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16話:すべりこみ特進生の災難

月曜日の朝八時ギリギリ。

またも恵は飛び込みセーフの登校劇を繰り広げていた。


「りゃああああっ!」


力強い叫びをあげチャイムの最後の余韻が残るうちに、教室ドアという名のゴールテープを走り抜ける。

ゼーハーと息をあげて、よろよろと席へ着くその姿は、死闘を繰り広げた戦士のさまだった。

呆れる光が後ろを振り向き、恵に何かを言いかける。しかし微笑を携えた佐藤先生が教室へ入ってきたので諦めて前へ向き直った。

教卓に荷物を置いた先生はまもなく話しだす。


「今日は朝テストの日ですね。点呼中までは教科書を見ていていいですからね。」


「……?!うっそ」


背後から恵の息を飲む音がして光がため息をつく。

昨日のサテライト授業後、部活メンバーの家にお泊まりした恵は、もちろん予習などしていない。

いつもならば前日に光からテストのことを教えてもらえるのだが、知らされずじまいで今日になってしまった。

心配した光が送った携帯メールも確かめずに過ごしてしまったようだ。

恵が週一で参加する園芸部は、まったり仲良しな部活だ。

普段の活動も顧問の先生を含め、校庭の花壇の傍らにシートを引き、談笑したり昼寝したりというよくわからない部活内容だ。

そんな部活のお泊まり会だ。談笑と昼寝に毛が生えた程度の活動内容で、まったり感に包まれて携帯の存在など忘れてしまっていたのだろう。


点呼が終わり、テスト用紙が前から渡ってくる。

光がちら、と振り向き、少し心配そうな面持ちでプリントを手渡してくる。それを絶望的な表情で恵は受け取った。

どんなテストであっても、特進クラスの生徒は六十点以下をとった場合、担任と一対一でのカウンセリングタイムが設けられた。

あの女教師のカウンセリングは精神を疲弊することを、経験者の恵は知っていた。

嫌なコトをすぐに忘れる恵も、その時ばかりは気分修復に二日かかったからだ。


(やってやる)


静かな決意を胸に、裏返しのテスト用紙をぺらりと表へと向けた。全部で十問、六問回答すれば勝ちだ。

問題をざっと見た後、恵はペンを持つ手にグッと力を入れた。


「……ッ」


ちょっと泣きそうになったのを我慢するために。






そうして放課後、恵はトボトボと一人で廊下を歩いていた。

まんまと呼び出しをくらったのだった。

一応心の準備はしてきた。光に頭を撫でてもらい、辻にリポビタンDを奢ってもらった。藤井の提案で、みんなが書いてくれた寄せ書きをお守りとしてもらった。


“頑張れ!大丈夫だ!私たちがついてる。生きろ。そなたは美しい。”


そんなことが書かれたメモ帳をギュッと胸に抱くと、ポケットに大切にしまい込んだ。

もう佐藤先生から指定されたカウンセリングルームの前だった。

小さな個室のなか、机を挟んでお見合いで椅子に座るのだ。地獄である。


(……がんばれ私!)


決意したような眼差しで、トントンとドアをノックして「失礼します」と小さく言い教室へ入る。


「座りなさい」


すぐに冷たい声に迎えられる。顔をうかがえば、やはり冷たい表情だ。いつもの微笑がはがれている。恵もまた神妙な顔つきで彼女に指し示された向かいの席に着く。

座るとすぐに、ス……と机の上にテストが置かれた。

50点


(惜しかったのかあ)


