オットーとトニス
「トニスおじ様」
「お嬢、おかえり」
トニスは暖炉の前の席に座って、マーサのサンドイッチを頬張っているところだった。ハイレーナの後ろに控えるオットーを見とめると、ナプキンで口を拭いながら立ち上がった。
「ポロダンの末息子か。会うのは初めてだな。トニス・ペトリだ」
「オットヴァルド・ポロダンと申します。どうぞお見知り置きを」
と言って、オットーは丁重に礼をした。
一人前の商人の顔をしたオットーを横目で見ながら、ハイレーナはトニスに向き直った。
「今日はどうなさったの?」
「うん。――その前にお前さんたち、街はどうだった?」
ハイレーナはオットーに目配せでソファーを勧める。自分もトニスの向かいに席を取った。
マーサがお茶を準備するのを待って、話を続ける。
「楽しかったです。新しいお店でお食事も綺麗でおいしかった」
トニスは黙って聞いている。
「それでね。オットーが今度紙産業を立ち上げると聞いて、蜜蝋紙の話をしてね」
これは話して良いって言ったでしょ?
とハイレーナは視線で訴える。
「見てみたいと言ってくれたから招待したの」
「――そうか。良いんじゃないか、見せてやれ」
マーサに蜜蝋布をサロンに運ぶよう頼み、自分は自室へ上がった。
試作を繰り返した蜜蝋紙を数枚選び、自作したノートを2冊掴んで階下へ降りる。
サロンではオットーとトニスが額を突き合わせるようにして、蜜蝋布を覗き込んでいた。
蜜蝋布に紅茶を垂らして、丸くなった水滴を見ている。
「なるほど、防水布になるのですね」
「布だから通気性はいい。食糧など包むには最適だ」
「しかし、蜜蝋ですか……」
オットーが水滴をぬぐい、布を摘み上げて窓の光に当てた。
鋭い目で布を見ながら動かない。
ハイレーナは声をかけそびれた。
小さく息を吐いたオットーは、トニスに布を差し出しながら言った。
「ペトリ様にお伺いしたい。蜜蝋でなくとも、他のもの、たとえば油のようなもので作ることは可能ですか?」
「そうだな。油なら乾性油、亜麻仁油あたりで代用可能だろう。それに松脂や蜜蝋を少量混ぜると、定着するし、硬さも出せるだろう。その方がいいかもしれんな。蜜蝋だと熱に弱い」
「亜麻仁油――なるほど」
「オットー、これ。蜜蝋紙」
雰囲気が緩んだ隙に声をかける。
振り向いたオットーは微笑んで紙束を受け取った。
「ああ、紙も面白いね。ちょっと透明になるんだ。こっちはパステル?インクのは滲まないんだね」
ノートを手に取ると、懐かしそうに撫でた。
「この綴じ方、昔からやってたね。懐かしいな。確かにこういうノートにすると可愛らしいね」
「学院生の女の子には受けそうじゃない?」
「確かに」
しばらくノートを触っていたオットーがトニスに視線を向けた。
「亜麻仁油を使うとして、ポロダン商会からペトリ様に、配分など開発をお願いすることは可能でしょうか」
「もちろん。だが、この蜜蝋布と紙の発案者はお嬢だ。それはどうする?」
「今の段階で、ハナの名前が表に出るのは好ましくないとお考えですか?」
「その通りだ。もちろんハロルドもだ」
「わかりました。では、発案者の名前を伏せて、ペトリ様の個人名、または研究室の名前ではどうでしょう。もちろんハイレーナ様には発案料をお支払いするということで」
「それはナニか。お嬢が特別だからか」
「採算があるからです。ポロダンは布の制作から販売まで一通り抱えています。加工を一つ足せば、防水布として出せる。雨具、傘、帆布、荷馬車の幌……可能性は膨大です。紙も同じ。いま紙産業を立ち上げている最中でして。売れる工夫はありがたい」
一呼吸おいたオットーが続ける。
「それに、これからもポロダン商会と密にお付き合いをしていただきたい、という打算もあります」
「ふーん。さすが、末っ子なのに後継に指名されるだけのことはあるな。だが、決定するのはちょっと待て。条件がある」
挑むようなトニスの視線が注がれる。
「なんでしょう」
「ポロダンに協力する代わりに、別の製品の開発に出資しろ。それと、お嬢の名前を伏せて五年間の王立特許を申請してほしい。もちろん費用はそっち持ちだ。どうだ?」
オットーが腕を組む。
「他にも、開発中の商品があるということですか?もちろん見てみないことにはなんともお答えできませんが」
「そりゃそうだろうよ。だが、見せたら契約してもらうしかなくなる。俺が保証する。絶対に売れるやつだ」
「わかりました。ペトリ様を信用致します」
トニスは金属でできた重そうな機械を机の上に設置した。手のひらよりすこし大きい。丈夫にハンドルがついていて、プレス機に似ている。
――ホッチキスだ!
