12話:サテライト大事件
日曜日の朝8時、学校。
「まにあった……」
そう言い黒板に書かれた指定席に着いた月島は倒れこむように机に突っ伏す。
左隣の席では登校済みの萩原が、すでに机と一体化したようにへばりついて沈没していた。
サテライト授業では英語数学の2科目を受ける。教室は2部屋用意され、好きな順番で授業を受けることができる。
そして実はこのサテライト、強制ではない。自身の参加するという意思での授業だ。しかもサテライト授業代という出費も発生する。
参加すると言った以上休めば出席に関わるが、わざわざ萩原と月島が参加しているのは特進奨学生だからだ。奨学金の中にサテライト授業分の割り当てがあったので、受けざるを得ない。
そのため友野姉妹は1限の英語のみ、藤井は2限数学のみの参加だったし、谷に至ってはただの休暇日だ。
ホームルームは無いが教室内に居るのが10人強と少数なので、座席表を見れば誰が居ないか一目瞭然である。
席は指定制であり、その科目選択者のなかで出席番号順に並ぶよう振り分けられている。
「あははっ!死体がふえたー」
月島の右隣、光の席に群れていた恵が、こと切れたように突っ伏す2人を揶揄して笑う。
「恵、もう時間だから席戻んなよ」
「えー。うう、ハブり席だからイヤなんだよなぁ。なんで席余ってんのに横6人ずつなんだろ」
ハブり席とはその横1列でポツンと1人だけ孤立してしまっている席のことである。
隣に人が居ず前の席の背中だけが頼りの孤独で寂しい席である。
ふてくされた顔で恵が席へ戻ると、教師が荷物を持って入ってくる。
「よいっしょ」
新人巨乳教師、新崎可憐だった。荷物を置いたときの揺れる胸が眩しい。
その気配に死体と化していたモテないメンズがのそのそと起きあがる。
そしてもちろん大きく揺れるそれをガン見する。
「………」
一連の動作を見ていた光の、蔑むような視線などもろともせずただガン見する。
女子のなかにも可憐級のメロンガールが居るには居るが、教師という彼女は特別重宝な存在だ。
堂々とずっと見ていても問題にならないから。
「はい、じゃあ教材配りますよ。6冊しかないから2人1組、席つけて使って」
サテライト先の有名予備校のテキストを前から回す。
生徒も指示通り1席づつ孤立した状態から、くっつけ2人席モードへフォームチェンジする。
「あ、1人休みですね。友野さん、空いてる席詰めちゃって」
「はーい」
ハブり席解任の恵が、にこにこと上機嫌で萩原の左隣の席につく。
それを確認すると教師は後ろを向き、何やらリモコンのようなものを棚から取り出した。
ピピッと音がして黒板がウィンウィンと上へあがっていく。
すると壁に埋め込まれたテレビがデーンと大画面であらわれる。
何度も見た光景なので生徒もとくに驚かないが、やはり貧乏2人の心中は穏やかではない。金持ち学校めが、と改めて感じてしまう。
「それでは1時間30分、集中して取り組んでください」
開始の合図とともにスタートボタンが押され、砂嵐が映っていた画面がプツッと綺麗になる。
このクラスは英語の講義だ。
オープニングから画面が切り替わると、講師がいきなりアップで現れ一瞬全員びくりとなる。
「みんなー。楽しい英語の時間はじまるぞー」
サテライト用に撮影したのだろう、カメラを意識したアタックだ。
一流大学目指して頑張ってねなどと手を振りながら言う講師の声が、ポカンとする生徒のなか明るく響く。
だがそこからは普通に講義がはじまる。
生徒たちも集中してノートをとりだした。
英語講師の指導の声とカリカリとペンを動かす音が教室に響く。
新崎先生は生徒監視と異常があった時の対応役で、とりあえずは教室に居ればいいので、黙々と赤ペンを持って採点作業をしていた。
「………」
静かに講義が進む中、しばらくすると脱落者が現れる。
かくん、と首を力なく下げ、恵が夢の世界へ旅立っていった。
特進クラスの生徒は普段こそおかしな行動をする人はいるが基本、授業に対する態度は真面目だ。
そのため高確率でこの状態になる恵は、特進内の異端者だといえる。
