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11話:金髪女、タネあかし

「うっ、ううう……」


暗い夜道に啜り泣く声だけが聞こえていた。

深夜1時近くにも関わらず、ポツリと一人泣いているのはどうやら女性のようであった。

人影は通りの真ん中で俯き、顔を両手で覆ってさめざめと泣いていた。


「どうして……」


肩を震わせてぐずぐずと鼻を鳴らしながら嗚咽を漏らす。

顔を覆ったまま数歩足を進めると、明るく照らす外灯の下へ出た。照らされたのは少しくすんだ金色の長い髪。


すると突然、彼女は身につけていたロングコートのポケットへ片手をガサリと入れた。

まさぐり、中から取り出したのは手鏡だった。


「……?!」


覆っていたもう一方の手も外し、そろそろと鏡に映った顔を見ると、思わず彼女は絶句した。

そこにあったのは自分とは思えない、KO負け選手のような顔であったからだ。


「なんで……」


鏡に映った顔へ、ポツリポツリと涙が落ちる。

手をそっと右目に当てる。

紫色に変色し腫れたそこに、ピリと痛みが走る。

う、と息をもらすが、すぐにスーッと息を大きく吸った。


「なんで私がこんな目に合わなきゃいけないのっ?!」


悲痛な叫びが深夜の静けさを切り裂いて響いた。


「ホントはみんなと楽しくカラオケオールだったのに!!なんでこんな怖い目にっ」


ずずずっと鼻を啜り、ぼろぼろと涙を流して彼女は叫び続ける。


「もうやらぁぁあっ!!」


外灯の中、悲しみに暮れるヒロインのように彼女は泣いた。

恐怖から来る緊張の糸が切れ、留まっていた感情を放散させたのだ。


彼女の感情をここまで抑制させた恐怖とは何であったのか。

それ以前に、彼女はなぜ危険も顧みず夜道で一人泣いているのか。

始まりは数時間前の出来事であった。









土曜日、授業の無い大学生というのは自堕落なものである。

起きたら太陽は南中過ぎなどとよくあることで、その時点でさらに二度寝を決行する輩も居る。

彼女もその一人で、午後5時を過ぎた今も、すぴすぴと寝息をたてて眠っていた。


「起きてよー。起きないと遅刻しちゃうよー」


まるで世話好きなギャルゲーのヒロインようなセリフが降り掛かる。


「うにゅー」


だがしかし起こされる人間もまた、ギャルゲーから抜粋したような可愛い寝ぼけ声を上げて寝返りを打った。

ふわふわとしたブロンドの髪が白いシーツに広がる。

起きる様子もなく寝息をたてる彼女を見て、今度はため息が降り掛かった。


「てやっ」


ピースした二本の指が閉じた瞼の上から眼球にドスリと突き刺さる。


「うぐぅっ!」


衝撃に目を押さえ、ジタバタと足をばたつかせて藻掻きだした彼女は、そのまま転がるとベッドから落下した。


「うわわ!落ちたっ!ごめんお姉ちゃんやりすぎたっ」


「目が……目がぁ!」


しばらく悶え苦しんだあと息を正し、髪もパジャマも乱れた姿でゆっくりと上半身を起こす。

それからボンヤリと薄目を開けると、目の前の人物に焦点を合わせた。


「美也子ーおはよー……」


「お、おはようお姉ちゃん。もう5時過ぎだよっ」


「あふ……ありがと美也子、起こしてくれて、カラオケ今日の7時からで……ふぁあー」


「カラオケ7時から?!ああ、やっぱり覚えてないんだ。お姉ちゃんっ、昨日の夜に私と話したこと忘れちゃった?」


「昨日の、夜?」


こてん、と首を傾げ眠たげにこちらを見返す様子に、美也子は困った表情をつくった。


「覚えてないんだね?今、高校で話題の新聞の話だったんだけど」


「ああ昨日、先輩に告白したとか何とか言ってたっけ……」


「違う!それは皆にそう勘違いされちゃったよ、ってところでしょ!なんでそんな微妙なところだけ覚えてるの!」


うまく回らない寝起きの頭で考え、少しだけ思い出す。