恵不得意の英熟語問題だった。getの後に何がつくかで全然意味が変わっちゃったりするあれである。

だがもう少しノートや教科書を確かめる時間があれば、あと10点ならなんとかなっただろう。


シー……ン


沈黙。テストを差し出されたあと、無言で恵を見つめる教師からピリピリと圧力がかかる。

恵はテスト用紙から目を離さずに、体へ浸透していく威圧感を紛らわせようとする。

脅威に目を合わせたら終わりな気がした。


「………」


「………」


沈黙がしばらく続く。

机と椅子、本棚だけが置かれた狭い室内に響く時計の音。

その刻む回数と共にどんどん強くなる胃のモヤモヤ感、そわそわ感と恵は戦っていた。


「二回目です」


「……はい」


ようやく教師が口を開く。刺すような冷徹な声だ。


「顔を上げなさい!」


普段荒げることのない彼女の、鋭く怒りを含んだ声。顔を上げると細められた目が、射るように恵を睨んでいた。


「どうしてこのような点数をとったのです?」


「……テストのことを、忘れてしまいました」


彼女に即席の浅はかな嘘など通じないので、正直にそう伝える。

「勉強不足でした」でも正しいし、まだマシに思えるが、恵は常に勉強不足状態であるので理由にならないのだ。


「………」


「……ごめんなさい」


「このような点数をとって、どう考えていますか?」


「反省しています」


「前回もそう言いました。あなたの反省は将来に活かされない」


「……ごめんなさい」


バシッ

突然テスト用紙が叩かれて、恵の肩が思わず揺れる。

そのままその手にくしゃりとテストは握られ、シワが寄る。

恵は下唇を噛みながらその様子を見ていた。


「恥ずかしい。勉学のために一生懸命になるべきあなたがこんな点数をとるなんて、見苦しい。このクラスの汚点です」


「……」


「自分の未来のために、学ぶことに貪欲にならなければいけない。あなたからは、その気持ちが感じられない。それでこんな点数をとるなら、このクラスに必要ない」


目を落とした恵が、より一層深く俯く。


「あなたに問います。なぜこのクラスに居るのですか?その姿勢なら、ここに居る必要は全く無い」


実際この言葉を言われ、進学クラスから出ていった人が居ることを恵は知っていた。

今でも園芸部で仲良しの友達だからだ。

返答を間違えれば、容赦なく他クラスへと移動になる。


「まだここに居たいです。気がゆるんでしまいました。これからは頑張りたいです」


「質問に答えてください。なぜこのクラスに居るのですか?」


そんな問答が続く。

それから十分、二十分と尋問時間は過ぎ、プレッシャーと反省心で恵の頭は疲れきっていた。


「私が悪かったです。このクラスに居ながら、成長しない私が。進学クラスに居て、勉強に追われることが、私のだらしない性格を鍛えることに、繋がると強く思っていたのに……それが将来にも繋がって」


「なぜ将来に繋がるの?具体的なビジョンは?」


「だらしなさを鍛えて、きちんとした性格になれば、私の弱点の克服にも、なりますから……」


目は虚ろで若干言葉も切れ切れだが、疲れた方がまともなコトを言えるようになる、だらしない特性の持ち主である。


「そうですか」


その一言とともに、乗り出し気味だった体を背もたれへと戻す。彼女から来る圧迫感が少し薄れ、首辺りを見続けていた恵が虚ろな目で表情を窺う。


「わかりました。もういいです」


三十分以上続いた尋問時間は終了した。同時に説教も終了のようだ。

ある程度筋の通った解答ができた時点で解放される。教師側が納得できなければ一生続く拷問なのだ。

いつもの落ち着かない微笑みに戻った教師の表情が、今は何より恵に安心感を与えた。


「それと、もうひとつ」


まだ解放する気は無いようだ。だが冷たい表情に戻ったわけでは無いので、とりあえず悪いことではないらしい。ぱちりと瞬きをして恵が首を傾げる。


「私だけでは結論が出ないので、ぜひ聞きたいことなのです。……大宮の屋敷騒動について、どう思いますか?」


「大宮の屋敷騒動……」


「いろいろな人に聞いたのですが、原因が事故なのか幽霊なのか。未だに私はよくわからない」


今まで説教していた相手に、悩んでいることを隠す様子も無く問いかけてくる。

脈絡も無くポン、と尋ねてくるのだからよほど頭のなかのキャパシティ占めていることなのだろう。

彼女が生徒を頼って質問する様子など、ツチノコ発見のような珍しさなのだが、恵はさほど驚いてはなかった。疲れていたせいだというのもあるが。


(光も聞かれたって言ってたな)


双子の片割れが同じ質問を受けていたことを事前に聞いていたからだ。珍しすぎる、天変地異の前触れだとか二人で騒いだのを思い出した。


「私は幽霊じゃないと思うんですけど……でもいろいろな人に情報を聞いて、それでもモヤモヤしているんですよね」


真剣な眼差しで話を聞く佐藤先生が小さく頷くのを見て、話を続ける。


「それはもう、先生が納得する方法は自分の目で確認するしか無いんじゃありませんか?屋敷へ行って」


「でも私は屋敷に近づいてはいけない、とみなさんに言ってしまったし。私が近づくわけにはいかないでしょう」


「……でも、生徒の安全を守るために言ったんですよね?だったら私は“生徒の模範として教師も屋敷に近づいちゃいけない”という考えだけが正解とは限らないと思いますけど」


恵は疲れてきっていた表情に、なぜだかキラキラと生気を戻しながら話す。


「どうして?」


「“生徒の安全のために教師が現場を確かめに行く”っていうのも、先生としての模範行動だと思います。私は……いえ、みんなも、安全確認のために先生が現場調査に行ったって言うなら、誰も文句言わないと思います」


明るい表情ですらすらとそう言ってのける恵を、先生は静かに見つめる。


「……先生は、本当に気になったことは他人の情報だけじゃ納得できないんじゃないですか?そしたらもう、先生の悩みを解決する方法はそれしか無いですよ」


そう言い切ったあと恵は「ねっ?」とでも言うようににかっと笑った。


すると信じられないことが起きた。


「ふふ……クスクスッ」


あの佐藤先生が、笑いだしたのだ。


「……?!」


あり得ない光景に恵が目を真ん丸にして驚く。

恵名物THE驚愕フェイスだ。


「ふふっ、まるで悪魔の囁きじゃない。私の倫理観をねじ曲げて、欲しい言葉を投げ掛けるなんて」


佐藤先生の“教師模範として、危険な場所へ自分自身も近づいてはいけない”という考え。

それを恵は“教師模範として、危険な場所の状況を自らで識るべき”という考えで塗り替えてしまえ、と提案した。そうすれば自分のなかの知識欲を満たせると。

欲を満たすために自分の考えを変えればいいじゃん、なんて確かに悪魔の囁きだ。


「確かにちょっと調子に乗りましたけどっ。先生がお屋敷に近づいちゃいけないなんて思ってる人、ホントに居ないですからっ。うー、そんな極悪人みたいに言わないでくださいよー」


