アメリア様とベトランタ語
新緑が目に眩しい。
いつもより遅い時間。
爽やかな風に髪を撫でられ、少しだけ着飾ったハイレーナは馬車に乗り込む。
馬車は王城を背に城壁の外へ向かう。
目的は大聖堂。
馬車はちょうど大聖堂前の大通りに止まった。
聖堂の大階段に敷かれた赤い絨毯が鮮やかに目に飛び込んでくる。
その両側に着飾った人々が列を作り、興奮が馬車の中まで伝わってくる。
階段下に豪奢な馬車が滑り込んで止まり、扉を開けた御者と従者が左右に立つ。
そして、大聖堂の扉が大きく開いた。
そこに立っていたのは花嫁姿のアメリア様とシェルビニ侯爵様。
お揃いの白に金の刺繍が施された衣装。アメリア様のウエディングドレスは大きく広がって大輪の花のよう。
一瞬顔を見合わせ微笑む二人。
ハイレーナは窓に張り付いて、小さく拍手した。
「きれい……」
二人は腕を組んでしずしずと大階段を降りてくる。
両側から花びらが投げられ、パパーンと昼間の空に大きな花火が上がった。
アメリア様とは手紙のやり取りを欠かしていない。
図書館での奮闘を書き送ると「当然です。精進遊ばせ」と返事が届く。発売されたクリップの箱とともに、顛末を書くと「まあ、あなたの仕業だったのですね。ルシアンが気に入って使っています」と驚きの言葉が送られてきた。
そして「春に結婚式を大聖堂で挙げる。そのあとはしばらく公爵領へ向かう」と手紙の最後に書かれていた。
身分の違うハイレーナに招待状は届かない。けれど、どうしてもアメリア様の花嫁姿を見たかった。
馬車の窓に鼻が付きそうなほど近づいて両手を絡める。
「アメリア様、どうかお幸せに。シェルビニ公爵様も」
赤い絨毯の上を歩くアメリア。階段を下りきると長い裾を見事に捌いて招待客へ一礼し、馬車に乗り込んだ。
歓声が上がり、祝福の拍手の中アメリアとシェルビニ公爵を乗せた馬車が去ってゆく。
ハイレーナは手を組んだまま、馬車の影が消えてもなお目で追いつづけた。
ポツポツと招待客の馬車が到着し始め、はっと我に返る。
大きく息を吐いて、
「お願いします」と御者に声をかけると、馬車は静かに滑り出した。
王立図書館の馬車止めに到着すると、すっかり顔見知りになった御者と丁寧な挨拶を交わす。
これで馬車を使うのは最後になる。帰りは徒歩だ。
まだ先ほどの光景が頭から離れない。アメリアの姿を思い出して、ため息が出る。
自分の結婚はとうに諦めているから余計胸に迫る
昨日の続きを読もうとしたけれど、身が入らない。
吐息をもう一度吐いて立ち上がると、書架をうろうろ歩き出した。
最近は、興味の向くままリストにない本でも手を伸ばす。
ハロルドからも「それが肥やしになるから躊躇するな」と言われている。
いつの間にか外国語の本棚の前にいた。
――そのうちベトランタ語の論文も読まなくちゃいけない。
そう考えた途端、衛兵と、あの洗練された紳士の笑顔が浮かんだ。
ベトランタ語の文法書を手に取る。辞書とその数歩先のベトランタ語の小説も一冊選んだ。
机に戻って早速小説を広げる。
学院時代に少し勉強したおかげで、文法の基礎は覚えている。
辞書を引きながら少しずつ読み進めていると、上から艶のあるバリトンが降ってきた。
「おや、今日はベトランタ語を読んでいらっしゃるのですね」
はっと顔をあげると、さっき思い浮かべたばかりの顔と目が合った。
「あ、これは……」
慌てて本を閉じ、辞書で隠す。
その様子を見ていた男はクスリと笑うと顔を寄せて言う。
「その小説はベトランタで大人気の話題作ですよ」
それから、すっと一歩引いて「読みやすいはずです」と付け加えた。
ハイレーナはなぜか耳が熱くなり俯いた。シトラスウッドの残り香を感じていた。
男の気配が遠ざかる。顔を上げると手をあげて去っていく背中が見える。
「あの!」
気がつくと声をあげていた。
振り向く男の微笑みに励まされたように、言葉が滑り出た。
「少しわからないところがあって、教えていただけませんか?」
言い切ってから心臓の鼓動がどくどくとうるさく鳴っている。
男は笑顔を崩さないまま、ゆっくりとこちらへ戻ってくる。
「私でよろしければ、レディ」
と椅子を引いてハイレーナの隣へすとんと腰掛けた。
「なるほど、そういう意味だったのですね」
「ええ、ここは間違いやすいのです」
顔を突き合わせて文法書を覗き込み、小説を読む。辞書を引く。
その横顔を盗み見ながら、文字を追う。
男の教え方は丁重で、話し上手だった。気がつくと艶のある声に引き込まれていた。
気がつけば思った以上に時間が経っていた。
「ありがとうございます。すっかりお時間をとらせてしまって」
「いえ、ベトランタ語を学ぼうという方が増えるのは嬉しい限りですから」
そう言って男は立ち上がった。
ハイレーナも立ち上がり、丁重に礼を言った。
男は窓へ視線を向け、しばらく外を伺った。
「曇ってきましたね。雨が降りそうですよ」
つられて外へ目を向ける。
午前中の晴天が嘘のように、厚い雲が迫ってきていた。
夕暮れまでまだ時間があるはずなのに、どんどん薄暗くなりウォード灯が点灯する。
「まあ、どうしましょう」
「お迎えの馬車を呼びましょうか?馬車だまりにいるのでしたら、ひとっ走りして呼んできますよ」
「いえ、今日は徒歩で帰るつもりでしたの」
「それは……」
男は目を見開いてハイレーナを見た。
そして、軽く頭を下げて礼をした。
「レディ。失礼でなければ、私の馬車で送りましょう」
心臓の鼓動が耳に響いた。
読んでいただいて、ありがとうございます。
次の更新は9日(木)17時になります。
春ですね。新学期、新年度ですね。平和に一年過ごせることを願って。




