惜別
病院からの電話が鳴ったのは突然だった。それは市の温泉センターで入浴し、談話室で寛いでいる時だった。様態が悪化したので直ぐに来て下さいとの言葉を受けて車を走らせた。
病院に到着すると父は苦しそうに荒い息をしていた。しばらくベッドの横で見守っていたが、荒い息は徐々に弱まりやがてモニターに表示されていた心電図も水平になった。
医師から死を告げられ、5年前に母の葬儀を執り行った葬儀会社に連絡した。その葬儀会社で葬儀を行う事は父の希望でもあった。
葬儀会社はテキパキと動いてくれ、都度確定権を求めながらも最終的には全般的に先方の思惑通りに動いた。私自身にもそれだけの余裕はなかった。お通夜、葬儀、初七日と淡々と進み終えた。それから、四十九日までは少し時間があったので考える時間も増えた。時折、これで良かったのかなと思う事もあった。葬儀は全て父の希望に合わせたつもりだが、些細な事でほんとうに良かったのか不安を感じる様になった。
十分に年老いた父が亡くなった時は、影響力がそれ程大きいとは微塵も思わなかった。だが、他界後大小にかかわらず何かを判断する度毎に、父ならどう判断しただろうと思う機会が増えた。ある種、とらわれているとも言える。
初七日の後、父が入院中に携帯電話に連絡をくれた女性の友人に、父が亡くなった旨を伝え、生前お世話になったと連絡したら、苦しまずに逝かれましたか?と聞かれた。決して苦しんでいないわけではなかったが、先方への影響も鑑み、穏やかに逝きましたと伝えると、それは良かったですねと言ってくれた。それを聞いた私は涙が止まらなかった。父とは古い友人というだけで、それ程頻繁に会っていたわけでもないのに、最後の時の事まで心配してくれる人がいる。その事実に感動した。
初盆の時期が近づく頃、葬儀会社から展示会の案内があった。そこで契約すると幾らか安くなるというものだった。初盆は自宅で行うとお寺さんにも告げていたので展示会におもむいた。自宅に飾る色々な仏具が展示してあった。流石に初盆については父と話した記憶も無く、どれを選んでも正しいような、間違っているような気がした。そもそも初盆の意識が希薄であった。それでも葬儀会社の方のアドバイスを聞きながら父も納得するであろう仏具や花を購入して準備は整った。
初盆は実家にお寺の住職に来て頂き、滞りなく終わった。13日には迎え火を灯して父と5年前に先に逝った母を迎え、15日には送り火で見送った。お盆の3日間両親を近くに感じた。