「あなた本当に口が上手。しかもちゃんと一番欲しい言葉をくれるわね。その饒舌、将来悪いことに使わないでね?」


「詐欺師あつかいですかっ?!」


鬼教師の珍しいボケ発言に、恵も珍しくツッコミで返す。不思議な漫才コンビの誕生だ。


「あなたの提案はきっと的確よ。的確だから少し嫉妬してしまったの。でも私、生徒にそんな風にズバッと言われたの初めて。うれしいものね、ありがとう」


そう言ってにっこりと笑う姿に、恵は驚きを通り越して戦慄を覚えた。


(満面の笑み?!あ、あり得ない!これ、先生新作のドS攻撃なのかな!こわいもん!)


もう帰っていい、と言う先生に恵は一礼してカウンセリングルームを出る。

ドアを閉めトコトコと離れていく足音を聞きながら、佐藤先生は静かに目を閉じる。


(頭の回転が早く何でも器用にこなす。悩む相手の思いを考察し解決策を導くことに喜びを感じる、他人想いな生徒)


目を開けて、恵が持ち帰らなかったくしゃくしゃのテストに目を落とす。


(才能があるゆえの怠け、常識に欠ける態度、計画性の無い生徒)


「私と真逆だからこそ……聞いて正解だったのね……」


ふ、とため息を吐くと彼女は小さく呟いた。






結局、恐怖心と心労を残し、恵は教室へと向かう。

なんやかんやで一時間以上経っていた。

とぼとぼと衰弱した様子で2年A組にたどり着く。

教室にはまだ明かりが点いていて小さく話し声が漏れていた。


「おかえり」


出迎えた声に顔をあげる。ドアの先、真っ先に光と目が合った。


「ただいまっ」


とととっと近づいて頭を下げた恵を、光は苦笑いでよしよしと撫でる。


「1時間ですんだなら、まあマシなんじゃない?」


「うん。反省のポーズ~」


満足気に恵が頭を撫でられる。


「本当にメンタル強いね。あの試練けっこう泣いて帰ってくる人多いっていうよ」


「マジかよ、さすがトラウマメーカー」


藤井と谷の声に反応した恵は、驚いた顔で右を向く。


「待っててくれたんだ!ありがとー!リポDと寄せ書き、スッゴく効いたよ!」


「マジ?じゃあ、寄せ書き一文字につき百円くれよ」


奥からしたその声に恵がさらに驚く。


「え?豊!?葵も!なんで居るの?」


「なんで居るのってヒドいわぁ。俺らだって生きてるんだから、そりゃ居るさ」


「だって月曜は大抵バイトですぐ帰るじゃん!」


「なんか今日、バイト7時からだから余裕あるんだって」


「へぇー」


「そろそろ勤務時間調整しないと、103万円税金コースなんだよ」


「へぇー!」


個人が1年で稼いだ総額が103万以上になると、所得税をとられてしまうというアレである。

本来なら例え7時からであっても、睡眠時間や予習時間に当てるために帰っていただろう。

鬼教師と2人きりで説教、というシチュエーションに同情心が働いたのだ。

だがもうひとつ、昨日の『おっぱい事件』の所為、というのもある。双子は昨日のことなど、何もなかったように萩原と月島に接した。

若干とげとげしさは見え隠れしたが、不可抗力だったとある程度理解したのだ。

だが男2人には双子取り扱い注意報が昨日から出たままになっていた。

そんなわけで2人は恵を待つことにしたのだ。


「ありがとー」


嬉しそうにお礼を言う恵に悪い気はしないようで、2人はニッと笑って応じた。


「てかホントあの人の1時間説教で、よく神経ぷっつんしなかったじゃん」


「説教が1時間なわけじゃなかったんだよ。なんか説教のあと突然、先生の相談タイムになったの」


「は?相談?佐藤先生が?」


谷の怪訝そうな顔に、疲れの残る表情で恵が頷く。


「隠してる様子じゃなかったから言うけど。こないだの大宮の事故のこと、すっごく悩んでるみたいで……お化けの仕業じゃないかって」


「佐藤先生お化け信じてるんだ」


「それ、私も聞かれたヤツじゃない。何て答えたの?」


「私なんかにまで聞いちゃうんだから、他にもきっとたくさんの人に相談してるんだろうなと思って。それで納得出来ないんだったら、自分の目で確認しないとダメなんじゃないかなって」


「そう先生に言ったのか?」


萩原が即座に尋ねると、こくりと恵が頷く。


「先生屋敷行くって?」


「うん。行く雰囲気だった」


((……マジかよ))


まさかの家庭訪問である。

幽霊襲来に等しい恐ろしさが近づいていることに、彼らは絶望するしかなかった。

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