「………」
その特進でトップの成績を持つ萩原だ。
普段なら隣で寝るやつがいようが、気にも留めず講義に集中するだろう。
だが今日は席がくっついていることと睡眠時間がほとんど無かったことがあり、自慢の集中力はまったく機能していなかった。
こくりこくりと船を漕ぐ恵を視線の端に捉えて口元を歪める。
(今一番欲しいものが睡眠時間なのに、頑張って起きてる俺の前で眠るなんて…ゆるさん)
実はそんなに腹が立っているわけでもないが、集中できずどうしようもないので、恵で遊ぶことにする。
「……」
眠る直前の恵のノートは悲惨なことになっていた。
もはや英語なのか日本語訳なのかわからない、にょろにょろとした曲線がのたくっている。
私はマイケルは私はマイヶノレ
という寝ぼけてどこを書いていたか忘れ2度書きしてしまう、忘却性寝ぼけ現象からにょろにょろが続いているので、日本語訳だったと推測できる。
(なにこのマイケル暗示。マジ怖え)
鼻で一笑して落書きをしてやろうとシャーペンをかまえる。
暗示を漫画のようなフキダシで囲い、その下に恵の似顔絵を、
(……人の顔ってどう書くんだ)
描こうとして手を止める。
去年の美術の授業に彫像画があったが、芸術科目は美術、音楽、書道からの選択で書道を取ったため、関わっていない。
なんと、人の顔など描かずにこれまで生きてきたことに今気付く。
(えーっと)
恵の寝顔を見ながら模写をする。
そこまでして描く必要性を全く感じないのだが、いらん所でも真面目なヤツである。
いらん所で不真面目でもあるのだが。
(うっわ、まつ毛長っ。バケモノか)
これだけ近距離で長い時間顔を見るのははじめてのことだ。
1年半をこえる付き合いでの新発見である。
(……ていうかコイツ、黙ってるほうが全然いいな。もったいないヤツ)
長いまつ毛や少し日焼けした肌、さらさらとした黒い艶のある長髪。
小柄で明るい印象の彼女だが、こうして大人しく眠っていると、艶やかな色香がただよう。
普段は幼さが目立つこともあり、ふと、こうした場面で驚かされる意外なギャップの持ち主だった。
「………」
誉めたところで、ちょっとはマシに描いてやろうと思っても、どうにもならないことはある。
人参のような輪郭から目、鼻、口すべてがはみ出していた。強調したまつげは白目をギザギザと上下に両断している。
模写したはずの恵はかわいさとか色気とかそれ以前に、人として危ういラインの絵だった。
どんなにがんばって見たところで妖怪でしかない。
(俺、もしかして……絵心無い?)
今まで気がつかなかった彼の神経を疑う。
人物画以外はうまく誤魔化してきたのだろう。先生も、自分も。
衝撃だった。
呆然と自分の絵と恵を見比べる。
「……はは」
こんなところで自分の短所に気づくとは、と小さく笑いがもれる。
その声に反応したのか恵のまつ毛がピク、と動きうっすらと目を開けた。
そしてぬぼーっと萩原の方へ顔を向ける。
「ぶくっ」
そのあまりの間抜け面に吹き出しそうになり口を押さえる。あまりの落差だった。
あながち似顔絵も間違いではない、新種の妖怪のようであった。
こしこしと目を擦りながら、とりあえず妖怪モードからは立ち直る。
「……??」
吹き出しそうな萩原というレア現象に、寝ぼけながらも違和感を感じたらしい。
寝起きで視界がぼやけてよく見えないらしく、顔を近付けてまじまじと見る。
(近いっつの)
上半身をこちらへねじり、ためらい無く近づけてきた顔にさすがに動揺した萩原が身をひく。
そしてそのまま視線を逸らそうと思ったその時、
「……?!」
背中にドスと激しい衝撃を受けて、前へと押しだされる。
目の前にはまだボンヤリとした顔でこちらを見る恵。
(ヤバいッ!!)
押し出された後の一瞬、脳裏に映し出される大惨事。
このまま勢いに逆らわなければ恵と顔面同士が衝突、当たりどころが悪ければ唇ドッキングコースだ。
(そんな少女漫画展開ヘドが出るっ!)
なんとしても惨劇を防ぐ一心で、脳から体全体へ緊急任務が言い渡される。
――顔は右向け右ッ!腕は正面恵方向へガードを作れ!