昨日の夜遅く帰宅した自分に対して、妹の美也子が“大事な話”だと言って切り出したこと。

大学の人付き合いで、正直気乗りしない飲み会に参加した帰宅後であった。

酔いが回っていた彼女が覚えていないのも無理はない。


「もう。大事な話なら酔ってるときに言わないでよ。覚えてられるワケないでしょー。今日でも良かったじゃん」


「昨日、散々明日じゃダメだって説明したのに!どうせ明日は遅くまで起きないだろうから、話すなら今日にすべきだって思って」


「ふうん、そっか」


「遅くまでお姉ちゃんを寝かしておきたかった理由は他にもあるの。体力を万全の状態にしておいて欲しかったからっ」


何のことやら、再び姉がこてんと首を傾げる。

美也子はそこまで言うとポケットから何かを取り出し、姉の目前に突き付けた。


「お姉ちゃんへおつかい。詳しくはこのメモに」


「あ……」


メモの内容を読み理解するに従い、姉の表情はどんどんと曇っていく。

相対して眠気から来る頭のモヤは晴れていき、昨日の記憶も段々と甦っていく。

メモには可愛らしい丸字で、しかし内容は全く可愛らしくないことがつらつらと書かれていた。


学校の近郊にある無人の洋館。

そのはずなのに、女性の歌声が聞こえたという噂。

周りはどの程度か分からないが、とにかく高い塀に囲まれている。

入り口は無く、侵入には長い梯子が必要なこと。

そしてその洋館への道順。


ざっとそんな内容だった。

そして浮かぶのは、昨日の美也子の言葉。


――明日、土曜日の日が変わる頃にお姉ちゃんに行ってほしいの。


「私が……この無人の洋館に行くの?」


「そうそう!思い出してくれた?」


「やだっ、何で私が!私はカラオケ行くんだもんっ、やだよ……」


涙目になって必死に否定する姉に、妹は暗い表情で顔を伏せる。

だがそれは情けない姉だと思う気持ちの表れでは決して無かった。


「霊を払う力は、お姉ちゃんとお母さんしか持ってないから。……私じゃお化け見えないし」


“霊を払う力”美也子の口から随分スピリチュアルな言葉が出たが、いたって本気の発言であった。

彼女はその力を、物心付く前から茶の間の話題としていたため、当前存在するものとして受け止めていた。

自分には無い、その除霊パワーを母と姉が持っていると何の疑いも無く信じているのだ。


「この話もとはね、洋館ホラーの噂が学校で話題だよってお母さんに言ったのがはじまりだったの。それ何とかしなくちゃいけないから詳しく調べてきなさいって言われて。だから調べに行ったのに、お母さん行かれないって。お姉ちゃんに行ってもらいなさいって」


「知らないよそんなの……放っておけばいいじゃない……怖いもん、幽霊怖いもん」


「普通の人なら見えない幽霊を、見られる私たちが何とかしなくちゃいけない。それが家族での約束でしょ?ごめん、私が偉そうに言えることじゃ無いけど」


「でも私一人じゃ無理だよ!お母さんについて行った時だってすごく怖かったのにっ!出来ないよ。他の見える人が何とかするよ……なんで私がわざわざ。放っておけばいいよ」


姉、香苗は霊が怖かった。

確かに彼女自身も、妹が言うように自分が霊能力者であることは認めているが、普通の女の子と同じように霊が怖かった。


そんな怯える姉を責め立てることは出来ない妹。

美也子の暗い表情は、何も出来ない自分自身を情けなく思うものであったのだ。

彼女には霊など見えず、当然除霊の力など無い。

無力の自分が悔しかった。


「お姉ちゃんはさ、普段からお化けが見えてるんだよね?でもやっぱり怖いんだ?」


これ以上の説得が心苦しくなったのか、美也子が少し話題を逸らす。


「うん怖い。普段は見えてるんだろうけど、わからないの。人と同じようにしか感じないから、気付かないの。でも、改めてこれがお化けですって宣言されて、それが見えちゃったら、もうそれはお化けでしかないから。怖いでしょ?」


