光景だった。
ピピピピッ
異様な空気をを切り裂くように電子音が響く。着ていたコートの内ポケットをまさぐり携帯を取り出し、電源ボタンを押し耳にあてる。聞こえてきたのは若い女の声だった。
『あ、もしもしお母さん?大丈夫?』
聞こえてきたのは今の状況下に、似つかわしくない明るい声だった。
だがお母さん、と呼ばれた襲撃者の心には温かいものが染み渡る。
「香苗……」
『うん香苗。12時に車で来いって言ってたから屋敷の前につけといたよ』
「そう、わかった……ありがとね」
『う、うん。なんか大丈夫?具合悪そうな声だけど。お化けに何かされた?』
「お化け?お化け……お化け」
そう拙く繰り返し同じ言葉を吐く香苗の母、絵理子の手は小さく震えていた。
「あれはお化けなの?そうよね、お化けのはずよね。人のはずないもの!」
『だ、大丈夫?何があったの?』
絵理子は視線を左下へと流す。そこには彼女がつけていた金属マスクが転がっていた。
赤外線搭載で暗闇のなかでも障害物がぼんやり浮き上がって見える、便利グッズである。間近に寄れば、人の顔も判別できるようになる優れモノだ。
静かにそれを見つめる、普段は柔和な表情は険しく青ざめている。
少し間があき絵理子はようやく口を開く。
冷たい風を受けふわりとショートボブが揺れた。
「屋敷の霊が、月島……私の生徒の顔をしてたの。近くで顔を見たとき、はっきりと確認した」
『え……』
「私の心を読んで、そういう形をとったのでしょう。汚い真似をするな、と思って頭に血が上った。思わず首を絞めたわ。とにかく早く消えてほしくて、がむしゃらに首を締めた。でも抵抗が収まってきてもう終わると思ったとき……それが私の腕に指で触れてきて……」
そこまで言うと絵理子――佐藤先生は眉をきゅっとよせ、さらに表情を強ばらせた。
「その指が温かくて。それを感じたら締めてる首の感触が急に生々しく感じて、首もまた温かくて。人にしか思えなくなった」
『うん……』
「私、なんで人を、生徒を殺そうとしてるのかって思って……幽霊に誰かが殺されるのが嫌で行っているのに、私が人の首を締めてて、それじゃまるで私が……!」
『お母さん……』
人前で感情的な面を見せることなど絶対になかった絵理子。そんな彼女が感情のままの思いを娘へとぶつけている。
今回のことで彼女のなかのトラウマが刺激されてしまったのだ。
彼女は未亡人だ。愛していた夫の命を幽霊に奪われてしまった。そのため幽霊を憎み、もう大事な人を傷つけさせないという強い思いがある。
その彼女が守るべき生徒を殺そうとしていた。
からくも夫を殺した幽霊と同じ、首をしめるといった方法で。
「こんな屋敷に生徒が居るはずない、幽霊の心的攻撃だったってわかってるわ。でも私には……私には、あれを退治することが、もうできそうにない」
『……もういいよ。そんな所いても辛いだけだよ。あったかい紅茶買ってあるからさ、帰ろうよ』
震える声に錯乱した母の様子を案じ、香苗がやわらかい声で話しかける。夫を失った時でさえ娘の前では心を荒げずに居た母親が、こうして感情をあらわにしている。
(多分あの時は私が感情的になってたから、辛くても冷静になっちゃったんだろうな。こんなに弱ってるんだ。私だってもう大人だ。こういう時は私がしっかりしなくちゃ)
『今日は休もう……お母さんはもう齢なんだから、あんま無理したらダメだよ!』
気遣いなのか悪口なのかわからない言葉であったが、絵理子は強ばらせていた顔を少し緩ませると小さく「そうね」と呟いた。