脳の指令に即座に対応する顔と腕。最悪の展開を防ぐ素早い防御手段のはずであった。
ガスッ!……むにゃっ
(むにゃ?)
ガスッ!は方向転換した顔の側面が、押された勢いで恵の顔面にヒットした音だ。最悪と予想された唇衝突は避けられた。
では腕へと伝わるこのむにゃっと感は何か。
ゆっくりと顔を元の方向へもどし、自分の左腕の位置を見る。
「……」
肘から先の腕一面に、恵の胸がジャストミートしていた。
そろそろと視線を上げると、口を大きく開けたまま硬直している恵と目が合う。
その顔には眠気などもはや微塵も無い。
「いや、違う」
みるみる顔が赤くなる恵に冷や汗をかきながら萩原が弁明しようとする。
しかしそんなものが聞き入れられるはずもない。
「「ふ……ふやぁぁぁああッ!!」」
前から後ろから輪唱した悲鳴があがる。
(後ろからも?!)
思いがけず背後からあがった悲鳴に驚き、バッと後ろを振り返る。
同じタイミングでこちらを振り返った月島と目が合った。
一体何が。月島の奥へと視線を移す。そこには悲鳴をあげた口のまま真っ赤な顔をして固まる光が座っていた。
双子の姉妹だと感じさせる、恵とよく似た表情であった。
普段は似ても似つかない2人が、めったに見せない表情で血の繋がりを感じさせるとは、感慨深いものがある。
キーンコーンカーンコーン……
膠着状態を破るように、授業終了の鐘が鳴る。
その音に我に返った友野姉妹が、体を震わせながら言葉とうめき声を吐き出す。
「なに?なんで?」
「く、くうぅ……!」
顔は真っ赤なままで、恥ずかしさの他に怒りが沸き上がるのが見てとれた。
「不可抗力だ」
「え、俺、何したの?」
悲鳴の輪唱を引き起こした二人の方を向き、クラス中の目が点になっていたが、我に返った新崎先生が思い出したように口を開く。
「あ、えー授業を終わります」
ガタンッ!
四人が一斉に椅子から立ち上がる。
二人は怒りに身をまかせて、二人はその殺意の波動に気押されて。
「くっ!」
萩原と月島が逃走をはかりスタートダッシュをきめる。
先日から逃げてばかりで、ビビりまくりの自分に唇を噛むが仕方ない。ヤバい逃げろと無意識が告げているから、頭より先に体が動いていた。
だが逃げることさえ許されなかった。
ガツッ!ガタガタガタッ!
走りだしたと思った瞬間、萩原と月島がバランスを崩す。
サッと素早く出された足にひっかかったのだ。
騒音をたてて椅子と机にぶつかりながら、その場に膝をつく。
慌てて立ち上がろうとした所で手遅れだった。
もがく間も無く首元を掴まれ、床へと強い力で押さえ込まれる。
気付けばべたりとうつ伏せになり床とキスをしていた。
「……?!」
あまりに早い展開についていけず混乱する。
状況が掴めず動けないうちに、体がコロリと半回転させられるのを感じる。
視界は一面の床から一転、仰向けになり開けていた。
「え?」
仰向けになった彼らの目に映ったのは天井ではなく、馬乗りになって見下ろす人の顔。
まだ紅潮した頬に潤んだ瞳、きゅっと眉をひそめた少女たち。
そんな可愛らしい顔を見上げながら、男たちは恐怖しか感じることができなかった。
こんな状況でなければ、いつもは見せないそんな表情に違った感情を抱いていただろうに。
「「この……変態っ!!」」
バチーンッ!!
ビュッと風を切って頬に迫った手のひらは、拷問のムチのような音を発てて頬を打つ。
「いってぇえ!!」
たまらず馬乗りになったお仕置き仕掛人を退かそうとするが、少しでも動こうとすれば首をきゅっと絞められる。
マゾならばこれ以上ない歓喜の瞬間だが、その世界に踏み入れたことの無い彼らは対応出来ない。
スイッチの入った彼女らはなおもビンタを続ける。
力にモノをいわせて彼女らを退かすか、彼女ら自身が冷静さを取り戻すまでこの状態はしばらく続くだろう。
見るに耐えないので、ここでなぜ月島がひっぱたかれるに至ったかを振り返ることにする。
教室に入って来たとき、新崎先生は落ち込んでいた。
(あんな所に水いっぱいのバケツがあったなんて)
実は彼女の起こしたテキスト落下水没事件によって、生き残った6冊で授業をすることになった英語クラス。
隣同士机をくっつけ2人でテキストをシェアすることになり、光のペアは月島となった。
それなりに会話をすれば盛り上がる2人だがそこは特進クラス、話さず真面目に授業に取り組む。
(Accordinglyでまとめに入ってるからこの問題の答えはこっから先に……ん?)