「なるほど、人と同じよう感じるのかぁ。じゃあ本当に人間なのにこれがお化けですって言われたら、騙されちゃうねー。あはは」


以前同じ質問をしたことがあったことを思い出した美也子が、当時と同じ切り返しをして笑った。

香苗も当時と同じように、それ嫌だねと言って笑ったのを見て少しだけ安心する。

姉をマイナスの感情から救うのは笑いだと美也子は長年の付き合いで学んでいた。

それで落ち着いたのか香苗は笑い終えると、ふうとリラックスした様子でため息を吐いた。


「お父さんの命を奪ったんだもん。やっぱり霊は怖いや」


「……っ」


落ち着いた表情をしながらも俯いてポツリ言ったその言葉に、妹は息を飲んで固まった。


「でも、お父さんの仇だもん。やっぱり霊が憎いよ」


「!……うん」


顔を上げ、美也子へ向けられた澄んだ目には先ほどの怯えの色は無かった。

少しでも気分を和らげられれば、他の視点からもう一度現状を見つめ直すことができる。

美也子はそんな姉の強みを理解していた。


「洋館行くよ。幽霊を私たちが何とかしなくちゃいけない、野放しにはしておけない、私たちの憎むべきものだから」


「うん!」


天気のようにコロコロ変わる香苗の性格が、美也子は好きだった。

一つのことに捕われず、成長していくことができるから、と少し羨ましくさえ感じていた。

また口には出さないが、姉は恐怖との相性が良いと捉えていた。

彼女のゴキブリを目前にした時の、奇声を上げながらの猛攻は凄まじい。

火事場の底力が出せるタイプなのだ。

そして今回のように恐怖で動けなくなった時でも、必ず打破し乗り越える強かさがあった。


「お姉ちゃんはすごいね」


「え?何?それよりご飯作ろう!今日はカツだよ!あーカラオケ断りの連絡も入れなきゃ。うぅ、歌いたかった」


「ご飯も大事だけど……私がお姉ちゃん起こしたのは、除霊武器の準備してもらうためなの」


除霊武器という言葉に、美也子に背を向け鞄をあさっていた香苗が振り返る。


「おっかないことをさらりと……カラオケ断りメール入れたら、準備するからさ。武器下から持ってきてよ」


そう言い、携帯を求めて再び鞄をあさりはじめた背中に頷くと、美也子は部屋を出た。

廊下を歩いてすぐの階段を降り、さらにもう一階分降りる。

この家は3階建て地下付きという、敷地面積は狭いが上へ伸びた構造であった。

香苗の部屋は2階にあり、そこを出た美也子は地下へと向かったのであった。

地下には一部屋しかない。現在は誰も使っていない部屋だった。


カチ


壁のスイッチを押すと、暗い部屋に明かりが点いた。

照らされたのは、随分と物でごちゃごちゃした印象の部屋だった。

デスクの上は紙や本の雪崩が起きており、微々たるスペースしか茶色の木目が見えていなかった。

床も本やくちゃくちゃの服やティッシュやらで散らかっている。

美也子は足の踏み場を選びながらデスクへと向かう。

武器はそこにあった。


カタン


金属バットであった。

デスクに立て掛けられたそれは、除霊武器とは到底思えないただのバットである。


「よいしょっ」


手に持ち、床のスペースを縫ってもと来た道を引き返す。

電気のスイッチ前まで戻ってきた彼女はちら、と横目で壁を見る。

そこには、へたくそなクレパス画が飾られていた。題名は『おとうさん』。


美也子は少しの間それを見つめると、ぎゅっと目を瞑り部屋の電気を消した。

金属バットを両手で引き摺るようにして階段を登る。


「ひふぅー」


急ぎ足で登る階段は長年の住民にとっても苦痛である。

700グラムほどしかないはずのバットがずしりと重く感じる。

息を整えながら香苗の部屋のドアを開ける。


「お姉ちゃんこれ武器……」


一歩足を踏み入れ、姉の姿を見た美也子は口をつぐむ。

部屋の中はしん、としていた。

視線の先の姉は、ドアに正対してベッドの縁にちょこんと座っていた。

目を閉じ静かに座る姿は、先ほどの喧騒の中心人物とは別人のようであった。


「………」


香苗がぱちりと目を開き、美也子の方へと無言で両手を伸ばした。


「あ、うん」


何となく音を立てないほうがいい気がして、摺り足気味にすす、と美也子が近づく。

そして手のひらを上に差し出された両手に武器を置く。

