10話:途方に暮れる2人
呆然とドアを見つめ続けて数分。
嵐の後の静けさのように屋敷は静まり返っていた。
女が戻ってくる様子も無い。
「……なんだったんだ?」
やっとのことで萩原が声を絞り出すと、月島もよろよろと立ち上がる。
廊下の壁に背中をあずけて寄りかかると、両手で顔を覆う。
「……わけわかんない」
「ああ……ホントわけわかんねえ」
萩原は顔を俯かせると、髪をわさわさと掻き毟った。
理解できない問題に遭遇すると出る癖だ。
「でもとりあえず、一つわかったことは」
「あんのかそんなもん」
顔から両手を外し、ぐったりした様子の月島の顔が玄関ホールのほうへ向く。
「俺さっき、怪現象で玄関開かないのかと思ってたけど、ドアは引かなきゃ開かないな」
「ふざけんな……お前何年ここの住人やってると思ってんだ」
屋敷内から外へ出るときは、玄関のドアを手前に引かないと出られない。
ひたすらドアを押していた月島は大間抜けをしでかしたということだ。
毎日当たり前のようにやっていることなのに、人間焦るとろくなことをしない。
はは、と乾いた笑いをこぼすと月島は廊下をゆっくりと歩き出した。
「とりあえず玄関に鍵を閉めよう」
「閉めたらあいつが入ってこないっつう保障はあんのか?」
落ち着き頭が少しずつ冷静になるのに比例して、底冷えするような恐怖がわき上がっていた。
先ほどの鬼気迫る恐怖とは違う、見えなくなった脅威に対する恐れであった。
「だってほら、あいつドア開けて出てったじゃん。もしすり抜けたりできるなら、そんな手間かけないだろうし」
「あ、てことはあいつ、幽霊じゃねえのか?」
”幽霊”信じたくはないがずっと彼らのなかでくすぶっていた言葉。
改めて言葉に出すと、ピリと緊張した空気が流れた。
「それはどうだろ。そういうタイプの霊なのかもよ。まあとりあえずあいつ靴当たったし、よくゲームとかである物理攻撃が効かない定義じゃないんじゃない?すり抜けたりはできないんじゃないかな」
余裕のない場面での月島は問題に対応するにはどうするべきか、普段あまり使わない頭を回転させて打破策を見つけ出そうと冷静になる。
対して普段は冷静に頭を働かせる萩原だが、手に負えない状況になるとなかなか混乱から立ち直れない。
その様子が今ありありとでていた。
「でも幽霊ってのは魂が丸出しで放浪してる状態なわけだろ?魂は本来物理的な物に内在してなきゃならないもんなんだから、すり抜けらんなきゃおかしいだろ」
そんな背後から聞こえた萩原の幽霊分析に、玄関に鍵をかけた月島は疲れた声で対応する。
「ずいぶん哲学マンモードだね。でも幽霊定義なんて生きてる人間にはわからないし。だから俺はさっきのは人間だったってことにするよ、物騒なのはやだし。今はあいつがドアをすり抜けられなかったってことが大事。これで安眠だい」
「ああそうか、そうだな。さっきのは噂を聞いて面白半分で忍びこんだ人間に違いない。他の忍び込んだやつを脅かして遊ぶ愉快犯なんだ」
珍しく他人の意見を鵜呑みにし、そう自分に言い聞かせて落ち着こうとする萩原をわき目に、月島はふらふらと玄関ホールすぐそばの自室へと戻っていく。
一週間の疲れと、バイトにバトルでバットで殴られ、3Bをこなした彼の体力はもはや限界を超えていた。
大型犬とルーベンスの絵さえあれば天使のお迎えが来てもおかしくないと本人は感じていた。
「ううパトラッシ……」
靴を適当に脱ぎ散らかし、窓際に敷きっぱなしの布団の上へバタンと倒れるとすぐに寝息をたてはじめた。
直前まで恐怖にさらされていたというのに、人間の強かさを感じさせる光景だった。
だがバットで打たれた以外は同じ状況下にいたであろう萩原は恐怖との戦いはまだ続いているようで。
(人人人)
手のひらに漢字で人と書いて、さっきのは人間だと自分に刷り込ませようとしていた。
落ち着き効果と併用できる今の萩原にはベストな行動だろう。
だが結局朝が来るまで眠気が訪れる気配は無かった。