パッと集中が途切れる。
左肩がずしっと重い。
(……あーあ、もう)
急に重くなった肩を見ると、茶髪頭が目に入る。
月島が光に寄りかかって爆睡していた。
授業中にここまで寝込むのは珍しいことを知っていた光は、あきれながらも疲れがたまっているのだろうと同情する。
週5のバイト事情を彼女は知っていた。
(1、2分は起こさないでいてやるか)
小さくため息をつきペンを持ちなおすとテレビへ視線をもどす。
電車の中で隣の人が寄りかかってくるという同じようなシチュエーションでも、嫌悪感よりも同情心を持つタイプだった。
きっとすんごい疲れてるんだろうな、と。
まあ結局肩で押し返して元の位置に戻ってもらうのだが。
真面目で厳しい面もあるが、相手のことを心から思いやれる、優しい女の子なのだ。
「……」
光が再びペンを走らせはじめ、小さな振動が月島にも伝わっているはずだ。
しかし平和な顔で平和な寝息をたてながら眠る彼が、起きる様子は無い。
いやむしろ眠りはより深いものになっているようだ。
ずるっと肩に支えられていた頭が落ちる。
もはや体全体で寄りかかっていたのか、頭はより光方向へ、かつ下へと落ちていった。
ぽにゃっ
顔面が、柔らかいエアバッグによって落下を止められる。
言わずもがな、胸である。
(――!!)
光の頭が真っ白になる。
だがまだどこかで、無意識のことだから仕方ない、落ち着けと唱える自分が居た。
(急いでこいつを退かして、コトをおさめよう。忘れよう、これは事故だから!)
その理性が頭が真っ白になった彼女に提案する。それに従い、震える彼女の左手が月島を退かそうと動き出す。
しかし。
「んー……」
感触が良かったらしい。まだ寝たままの月島は、幸せそうな様子で顔をもごもごと押しつける。
これもまた無意識であり事故だ。
だが光の中でそう言っていた理性はどこかへすっ飛び、頭は完全に真っ白になっていた。
「――っ!!」
軽く叩いて起こすために出していた左手で、力一杯月島をどつき飛ばす。
勢いで後ろにいた萩原の所まで吹っ飛んだが、気に留める理性はもうない。
突然突き飛ばされ、目は覚めたが状況の理解出来ない月島が驚いた顔で辺りを見る。
キョロキョロと宙をさ迷っていた目が光を捕えた瞬間、さらに驚きに見開かれる。
ぷるぷると震え、真っ赤な顔で歯を食い縛る光の顔なんて、初めて見るものだったから。
恵と喧嘩をしているときの怒りの表情とは、全く違うものだ。
目が合ったことが喉元まで出かかっていた悲鳴の引き金となった。
「「ふ……ふやぁぁぁああッ!!」」
そして、今に至る。
1分ほど続いた往復ビンタは、姉妹が落ち着いたことによりおさまった。
力では負けないはずの男子2人を圧倒して叩ききったのだ。
女子を本気の力で払いのけられないことや、予想外のことで頭が対応しきれなかったことを考慮しても、姉妹の戦闘力はスカウターを壊さんばかりだった。
なにより素早い。考える暇を与えない。
「こ、こわぁ」
「うらやましい」
クラス中(といっても争い渦中の人間を除いた、たったの8人だが)の視線を浴びながら、友野姉妹は立ち上がる。
ブスッとした表情で惨めに転がる男子を一瞥すると、早足で教室から出ていった。
それを見送る、頬をパンパンに腫らした涙目の男2人は思う。
多分こいつらには一生彼氏なんか出来ないだろうな、と。
そして口を揃えて言う。
「「バケモノめ」」