香苗はバットを受け取ると、すっとそれを胸に抱く。

しばらく目を閉じ、ぎゅっと強くそれを抱きしめていたが、体から離すと、バットの先端を口元へと持っていく。


「力を貸してください」


そう囁くと、バットの先へ優しくキスをした。

その瞬間、ふわっと暖かい風がそこから溢れた気がして、美也子は目を細める。


「ほわ……」


思わず感嘆の声が出て、慌てて口をつぐむ。

何だか少しでも自分が動くと、今の空気を壊してしまいそうだと美也子は思っていた。

そんな思いに気付いているのかいないのか、香苗はただ黙々と目を閉じバットに語りかける。


バットに語りかけているその光景など、どう頑張って解釈しても野球部のマネージャーが願懸けをしているようにしか見えない。

だが美也子は目の前のそれををどこか神聖視していた。

静かに姉のその儀式を見守り続ける。


「うわっ、あんま見ないでよ」


しばらく静かにバットを抱きしめて何かを呟いていた香苗だったが、目を開けた瞬間、美也子がじっとこちらを見ていることに動揺する。


「え、いやなんか、目を離したらいけない気がして」


「見てないほうがありがたかった!恥ずかしいじゃんもう!」


「でもきれいだったよー」


「ほらほらそれより、じゃーん!幽霊退治バットの完成!効果は一夜限りのマジカルバット!すごいでしょー。ちなみにおさわり禁止ね!私以外の人が触るととっても危険なんだから!」


自慢げに見せびらかしてくる香苗だが、パッと見るかぎり何の変化も感じないただのバットだ。

それでも美也子はすごいすごいと拍手をする。

この姉妹の仲が良い理由は、8割方美也子の寛大さにあるのだろう。中学生にしては実に大人だ。


「よしじゃあ今日は私がカツを作ってあげるね。お姉ちゃんはマジカルバット作りで使った体力を回復しておいて」


そういって立ち上がろうとした美也子の眼前にビシッとマジカルバットが突きつけられる。


「またれい。私も作る!体力なんて食べたら充分回復するもん!それに、二人のパワーで勝算は倍だよ!」


「なるほどっ、じゃあ一緒に料理しよー」


こうして二人の共同作業の幽霊退治に向けてのカツ作りは始まり、キッチンでは楽しいクッキングタイムが繰り広げられた。

完成系はパーフェクト、味もミシュラン3ツ星級であると二人で絶賛した。

今日は完璧な当たり目の日だと確信した。



それなのに

それなのに……

お化け退治はあえなく大失敗。

幽霊に靴を投げられ、全力のストレートを喰らい、目の周りには大きな青あざ。

必死に逃げ出した。

そして街灯の下で泣きじゃくる現在に至る。


10分くらい街灯の下に立ち尽くしていただろうか。鼻をすするばかりで涙はもう出ていない。

だが顔は左目が赤く腫れ、右目は青く腫れるというなんとも派手なことになっていた。

やっと落ち着いた香苗は洋館の幽霊分析をはじめていた。


(履いてた靴を投げたり、全力パンチをかます幽霊なんて聞いたことない)


しゃくりあげながら思い出す二体の幽霊はあまりにイレギュラーだった。

他にもどうも人間くさい、幽霊独特の儚さを感じさせない様子が伺えたことに首を傾げる。

首を傾けた瞬間片側に集結した鼻の中の水をずずっとすすり、うーと小さく唸る。


「さむい」


止めどない鼻水が号泣だけが理由でないことを悟り、はやく家へ帰ろうと思いつく。

くるりと振り返り街灯の下から離れると、暗がりに転がる物体に手をかける。

除霊武器、マジカルバットだ。

カラカラと冷えきったそれを引きずりあげ、そのわきのくしゃくしゃに放置した梯子も回収する。


(重いよー、寒いよー)


そして彼女はふらふらと夜道へと消えていく。

近場に停めてある車の暖房を求めて。




彼女はまさかさっきのが無断居住の貧乏人だとは思わないだろう。そして逆もしかり、まさか霊能力者が除霊に来たのだとは思うまい。

そもそもそんな職業が実在することを彼らは信じていない。


だが確かに人がいないはずの洋館で賑やかな事件が起きてしまった。

すれ違いが幽霊を形作っていく。

2人の望む日常が確かに崩れていっていた。

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