「コイツはまだ一回目の試作品だ。なんだか見当がつくか?」
「何かを押し込むものですか?」
「そうだな。見てろ」
と言って、土台に紙を二枚挟んだ。プレスのハンドルを一度押す。ガチャンと場違いな音が響いた。
そして、取り出した馬蹄型の針を溝に差し込み、もう一度プレスを押す。
今度は「ごっ」という、くぐもった音がした。
取り出された2枚の紙はしっかりと針で綴じられていた。
「すごい!おじさま、私の思っていた通りです!」
ハイレーナは思わずその場でぴょんと跳ねた。
「これも……ハナが?」
オットーは口元に手をやったまま動かない。トニスは得意げにオットーを見やった。
「どうだ。今はまだ二枚だけだが、せめて五、六枚は綴じられるようにしたい。将来的には十枚」
オットーが閉じられた紙を手に取る。開いたり閉じたり。留め具の針を慎重に調べた。
「鋼、ですね。これは下手したら世の中を変える……」
「書類を扱う我々、役所の文官。明らかに欲しがるだろうよ。お嬢はその、可愛いノートとやらを作りたかったらしいがな」
オットーとトニスがハイレーナを見る。
目を見開いたオットーの視線は知らないものを見るようで、ハイレーナは居心地が悪くなる。
もごもごと言い訳を口の中に含ませた時、トニスの声が響いた。
「それだけじゃないぜ。もう一つ。こっちはお嬢の手遊びだ」
胸ポケットから小箱を取り出し、蓋を開けて机に置いた。
中には白銀に光るクリップが大量に入っていた。
トニスは一つをつまみ出し、先ほど綴じた2枚の紙の反対側に差し込んだ。
「紙挟み。どうだ」
と言いながら、ハイレーナに片目をつぶって見せた。
オットーは口を開けたまま、クリップから目を離さない。近づいて手に取り、自分でも紙に差す。何度も繰り返してからハイレーナを見た。口は開いたままだ。
「これを、ハナが……」
もう一度クリップを摘み上げると目の前にかざした。そのまましばらく動かない。
ゆっくり息を吐くと、トニスに向き直った。
「わかりました。研究所の開発、またはペトリ様の研究室でできたもの、として発案者の名前は伏せる。三者契約でハナとペトリ様で配当金各25%。プレス式の方は出資いたしましょう。どちらの王立特許もポロダンで申請いたします。独占販売権を取りましょう」
トニスは満足げに頷いた。
オットーはすぐに侍従を呼び、ポロダン商会の印を持って来させた。トニスと顔を突き合わせて覚書を作り始めている。
ハイレーナはただ座って、冷めきった紅茶を飲んでいた。
ほんの思いつき。前世の記憶。
それが、どんどん大きなものになってゆく。
そして何より――
オットーのハイレーナを見る目が、変わってしまったことが寂しかった。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
次回更新は4月2日(木)17時の予定です。




